閑話 2
ピピピ、ピピ、ピピピピピ
うるさい電子音に、意識が覚醒する。ぼんやりと瞼を開くと、まず目についたのはクリーム色の覆いだった。ヘルメットのようなそれを上方にずらし、深呼吸。久しぶりの空気を味わい、全身の固定を外す。長時間横になっていたせいで固まった筋肉を解すように、ゆっくりと身体を動かした。
今、「紛争地帯の反乱勢力のトップの排除」という依頼の実行者だった私達(ノイン、キャトル)は謹慎中である。
名目は依頼を失敗しかけた、むしろ失敗したことへの反省であるが、実際は「実行者の三人目の行方及びノインの記憶についての調査」である。身体能力に優れた人達の集まりである暗殺者班の中でも断トツで優秀なアインス、組織としては彼の失踪を見逃せなかった。そして全く覚えていないことではあるが、彼と私は恋人同士だったらしい。そのため、それはもうしつこく尋問され、手掛かりを残していないか調べるためにと所謂“思い出の品”を根刮ぎ持っていかれた。私の部屋は殺風景になった。どれだけ貢がれていたのか。
しかし意外にも、しつこくはあったが聴取が長引く事はなかった。その理由は私へではなく、彼へのある種の信頼。彼を知る人達は皆、もし居なくなるならば彼はこんなに回りくどいことをせず、そして私も連れて行くに違いないと確信しているらしかった。
私は何も知らない、覚えていないと判断されると、睡眠時を除き何かを要求されることも無くなり、暇をもて余していた。
そこで、申請して仮想世界で戦闘訓練をしていたのだ。
キャトルの言う小説ではヘルメット型や円環状だったらしく彼女は残念がっていたが、このフルダイブ技術が確立されてから上層部は大喜びだったとのことだ。
なぜならこの組織は皆が皆闘えることを求められており、当然その分軍事費も嵩むからだ。
一体何を目指しているのだろう、そんな事を考えつつ、私は長い髪を一つに括り、戦闘分析と改善点を先生に相談するために部屋を出た。
私が廊下を歩いていると、聞き覚えのある調理師班の少女と、知らない少年の声が聞こえてきた。少女は無愛想な私にも話し掛けてくれる、数少ない友人なのだ。…何故か様付けだけど。
「ねぇ、聞いた?最近暗殺者班のあの9番様が、1番様と一緒にいらっしゃらないらしいよ!どうしたんだろ?」
「あぁ。驚いたよな。まぁアインスさんが手離すわけないから何かあったんだろうけど」
ピンポイントで私の話だった。角で死角になるように立った私は俯く。今の私にアインスとかいう男の記憶は無いし、別れたのではなく行方不明なのだ。そう、私はその男を知らない。
私はそれ以上聞きたくなくて、その場を足早に立ち去った。
「でも、もし別れたんなら俺にもワンチャンあるか…?」
「はぁ?ばっかじゃないの?あの完璧なノイン様に、あんたが釣り合う訳無いでしょ!」
「…そうだよなぁ。手出そうとしたら殺されるかもしんねぇしな」
アインスさんにも二人のファン達にも。
そんな事を言われていたとは知らずに。
***
「…ふぅ」
白い壁、白いドア。代わり映えのない廊下の途中に、今の目的地がある。長々と歩き、ようやくたどり着く。
部屋の前で、ドアをノックする。応答を待つ間に気持ちを切り替えようと、息を吐いた。
これから会うのはデイヴィズ・マクレガー。彼は元諜報員班の人間で、最終ナンバーは13の、人情家だ。彼は茶髪に黒い目の大柄な男性で、あまり印象に残らないが人好きのする顔立ちをしているし、性格もそれなりに良い、らしい。嘘も言わないし、足を引っ張ったり贔屓をしたりすることもない、らしい。らしいと言うのは、私はいつも嫌味や嘘を言われているからだ。美少女だとかなんとか。
しかし、諜報員は長期に渡って情報収集を行う可能性があるので、良い人間関係を作れる人が望ましいのだが、彼は少し空気が読めず、重要な情報をよくポロッと溢す。つまり何が言いたいのかというと、彼は諜報員には向いていないということだ。しかしその分数字に見合うくらいに能力は高いので、今は組織を卒業した上で、体術顧問をしている。
「居るぞ。キャトル、そこに居るなら開けてくれ」
「えー。自分でやって下さいよ」
文句を言いつつも顔を覗かせたのは、亜麻色の髪にアクアマリンの瞳を持つ親友だった。彼女は意外、とばかりに目を瞬かせる。
「あれ?ノインどうしたの?」
「訓練の評価を貰いに来たの。キャトルこそどうしたの?謹慎中でしょ?」
「それこそあんたもでしょ。私は…まぁ、あんたと似たような感じよ」
「ふーん」
少しにやにやしつつ親友を見る。前から彼女がマクレガーを好きだということは本人から聞いているのだ。何でも落ちこぼれて本当にギリギリだった時にずっと付きっきりで教えてもらって惚れたとか。4を取るほど出来の良いこの子が何に落ちこぼれたのか見当もつかないが。ちなみに私はその時相談してもらえず、しばらく不貞腐れていた。その時誰かが一緒に居てくれていたような気がする。…誰だったっけ。
思索に耽る私の顔を彼女が覗きこみ、唇を尖らせた。
「何考え込んでるのよ」
「別に?…ふふ」
いかにも恋をしています、とほんわかした雰囲気を醸し出す親友が可愛くて、直前のことも忘れて笑みを零す。そんなこんなしていると、キャトルの後ろからぬっと大きな影が出てきた。
「おぉ、組織屈指の美少女が二人も訪ねてくるとは、俺は幸せもんだな」
私が美少女なら、話し掛けたらもっと返事を返してくれると思うのだ。でも、私が話し掛けると顔を逸らす。男の子達に至っては逃げていく。私は嫌われ者だ。死にたい。
マクレガーうざい。死んじゃえ。
………私、こんなこと考える人間だっけ。
私は彼の軽薄なところが苦手だ。キャトルにそう言ったら、呆れられた。そんな事ないでしょ、と。専属の先生のような存在なので、当然かも知れないけど、評価に関係のない、プライベートな事もしつこく問いただしてくるのだ。幸せそうだから言わないけど、内心大好きな親友が彼と付き合うことにも反対している。
「先生、これお願いします」
「無視か。はいよ。…よくこんなに長く続けられるねぇ」
キャトルの後ろに立ったマクレガーに録画映像が記録されたUSBと紙を苛立ちを込めて押しつける。
紙にざっと目を通したマクレガーは、思わずといったように呟いた。それもそのはず、この謹慎中は睡眠時間や食事、トレーニング以外のほとんどの時間をこれに費やしていたのだ。
「今の私にはこれくらいしかやることがありませんから」
謹慎中だから、という意図を込めて答える。
「そうか。…アインス君のことは残念だったねぇ」
可哀想に、という顔でマクレガーは言った。わざと空気の読めない発言をしたのか、勘違いしたのかは判らないが、爆弾を落とされた私は固まる。ぼーっと彼に見惚れていたキャトルが私の様子に気づき、慌てて囁く。
「ちょっと!死んだって決まった訳じゃないのに余計なこと言わないで下さい!大体、この子覚えて無いんですよ?わざわざ混乱させるようなこと言う必要ないでしょう!?」
気を使って小声で注意したキャトルを見て、マクレガーがわずかに微笑んだ、気がした。
「そうなのか?覚えてないなら言っても大丈夫だろう?発信器にはもう生体反応は無かったらしいって」
頭の中で、彼の声が木霊した。
襲い来る頭痛と眩暈に立っていられず、しゃがみこむ。
生体反応がない。それはつまり、死んだということ。
そんなはずない。誰かがどこかで叫ぶ。そんなはずがない、彼が私を置いて居なくなるなんてあり得ない、と。
ノイン、と呼ぶ声に顔を上げると、キャトルが青ざめ、何故か傷ついたような顔をして私を見つめていた。
なんで、と彼女の唇が動く。
私は踵を返した。覚えていないのに、覚えていないはずなのに、胸が苦しい。零れそうになる涙を堪えて、元来た道を走って戻る。後ろから「この無神経男!」という声と、バチンという音が響いた。




