閑話 1
うっすらと瞼を持ち上げた私の視界に、白い天井が映る。
周囲には鼻をつく消毒の匂いと、涼しい空気が漂っていた。直前の記憶とは全く違う景色に、私は身体を強張らせる。
ここはどこだろうか。私は任務中で、標的を殺したばかりのはずだったのに。
私―ノインは、起き上がらずに周りを観察し、ほっ、と肩の力を抜く。どうやら私は、私が所属する組織の医務室…とは名ばかりの、アーネット先生の研究室のベッドに居るようだ。もう少し眠ろうと、付けた覚えのないペンダントを握りしめながら私は膝を抱えて丸くなった。
***
「あら、起きたのね」
私が立ち上がって病衣を整えていると、アーネット先生が入ってきた。項辺りで無造作に纏められた癖毛の蜂蜜色の髪と、少し垂れた目。恐らく150cmにも満たないだろう小柄な身長のせいでとても可愛らしく見え、男達が騒いでいたが、実際は残念な性格のマッドサイエンティストである。
私は何故か彼女に嫌われているらしい。自分に嫌な感情を向けてくる人物に良い印象を持つ人間は少ないだろうし、私もその例に漏れず、彼女とあまり関わりたくないと思う。
あれ?他にも何か理由があった気がする。
「…今なにか、失礼なこと考えてたでしょう」
鋭い。私は一切表情を変えていないはずなのに。
いつも通り、教えられた微笑を浮かべて私が首を横に振ると、そう?と唇を尖らせ、彼女は顔を、悲しそうな、と呼ばれるものに変えた。演技が巧いなと思いつつ、私は言い知れない不安を覚える。
「…先生?どうかされましたか?」
私が質問すると、彼女は一瞬の間をおいて唖然とした素の顔になり、「どうって…?」と尋ね返してきた。何を言われているのか理解できない、という感じだ。
「先生が悲しそうなお顔をされているからですが…もしかして、私達は任務を失敗してしまったのでしょうか?」
それなら、理解できる。私の所属する暗殺者班に役立たずの居場所は無い。降格、もしくは諜報員班の下位組織への異動かもしれない。教育費が無駄になってしまうから、処分は流石に無いと思うけれど。私はどうやら気絶していたようだし、回収されただけでも感謝すべきだろう。それは理解しているし、もしそうだとしても異論は無い。
先生は外部から雇われた方だし、研究に関係ないところでは甘い方らしいし、可哀想だとでも思っているのかな。
いや、それならむしろ喜ぶか。
「…いいえ、そうではないわ。貴女達はちゃんと標的を処分した。それは上層部も確認した事実よ」
あぁ、やっぱり。
「はい。そこは私の記憶にもあります」
「それでも、私がこんな顔をしている理由が解らない?」
私は首を捻って考える。標的を殺した後の事を思い出そうとして、…酷い頭痛に襲われ、ベッドの枠に手を突いた。
「あら、大丈夫?」
「…大丈夫です。少し頭痛がしただけですので。…心当たりは全くありません。というか、その後の事が思い出せません。すみませんが、教えていただけますか」
先生はまだ心配そうな顔をしていたが、ベッドの脇の椅子に座り、話し始めた。
「また痛くなったら言いなさい。標的の処分までは記憶にあるようだから、その後の事を説明するわね。
「貴女とアインスは標的を殺した後に、標的が居たビルの壁を壊しながら吹き飛ばされたみたい。原因は多分爆弾ね。貴女達が飛ばされているところは遺体回収班がみていたの。アインスはお腹が真っ赤になっていたけど二人とも意識はあったみたいだから、標的の死を先に確認して、それから拾いに行くつもりだったみたい。
「その前に、今回の貴女達のお仲間のキャトルが貴女達を追いかけたんだけど、貴女が気絶しているだけで、アインスの姿は無かったらしいわ。…あの子が貴女を置いてどこかに行くはず無いし…どうしたの?」
解らないことがある、とアピールするように小首を傾げていた私を見て、ほんの一瞬、瞳に嫌悪を浮かべた先生が訊いてくる。
私は素直に尋ねた。
「あの…アインスって誰ですか?」




