5 〜Pure Succubus〜
この狂気なる事件について――そらはこう推察している。
――あれは、粘菌が原因かもしれない。
――粘菌には、迷路を最短ルートで出口まで行けることができるって言ったよね? 単細胞生物が手に入れた、独特の情報処理能力……。もしかしたらあれが並列処理型のスーパーバイオコンピュータか何かに進化したのかもしれない。人間の脳を侵食して、操り人形にしてしまう。
――5年前に、似たような事件は起きてたんだ。ある学校の高校生たちが、たがいを殺しあったりする事件。何十本もの銃剣を、全身に突き刺されてたり、美術室の天井に何体もの首吊り死体が飾られてたり、一列に並んで、いっせいに屋上から飛び降りたり……。ひょっとしたら、あれがすべての始まりだったのかも……。
それは、こうとも言いかえられないだろうか?
つまり――誰が怪物になっているのか分からないのではないのか、と。
「…………」
場所は体育館。
体操服姿のまま、バスケットボールを何度もバウンドさせながら、陸緒はぼんやりと考えていた。まわりで、剣と剣を打ち合う音や、ボールを叩き合う音が聞こえてくる。
放課後の、ゆったりとした流れの中で、陸緒は事件のことを思い出す。
――いまいち実感がわかない。
それが、陸緒の実直な感想だった。
人の自殺を――気持ちの悪い狂気行為を二度も間近で見ていながら、いや見たからこそ、あえて日常と非日常との一線を引いているのかもしれない。
いまだに、陸雄の心は日常から離れられずにいた。
レポートをまとめるのは大変だし――
観たいドラマがいっぱいあるし――
将来は、戦争でボロボロになった日本の復興作業に手を出したいし――
やりたいこともやるべきこともたくさんありすぎて――死ぬヒマなんてないくらいだ。
世の中、違う考え方の人もいるのだろうけれど、そのほとんどが死にたい人ばかり――というのはなんかイヤだ、というのが陸緒の正直な考えだった。
目標があれば、人間死のうなんて思わない。
(そらは……どうなんだろうなぁ……)
部室に閉じ困ったまま、将来の見えない親友のことを、そらは想う。
(変な植物育てて、ベーコンばっか食ってるから、ノーミソが燻製になってるんじゃねェのか? 部屋に閉じこもってないで、もちっと気分転換でもしたらいいのに……。いっそ肝だめしに行くとか……駄目だ、もう夏休み終わってるし――)
思いながら、陸緒は隣の試合場に目をやった。
そこにいたのは、白の衣に緋袴姿の少年少女たち。
まるで剣道や弓道を思わせるいでたちだが、彼らの部活はそのいずれかでもない。
持っているのは、身の丈サイズの棒。そして先端にくっついている銃剣。
戦後の武術を継承して発展した、この国独特の槍術だ。
実戦型の格闘術をあつかっているためか、スポーツマン特有のさわやかな空気はなく、どこか剣呑な雰囲気をまとっている。
その中心にいるのは――夏川愛海。
槍を構える緋袴姿の彼女も大変凛々しい。
声を張り上げ、目を吊り上げ、敵を射抜くその姿のすべてが美しい。まるで戦乙女。
阿修羅のごとき気迫をまとっていてもなお、内からにじみ出る強さや美しさがあふれ出ているのだ。
(……付き合ったら、そらのヤツ化けるんじゃないか?)
そんなことを考えながら、陸緒はボールを投げるのを中断して、戦乙女の試合を眺めていた。
――そもそも、なぜそらは粘菌に詳しいのだろう?
――何であんな、いつも部室に閉じこもっているのだろう。
――なんであんな美人をほっておくのだろう?
いろんな疑問がふつふつと湧きあがってきては消えていき、また溢れていく……。
と、そうしているうちに――
少女と目が合った。
少女が、陸緒を意識した。
少女が、部活を中断させる。
少女が、こちらに近づいてくる。
少女が……。
(え!? 俺!?)
いまさらながら、陸緒は気づく。
愛海が陸緒に近づいてきているのだ。
「ちょっと、お時間借りますえ」
ほんのかすかに汗ばんだ愛海の手が、陸緒の手首をつかんだ。
「え、ちょっ……」
有無を言わさず、無理矢理問答無用唯我独尊に。
そのまま彼女は陸緒を引っ張っていく。
あろうことか、女子トイレの個室に。
陸緒を閉じ込め、念入りに鍵までかけているではないか。
実質、狭い箱に二人っきりにされた形だ。
(おいおいおい何だよ……俺にトイレは二人連れなんて趣味はねェぞ……)
文句を言いたいところだが、相手が女子で美人という高いハードルのためか、うまく言い出せない。
ましてや、頬を赤らめて瞳を細めているのでは……。
まるで――言うか言うまいか、困っているかのような態度。
(何だ、これ? まさか……告白!? いや、待て! そんな……。もしそうなら……いやイカン、それは親友を裏切ることに……。いやしかし……イヤイヤイヤイヤ……)
なにやら悶々と、不埒と理性のハザマを行き来しながら悩む陸緒の正面で、愛海が何かを決意した。
「あの、赤土はん。うち、あなたやから頼みたいことがあるんよ……」
「? ……は、はぁ。俺でよかったら、何でもどうぞ……」
引きつった笑み。裏返りかけた声で、それでも男の尊厳をかけて陸緒は胸を張ってみせた。
その効果があってかそれ以外の何かか、愛海は口を開いてくれた。
「…………!?」
その言葉に、みるみる陸緒の目の色が変わっていく……。