7 〜BLACK OUT〜
降りたばかりの坂道をのぼって、ふたりは学校にたどりつく。
――進む先は地下。
かすかな蛍光灯の光はとても乏しく、そのせいで広い地下を照らしきれず、ところどころに闇がこびりついている。
空気はよどみ、立ち込める埃やカビの匂い。
むき出しの配線やパイプが壁や天井をはっており、それは世界の果てまで続いているかのようだった。
地下深くに進むにつれて、ねっとりとした闇が神経に絡みつくような錯覚さえ感じてしまう。
人がいないのも相まって、ひどく不気味な雰囲気が重みをともなってのしかかってくる。
「……改めてくると、気味の悪い場所だな。暗くて誰もいやしねぇ……」
「広いトイレみたいなものでしょ」
「…………そうか?」
ふと、陸緒は、自分の前を歩く少年の背中をぼんやりと眺める。
(こいつ……世話焼きだよなぁ)
泣き虫そうな風貌に似合わず堂々としてるし落ち着いてるし、博識なくせしてときおり当たり前のことを知らないときがあって、軟派なところはないし、賭け事も好きなタイプじゃないし、おおよそ欠点なんかないんじゃないかって思うくらいにしっかりしている――とてもいい子だ。
だけど、そんな彼が最近おかしい。
妙に部室にこもっていることが多いし、何か考えているのか、ぼーっとしていることが多くなった。最近、人付き合いも悪い。実のところ、陸緒がこうしてそらといっしょにいるのも、陸緒自身が強引に彼の時間にねじりこんでいるところが強い。
どうやら、何かを熱心に調べているらしい。それこそ、学究の徒のように。
調べているのはおそらく――粘菌。
(何があったってンだよ……。お前……)
歩いているうちに、二人は数時間前にいた場所――射撃訓練場にたどりつく。
しかしここで、違和感に気づく。
――明かりがついているのだ。
無論、授業はとっくに終わっている。部活というわけでもあるまい。
――では誰がいる?
はてはてと、好奇心が前のめりに動いて、二人は扉の隙間からのぞき見る。
そこにいたのは、数時間前に授業をこなしていた何人かのメンバーたちと、そして教官だった。
「何やってんだ? あいつら……」
「さぁ……」
見たところ生徒たちが二列縦隊で並んでいて、その前に教官が背筋をのばして立っていて、なにやら話しているようだった。
もともと体育教師の匂いを発散しているような人だったが、今回は特に熱弁しているらしく、額に血管を浮かべ、口端から口角泡をふいている。
拳銃を掲げて、雄叫びを上げている。
生徒も同様のポーズをとっていた。どうも尋常ではない。
まるでロックバンドか新興宗教のような、狂気じみた何かさえ感じられる。
うーん、とそらは声が向こうに聞こえないように静かにつぶやく。
「部活ってわけじゃなさ――」
そこで、そらのつぶやきは止まった。
彼らは同時に、凶器を構える。
みんなが狙っている先――それは、【自分自身の頭】だった。
聞こえてこないか? 彼らの声が。
――そうだ、そこが俺たちのターゲットだ。
――煩悩を払い落とせ。
――われらの悪はそこにある。そう、己が自身に……。
――さぁ、殺せ! 今殺せ! すぐ殺せ!
――さァさァさァさァさァさァさァ!
狂気が、神経を直接かきむしる。
鼓膜をむしばむ、荒い息づかい。
その場にいるだけで嘔吐してしまいそうな、不快な空気。
――地獄が、そこにあった。
「やめてぇ!!」
たまりかねて、思わずそらが飛び出した。
うしろから陸緒が「よせ、バカ!」と駆け寄るが、もはや手遅れ。
そして――
――殺せ。
「撃ェ!!」
裏返った、正気など微塵も感じられない教官の奇声。
派手に鳴り響くのは発砲音!
銃口から放たれる閃光の明滅をかきわけながら、陸緒は身を乗り出してそらをうしろから抱きしめると、そのまま重みにまかせて銃撃からかばう形で押し倒した。
古ぼけたコンクリートを鮮やかに彩る、血肉のアート。
壊れたおもちゃのように、ふらりと倒れていくのは肉人形。
赤い泉がびちゃびちゃと笑って、溺れる死体を迎え入れた。
…………。
やがて湿った空間は静かになって――
「…………」
「…………」
陸緒とそらは、鼻をつく火薬の霧海からゆっくりと起き上がる。それでも、腰から下がうまく動かない。
死体を見るのがはじめて、と言うわけではない。
地雷で下半身が抉れた死体や、機銃掃射で穴だらけになった死体だって見たことがある。
だけど、これはあまりにも狂っている。
戦場をいくら見慣れても、やはり狂気には馴染めないのだ。
集団拳銃自殺。
こんな馬鹿げた光景があるだろうか?
しかも――
床を埋めつくす、死体、死体、死体……。
黒い髪からはみ出た――赤い血と桃色の肉と白い骨と灰色の脳味噌。
それと――【黄色い】何か。
――原因はこれか?
――頭の中からはみ出て見えないか?
――いったい何が起こっているんだ?
ふたりの麻痺した神経を走り回る、何億何兆もの情報群。
その一個一個が寄り集まって、やがてひとつの形を成す――それは恐怖。
太陽が歌う、かりそめの平和は姿を消していく。
夜が、始まろうとしていた……。