向日葵畑でつかまえて
「第1回なろう文芸部@競作祭 『キーワード:夏』投稿作品」
企画物で「夏」をキーワードに短編を制作しました。
なかなか気に入った作品ができたと思いますので、お楽しみいただければと思います。
ある日突然、耳が生えてきた。
黒く艶々した毛に包まれた、三角でピンと立った耳。
漆黒の髪からひょこりと顔を出している。
それはもう、立派な猫の耳だった。
慌てて黒のハットを手に取り、頭頂部の左右に生えている耳を畳んで押し込んだ。
スタンドミラーで確認する。
よし、耳は見えない。
靴を履くと、近所の病院に文字通り“駆け込んだ”。
「あぁ、耳生ですね。大したことない夏の病ですよ。よくあります。」
あの、その…ともごもごしながら躊躇した後、思い切ってハットを取り去ると、医者からあっさり言われた。
大声を上げて驚かれるとか研究材料にされるとか、そんなことばかり考えていたので、あまりのあっけなさに拍子抜けする。
医者は耳を親指と人差し指でつまむと、ぴこぴこ前後に折り曲げた。
「これは、猫かな?」
その手が少しくすぐったく、これが実際に自分の身体から生えてきた一部なのだということを感じた。
医者はカルテに何やら書き込みながら、「特に何か処方することも無いから、もう帰っていいよ。」と口にした。
「ありがとうございました。」と言いながら部屋から出るところで、医者が「なんか今年多いなー。流行ってるのかなぁ。」とぶつくさ呟くのが聞こえた。
病院からの帰りにふと周りを見回すと、毛色や形は違うけれど確かに同じように耳の生えている人が歩いている。
普段ほとんど家から出ないから、気が付かなかった。
それでも、20歳の男が猫耳を生やして街を闊歩する姿には違和感がある。
来たときと同じようにハットの中に耳を仕舞い込んだ。
川の畔に作られている遊歩道に出ると、風が一気に吹き抜けた。
あ! と思った時にはハットはもう空に巻き上げられていた。
その瞬間、押し込まれていた耳がひょっこり立ち上がる。
風が少し長めの髪をサラサラと攫った。
耳の毛もふさふさと風に揺られている。
ハットは遊歩道の下へとふわりと風に乗って落ちて行った。
落ちる先を見やると、鮮やかな黄色が目に入った。
遊歩道の下は芝生が広がり、ひとところに向日葵が群生していたのだ。
落ちていたハットを取りあげようとして、横に向日葵が一本倒れているのが目に入った。
思わず引き寄せられて近付き、倒れている一本を思わず手折る。
と、次の瞬間。
「…――…ーヤ!?」
「うわあぁッ!!」
突然ガサッと音がして、向日葵の間から生えてきたばかりの耳を掴まれた。
すぐに女性の顔が覗いたが、こんなところから人が出てくるとは思わず驚いて大声を上げていた。
「ご、ごめんなさい! 猫を探していて…。」
突如向日葵の間から出てきた女性は、20年ほど飼っていたトーヤという名の猫が突然いなくなってしまい、探しているという。
向日葵が好きだったという猫を探しに泥と汗とにまみれながら、この向日葵畑を歩いていたらしい。
音がしたので見ると見覚えのある黒い耳が揺れている。
捕まえた! と思ったら、それは俺の耳だったというわけだ。
「本当にごめんなさい。
もうおじいちゃん猫なのに、どこに行っちゃったんだろう…。」
女性は小さく肩を落とした。
「あの…、もし良かったら俺手伝いますよ。暇だし。」
その姿があまりにも小さく見えて、気が付いた時にはそう口走っていた。
「同じような黒い耳が生えてきた縁ですし。」
「いいんですか!」
ほとほと困り果てていたのだろう。
女性はパッと顔を上げると、何度も何度も「ありがとうございます。」と頭を下げた。
夕焼け小焼けのチャイムが響いて、ふと周りを見回すと空が薄らオレンジ色に染まっていた。
「いませんね。」
近くを探していた女性に声を掛ける。
「すみません、お力になれず…。」
「こちらこそ長時間探すのに付き合っていただいて、ありがとうございました。」
「あの…家に戻っている…ということはないですか?」
女性は俯いて暫く考え込んでいたが、ゆるゆると首を振った。
「家猫だったので、外に出たこと無かったんです。
最近、歳のせいか元気も無くて心配していたのですが…。
突然いなくなってしまって…2日も戻ってこない…。」
「そうですか…。」
二人の頭には多分共通の文字が浮かんでいたと思う。
それでもお互いそれを声には出せなくて、無難な返答しか返せなかった。
お互いを探るようななんとも言えないもどかしい時間が流れ、二人の間をさわさわと音を立てて生温かい風が通り抜けていった。
「…――あの!」
突然女性が顔を上げた。
「…私、珈琲を扱うお店をやっているのですが、良ければ寄っていただけませんか?
今日のお礼に一杯ご馳走します。」
それから女性の珈琲店に着くまで、彼女のことをいろいろと聞いた。
彼女は塔子さん、29歳。
26歳のとき、お父さんからこの珈琲店を継いだという。
2階部分が実家で、探していた猫は2階と1階を自由に行き来し、珈琲店でも時折看板猫として可愛がられていたようだ。
遊歩道から歩いて5分ほどのところにその珈琲店はあった。
木の趣あるドアで、上部にすりガラスが填めてあり、ドアを開けるとカランカランと上品なドアベルが鳴った。
中に入ると4人掛けのテーブルが3つと5脚の椅子が並んだカウンターがあり、家具は全体的に焦げ茶色で統一され、落ち着いた空間だった。
カウンターの目の前にはサイフォンが3台並んでおり、奥にはカップやソーサーが品良く飾られ、良い意味でレトロな雰囲気を感じられた。
「手、泥だらけですよね。どうぞこちらで手を洗ってください。
タオル、ここに置いておきますね。
珈琲準備しますので、こちらに掛けて少々お待ちくださいね。」
「…はい。ありがとうございます。」
店に入るとすぐに洗面台とカウンターの席を案内された。
塔子さんは丁寧に手を洗うと置いてあった黒のエプロンに手を通して、手際よく準備を始めた。
慣れない雰囲気に戸惑いながらも、持ち帰ってきた向日葵を椅子に置くと、手を洗って席に着いた。
店に入ったときは閉め切っていた空気がもわっと感じられたが、すぐにクーラーが効き始め席に着く頃には幾分涼しくなっていた。
つい物珍しげに周りを見回していたが、すぐに塔子さんに目を奪われた。
「珈琲の好み、ありますか?」
既にフラスコに水が入れられ、ランプには火が付きゆらゆらと揺れている。
塔子さんの動きを目で追っていたら、唐突に目が合った。
「…いえ。よく分からないので、塔子さんのお勧めでお願いします。」
「わかったわ。そうしたら、塔子プレンドにしようかな。
これより濃い薄いや苦み、酸味の好みがあったら教えてくださいね。」
「わかりました。」
塔子さんはにっこり笑うと棚を開けて豆を取り出し始めた。
その姿を見ながら、被ったままだったハットを脱いで向日葵の置いてある隣の椅子の上に置いた。
「珈琲に名前、付いてるんですね。」
「そうなの。父の名前が付いたものもあるし、常連さんの名前の付いたものまであるわよ。」
「へぇ! 面白いですね。」
塔子さんがガリガリと音を立ててミルを引いている姿を見ながら、いつか飲み比べしてみたいな、とふと考えていた。
いい香りが鼻腔を擽り、心地よい音に包まれ、自然と心が落ち着いて行った。
ミルの音が止まる頃、ちょうど良いタイミングで沸々と小さな泡が出て、沸騰を始めた。
塔子さんはその様子をじっと眺めて、フワッと火を弱めると先程引いた珈琲粉が入ったフロートをそっとフラスコへと差し込んだ。
湯がフラスコからフロートへ上がってゆき、塔子さんがくるくると撹拌させた。
じっと様子を見ていたが、ランプを外すと再び撹拌させ、ふうとひとつ息を吐いた。
まるで生き物を扱うように真剣な表情を向けている塔子さんから目が離せなかった。
珈琲が落ち始めると、塔子さんがふとこちらに顔を向け、小さく「あっ!」と言った。
ハットを外し、隠れていた耳が出てきたことで、思い出したらしい。
「これ、耳生っていう夏の病らしいです。」
「みみはえ?」
「見たまんまなんですけど、何かしらの動物の耳が突然生えてくるみたいです。
生えてくるだけで、特に何かあるって訳でもないみたいなんですけど…やっぱ成人した男がこんなの生やしてたら引きますよね。」
視線を合わせられず、俯くと耳も一緒に垂れたのを感じた。
どうやら自分の感情とも連結しているらしい。
「そんなことないです!
漆黒の髪の毛と黒曜石のような瞳に映えて、すごく綺麗な耳です。
それに、その綺麗な黒毛の耳が生えてきてくれたお陰で、トーヤ探すの手伝って貰えたのですから!」
あまりに力いっぱい褒められたものだから、一瞬ぽかんとする。
お互いに何と無く気恥ずかしくなったが、どちらともなく「…ふふっ」「…はははっ」と笑い始めた。
ひとしきり笑ったところで二人で顔を見合わせたら、ちょうど珈琲がフラスコ内に全て落ちたところだった。
カップに注がれるのと同時に辺りに珈琲の香りが広がる。
カシャン、と小さな音がして目の前にカップが置かれた。
「はい、どうぞ。」
目の前に置かれた珈琲からは出来立ての湯気に乗って香りが漂ってきた。
カップを持ち上げ、鼻に近付ける。間近で嗅ぐことで自分の好みドンピシャな香りが何者にも邪魔されずダイレクトに鼻に届く。
爽やかさの中に少し甘さが混じっている。
何故だかわからないが、あぁ、これだ! と感じた。
香りが身体中を駆け巡ったのではないかというほど、暫く香りを楽しんだ。
「香り、気に入っていただけました?」
あまりに長く香りを楽しんでいたからか、塔子さんから声が掛かった。
全く口にしないので、気になって声をかけたのだろう。
申し訳なさから恥ずかしくて黙っていたことを告白する。
「実は猫舌で…。」
「あ! そうだったんですね。
暑かったし、アイスにすればよかったかしら。」
「いえ! でもどうしてもホットで飲みたいので。」
そう。俺はホット珈琲が飲みたかったのだから。
程良く冷めたところで、そろそろと口にする。
うん、美味しい。
少し苦くて、でもコクもあって。
胸に沁み渡る旨さに思わずほっこり顔が綻んだ。
「とても美味しいです。」
待ってくれていた塔子さんに素直な感想を伝える。
評論家でも食通でもないから上手く伝えられないけれど。
「俺、すごく好きです、塔子ブレンド。
好みドンピシャ!」
塔子さんは「そんなに褒めても何も出ないわよ。」と冗談に受け取ったのかもしれないけれど、俺にはこれが本気でどストライクな珈琲だった。
もう一杯お代わりさせて貰った後、最後の一口を飲み干すと、壁掛け時計が鐘を6つ鳴らした。
その音を切っ掛けに立ち上がる。
ハットを手に取って頭に被せて、その下に置いていた向日葵が目に付いた。
ふと、塔子さんから聞いた猫のことを思い出した。
「この向日葵、折れてたから持って帰って飾ろうと思ってたんですが、良かったらここに飾って貰えませんか?
猫が戻ってくる目印になるように。」
手にした向日葵を塔子さんに見えるよう差し出す。
塔子さんは驚いたように目を見張った。
「いいの?」
「いいです。俺が部屋に飾るより、よっぽど有意義だと思うし。」
「ありがとう。」
「猫、帰ってくるといいですね。
珈琲、ご馳走様でした。それじゃ。」
ぺこりと礼をして、珈琲店を後にした。
塔子さんは「探すの手伝ってくれて、本当にありがとう!」と、わざわざ店から出て見えなくなるまでずっと手を振っていた。
翌日、ベッドの上でゴロゴロしていたが、やはりあの猫のことが気になって仕方なかった。
塔子さんの家に帰ってきただろうか。
向日葵畑をウロウロしていないだろうか。
「よし、散歩だ。散歩に行ってみよう。」
勢いを付けてベッドから起き上がる。
普段散歩なんて絶対しないのに、何か理由を付けて外に行く準備を始めた。
「…いないなぁ。おーい! トーヤ!!」
今日は草を掻き分けながら少し川よりの方を探してみるが、見つからない。
「向日葵畑の方に行ってみるか…。」
なんとなく気になる向日葵畑の方に足を向けた。
向日葵の中を昨日とは逆の方向から歩いてみることにした。
ガサッ…!
小さな音が聞こえたような気がして、聞き耳を立てた。
ガサガサッ…!
音はだんだん近づいてくる。
もしかして…! と向日葵を掻き分け、音のする方へ顔を覗かせた。
「と、塔子さん…!?」
コポポ…と珈琲が落ちる音がして、いい香りが鼻に届いた。
俺はまた帰り際にまた塔子さんに珈琲をご馳走になっている。
あの後、どうやらお互いの音を猫だと勘違いして追っていたことが分かり、それからまた探したがやはり見つからなかった。
「まさか、今日も探してくれてるなんて思わなかったわ…。」
「すみません。
なんか、気になってしまって…。」
「逆に、気にさせてしまってごめんなさい。」
塔子さんは、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「そんな! 俺が勝手にやってることなので、頭をあげてください。」と慌てて立ち上がった拍子に、昨日は目に止まらなかった額に気が付いた。
額の中には絵画が収まっている。
「あれ?」
絵には、向日葵と猫、それから少女が一人。
塔子さんは俺の視線に気が付いたのか、あぁ、と口を開いた。
「これ、父が描いたの。絵を描くのが趣味でね。」
「…これ、塔子さん…?」
「そう。トーヤが来た頃のものね。」
「本当に向日葵好きだったんですね。」
それを聞くと、塔子さんは猫との出会いを話し始めた。
「トーヤとの出会いは9歳の時。小学校からの帰り道にあの向日葵畑で出会ったの。
ダンボールに5匹位入っていて、何匹かは貰われていったけど、最後の1匹がずっと残っていた。
それが、トーヤ。
毎日学校帰りに寄って、給食の残りを与えたり、遊んだりしてたなぁ。
でも、ある日夕立ですごい雨が降った日があって…。
一緒に傘の中に入っていたけど、2人してずぶ濡れになっちゃって。
こっそり連れ帰ったんだけど、父に見つかってしまったわ。
すごく怒られたなぁ…。
でも、ひとしきり怒られた後ね。2人ともお風呂に放り投げられて、乱暴に洗われたの。
それが、トーヤがうちの子になった瞬間。」
塔子さんは懐かしそうに絵を見つめて、微笑った。
「トーヤ、本当に向日葵が大好きでね。
毎年夏になると向日葵を飾るんだけど、絶対花瓶の横から動かないの!
もう、可笑しくって!」
塔子さんはふふっと笑い出し、口元を覆って、そのまま後ろを向いた。
小刻みに肩が震えている。
違う! 笑ってるんじゃない。
……泣いてるんだ。
昨日会ったばかりの俺は、どう声を掛けていいかわからない程、まだ全然親しくもなくて。
塔子さんのことも猫のことも何も知らなくて。
「きっと帰ってくるよ。」とも「大丈夫。」とも言えなかった。
そして、「泣かないで。」も……――。
二人だけの空間に、静かな静かな時間が流れていた。
それから、昼間は河原を探して回り、夕方になると珈琲をご馳走になる毎日が続いていた。
塔子さんは臨時休業にしていたお店をお昼時だけ開けて、3時にはお店を閉めて猫を探すという生活になっていた。
塔子さんと出会って9日目…――。
猫を探して回るのも、塔子さんと10日と決めていた。
いつものように河原を探していて、ふと川を覗き込んだとき、昨日まで無かったものが映った。
シッポが生えている…――!?
耳生が2週間程度だと聞いていたので、この耳ももうじきなくなると思っていた矢先だった。
慌ててあの病院へ駆け込んだ。
耳だけと聞いていて、シッポまで生えてくるなんて聞いてない。
「あなた! 尾生まで発症したんですか!?」
流石に医者も慌て始めた。
しかし、明らかにのんびりしていた前回と様子が違う。
「まずい…! まずいぞ!!」
医者は急に顔色を変え、まずいまずいと口走っている。
「何がまずいんですか?」
その様子を見て、逆に冷静になった俺は詳しい説明を求めた。
「何落ち着いているんですか!
耳生と尾生、両方発症してしまったら猫になってしまうんですよ!!」
「…は…?」
頭に、ガツンと衝撃が走った。
看護師にあれこれと指示を出している隙に、受付にお札を置いて、病院から走り出た。
頭がガンガンする。
ただ、ひたすらがむしゃらに走った。
違う。
違うんだ。
猫に“なる”んじゃない。
“戻る”んだ!
走りながら、記憶の欠片が走馬灯のようにどんどん現れては、パズルのように填まっていった。
死を予感したあの日、オレは向日葵畑にやってきた。
最近の塔子ちゃんは、元気がない。
淋しそうな顔ばかりで、全然笑ってくれない。
向日葵があれば、塔子ちゃんは笑ってくれる。
どうにか向日葵を持って帰りたい一心で来たけれど、着いたときにはもうフラフラと真っ直ぐにも歩けなかった。
なけなしの体力が底を尽きそうだ。
ようやく向日葵の下までやってきて、その中の一本を力を振り絞って倒したが、そのまま力尽きて倒れこんだ。
あぁ、この向日葵、塔子ちゃんに届けたかったな。
毎日泣きそうな顔をしてる塔子ちゃん、笑ってくれないかな。
すーっと気が遠くなっていった。
目を閉じて暫く、なんだかフワフワと浮いた感じがする。
頭に直接声が響いた。
『お前の望みはなんだ?』
望み?
『20年も長生きしたんだ。
少しの力も溜まっているだろう。
叶えてやろう、お前の希望。』
あなたは誰…?
聞こうとして、言葉を呑み込んだ。
それよりも、希望。
塔子ちゃんの珈琲を飲んでみたい?
塔子ちゃんの笑顔が見たい?
塔子ちゃんにお別れを言いたい?
いや…オレの望みは……――。
「…塔子ちゃんっ……!!」
向日葵畑に姿を見つけて、思いっきり飛び込んだ。
もう日が傾き始めている。
既に顔は鼻も口も猫になっていて、手がキラキラと光を発し始めていた。
塔子ちゃんが声に驚いて振り向いた。
「…え…?
その顔! どうしたの!?」
すぐにオレの異常さに気が付いたらしく、慌てて駆け寄ってきてくれた。
ゼエゼエと呼吸が整わない中でも、何とか必死に酸素を取り込んで言葉にした。
撫でてくれる手を背中に感じた。
「…オ、オレ…、トー…ヤ!」
「…?」
「…オレが、十夜だったんだっ…!」
「…嘘っ…!?」
「さっき、全部思い出した。
名前に因んで、“十”日目の“夜”まで、望みを叶える時間を貰ったんだ。」
「…10日…? 今日は…?」
塔子ちゃんの顔から色が消えていく。
背中に置かれた手がカタカタと震えていた。
「…今日が10日目だ。」
言いたいこと、全部伝えなくちゃ。
もう日没まで時間が無い。
「オレ、塔子ちゃんの珈琲を飲んでみたかったんだ。
ずっと、あの香りに包まれて生きてきたから。
一度でいいから口にしてみたかった。」
夢が叶ったよ! とにっこり笑って伝えた。
もう、手も足も光に包まれながら縮んでいき、猫の手と足になってしまった。
「オレ、塔子ちゃんが毎年夏になると向日葵に向ける笑顔が大好きだったんだ。
向日葵があれば塔子ちゃんを笑顔にできると知っていたから。
できなかったけど、最後にどうしても、向日葵を塔子ちゃんに届けたかった。」
塔子ちゃんはオレの話をずっと、うん、うんと頷きながら聞いてくれていた。
涙で霞む視界。
まだ周りは仄かに明るいが、完全に身体が元に戻った感覚で日が沈んだことを感じた。
そっと抱きしめられて、慣れた腕の中の心地良さを味わう。
「もう貰ったよ。」
「…?」
「向日葵。
初めて会った日に十夜が目印にって置いていってくれた。
私は、ちゃんと十夜から受け取ったよ。」
あぁ。
オレの希望、ちゃんと叶ってた…。
最期の時間を感じ、言葉を紡ぐ。
「…笑って…。」
力を振り絞って目を開ける。
映るのは、塔子ちゃんと向日葵。
塔子ちゃんは小刻みに震えながら、歯を食いしばって。
それでも必死で口角を上げる。
瞼を一度閉じたとき、双眸から滴り落ちた涙が髭を濡らした。
世界が周りから白に包まれていく。
目が合った。
ありがとう。
20年、貴女の腕の中で眠れて幸せでした。
そう、口にしたかったけど、最期に吐息と一緒にでたのは。
「にゃぁ」
ただそれだけ。
『お前の望みはなんだ?』
塔子ちゃんの珈琲を飲んでみたい?
塔子ちゃんの笑顔が見たい?
塔子ちゃんにお別れを言いたい?
いや…オレの望みは……――。
『塔子ちゃんに、この向日葵を…。』
こんばんは。コウです。
お久しぶりです。
細々と短編を制作していました。
なかなかPCを開けず、スマホでポチポチと打っていたので時間が掛かって掛かって…。
今回は企画で「夏」をテーマに書いてみました。
短編、いかがだったでしょうか。
もしよろしければ一度読み終わった後、もう一度読み直していただけると、最初とは少し違って読めるかもしれません。
よろしければ感想お聞かせください。
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大変励みになります。
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