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4.《魔女》

「高等部二年B組、無々篠禊」

 ノックを三回してそう名乗ると、中から「開けてやれ」と声が聞こえてくる。すぐに扉が内側から開いた。開けてくれたのは黒髪を二本の三つ編みにしている物静かそうな女子生徒。制服は高等部のものだが、知らない人だった。顔はどこかで見たことがあるような気もする。とりあえずは生徒会役員の一人だろう。

「どうぞ。入ってください」

「ああ、はい」

 相変わらずこの生徒会室は、学校の教室と言うよりどこかお偉いさんの家から引っ張り出してきた一室にしか見えない。ほとんどが昨年、外部入学したときから生徒会長として君臨し続けるハンスに改造されたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 部屋の中心にある大きな円卓は高級感ある艶やかなローズウッドで、蛍光灯ではなく天井からぶら下がる水晶のシャンデリアの光を反射していた。その円卓を囲む椅子も決してパイプ椅子なんて安そうなものではなく、全てが黒い天鵞絨張りの肘掛椅子。東側の壁を覆い尽くすほど大きな本棚には様々な資料やファイルが収められている。西側は本棚がない代わり、給湯室のようなスペースになっていた。流し台と冷蔵庫、ティーセットなどの食器類を入れた吊戸棚までがある。

「あ、衛輔くん。眠ってるの?」

 ふと私の目を引いたのは円卓で組んだ両腕に頭を乗せている生徒副会長、衛輔くんの姿だった。その隣の椅子にはハンスが座っている。エンペラーグリーンの瞳が私に向き、蜂蜜色に近い金髪がさらりと揺れた。一点の曇りもない白い肌と言い、それらの色素はドイツ人の母親から受け継いだのだろう。西洋人にも東洋人にも見える美貌の彼は両腕を組み、《皇帝》と呼ばれるに相応しい不遜な笑みを浮かべた。

「六限目を返上させて、他校の不良を片付けさせたところだ」

「何かトラブルでもあったのか」

「半月前、高等部の野球部員がロードワーク中に絡まれたらしい。結果、次の公式試合に出場する予定だった一軍の二人がそれぞれ腕と脚に怪我を負い、試合出場は難しくなった」

「ふうん」

 穏やかな寝顔ですうすうと規則正しい寝息を立てる衛輔くんは、普段なら人畜無害の優しい男子生徒だ。しかし一度トランス状態に陥ると、気絶でもさせない限り体力が尽きるまで暴走するといった凶暴な側面を持つ《ベルセルク》でもある。暴走が始まれば、目についた器物や生物(ただし人間のみ)を手当たり次第無心に傷つけるから恐ろしい。そんな彼の手綱を学園内で握っているのは現在ハンス一人だけ。今回も今日とてハンスは衛輔くんを使い、日月学園に害なす存在を粛清したのだろう。

「ところで、一体何の用で私を呼び出したんだよ。わざわざ全校放送までして」

 HRが終わり、廊下と階段の掃除もしっかりと済ませた私は真っ直ぐ帰宅するはずだった。それなのに掃除が終わった直後、全校放送でこの生徒会室に呼び出された。

「ただ話を聞きたいだけだ。まずは座れよ」

「いやもうさっさと済ませて帰りたいからこのままで――」

「禊。俺の命令は?」

「ゼッターイ」

 仕方なく私はハンスのちょうど向かいに位置する椅子に座った。

「何か飲み物の希望はありますか?」

 先ほどからずっとホワイトボードの付近に立っていた女子生徒が訊ねてきた。目線からしてハンスにではなく、私に対しての質問らしい。四天王のうち三人がそろった空間に一人でいるためか、その無表情は若干強張っているようにも見える。

「いや、お構いなく。今は喉が渇いてないから」

 すると彼女は黙って西側の給湯室じみたスペースに行き、手際よく用意した一人分の珈琲をハンスの前に置いた。随分と香りが強い。先ほどちらりと見えた箱にはブルーマウンテンと書かれていた。きっと本物だろう。そして女子生徒は再びホワイトボードの付近に立つ。なんだかメイドのようだ。確かにハンスは一部の人から熱狂的に崇拝されるような男だから、使用人のように傅くことを悦びとする生徒もいるかもしれない。

「それでハンス、話って」

「夜子から聞いたぜ。四日前、厄介な悪魔憑きに関わったそうじゃないか」

「………………」

 どうせ彼女には遅かれ早かれ知られることだろうとは思っていたが、予想していたよりも早かった。しかも必然のように夜子ちゃんが得た情報はハンスに行き渡っている。

「早とちりするなよ。夜子から聞いたのはそれだけだ。詳細は直接お前の口から聞きたい」

 壁にかけられた時計を見ると、もうすぐで四時だ。いつもなら快速電車で帰宅して悪魔憑きの情報収集に励む私だが、《皇帝》の要望には不本意ながら応えなければならない。応えなければ、この学園で生活を送ることが困難になってしまう。

「わかった。話すよ」

 先週の木曜日に起きたつまらない出来事の一部始終を、私は十五分ほどかけてハンスに話した。彼は時折相槌を打つ以外は無言だったが、私の話が終わった途端に笑い転げた。あまりに笑い過ぎたせいで白い肌がほんのり赤くなり、涙でエンペラーグリーンの瞳が潤んだ頃にようやく落ち着き始める。視線だけで衛輔くんを窺ってみたが、よほど深い眠りについているのかハンスの笑い声にも目覚める様子はない。

「ははは。やっぱりお前は俺の認めた化け物だな。こうして人間の言語で会話できていることが不思議なほどに痛快だ。こんなにも笑ったのは久しぶりだぜ。ギムナジウムにいたときだってこれほど俺を笑わせてくれる奴はいなかった」

「あっそ。……そう言えば、今回のことでちょっと解せないことがあるんだよね」

「なんだ」

「私が人間に憑いた悪魔を祓えるなんて噂が学園内にある程度広まっているのはわかるよ。でも、四天王とあまり交流を持たない一般生徒にとってのそれは学校の七不思議みたいな、ただの噂に過ぎないはず。信憑性があると断言できる材料だって首藤さんにはなかったんじゃないかな。それなのにどうして私に縋ってきたのか、わからない。藁にも縋る思い、だけじゃないような……妙に信頼した表情を私に向けていた」

「ああ。それは簡単なことだ」

「え?」

「お前が首藤姉弟に関わったと俺に報告したとき、夜子は言っていた。《首藤弥生は前に私から情報を買っていきました。禊先輩が本当に悪魔憑きの弟を救えるかどうか》とな」

「夜子ちゃん……」

 若干恨みに近い念を向けようとするが、脳内に浮かぶ夜子ちゃんの顔は一つだけじゃない。清楚な美少女だったり、肥満体型の醜女だったり、長身痩躯の少年にも見える中性的な少女だったり、つり上がった細い目かと思いきや大きな垂れ目、黒髪茶髪金髪白髪と様々な夜子ちゃんの姿が次々出てくる。彼女一人で一つの諜報機関を代替できそうなほどの情報収集力に加え、毎日のように変装――変身するからこその《くノ一》。とりあえず私の脳内に浮かび上がった夜子ちゃん全員に「余計なことしやがって」という思いをぶつけた。

「何か不満のようだな」

「当たり前じゃない。あんな金メッキのブリキにも及ばない偽物を掴まされて、私がどれだけ不快な思いをしたか……。無駄なことはしたくなかったよ」

「ふん、無駄なことか。確かに今回の件は禊が追っている本当の悪魔憑きではなかった。それは恐らく夜子も最初に気づいていたかもしれない。だが、それは推論であって確実ではないだろう。もしも今回の件にお前が求める悪魔がわずかでも関係していたと考えてみろ。どんなに可能性が低いものであれ、真偽を確かめるべきじゃないのか」

「変なものでも食べた? ハンスのその言い方、夜子ちゃんを庇ってるように聞こえるよ」

 するとハンスは鼻で笑い、いつの間にか半分ほど減っている珈琲を飲んだ。

「夜子は禊のことを随分と慕っている。たとえお前があいつのことを頼ろうとしなくても、力になりたいと考えているはずだ。だからこそ一縷の望みでも逃したくないと思い、首藤弥生がお前に相談するようにしたんだろう。愚直なまでに純粋な好意じゃないか」

 私が黙っているとハンスはそのまま続けた。

「それに今回の件を解決できるのはお前くらいだっただろう。首藤飛鳥は本物の悪魔憑きではなかったものの、その暴力性は常人のそれとは一線を画していた。自分が形成した世界のためならばいくらでも他人を傷つける。もしかしたら殺人すら躊躇わなかったかもしれない。しっかりと線引きされている《ベルセルク》の方がましだろう。そんな奴を制止させ、元の生活に戻るように矯正させるなんて一般人には難しい。特にこの学園内では俺達四天王くらいだったと思わないか。ちなみにあの日の放課後、俺は楽しみにしていた漫画の新刊――それもドラマCDと描き下ろし小冊子つきの初回限定版を店で買うため不在、夜子は陸上部、衛輔なんてもっての外だっただろう」

 約一名、ものすごくどうでもいい理由で免れている者もいるが流しておく。夜子ちゃんは中三の女子における身体能力を遙かに上回るが、部活動に励むところは普通の学生だ。新聞部と陸上部を掛け持ちする彼女の青春を邪魔するべきではないだろう。衛輔くんは男も女も殴れないような人だが、彼自身が暴力を振るわれたり危険な目に遭ったりするとトランス状態に陥って暴走し、最悪の場合相手を殺してしまうだろう。だから、か。

「つまりあの日の放課後、首藤家を救えたのはお前だけだったと言える。……本物の悪魔憑きである《魔女》以外にいなかったんだ」


 私が《魔女》なんてメルヘンな通り名を持っているのも、日月学園の四天王に名を連ねているのも、全て悪魔のせいだ。他の三人は全員、自分自身の持つ力が異常であるために《皇帝》だの《ベルセルク》だの《くノ一》だの呼ばれている。その異常性は全て天賦の資質や努力の賜物だ。しかし私の異常性は天賦とも努力とも関係ないところから生まれた。稀代の奇人変人と畏怖される彼ら三人の目にも、きっと私は異常に映っているのだろう。

「こんにちは。お嬢さん」

「……こんにちは」

 小学五年生のとき、私は下校中にそんな挨拶から始まる悪魔との邂逅を果たした。今思えば、あのとき挨拶を返してしまったことがいけなかったのかもしれない。

 何も特別な儀式をしたわけではない。たまたま人間の世界に出てきたそいつと真っ先に遭遇したのが私だっただけだろう。その悪魔は契約らしいことも交わさず、それどころか「願い事は何?」と訊ねることすらなく私の願いを叶えると、すぐに立ち去ってしまった。何が狙いだったのか今でもわからないが、それが原因で私は悪魔憑きになった。

 あの日以来、私は人間として確実に欠落してしまった。どういうわけか悪魔と邂逅した十歳のときから身体は成長せず、乳歯も抜け切らず初潮もこない。怪我をすればすぐに跡形も残さず回復し、病気には虫歯を含めて一度も罹っていない。いくら激しい運動をしても疲労を感じることはなく、同時に体力が向上することもない。そうして肉体における様々な変化を失った結果、私は正真正銘の不老不死になった。

「あの子、気持ち悪い」

 そんなお決まりの言葉を私に初めて言ったのは誰だっただろうか。今はもう別居している父や母だったかもしれないし、小学校時代の同級生か先生だったかもしれない。

 当然私は元に戻りたいと渇望するようになった。元の人間に戻るためにはまず何としてでも、私の願いを叶えた悪魔を探さなければいけない。そう考えて必死にあの悪魔を探していると、必然的に他の悪魔と出会う機会があった。私以外にも悪魔に憑かれた人間はそこそこ多く存在するが、大抵の悪魔は暇潰しや娯楽のような感覚で憑く者ばかりで、それほど凶悪ではない。三時間ほど示談すれば平和的にお帰りになる場合がほとんどだった。そのおかげで憑かれていた人から謝礼金を差し出されるときもあったが、残念なことに今までに出会った悪魔は私の探し求める悪魔と全く関係なかった。

 いつしか裏の業界――暴力といかがわしさで満ちた世界の裏側だ――でも有名になった私には、やたらと博識な安楽椅子探偵の弟と、私と同い年でありながら裏の業界で自由業を営む彼氏がついてきた。そして誰が言い始めたのか知らない通り名が《魔女》だった。


「ところで質問なんだが」

 結局最後まで砂糖もミルクも入れないまま珈琲を飲み干し、ハンスは言った。

「どうしてお前は首藤飛鳥――本物の悪魔憑きからしてみればとても許せそうにない偽者の悪魔憑きを許したんだ。そこが俺には理解できない」

「誤解があるようだから説明しておくけど、私は別に彼を許したわけじゃない。ただ単純に、右腕を切り落とさなかっただけだよ。それは最初から決めていたことで、飛鳥くんを許したから腕を切り落とさなかったんじゃない。まずはそこを理解して」

「ふん。どうも俺はお前ほど愚かで低能な女の心を理解し難い。どんな世界でも賢者を理解することは容易く、愚者を理解することは難しく、豚を理解することはできないものだな。脳の構造が違う異性であれば尚更だ。だが禊、お前は首藤飛鳥を見て、彼の閉じた世界を目の当たりにして醜悪だと思っただろう? そんな世界を根本から壊してしまいたいと思ったはずだ。そして、お前はそれを実践することができた」

 思わず苦笑して、私は頷いた。確かにあの部屋に入れば、誰もが醜悪なんて言葉では言い表せられない不快感に吐き気を催して同じことを心から思うだろう。この世界を蹂躙しつくし、破壊しつくし、消滅させてやりたい、と。

「…………理由は結構、簡単なことなんだけどね」

「聞かせろ」

「腕を切り落としたら犯罪だ。傷害どころか殺人未遂になるよ」

 私の言葉に、ハンスはきょとんとする。

「二割くらいが今言った理由。残り八割が面倒だからかな」

「面倒?」

「まず切り落とすこと自体が面倒だよ。それなりに大きなハンティングナイフだったとは言え、人間の腕を一本切り落とすなんてなかなかの重労働だ。疲れを感じないとは言え、私だって嫌になる。いくら縛っておいても相手は最後まで暴れるだろうね。それに返り血で制服や部屋が汚れるし、切り落とした後はしっかり止血しないと死んでしまう。他にもまだまだ面倒なことがたくさんあったから、私は飛鳥くんの右腕を切り落とさなかったんだよ。言うが易し行うが難し、ってこと」

「ただ面倒だから。それが《魔女》の出した答えか? だとしても、お前ならば自分の弟なり彼氏なりを使って、その全てを簡単に処理できたはずだ」

「私はきみとは違うんだよ、ハンス。まだ納得できないならもう一つ言おうか。《この世に利用できない人間はいない。全てが価値がある人間だ》」

 ハンスは彼自身が口癖のようによく言うその文句に、ふっと笑みを浮かべて頷いた。

「なるほどな。もしかすると首藤飛鳥はいずれ有効活用できる人間かも知れない。そう思ったからこそお前は彼の右腕を切り落とすことなく、ただ屈服させただけなのか」

「その通り。飛鳥くんは確かに常人とは一線を画していたけれど、それでも四天王ほどじゃなかったよ。間違いなく彼は人間だ。人間は化け物じゃない」

「なかなか面白いことを言うじゃないか。しかし、それならば逆のことも言えるだろう」

 逆のこと。それが一体どういう意味なのか、わかっているからこそ私は口を噤んだ。しかしハンスは意地の悪い笑みを浮かべ、続けた。

「化け物はどんなに頑張っても人間にはなれないぜ」

「………………」

「この先お前はかつて自分の願いを叶えた悪魔に再会できるのか? もし再会できたとしても、それで無事元の人間に戻れるのか? 俺は一桁の年齢から裏の業界に馴染んでいるが、そこでも化け物が人間になったという話は聞いたことがない。人間から化け物になるという話はよく聞くのに、不思議だな」

「そんなことはわかってるよ」

 私が普通の人間に戻れる保証なんて全くない。それでも私は、あの悪魔を探すしかない。

「私の気持ちなんてきみ達には永遠にわからないだろうね。三人とも結構化け物じみているけれど、ちゃんと死の概念を持った真っ当な人間だ。羨ましい」

 口に出してみるとなんだか本当に羨ましくて、ちょっと妬ましいような気持ちまでが湧き上がってくる。私は一旦席を立ち、ハンスの傍らで彼の左頬をむにっと引っ張ってやった。白くて滑らかな頬には赤い跡が簡単につく。しばらくそのままむにむにと引っ張っていると軽く溜飲が下がり、手を離した。

「ありがとうハンス。ほんのちょっとだけ、すっきりした」

「いきなり何をするんだ」

 左頬をさすりながらハンスが私を睨みつける。しかし私が手を離すまで抵抗らしいことは一切しなかった。一般生徒が相手だったなら一瞬で床に沈められていただろうが、これは私達四天王の特権だ。ハンスの機嫌がよければ多少の無礼は許される。

「全く、跡が残ったらどうしてくれる。嫁に来てもらうぞ」

「それはちょっと、ごめんなさい。私にはもう大切なハニィがいるから……」

「おいやめろ。冗談を正面から受け止めるな」

「大丈夫だよヘンゼル。きみの顔は天使みたいに綺麗だから、ちょっと頬に赤い跡がついたところで魅力的であることに変わりはない。紅顔の美少年って言葉もあるしね」

 ヘンゼルはハンスの愛称だが、こんな幼い子供に対するような呼び方をしても許されるのは彼の両親と四天王だけだ。これも特権と言えるだろう。ふと無言になっていたハンスが顔を背けた。頬どころかわずかに髪から覗く耳まで赤い。照れているようだ。

「そんなこと、お前に言われるまでもない。当然のことだ。俺は俺自身の魅力を客観的に熟知しているのだからな。月並みな賛辞で俺が喜ぶと勘違いするなよ」

「きみって本当、萌える女の子を攻略するゲームの三番手ヒロインみたいだよね」

 八王子ハンスと聞いてすぐに思い浮かんでくる言葉だけでも――俺様、ハーフ、生徒会長、金持ち、文武両道、オタク、美形、ツンデレ――とどのつまりは属性過多だ。ハンスが好きな漫画やアニメの登場人物にだってここまでぶっ飛んだ男はそうそういないはず。

「ふん。俺を攻略できるような者がいるのなら、ぜひ会ってみたいものだ」

 確かにそれは難しいかもしれない。この《皇帝》は自分のみを頂点とし、この世におけるものであれば自分以上の存在も概念も一切合財認めない究極のエゴイストなのだから。しかし悪魔憑きの私だけは「この世のものではない化け物」と認めているらしい。どうにも認められている気がしないのだけれど。

「う、んん……」

 小さな声が聞こえた方を見ると、今まで静かに眠っていた衛輔くんが身動ぎをした。緩慢な動きで身を起こし、まだ少し眠たそうに眉を寄せる。濃い栗色で軽く癖のある髪と穏やかそうな顔立ちが相まって、どことなく大型犬のような印象が強い。目を擦りながら欠伸した後で私達に顔を向けると、ふんわりと優しい微笑を浮かべた。

「禊さんがここに来るなんて珍しいね。もしかしてハンスくんに用事?」

「そう。《皇帝》様から直接全校放送で呼び出しを受けて、仕方なく」

 言いながら時計を見たところ五時が迫っている。喋り過ぎてしまったせいで、予定していたよりもかなりの時間が過ぎていた。

「ああ、もうこんな時間じゃない。話は終わったんだから帰ってもいいよね」

 鞄を肩にかけたところであることに気づく。それは私にとって至極どうでもいいことなのだが、妙に気になってしまい、きょろきょろと辺りを見回した。

 彼女、いつの間にいなくなっていた?

 最初に扉を開けてくれて、飲み物の希望はあるかと訊いてきたあの女子生徒の姿が見当たらない。いくら私がハンスと向き合っての会話に夢中で、彼女を視界に入れていなかったとは言え、さすがに生徒会室を出る際の気配や物音があったはずだ。もしそれらを一切感じさせずに退室できる人間がいるとしたら、まるで。

「………………夜子ちゃん、だったのか」

 私がそう呟くと、いかにも見下すようにハンスは笑った。まさか気づいていなかったのか、とでも言いたげだ。しかし衛輔くんは何のことなのかわかっていないらしく、不思議そうな表情で私とハンスの顔を交互に見ている。

「えっと、よくわからないんだけど……俺が眠ってるときに夜子さんが来てたのかい」

「ああ、禊が来る三分前にな。生徒会書記――二年特進B組の女子生徒に変装していたが、まだ俺を騙せるほどじゃなかった。そこの阿呆はあっさり騙されたが」

「わかるわけないよ。彼女の変装を見破れるのはハンスだけなんだから」

「目と指先を見ればすぐにわかるだろう。骨格の変形や声帯模写ができるあいつでも、さすがに網膜や指紋は変えられないからな」

「………………」

 ちらっと横を見ると、衛輔くんが尊敬の眼差しをハンスに向けていた。話を戻そう。

「それにしても、夜子ちゃんが高等部の生徒に変装していたなんて初めてじゃないのか。今まで男になることはあっても、中等部の生徒って枠からは出ていなかったのに」

 もしかしたら、その先入観を利用されたのかもしれない。おまけに私は生徒会書記の顔をまともに覚えていなかったのだから騙されて当然だ。

「ねえ二人とも。なんか、外が騒がしくないか?」

 おもむろに席から立ち上がった衛輔くんはそう言って、近くの窓を全開にした。途端にけたたましいエンジン音が聞こえてくる。生徒会室から一望できる校庭を見てみると、そこには無数のバイクに乗った集団――所謂走り屋だとか暴走族だとか呼ばれそうな古めかしい人達が爆音を吹かして現れ、さらにはカラフルな武装集団が押し寄せ、あっという間にその場は彼らによって制圧されてしまった。部活動を始めていた生徒や下校しようと校舎から出てきた生徒は唖然としている。

「何、あれ」

「今の時代でも元気に活動している暴走族とカラーギャングだ」

 いつの間にか私達の後ろに立っていたハンスが言う。

「《ΑΩ(スタートラスト)》、《(きょう)(そう)(せい)(しん)》、《死天使(アズラエル)》、《()(しん)(らい)(さん)》、《(くろ)(いぬ)》、《ホワイトアウト》、《()(れん)(たい)》、《ブルームーン》までが結集するなんて珍しいことだが、敵の敵は味方という認識だろう」

 その中の一人、バイクに乗って奇妙な覆面をした男が突然拡声器を取り出して叫んだ。

 曰く、我々は同志を《ベルセルク》に傷つけられたチームで一時的に同盟を組んだ。

 曰く、我々の同志を傷つけた《ベルセルク》を今すぐここに連れ出せ。

 曰く、あと十分以内に《ベルセルク》が現れなければ我々は校舎内に突入する。

「だってさ」

 衛輔くんを見ると、窓の外に目を向けたまま困惑の表情で唸っている。

「…………ちょっと時間がかかるかもしれないけど、とりあえず行ってくるよ」

「いや、衛輔はもう今日の仕事を終えた。禊が片付けてこい」

 そう言い終わるより先にハンスは私の襟を掴み、窓の外に出した。宙ぶらりんの状態にされると喉元に全体重がかかって苦しい。

「待て。待って。あんなの一人で相手にしてたら全員倒すのに何回死ぬと思ってる」

「そんなことを言って、死にそうにはなっても死にはしないだろう」

「ただし力は小学生。死線は人並み以上に越えてきたつもりだけど、純粋な戦闘能力なんて皆無と言っていい。だから私は相手の体力が尽きるまで長期戦の泥仕合に持ち込むしかできないんだ。でも、あんなのは飛鳥くんを相手にしたときと比べ物にならないよ。生徒会長様が行って、見事に文字通り蹴散らしてやればいい」

「俺にも慈悲ってものがある。せめて五割以上同じ土俵に立っている者じゃなければ、直接手を上げたくないんだ。特に暴力でやり合う場合はな」

「わあ優しい。ちなみにあの人達、百人はいるみたいだけど合わせて何割?」

「一割未満」

 即答だった。

「じゃあ夜子ちゃんを行かせれば」

「あいつは今頃新聞部だ。学園新聞六月号を作成中らしい」

 私はこのとき初めて帰宅部であることを後悔した。適当なところに幽霊部員として入っていた方がよかったかもしれない。

「ん?」

 ふと気づいた。校舎に向かって騒ぎ立てるアウトロー達の後方――正門を通って、徒歩で学園内に入ってくる二人の部外者に。暴走族やカラーギャングの仲間でもなければ日月学園の関係者でもないその姿は、私にとっては慣れ親しんだもので、思わず口元が緩む。

「私が行く必要はなくなったみたいだよ、ハンス」

「そのようだな」

 つまらなそうに言うと、ハンスは私を生徒会室に戻した。地に足が着くって素晴らしい。

「じゃあ帰るね。ばいばい」

「ばいばい、禊さん」

 衛輔くんと手を振り合い、ハンスに軽く舌を突き出し、私は生徒会室を出た。いつもなら駆け足にならない程度の早足で校舎を出るのだが、今日はなるべくゆっくりと足を動かした。外から聞こえる怒号、バイクの爆音、何かが壊れる音、悲鳴、それらは耳を塞ぎたくなるほど騒がしかったが、私が一階に降りたところで急に静かになった。

 上履きからローファーに履き替えながら校庭を見てみれば、人の迷惑を考えない暴走族もカラーギャングも全員地面と熱い抱擁を交わしている。バイクや凶器は明らかに壊されて地面に転がっているか深々と突き刺さっているかのどちらかだ。そして校庭の中心に、この惨状を作り出した二人の姿が見える。

「禊」

「姉ちゃん」

 私が近づくと、彼氏と弟はそろって顔を綻ばせた。この二人は結構仲がいいけれど、こうして一緒に外を出歩く姿を見るのはなんだか新鮮な気がする。

「二人とも、どうしたの。まだ《皇帝》がいる学園に来るなんて珍しい」

「新しい悪魔憑きの情報が手に入ったんだよ。九分九厘本物だろうから、安心して」

「俺も、弟くんとは違う悪魔憑きの話をお得意様から聞いたんだ。信憑性は高いぜ」

 それを聞いて、思わず私は口笛を吹きたくなった。一日に二件も悪魔憑きとコンタクトを取れるだなんて、初めてだ。今度二人の都合を聞いてスイパラに三名予約しておこう。

「ありがとう。さっそく近いところから行くとしようか」

 私は私自身に戻りたい。そのためには一刻も早くあの悪魔を探し出すべきだ。

 彼氏や弟だけは今のままでも私を愛していると言ってくれるが、彼らの身長が伸びるたびに私はいつも悩む。これから幾星霜が過ぎ、彼氏も弟も私以外の日月四天王も死んだ後、自分だけが生き続ける未来のことをどうしても考えてしまう。人並みの感情を持つ私は、その喪失感に耐えられるのだろうか。もし耐えることができたとしても、完全に人間の道から外れてしまうような気がして、怖い。怖くて怖くて堪らない。

 だからこそ私は元の私になるため、今日も悪魔を探しに行く。


《魔女の憂鬱》完結致しました!

 ようやく今年初めての小説を投稿できて、なんだかほっとした気分です。四日間、あっという間でしたね。本来は短編くらいの長さですが、章分けをしたことで長編っぽくなりました。

 

 活動報告にも書いてある通り、本作はとある紙上で連載する予定の小説です。三月中に完成させていたのですが、そろそろこのサイトにも投稿したいと思っていたので先にこちらで連載することにしました。

 これは「たまにはラノベっぽい設定と物語で小説を書いてみよう」と思って書いた作品です。読者の中には「こんなのラノベじゃねえ!」と憤慨する方もいるかもしれませんが、あくまでラノベっぽい小説というだけなのでご了承ください。

 私の中にあるラノベらしい要素としては学園、生徒会、超常的な存在、二つ名、チート能力、裏世界(裏社会)、オタクがメインだったためこのような内容になりました。ところどころ中二病らしい感性も混ざっている気がします。日月四天王はその要素をふんだんに含ませたキャラクターとなりました。

 今後、私立日月学園という舞台と日月四天王という四人の人物を登場させる小説をさらに書き上げて《私立日月学園シリーズ》と銘打ってみたいと考えています。実現できるかどうかはわかりませんが、とにかく今は次回作の完成を目指します。


 最後に、本作を読んでくださった方に両手いっぱいの感謝を捧げます。ありがとうございました!


 

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