今昔情報番組「バンブー」
皆さんこんばんは。今昔情報番組「バンブー」のお時間です。今回のテーマは、「かぐや姫報道」。
思えば、今からちょうど10年前のことでした。京都の老夫婦に、突如として奇跡のような出来事が起こることから、この数奇な物語は始まります。
1日目
あれは、ある夏の日のことだった。日本中が長安オリンピックに注目していた夜、テレビにニュース速報が流れた。
「京都府内で竹から幼女が発見される。発見者は山を保有する讃岐 造氏(69)」
讃岐氏は山で林業を営んでいた。地産地消を推進する帝の方針により、伐採した竹は販売せず、同居する妻との生活雑貨にしていたそうだ。村民からは「竹取りの翁」と呼ばれて今も親しまれている。
その日も讃岐氏は竹を伐採していたところ、地面から40cmほどの部分が発光している竹を発見した。よく観察すると、竹の内部が光っていた。昔から好奇心で生きてきたという讃岐氏は、思いきってその竹を切った。
中には、身長9cm程度の女の子が座っているような体勢で眠っていた。当時のインタビューで、讃岐氏はこう語っている。
「驚きましたが、私がいつも見ている竹の中にこの子がいたので、わかりました。きっと私の子になるのだろうと」
これに対し検非違使は一旦、幼女を保護しようとしたが、讃岐氏夫婦が幼女を手放さなかったために断念した。検非違使と保健所の指導を受け、幼女は讃岐氏夫婦が引き取った。
2日目
第1報の翌日、藤原 修造がテニスで金メダルを獲得するゲームの最中、またもニュース速報が流れた。
「幼女を発見した翁、黄金が詰まった竹を発見」
まだ検非違使とのやり取りが続いていたこの日、讃岐氏が午前10時頃に京都市の検非違使本庁舎を出て山で竹を伐採すると、竹の節と節の間に大量の金が詰まっているのを発見した。讃岐氏は最寄りの交番に遺失物として届け出たが、その後の捜査で意図的に混入できるものではないとして、讃岐氏の個人資産となった。讃岐氏は金が不足していたヨーロッパ諸国に独占禁止法ギリギリの高値で売却。田舎の貧しい老夫婦が一転、日本で有数の資産家になった。
40日目
幼女は異常なスピードで成長し、発見から3ヶ月後には身長約160cmの讃岐氏を超えた。この日は成人の儀式が行われた。儀式には検非違使庁長官も参列し、様子はテレビで生中継される予定だったが、本人の宗教上の理由で「主役」はカメラに映されなかった。
余談だが、読売瓦版は女児を自宅から全く出さない讃岐氏夫婦を児童虐待の疑いがあると批判している。
儀式に参加した検非違使庁長官は、直後のインタビューでこう語った。
「あの方の美しさはこの世に比べるものがありません。立派に成長なされて会話の至る所に美しさが滲み出ているようです。ご自宅にも光が満ち溢れ、讃岐さんご夫婦のお顔にも笑顔が絶えません」
また、讃岐氏は自身のTwitterで彼女の容姿について、体調が優れないときも彼女の顔を見ると苦しさが消え、苛立ちも抑えられると評している。
41日目
讃岐氏は次に、京都大学の三室戸斎部 秋田教授と面会し、成人した「我が子」の名付けについて助言を受けた。世界中が注目する女性に付ける名前なので、この日の正午から京都大学で記者会見を開き、その場で発表することとした。
国内外から多数のメディアが集まった。会見場の正面には長机があり、中央には額縁が伏せて置かれていた。正午、讃岐氏夫婦と共に三室戸斎部教授が現れた。教授は黒い丸渕の眼鏡をかけていた。
以下は記者会見での三室戸斎部教授の発言である。
「ただ今終了致しました会議で、41日前に京都府内の竹林で発見、保護された幼児の氏名が決定しました。午前中に申しました通り、本日中に京都市役所、及び朝廷に届け出る予定です。決定した氏名は、『なよ竹の かぐや姫』であります」
そして三室戸斎部教授は額縁を正面に向けて掲げた。中には「なよ竹のかぐや姫」と墨書された半紙が入っていた。
会見場からはおおっ、とどよめきが上がり、続いて拍手が沸き起こった。それから、思い出したようにフラッシュが教授に浴びせられた。
この会見で讃岐氏が翌日より3日間、自宅の庭で記念のパーティを開催すると発表した。参加には予約が必要だったが、それさえきちんとしていればどんな身分でも参加できる形式は、庶民からの支持を集めた。
42日目
このパーティには各界から多数の著名人が駆けつけ、報道各社は彼らを追う日々が続いた。
不倫騒動が絶えない舞台俳優の駿河 純一氏はNHKのインタビューでこう答えていた。
「ここにいる人はみんな手に入れたいと思っていますよ。もちろん僕もね。かぐや姫がどのような着物を着ているか、なんて噂だけでも恋しくなりますよ」
彼らは夜も讃岐氏宅の周りをうろつき、一部は京都市迷惑防止条例違反で検挙された。中には住居不法侵入を働いて夜這いを企む者までいたという。ところで、最近は駿河氏を舞台で見ない日が続いているが、彼が検挙されていないことを祈るばかりだ。
讃岐氏はこれらの行為を受け、自宅に警備員を配置した。かぐや姫の姿は警備員ですら簡単には見られなかったそうだ。例え業務上どうしてもかぐや姫と対面しなければならなかったとしても、外部の人間に話さないよう讃岐氏が厳命した。この警備員たちは命令に忠実で、我々マスコミにも隙を見せなかった。讃岐氏は警備員の仕事ぶりについて、自身のTwitterで「まさに安心フィーバー」と、嬉しさをあらわにした。
63日目
パーティの最終日から20日が経過し、ほとんどの男は諦めて帰っていたが、5人の貴公子はまだ家の周りをうろついていた。ちなみに、ある週刊誌によれば全員プレイボーイだという噂である。
氏名はそれぞれ石作 皇子、庫持 皇子、朝廷右大臣の阿部 御主人、同じく大納言の大伴 御行、そして中納言の石上 麻呂足。
讃岐氏は彼らもいずれ帰るだろうと考えていた。しかし……。
334日目
この日は特に何もないのだが、2003年のプロ野球日本シリーズを知る者ならぜひ触れたい日だろう。
447日目
1年以上経過しても、あの5人は諦める気配がない。雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けなかった。彼らは讃岐氏に幾度もかぐや姫との結婚を迫った。讃岐氏はこの日のインタビューでこう話している。
「かぐや姫は私たちが育てたとはいえ、本当の子ではありません。私の思い通りにはならないのです」
しかし彼らは、まるで発売前の新型iPhoneを待つ人々のように讃岐氏宅を訪問し続けた。
449日目
そうは言っても讃岐氏はかぐや姫を我が子のように育てており、結婚適齢期に差し掛かるかぐや姫を心配していたという。かつて讃岐氏宅を警備していた人物が、自身の手記でこう綴っている。
__ある日翁が言ったのです。
「かぐや、お前はこの世の者ではない。しかしお前をここまで育てた私たちの思いも並のものではない。少し、このじいさんの話を聞いてくれないか」
姫は驚いたようで、しかし話し声はいつも通り落ち着いていました。
「どのようなことを言われても断る理由がありません。何せ、今まで私は自分がこの世の者だと思い、あなた方を本当の両親だと思っていたのですから」
ここで翁は微笑んでいたと思います。私は姫たちに背を向けて立っていたので正確にはわかりません。
「嬉しいことを言ってくれる。話というのは、な。私もとうとう70歳になった。もういつまで持つかわからない命だ。この世では、男と女は結婚することになっているのだ。結婚することで子孫も反映する。だから、お前もそろそろ考えてみたらどうだ」
「どうして結婚するのですか」
「異界の者とは言っても、お前は女性の体を持っている。私が生きている間はいいが、その後は生活を保障できる人がいない。ばあさんも最近は腰が痛いようだし。幸い、お前には5人もお前のことを強く思い続けてくれる人がいる。少し会ってみてはどうだ」
しかし、姫はまだ納得できなかったようです。
「私はそんなに容姿が優れている訳ではありません。相手の本心を知らずに結婚してしまっては、きっと相手が後悔するでしょう。どんなに素晴らしい人でも、愛情の深さを確かめずに結婚することはできないと思っています」
翁は同意しました。その上で、5人の貴公子はいずれも深い愛情を持っていると説きました。
姫が言いました。
「それほど特別な気持ちを確かめようとしているのではありません。皆さんのお気持ちは同じでしょうから、優劣は付けられません。私に素晴らしいものを見せてくださった方を選ぼうと思いますので、このことを皆さんにお伝えください」__
早速、讃岐氏は自宅で記者会見を開いた。今回は例の5人と、限られた国内メディアのみ集められた。貴公子たちは、それぞれ短歌を詠んだり扇を鳴らしたりしながら集まった。
日暮れ頃、讃岐氏が現れた。
「まず、皆さんのような高貴な方々が、このような粗末な家に毎日いらっしゃってくださることを申し訳なく思っております。
さて、私ももういつまで持つかわからないので、熱心に思いを伝えてくださる皆さんのお気持ちをよく見定めた上で結婚相手を決めなさいと伝えました。あの子は、愛情に優劣を付けられない優しい子ですので、あの子の願いを叶えた方を相手に選ぶと言っております」
讃岐氏は貴公子たちに賛否を問うた。貴公子たちは満場一致で了承した。
すると奥から讃岐夫人が現れ、貴公子たちに封筒が入った箱を向けた。讃岐氏が説明する。
「その箱の中には、あの子が所望する物の名前を書いた紙を入れております。皆さん1つずつお取りになってあの子にそれを持ってきてください」
貴公子たちは争うように封筒を取った。しかし、中の紙を見るなり顔をしかめ始めた。会見終了後、朝日瓦版が取材してそれぞれの品物がわかった。
石作氏は仏の御石の鉢、庫持氏は蓬莱山の宝石の木の枝、阿部右大臣は唐の火鼠の皮衣、大伴大納言は龍の首にある宝石、石上中納言は燕の子安貝だった。いずれも日本にはなく、もはや伝説でしか見聞きしない物である。
阿部右大臣は後日、産経瓦版の取材で本音を漏らした。検非違使の不祥事に関する会議が終わった後のことだった。
「本当のことを言えば、あんな無理難題をおっしゃるくらいなら始めから家に近づかないようにしてくれれば良かったと思いました」
450日目
翌日から、各テレビ局は5人の貴公子に密着した。石作氏に密着したのはフジテレビ。石作氏は例え天竺にある物だとしても持ってくると意気込んだ。
蔵持氏にはテレビ朝日がついた。蔵持氏は職場でも策士として有名な人物だった。テレビ朝日は蔵持氏がすぐさま木を取りに行くと報じた。蔵持氏は一路難波まで赴き、そこから船で蓬莱山へと旅立った。経費節約として1人で船に乗った。密着できていないというツッコミは許そう。
阿部右大臣にはTBSが密着した。右大臣は讃岐氏の倍とも言われる資産を持っている。右大臣は部下の小野 房守を唐に派遣した。
石上中納言は、家来に燕の巣を見つけたら知らせるように命じた。中納言にはテレビ京都(通称『テレ京』)がついた。
子安貝は大きな巻き貝のことで、古くから安産のお守りとされている。
燕の子安貝など見たことがないと家来たちは言ったが、ある1人が中納言にとって耳寄りな情報を提供した。
「市役所の倉にはたくさんの柱全部に燕の巣があります。中には子を産んでいるのもいるでしょうから、そこをしらべれば良いのではないでしょうか」
中納言はすぐに頼れる家来20人を市役所へ送った。テレビ京都のスタッフもついて行った。
451日目
前日に決意を示した石作氏だったが、仮に天竺にあったとして、京都まで持ち帰ることができるか疑問に思った。フジテレビと協力して試算を行った結果、失敗する確率が高く、成功しても赤字になることが明白だとわかった。そのため石作氏はフジテレビに圧力をかけ、この日から天竺に旅立ったと嘘のニュースを報じさせた。この報道はかぐや姫の耳にも入ったという。
日本テレビが密着した大伴大納言は、家来を集めて龍の首の宝石を取ってくるまで帰ってくるなと厳命した。
家来たちは大納言の自宅を出るなり日本テレビのカメラに向かって主人の批判を言いながらも適当に歩きまわった。
452日目
大伴大納言はこの日から自宅のリフォームを始めた。かぐや姫と同居する準備である。半年後に完成し、寝殿造の立派な屋敷に生まれ変わった。特に屋根は5色に塗り分けられ、大納言はそこに1人で住んだ。
453日目
流出したテレビ朝日の極秘文書には蔵持氏はこの日、すでに難波へ戻っていたとある。3日前から秘密裏に国内の鍛冶職人6人を集めて 宝石の木を偽造していたようだ。
466日目
石上中納言は毎日、市役所へ家来を送り、子安貝が取れたか聞いてこさせた。燕は子を産むどころか、巣に近づきさえしなくなくなっていた。
中納言が頭を抱えていると、子安貝を取る名人だという男が現れた。男は中納言の自宅に入り、テレビ京都のカメラの前で話し始めた。
「あなたは燕の子安貝の取り方を間違えています。燕は人間がたくさんいれば恐怖を感じ、巣に近づかなくなります。誰か1人が目の粗い籠に乗って、燕が安心して子を産もうといたところを素早く取るのが正しい方法です。燕が子を産むときは、尾を上げて7回ぐるぐると回します。そこを見逃さないようにすれば簡単です」
中納言はすぐに家来を帰らせて、着ていた服を褒美として男に与え、夜に市役所へ来るよう何度も念を押した。
深夜、市役所の倉には中納言と男と3人の家来の姿があった。それをテレビ京都のカメラマンが暗視カメラで撮影している。
中納言が籠に乗り、滑車の要領で家来と男が綱を引いた。中納言の籠はどんどん昇っていき、巣の高さまできた。巣の中では、1匹の燕が尾をぐるぐる回していた。中納言が巣の中に手を突っ込むと、何か平らな物体があるのがわかった。
「何か握ったぞ! 早く下ろしてくれ!」
家来たちは言われた通りにしようとしたが、中納言があまりに急かしたので、綱から手を離してしまった。
中納言は頭から落ちた。
しばらく気絶していたが、家来が水をかけると何とか起き上がった。立つことはまだできなかった。映像では苦痛な表情を浮かべているが、中納言は子安貝を取れたと思って、むしろ嬉しいと発言している。しかし、中納言が取ったのは、潰れた燕の卵だった。
468日目
非常に気落ちした中納言は腰が曲がったままになり、とうとうこの日、腰椎を骨折してしまった。その知らせを聞いたかぐや姫はお見舞いを送ったが、ほどなくして中納言が死亡したとテレビ京都が報じた。
473日目
唐に着いた小野氏は現地の貿易商に火鼠の皮衣について尋ねた。この風景はTBSが撮影しており、ホームページのアーカイブで見ることができる。
貿易商はこう答えている。
「皮衣作火鼠無存唐。我聞噂、依然無見実物。仮其実在世、必来此処唐。唯、有得偶然渡天竺。我挑尋商人住天竺(火鼠でできた皮衣は唐にはありません。噂だけは聞いたことがありますが、実物は見ていないのです。もしこの世にあれば、唐に必ず送られてくるはずです。でも、天竺なら偶然運ばれてくることもあるかもしれません。私が天竺の商人に聞いてみましょう)」
でたらめに漢字を並べているようにも思えるが、これが当時の中国語……なのだろう。
503日目
小野氏が京都に戻った。TBSでは帰国するまでの全旅程に密着した。小野氏は阿部右大臣の自宅に迎え入れられた。小野氏の右手は貿易商からの手紙、左手は皮衣を入れた箱を掴んでいた。
手紙は足りない料金を請求するものだった。右大臣は報道陣から見える位置で唐がある方角を拝んでいた。
小野氏はその日、右大臣宅に宿泊した。どうやら右大臣が泊めたようだ。深夜に「アッー!」という小野氏らしき叫びが聞こえたが、気にしないでおこう。
504日目
阿部右大臣が讃岐氏宅に姿を現した。火鼠の皮衣を讃岐夫人に渡す前に、TBSのカメラに映させた。箱は数種類の宝石で飾られており、皮衣のほうは紺色で、毛の先端が金色に輝いている。右大臣は映像の最後にこう話している。
「燃えないことより、見た目の美しさがいいですね。さすが、かぐや姫が欲しがられるだけの物ではあります」
皮衣がかぐや姫のもとへ届けられた。かぐや姫はこれが本物だという証拠がないとして右大臣との結婚を拒絶したが、讃岐氏夫婦はかぐや姫が結婚するだろうと思っていた。
ふと、かぐや姫が言った。
「そうです。この皮衣が本物であれば、火にかけても燃えないでしょう。火にかければわかります」
門前で記者に取り囲まれていた右大臣は、ぜひここで燃やしてみてくれと叫んだ。早速、セットが組まれた。
四方を壁で囲い、東に右大臣、西に讃岐氏、そしてその様子を家の中でかぐや姫がモニターで見守る。中央に七輪が置かれた。
アナウンサーが七輪に火をつけると、すぐ皮衣に引火した。かぐや姫の様子はカメラに収められていないが、使用人の話では皮衣が燃えた瞬間、かぐや姫は笑顔になったという。
右大臣はすぐに帰っていった。この男はマスコミの避けかたを熟知している。
794日目
大伴大納言は家来の帰りを待っていたが、帰る気配がなかった。そのため日本テレビのクルー2人を呼び、難波の港に向かった。そこの漁師に大納言の家来を見なかったかと聞いてまわったが、誰1人としていなかった。
大納言は部下の帰りを待つより自分で行ったほうが速いと判断し、船を借りてクルーを連れて海に出た。
795日目
大伴大納言の船が嵐にあい、今にも転覆しそうな様子が日本テレビのフィルムに残されている。大納言は海の守り神と言われる龍の宝石を奪いに来たために嵐にあったのだと考えた。大納言が空に祈り続けるうちに、船は浜辺に乗り上げた。そこは播磨の海岸だった。体調を崩していた大納言は病院に運ばれた。
796日目
退院した大納言が屋敷に戻ると、家来たちが出迎えた。大納言が龍の宝石を取ろうとして失敗したという日本テレビのニュースを聞き、解雇されることもないだろうと思って帰ってきたそうだ。大納言は日本テレビのカメラが回る中、家来に言った。
「いい判断だ。神である龍の宝石を取ろうとしていたら殺されていただろう。かぐや姫という女が私を殺そうとしたのだ。もう顔も見たくない」
1513日目
宝探しが始まって約3年が経過したこの日、石作氏が讃岐氏宅に帰ってきた。その両手には鉢を抱えていた。かぐや番と呼ばれる記者たちが石作氏を取り囲んだ。石作氏は讃岐夫人に鉢を渡し、記者に天竺への道のりを話していた。
讃岐氏宅では、かぐや姫に鉢が届けられた。かぐや姫によると本物の仏の御石の鉢ならば内部に発光する物体があるそうだが、その鉢にはなかった。このことは摂津大学が今年明らかにしたことだが、かぐや姫はどうやら土着的な知識としてそう話したものと思われる。
かぐや姫が呼んだ男が鑑定した結果、京都に近い小倉山で作られているものとわかった。石作氏にその連絡が入ると、マスコミは一層石作氏に詰め寄った。石作氏は逃げるようにその場を後にし、表に出ることは二度となかった。
同日、フジテレビも京都市内で謝罪会見を行った。
1517日目
この日の朝、蔵持氏が京都に戻ったとテレビ朝日が報じた。
かぐや姫が初めて自ら報道陣の前に立ってインタビューを受けた。当時の記者たちはかぐや姫の並々ならぬ雰囲気に事の重大さがわかったと口々に言う。
「この報道が真実ならば、私の負けです」
かぐや姫はそれだけ答え、また家に入った。
昼頃、右手に金の木の枝を持った蔵持氏が讃岐氏宅を訪れた。いままさに旅から戻ったような服装だった。石作氏と同じく、讃岐夫人に枝を渡し、本人はマスコミのインタビューに答えた。
讃岐氏宅では大騒ぎだったそうだ。何せあるはずもないと思ってかぐや姫が所望した品を持ってきたのだから。鑑定の結果も本物だった。
蔵持氏によると、難波を発った後はただ風に任せて流れていたらしい。ある時は嵐に会い、ある時は鬼に襲われ、様々な病気にかかりながらも、ある日とうとう海の中からそびえ立つ大きな山を見つけた。山の中に天女のような人物を見つけ、その女に山の名を聞いた。女は蓬莱山だと言い、また山へ消えていった。山にはありとあらゆる宝石でできた木があり、蔵持氏がその中の一つを折って帰ってきた。
しばらくして、蔵持氏が讃岐氏宅に招き入れられた。マスコミは1人も入れなかったが、家の外でもとうとうかぐや姫の純潔が奪われるのかと大騒ぎだった。主に独身の男性スタッフが。
しかし悪事はばれるもので、騒ぐ男性スタッフの1人が讃岐氏宅に近づく集団を発見した。それは枝を偽造するために集められた鍛冶職人たちだった。報酬が支払われていなかったため、蔵持氏に対して団体交渉権を行使、直訴しに来たのだ。このことはかぐや姫にすぐ伝えられた。使用人の話では、それまで悲しそうだったかぐや姫にも笑顔が戻ったそうだ。
蔵持氏はしばらく讃岐氏宅にとどまり、外のマスコミが痺れを切らした頃を見計らって矢のように姿を消した。
夜になって、かぐや姫が鍛冶職人たちを呼んだ。危機を脱することができた褒美として、蔵持氏が支払わなかった報酬を支払った。
1518日目
この日の朝、讃岐氏宅から少し離れた路地で6人の男たちが血を流して倒れているのを近所の住民が発見した。あの鍛冶職人たちだった。検非違使の発表では、かぐや姫から報酬を受けた帰り道で蔵持氏とその家臣から鈍器のような物で殴られたという。いずれも重症だが命に別状はなく、京都市内の病院で手当てを受けた。
この日から報道各社は蔵持氏を蔵持容疑者と呼称し始めた。
検非違使は蔵持容疑者宅を捜索したが、凶器となった鈍器も、蔵持容疑者も見つからなかった。蔵持容疑者は、現在も行方不明のままである。
1519日目
結局、誰とも結婚しなかったかぐや姫の噂は帝の耳にも入るようになった。かぐや姫本人は謙遜していたが、彼女の容姿はとても美しい。どれほど美しいかと言うと、蔵持容疑者の件でのインタビュー映像を合成した18禁の画像がインターネット上に溢れ返るほど、と言えばお分かりいただけるだろうか。
帝はインターネットをしていないが、噂は宮中の者が話していたので知っていた。帝も殿方、そういう噂には多少なりとも興味がある。中臣 房子という女にかぐや姫の美しさを確認するよう命じた。
讃岐氏宅に中臣氏が到着すると、讃岐氏本人が彼女を迎えた。夫人は奥でかぐや姫の世話をしていた。
このご時世、帝の命令は聞くものである。しかし、かぐや姫は中臣氏との面会を断ろうとした。中臣氏も帝がバックについているため引き下がろうとしない。かぐや姫は命令違反が気に入らないなら殺してくれても構わないとまで言ったという。
夜になり、中臣氏が折れて帰っていった。帝はますます強情なかぐや姫を落としたいと考えるようになった。
1520日目
帝は讃岐氏を呼び出した。そこでの会話が、毎日瓦版の記事になっている。帝はかぐや姫を帝のもとに送れば讃岐氏に貴族の階級を与えると宣言した。
かぐや姫の結婚相手が見つかり、おまけに自分は貴族になれると喜んだ讃岐氏は、早速このことをかぐや姫に伝えた。しかし、かぐや姫は讃岐氏に貴族の階級が与えられた後に死ぬと言い出した。5人の貴公子の求婚を全て断っておきながら、帝の求婚を認めてしまえば、世間から現金な女だと思われるからだ、と。
讃岐氏もかぐや番の記者もこれには仰天し、すぐさまこの話を断りに讃岐氏が帝のいる宮城へ出向いた。もしこれ以上かぐや姫や讃岐氏を追い詰めることを帝が言えば俺が直訴する、と一部のかぐや番の記者も讃岐氏のあとを追った。
そこまでされてはさすがの帝も手を引かざるを得なかったようだ。しかしかぐや姫の姿を見るだけで良いと食い下がり、山で狩りをする振りをしながら讃岐氏宅の中を覗くことで了承を得た。
1521日目
山の中では塀が邪魔で家の中を覗けないことに気づいた帝とBS JAPANの取材班は、思い切って塀を飛び越えた。ちょうどかぐや姫の部屋が目の前にあり、帝はすかさずかぐや姫の袖を掴んだ。BS JAPANの新人カメラマンがかぐや姫のあまりの美貌にカメラを落としてしまい、映像は残っていない。以下の会話はそのカメラマンの証言である。
「さあ、もう離さないぞ!」
「やめてください! 検非違使を呼びますよ!」
「呼んでみるがいい! 検非違使は私の部下も同然だがな!」
「ならばこうです!」
「なん……だと……?」
かぐや姫は影を残して消えたそうだ。
帝が言った。
「わかった。もうお前のことは諦める。もう一度顔を見たら帰ろう」
すると、かぐや姫の体が元に戻った。
帝は結局、かぐや姫を落とすことができずに帰ることとなった。ただ、町の噂によると、その後も文通は続けたそうだ。
帝とBS JAPANのスタッフには住居不法侵入罪として罰金が科せられた。悪事はばれるものである。
2606日目
この頃の週刊誌では、かぐや姫が夜な夜な月を見て泣いているという記事が載っている。フライデーによると、使用人の1人が縁起が悪いとしてやめさせようとしたが、それでも月を見て激しく泣いていたらしい。本人に悩みなどは一切ないようで、何が原因なのか讃岐氏にもわからない状態だった。
2637日目
この日、突如としてかぐや姫が記者会見を開いた。かぐや姫が直接カメラの前に立つのはこれが2度目である。中央の机には向かって左から讃岐夫人、かぐや姫、讃岐氏が座っていた。唐やヨーロッパ諸国からもメディアが集められた。
かぐや姫は会見場に入ったときから嗚咽を漏らしていた。
「このことは、まだおじいさんやおばあさんにも話しておりません。きっと動揺させてしまうと思ったからです。ですが、ここまで時間が経ってしまい、もう隠し通すこともできません。皆さんも薄々ご存知の通り、私はこの世界の者ではありません。もっと遠くから……月の都から来ました。昔、ある人と約束をしてこの世界に来たのです。そしてもうすぐ帰らなければなりません。次の満月の夜、迎えの者が来てしまいます。それを話すのが辛くて、最近は泣いてばかりいました」
会見場はどよめきに包まれ、讃岐氏も怒りと悲しみを隠せずにいた。
「どうしてそんなことを言うんだ! 私がお前を見つけ、菜種のように小さな頃から育ててきたじゃないか! それを誰が迎えに来ると言うんだ。私は絶対に許さない」
会見場は讃岐氏の怒号とも悲鳴ともつかない叫びだけが響いた。
讃岐氏が落ち着くのを待って、再びかぐや姫が口を開いた。
「禁則事項だったのですが、もう話しても良いでしょう。私は月の都で生まれ、そこに本当の両親がいます。正直に言うと、私はその両親の顔を覚えておりません。こちらのおじいさん、おばあさんに親子として養っていただき、私にとってはこの世界が故郷のようなものです。月の都に帰ることに嬉しさはなく、皆さんとの別れが悲しいとしか思いません。しかし、私の思いとは裏腹に、どうしても帰らなければなりません。辛いです。この世界が好きだから」
ここでかぐや姫の感情がピークに達し、そのまま会見は終了となった。会見場を出ても口を開く報道関係者はいなかった。
使用人や警備員の間でも悲しみは広がり、讃岐夫人が出す差し入れも口にできなくなった。
2639日目
この日、帝の使いが讃岐氏宅を訪れた。讃岐氏が大変嘆き悲しんでいると聞き、その真偽を確かめさせるためだった。
門から出てきた讃岐氏は腰が曲がり目が腫れ、まだ涙を流していた。帝の使いはその痛々しい姿に噂が真実だと確信した。讃岐氏は自身のTwitterに、月から使いが来れば警備員たちで捕獲すると書き込んでいる。
帝はメディアを通じ、讃岐氏の体を案じる声明を出した。
「私などはかぐや姫を一目見ただけで未だに忘れることができていないというのに、ずっと共に生活しているかぐや姫を月にやってしまうことはとても辛いだろう」
2652日目
この日の京都は1日中快晴、夜には満月がよく見えると気象庁の予報が出た。
帝がその権力を使って讃岐氏宅に約2千6百人の兵士を配置させた。讃岐夫人は物置の奥でかぐや姫を抱きかかえていた。讃岐氏は門前でまだ兵士たちと作戦を練っていた。報道各局もそれぞれ取材班を派遣し、讃岐氏宅の状況を中継した。当のかぐや姫はこの装備に対して意味がないと讃岐夫人に語ったそうだ。
かぐや姫は「これが最後のインタビューとなります」と言い、物置の戸を少しだけ開けて報道陣を呼んだ。質問した人物がどこの所属かはわからないが、ヨーロッパのBBCが撮影した映像に、このような問答が記録されている。
「何か思い残したことはありませんか?」
「老いゆくおじいさんやおばあさんの介護ができないことです」
午前0時を過ぎた頃、屋敷全体が昼間よりも明るく輝いた。その光は遠く難波からも確認できたという。月からは天人の姿をした者が並んでやってきた。兵士たちは何か恐ろしいものに襲われる気配を感じ、どうしても天人を攻撃することができなかった。各テレビ局のレポーターも何も言えず、テレビではただ天人が降りてくる映像をほぼ無音で流した。
映像で確認できる限りでは14の天人はいずれも女性らしい顔付きで、この世界の日本の感覚では一般的に美人と言われる部類だ。その集団は1台の空飛ぶ車を持ってきた。車の中にはやや年老いた風貌の男が鎮座していた。もしかすると月を治めている王だったのかもしれない。
その男は讃岐氏を門前に呼び出した。
「お前が讃岐造か。お前は未熟な人間だ。毎日僅かに善行を積んでいたから少しの間だけ子供をやろうと、前世で罪を犯した女を渡したのだ。もうあの女は罪を償ったから月の都に戻す。お前が泣いたからと言ってどうなる事ではない。早くあの女を渡せ」
讃岐氏も負けじと言い返した。
「あの子は罪を犯すような子ではありません。そのような事実も確認しておりません。もしそうならば遺憾の意を表明します。それに、私があの子を見つけてから7年以上になります。あなたは少しの間とおっしゃいましたが、それは間違っていると思います。もしかして、別の女性と間違っているのではないですか? どっちにしろ、ここのかぐや姫は病気で外には出られませんよ」
男は讃岐氏の発言を無視して物置の前に来た。
「さあ出てこい。こんな汚い場所にいるべきではない」
戸はひとりでに開いた。かぐや姫は讃岐夫人を離れ、男のもとへ行った。誰もそれを制止できず、ただただ涙を流すだけだった。
いかがでしたでしょうか。10年前に突如として現れ、3年前に突如として去っていったかぐや姫。そのミステリアスな存在は、今も人々の心を掴んでいます。
さて、お時間が来たようです。今昔情報番組「バンブー」またいつか会う日まで……。