二つに分かれた街
旅人が歩いていた。
年の頃は十五、六といった所だろうか。まだ、顔立ちにはあどけなさが残り、所作も子供のものだ。しかし、時折ふとした動作の中に色気が感じられる。子供から大人への移行期特有の空気を纏っていた。
強い意志が宿る瞳を持つ彼女は、右腰に最近軽くなり始めた財布を下げ、無言で歩いていた。
歩を進める彼女の目に、街を囲む巨大な城壁が入ってくる。
彼女……レシャ……は南から北へ、それを目指して歩いていた。
南の城壁にたどり着き街の中へ入るやいなや、レシャは声を掛けられる。
「旅人さん、……貴方は戦えますか?」
若い旅人を見て、その人間は一瞬考えてから尋ねた。
旅人が歩いていた。
手入れのされていないボサボサ髪に、地味な眼鏡をした一見冴えない男だった。しかし、よくよく観察すれば、人のよさそうな地顔は整っている。赤い髪を首の中ごろまで伸ばしていた。
中肉中背。均整のとれた体付きの、一見は二十前後のいたって普通の青年である。
右腰に剣、左腰に軽い財布袋を下げた彼は、無言で歩いていた。
歩を進める彼の目に街を囲む巨大な城壁が入ってくる。
彼……セイズ……は北から南へ、それを目指して歩いていた。
北の城壁にたどり着き街の中へ入るやいなや、セイズは声を掛けられる。
「旅人さん、貴方は戦えますよね?」
若い旅人を見て、その人間は尋ねた。
「やめろっ!」
セイズは必死で腕を伸ばす。
しかし、幾ら伸ばした所で彼の手は届かない。
敵はセイズへは目もくれず、彼女へと迫った。
目の前で彼女が切られ、血飛沫が舞う。
切られた瞬間の彼女と、視線が交わる。彼女は、微笑んで、そして崩れ落ちた。
「くそっ!」
後悔に顔を歪め、拳を握り締めた。
いくら悔やんだ所で彼女は帰ってこない。
その事実に、それまで熱く燃え立っていた彼の心は、急速に冷めていく。
そして。
セイズは目覚めた。
薄手のカーテンから朝の光が差し込んでいる。視線を上へ向けると、空は青く晴れ渡っていた。
目覚めは悪い。
よりによって、今あの時を夢に見るとは。
冷や汗が染み込んだ服が纏わり付き、気持ちが悪い。セイズは起き上がると、着替えと身支度を済ませ部屋を出た。そして食堂で食事を済ませ、気持ちを切り替えるべく外へでも行こうかと考えていた時であった。
「セイズさん、おはようございまーすっ!」
周りからの視線に、内心溜息をつきながらセイズは声の主に向き直る。
「おはよう、レシャちゃん」
セイズの目に、満面の笑みを浮かべた可愛らしい少女が映る。
「お出かけですか? 良ければ私も一緒に行っても良いですか?」
好意を隠そうともせず、彼女はセイズへと迫る。
生暖かな視線と冷ややかな視線の両方を感じながら、セイズは苦笑いして応えた。
「買い物といっても主に日用品だよ。それでもいいなら、行こうか」
「やった! セイズさんとお出かけだ」
文字通り飛び跳ねてレシャが喜ぶ。人懐こい子犬を連想させた。
分かり易い彼女の態度にセイズは苦笑する。
その街は地理的な意味でも、勢力的な意味でも、南北に分かれ対立をしていた。
街のほぼ中央部を東西に走る目抜き通りから北側では貴族等の裕福な人種が生活をし、対して南側には職人、商人等の町人が多く居住している。
事の発端は何と言うことは無い。
街を統治する貴族が増税を目論み、それに反対する職人、商人達と対立が始まった。
ここまではよくある話だ。しかしその後が不味かった。
あろう事か、増税反対を唱えた職人を貴族達が罪人として見せしめに逮捕、監禁してしまった。この監禁された職人が街古参の名鍛冶師であり、職人ギルド、商人ギルドが大激怒。
抗議はいつからか暴動へと発展し、現在は互いの勢力が兵を雇い日々小競り合いを繰り返す小戦争状態へ突入してしまった。
ただし、戦争といってもルールはあった。四六時中争っていても経済を停滞させ、最終的には共倒れになってしまう。
一つ、一般住民には手を出さない。二つ、戦闘は夜間に行う。
北側、南側の人間共に求める物は利益、金銭である。そのため双方異論も出ず、このルールは遵守された。
それ故に、セイズとレシャは、気楽に買い物へ出かける事が出来た。
「今日もいい天気ですね」
飛び跳ねるたびにレシャの髪が踊り、薄い栗色の髪が陽光を反射し輝く。
通り過ぎる人々がちらちらとレシャへ視線を向けた。彼女が騒いでいるからではない。
レシャは、今、この街で最も注目されている人物であった。
争いが始まりしばらくすると、膠着状態へと陥った。理由は単純だ、人手不足である。
傭兵ギルドはどちらに付いても利点が無いと、早々に中立を宣言していた。そうした時に戦力は、お抱えの私兵と旅人に頼らざるを得ない。
しかし、私兵にも限りがある。簡単に補充も出来ない。
旅人は小遣いを稼ぐと、これ以上の関わりは無用と直ぐに別の街へと旅立ち、入れ替わりの激しさから安定した戦力とはならなかった。
そうして人員不足により、互いに決定打を欠いたまま三ヶ月が過ぎる。
だが、ある少女の登場により、状況が動き出す。それが、レシャの存在であった。
街へはたまたま立ち寄った彼女であるが、状況を聞きいてもたってもいられず進んで兵へと志願した。彼女は義は町人達にありと判断、彼らを助けようと南側へ付いたのだった。
人里離れた地で高名な武術者に育てられたという彼女の腕は確かで、次々と北側の兵を打ち倒し戦況は南方有利となる。
決着の日は近いと、南方は活気付いていた。
「おっ、レシャちゃん、彼氏とデートかい?」
果物屋の中年おやじが、笑いかける。
今では有名人となり、こうして彼女へ話しかける者も少なくない。
「えー、彼氏じゃないですよっ。ただのお買い物ですって」
否定はするが、にやけた顔では説得力が無い。
「どうだい、兄さん。彼女に何か買ってやりなよ。今日はオレンジがお勧めだ」
地味な見た目、兵としての戦績も特筆するものは無いセイズは、名前を覚えられていない。レシャが何故セイズに肩入れするのか首を捻る者は多かった。
理由を聞かれる度に彼女は笑って誤魔化すが、内心で優越感に浸る。
街の人間はセイズの事を知らない。
偶然、セイズが眼鏡を外した所に遭遇した。その地顔が余りにも綺麗で、レシャは驚いた。以来、優しく容姿も良いセイズに、レシャは肩入れしていた。
「じゃあ、それを二つ下さい」
「悪いですよ、セイズさん。自分の分は自分で出します」
「いいから。戦闘じゃ敵わないんだ、それ以外で格好付けさせてよ」
セイズは財布を取り出すと、代金と引き換えに熟したオレンジを二つ受け取った。
「はい、レシャちゃん」
「すみません、ありがとうございます」
宝玉を扱うかの如くレシャは大切そうに果物を受け取る。
(この子が赤鬼とはねぇ)
セイズは未だに実感が湧かないと、少女を見つめる。
レシャには二つ名があった。
赤鬼。
尊敬と畏怖が込められた呼び名であった。
彼女の戦いに容赦は無い。レシャが武器である己の拳で、原型を留めないほど相手の顔を破壊した事は一度や二度ではない。戦闘後、彼女は常に返り血で赤く染められていた。それだけの事をしておきながら、彼女からは戦闘後も平気で無邪気な笑顔を作る。
特殊な育ちなためか、レシャの感覚は集団で生活をする人間とズレがあった。良く言えば、穢れを知らず正義感が強い。悪く言えば、世間知らず。
(危なっかしくて目が離せないな)
セイズは複雑な思いで眩しい笑顔を浮かべる少女を見つめた。
・・・
今夜の衝突は想定外の連続であった。
確かに夕方まで晴れていたにも関わらず哨戒中に突然の豪雨に見舞われたと思ったら、撤退中に敵方へ遭遇してしまう。
相対した相手も悪かった。
対レシャ用に編成された戦力の一点集中部隊。中には北側の主力のバルドも混じっていた。
相手の実力に、南側は浮き足立つ。
それでも切り札であるレシャを頼りに、冷静に対処すれば互角に渡り合えただろう。
ただし、今夜は視界も足場も悪かった。
次第に隊列は崩れ、混戦へもつれ込む。後はただ、個々の実力で戦い抜くばかりだ。
普段は戦いの先頭に立たないセイズも、その例外ではなかった。
セイズは振り下ろされた剣を難なく右に避けてかわすと、すれ違いざまに心臓へ剣を突き立て相手を絶命させた。
断末魔の悲鳴を上げながら、男が地面に沈む。
しかし、セイズに休む暇はない。
死体から剣を引き抜くと、一点へと駆け出す。
目だった行動は取りたくなかったが、そうも言っていられない。
今朝の悪夢が彼の脳裏を横切る。
シイヤが向かう先、人が群がるその中心にレシャが居た。北側は好機とばかりにレシャを狙う。善戦はしているようだが、いつ崩れるかも分からない。一刻も早く彼女の元へ向かわねば。
だが、セイズの行く手を阻む新手が現れた。
挟撃。レシャの元へは行かせないと、左右から北側の人間が向かってくる。
セイズは冷めた瞳のまま、より近くに迫っていた右の男へ駆ける。繰り出される一撃を己の剣で防ぐ。金属のぶつかり合う音が、澄んだ夜の空気を震わせた。
助走の運動力を利用し、鍔迫り合いの状態から強引に相手を後ろに下がらせると、その右腕を戸惑うことなく切り落とす。男にはそれで充分致命傷だった。男は血が噴出す腕を押さえながら、陸に上げた魚の様に地面でもんどりうつ。
それを視界の端に収めながら、セイズは左足を軸に体を回転させ剣を反時計回りに薙いだ。銀の軌跡はセイズを斬ろうと両腕を上げていた女の腕を撫で、傷口から噴き出た鮮血がセイズの服を汚す。
不安定な体勢からの攻撃だったので傷は浅いが、腕を斬られた方はそれで一瞬動きが止まった。
当然それが命取りとなる。
セイズは踏み込み女の胸を貫いた。そして用心のため崩れ落ちた女の喉に、再び剣を刺す。
びくんと体を動かしたきり、女は動かなくなった。
大きく息を吐きながら女から剣を引き抜いたセイズは、先程腕を切り落とした男を見る。男はいまだにのた打ち回っていた。肩をすくめてセイズはその男に近付くと、それの腹を何の感情もなく蹴り動きを止め、止めを刺した。
改めて周囲へ視線を巡らせる。
戦闘は終末へ向かいつつあった。
友軍は自分、レシャ、そして彼女を守るように戦闘を続ける男の、計三名しか残っていないようだ。北側も同様に、宿敵を殺そうとレシャへ群がる三人を除き全滅したらしい。
セイズは援護しなければと、全力で駆け出す。進む先、攻防が激しさを増し、北、南側の人間が相打ちで倒れた。その横ではレシャが見事な回し蹴りを相手の頭へ叩き込んでいる。頭蓋骨を粉砕された南側の男は、崩れ落ちた。
(危ない!)
彼女は攻撃後の姿勢から、体勢を直せないで居た。
そこを好機とばかりに北側最後の一人、バルドが迫る。
(間に合えっ!)
セイズは全力で駆ける。
今朝の悪夢が頭の中を過ぎった。
後一歩が届かなかった自分。
血を噴き出しながら、崩れ落ちる彼女。
その時、彼女は自分を見て微笑みながら口を動かした。
それが今でも忘れられない。もう、二度とあの様な体験は御免だ。
剣を振り上げるバルド。
セイズは腕を伸ばし、剣を前へと突き出す。
果たして、今度は届いた。
伸ばした片腕だけで持っていた剣は、簡単に弾き飛ばされる。
しかし、隙を作るには充分に効果があった。
バルドが向き直るよりも早く、セイズは走りの勢いのまま拳を振りぬき、相手の首の骨をへし折る。本来曲がらない方向へ首を傾けながら、バルドは地面に転がった。
その瞬間、今までの喧騒が嘘だったかのように、街は夜の静寂を取り戻す。
雨降る夜の街。
あちこちに人が倒れた戦いの後も、どこか美しく見えるから不思議である。
「レシャちゃん、怪我は?」
「セイズさんのお陰で大丈夫です。危ない所をありがとうございました」
ぺこりと、深く頭を下げるレシャ。
安堵の息を吐いた後、セイズは強くレシャを抱きしめた。
雨で冷えた体に、他人の体温が暖かい。
「えっ、セイズさん!?」
その声には驚きと、戸惑い、そして歓喜が入り混じる。
「無事で本当に良かった……」
「そんな……。セイズさん、嬉しいです……」
熱っぽい声で、彼女は応える。
普段の幼さが残る声とは違う、それは大人のものだった。
(セイズさんも私の事を……?)
まさか、セイズも自分を思っていてくれたとは。嬉しさのあまりに目頭が熱くなる。
「ここは危ないし、レシャ、向こうへ行かないか?」
セイズは指す先は、細い暗がりの路地だった。
耳元での囁きに、レシャは思考が麻痺したかのように、ただ頷く。
そう、セイズの言う事は正しいのだ。新手が現れる可能性もある。戦闘現場に残り続ける事は得策ではない。だから移動する、それだけだ。レシャは自分に言い聞かせる。
しかし、自らを誤魔化そうとしても、頭は別の事を考えてしまう。
(これってまさか?)
この状況でただ身を隠すだけで終わるのだろうか。経験の無い彼女は答えを断言出来ない。だが頭の片隅で、言っている。
答えは否、だ。
セイズは自分の手を引きながら先を進む。
路地裏へ到着すると、迷った様子も無くセイズはレシャを壁に押し付けた。レシャは不安な表情を浮かべるも、セイズは容赦しない。
そして、冷えた唇に熱い物が触れる。
レシャの頭の中は喜びと、戸惑い、恥じらいでぐちゃぐちゃだ。何も考える事が出来なかった。拙い舌使いで、必死でセイズに応える。
心臓は最高潮に、脈打っていた。
熱い。
頬が。
唇が。
そして、胸が。
熱さが広がり、溢れ出す。
(えっ?)
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
しかし、痛みが直ぐに現実を理解させる。
セイズが体を離す。
その手には短剣が握られていた。
切っ先はレシャの心臓を貫き、傷は背中まで達していた。
「どう、して……?」
肺を傷つけられ、吐血しながらも、尋ねずにはいられなかった。訳が分からない。レシャは麻痺した頭で必死に考える。
だって、セイズは味方ではないのか? 自分の事を思っていてくれたのではないのか?
次から次へ湧き上がる疑問に、彼女は戸惑うばかりだ。答えを求め、縋る様にセイズを見つめる。
「そんな目で見ないでよ」
セイズは困った様子で笑う。しかし、どうしてと訴えかける澄んだ瞳に、結局はセイズは降参とばかりに肩をすくめた。
「分かった、種明かしをしよう。僕はね、南側の人間であると同時に、北側の人間でもあるんだ。ああ、意味が分かっていないようだね。つまりだ、北と南、両方と契約している訳」
セイズはレシャの耳元で囁き掛ける。
レシャが驚きの表情を浮かべた。
「そん、な事出来る訳が……」
「それが出来ちゃったんだよね。気付いてるんでしょ、僕が態と目立たない格好をしている事? で、その見た目なお陰で、軽く変装するだけで別人と思ってもらえてね。二重契約をしている訳」
「どうして、そんな事を……?」
「お金を稼ぎたいだけさ。街の争いの結果なんてどうでもいいんだよ。で、一気に大金を稼ぐとしたら、狙いは君だ」
「私?」
「結構な懸賞金がかかっているからね。僕の狙いは君。そうした時に、支払い主の北側と、君を安全に討ち取る機会を得るために南と契約した訳。ただ、苦労したよ。レシャちゃんの実力は確かだからね、隙も無くてチャンスが無かった。けど、今日やっと機会が巡ってきた。僕ら以外の人間が倒れた事により、周りに目撃者はいない。視界も悪く、音も聞こえにくい。願ってもない機会さ。だから実行に移ったという訳だね」
「そんな……」
「加えて、北側の主力であるバルドも討ち取れた。南側からも懸賞金がもらえる、今日は最高の日だね」
「酷い……」
大粒の涙がレシャの瞳から零れ落ちる。
「うん、知ってる」
どこか満足気に、セイズは微笑んだ。
旅人が歩いていた。
手入れのされた赤い髪を首の中ごろまで伸ばし、人のよさそうな整った顔を持つ。
中肉中背。均整のとれた体付きの、二十前後の青年である。
右腰に剣、左腰に重くなった財布袋を下げた彼は、無言で歩いていた。
彼……セイズ……は夢に見た、あの時を思い出す。
必死で腕を伸ばす自分。
しかし、幾ら伸ばした所で手は届かない。
敵は自分へは目もくれず、彼女へと迫った。
目の前で彼女が切られ、血飛沫が舞う。
切られた瞬間の彼女と、視線が交わる。
「いい気味ね。誰が貴方の金づるになるものですか。いつも思い通りになると思ったら大間違いよ」
彼女は、微笑んで、そして崩れ落ちた。
目の前で大金を取り逃がしたあの時を、セイズは忘れられずにいた。
しかし、此度の一件でそれも終わりだ、悪夢に悩まされる事もなくなるだろう。
「今度は届いたさ」
目の前にはただ長い道が永遠と続いていた。
彼……セイズ……は北から南へ、歩いている。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
如何でしたか、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
10年前に書いた小説を、大幅ダイエットさせた本作。
知人に見せたら端折り過ぎだと言われました。
が、それを反省しつつも修正せずに投稿する暴挙に出ています(笑)。
いつか加筆したいものです。
何はともあれ、読破ありがとうございました。