表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

九話 昵懇・壱

 憂いごとのない朝は素晴らしいものだった。

 メルディアは寝間着のまま窓を開け広げ、曇天が広がる空を見上げる。


 昨日、ユージィンはどういう意味で頬に口付けをしてくれたのか。それを考えるだけで胸がドキドキと高鳴って、何かが満たされたような気分になる。


 この先、メルディアが望む未来は訪れないと分かっていたが、その時が来るまでこの温かな気持ちは大切にしようと心に決めた。


 ◇◇◇


 今日は珍しく朝食の席に家族全員が揃った。


 メルディアの隣に座ったジルヴィオが、昨日のお茶会の感想を聞いてくる。


「メルディア、公爵家のお茶会はどうでしたか?」

「ええ、特別な問題も無く」


 メルディアがそう言った途端に銀食器を皿の上に落とす音が聞こえた。

 ジルヴィオは手から匙を落としてワナワナと震える父親を一瞥し、温和な笑顔を浮かべると、小さな子供に話しかけるかのように優しい声で指摘をする。


「父上、匙を落としましたよ。エドガルさん、新しいものを」

「すぐにご準備を」

「……」


 落とした匙は皿の上で跳ねて机の上に転がってしまったので、丁度食堂へ入ってきた執事に交換を頼む。


 小刻みに震えるアルフォンソを、妻のメルセデスが顔を覗き込んで心配をする。


「アルフォンソ様、具合が悪いのですか?」

「……いや」


 新しい匙を受け取ったアルフォンソは落ち着かない様子で、砂糖も何も入っていない紅茶をぐるぐるとかき混ぜていた。


「それで、あの、父上にお願いが」

「――お、お前にはまだ早い!! それに相手はまだ学……」

「え?」

「い、いや、なんでも、ない」


 アルフォンソは何かを誤魔化すようにカップを手に取って中身を口に含むが、甘さの無い紅茶に顔を顰めていた。


「父上?」

「何だ、早く言え!」


 メルディアの願いはお茶会に誘ってくれた侯爵家の令嬢、レイシェイラを家に招いてもいいかという可愛らしいものだった。


「べ、別に、それなら構わんが」

「ありがとうございます、父上!!」


 メルディアの初めてのお友達の訪問に、アルフォンソは「その娘は大物過ぎないか!?」という心配はあったものの、温かい目で見守る事を決める。


 ただ、念の為に息子には「暗躍、駄目、絶対」と書かれた紙を手渡して、娘の初めての友達付き合いに手を出さないような牽制をしておいた。


 ◇◇◇


 数日後、侯爵家に一通の手紙が届く。

 宛名はレイシェイラで、送り主にはメルディア・ベルンハルトの名があった。


「まあ、メルディア様から」


 執事から涼しい顔で手紙を受け取っていたレイシェイラであったが、内心は嵐が来たかのような、穏やかなものでは無かった。


(い、一体、何用ですの!? まさか、わたくしの策略がバレて、その事に対する抗議文では……!?)


 一人になりたいと言って執事と侍女を部屋から追い出すと、手紙の底を椅子の肘掛けに向かって乱暴に叩きつけた後に、ビリビリと雑に封筒を破く。


(――いいですわ、その挑戦、受けて立ちましてよ、メルディア・ベルンハルト!!)


 そんな風に威勢よく手紙を開いたが、中身は何てことのない、お茶会に招待してくれた事に対する喜びの言葉と、お開きになった時に戻ってきてまで心配してくれたレイシェイラに対する感謝の言葉が丁寧に綴られているだけだった。


「な、なに、これ……?」


 更に、お礼がしたいからとベルンハルト邸に招くという事まで書かれているのには、流石のレイシェイラも仰天するしかなかった。


 そして、脱力したままで「喜んで伺います」という返事を書いて執事に頼んで送ったことを、数時間後に正気に戻ったレイシェイラは後悔する事となる。


 ◇◇◇


 貴族の間では謎に包まれた未踏の地とされているベルンハルト家。

 その客間にレイシェイラは座っていた。


 壁紙から調度品、茶器に至るまで花模様で統一された部屋は趣味がよく、社交界で囁かれる「美的感覚の狂った成金」という噂話は嘘だという事が見て取れた。


 老執事より用意された紅茶の香りも上品なもので、口に含めばふわりと豊かな渋みが舌を楽しませてくれる。


 他人の家であったが、不思議と落ち着く空間だとレイシェイラは考えていた。


(――いけないわ。ここは敵地!!)


 自分の部屋のように寛いでいた事に気がつき、姿勢を直す。


 レイシェイラはまだメルディアの事を疑っていた。


(自分の陣地へ誘い込み、わたくしに仕返しをするつもりなのよ!!)


 隙を見せてはいけない。レイシェイラは扇を広げて口許を隠し、戦闘体勢だとばかりに完璧な令嬢の仮面を被る。


(伯母様は心配ないと仰っていたけれど、メルディア・ベルンハルト個人の情報は皆無。安心は出来ませんわ)


 レイシェイラはここを訪れる数日前に伯母である公爵夫人と二人でお茶会をした。その際に今日の事を話したが、ベルンハルト家との付き合いは進んで行うべきだという助言を貰っていたのだ。


(国への多大な社会貢献、騎士団の影の功労者、孤児への待遇、どれも世間では広く知られていない素晴らしい行い……)


 伯母から聞かされたのは、レイシェイラの知らなかったベルンハルト商会の功績だった。

 だが、これらについては少しでも国の情勢を学べば出てくる情報で、自らの勉強不足を晒す事となってしまった。


(だって、わたくしの役目は結婚を通じてお家の繁栄の手助けする事ですもの。賢くなる必要は無いと、そう言われて育って来たから仕方がありませんのよ)


 分かってはいたが、よく知りもしないで悪い人だと決め付けていた事は反省すべき点だとレイシェイラは思っていた。それに加えて無知は恥じるべきことだと、実感した日の話である。


 ベルンハルト商会の噂は出任せだという事が分かったが、メルディアについては、まだはっきりとした人となりを把握出来ていないので、今日、この場で見極めようと乗り込んできた訳だった。


(泣いて弱みを見せる事も、丁寧に書いた手紙も、臆病に見せかけた性格も、全て偽る事が出来るのですから)


 レイシェイラ自身がそうだったように、メルディアもまた、周囲に愛されるように自分を偽っているのかもしれないと、そう、思い込んでいた。


 ◇◇◇


 客間に通されて、待つこと数分、慌てた様子のメルディアがやって来る。


「ご、ごめんなさい、遅くなって」

「ええ、メルディア様は遅刻が得意ですものね」

「は、はい」


 レイシェイラのいきなりの嫌味に、メルディアは何故か照れたような表情で返事をする。予想外の返しに、意地の悪い口許を隠していた扇を落としそうになっていた。


「お座りになったら?」

「あ、ありがとう」


 もう、どちらが客か分からない状態となっていた。


 腰を下したメルディアだったが、そわそわとレイシェイラを眺め、目が合うと瞼を伏せる、というのを何度か繰り返していた。


 その様子に我慢出来なくなったレイシェイラは、ついつい棘のある一言を発してしまう。


「何か?」

「あ、いえ、その、う、嬉しくって」

「嬉しい?」

「ええ。誰かを家に招待したのは、初めてで」

「あなた、お友達は居ませんの?」

「はい。一人も」

「……」


 友達は一人も居ませんが、それが何か? といった感じに首を傾げながら返事をするメルディアを見て、レイシェイラは己の中の毒気が少しだけ抜かれているのに気が付く。


 しかしながら、呆然としていたのも一瞬で、これではいけないとかぶりを振った。


(いいえ、これも作戦ですわ!! 友達が居ないと言って同情を誘って隙を見せるのを待っていますのよ!!)


 捻くれた令嬢は簡単には絆されない。


「あ、あの、お礼の品を受け取ってくれるかしら?」

「お礼? わたくし、何かしたかしら?」

「お茶会に、招待してくれた事と、帰りがけに心配して見に来てくれた事と、今日、来てくれた事」


 メルディアは、消え入りそうな声で喋りながら立ち上がると、客間にある棚の中から包みを取り出す。


(――何、あの包みの中身は?)


 メルディアが持ってきた物は、薄紅の無地の包み紙に、赤いリボンで結んで留められた、大きな紙袋だった。


 受け取ったそれは、重さは無いが全体的にモコモコと柔らかい。


(この贈り物が、もしかして仕返し!?)


 中身は趣味の悪い寝間着か、それとも緩衝材だけ入っていて中身は空という姑息な物か、老婆の使うような地味な膝掛けか。


 様々な憶測が頭の中を過ぎる。


「まあ、嬉しいですわ。ここで開いても?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとう」


 レイシェイラは勇気を出してリボンを解く。

 中から現れたのは……。


「……こ、これ、は?」

「昨日、兄と買いに行ったの」

「……お兄様、と?」

「ええ」


 真っ白でふわふわの毛並みに、長くピンと張った二本の耳、円らな黒い瞳に小さなお口。


 それは、うさぎ。


 包みから出て来たのは大きなうさぎのぬいぐるみだった。


 思わず「ナニ、コレ?」と呟きそうになったが、メルディアの期待に満ち溢れた眼差しを見てしまい、思わず言葉に詰まってしまう。


 同じような目を、レイシェイラは知っていた。


 一番上の姉の子供、レイシェイラの姪っ子が、似顔絵を描いて見せに来る時の目と全く同じだった。


 そういう場合に行う反応は、どんなものが来ても一つと決まっている。


「か、可愛らしいですわ。わたくし、うさぎが大好きなの」

「本当!?」


 レイシェイラの言葉を聞いて、メルディアは零れるような笑みを浮かべる。

 その微笑みの美しさに、うさぎのぬいぐるみを抱いている自分の馬鹿馬鹿しさに、レイシェイラは目を細めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ