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六話 兄様

 昨日の最悪な気分を引き摺ったまま、新しい朝を迎える。

 

(私ったら、どうしてあんな酷い言葉を言ったのかしら……もっと、言い様はあったのに)


 昨日から何度も同じ言葉を自身に問いかけている。勿論後悔は尽きることは無いし、自分を納得させる理由も思い付かなかった。


 しかし、ユージィンの事で悩んでいる暇は無かった。メルディアは頬を叩いて気合いを入れると、支度をするために入って来た使用人に、新しく作って貰った水色のドレスを準備するように頼んだ。

 それから髪の毛は夜会に行くような、複雑な髪型にして貰い、唇には淡い色合いのルージュを塗り、瞼には薄い紫色の線を引く。


 そんな小綺麗な出で立ちで向かったのは、兄の私室だった。


 ジルヴィオ・ベルンハルト。

 メルディアの九つ上の兄で、現在は貴族の家を一軒一軒回りながら宝飾類を販売する仕事を担っている。

 二十九才と、ハイデアデルン男性の結婚適齢期から離れつつあるが、現在独身。結婚よりも仕事を優先しているという姿勢を崩そうとしないのだ。

 そんなジルヴィオは、年の離れた妹を溺愛していたが、外では普通に接していたので、裏ではメルディアが兄の恋路を邪魔しているのでは? という悪い噂さえ囁かれていた。

 当のジルヴィオは様々な悪評には一切反応を示さず、つまらない噂話を広める人間には、対象が気付かない様に、正当なやり方で仕返しをするという強かさもあった。

 メルディアは常々兄の行いを参考にと思っていたが、なかなか上手く自分の中に取り込めずにいたのである。


 メルディアはその兄の仕事に付いて回り、貴族のご婦人の雰囲気に慣れようかと考えていたのだ。


 朝から着飾って現れたら妹を、兄・ジルヴィオは驚きの表情と共に出迎えた。


「どうしたのですか、メルディア?」

「と、突然ごめんなさい、兄上。実はお願いがあって」


 メルディアの願いをジルヴィオはあっさりと了承してくれた。だが、後から眩しい程の笑顔で条件が出される。


「メルディア。そのかっこうは地味なので、着替えて下さい」

「え?」

「今日は宝飾品の試着雛形モデルをして貰います」


 ジルヴィオはメルディアの背後に控えていた使用人に指示を出す。


「ドレスは一番派手なものを。あれば色は赤で。化粧も同様に」


 兄の指示を聞きながら、メルディアは衣裳部屋で眠っていた露出の高い、深紅のドレスがある事を思い出す。あれを準備されたらどうしようと不安になっていたが、早く準備するように急かされて、使用人に腕を引かれながら私室へと戻った。


 予想通り、使用人の手によって用意されたのは、袖の無い、所持しているドレスの中で一番派手な赤のドレスだった。

 胸元は大きく開き、体の線に沿った形のドレスには、左側の脚が剥き出しとなる切り込みが入っている。


 着替えと化粧が終わると、別の使用人が四角い皿状の盆を持って来た。


 それは、先日買い付けて来たばかりの宝飾品だった。

 髪飾り、耳飾り、首飾り、指輪と同じ意匠で作られた品はどれも一点物で、小規模な屋敷が建ってしまう程高価な商品だ。

 メルディアはそれを知らずに、使用人が宝飾品を着けていくのを大人しく受け入れる。


 身支度をしていた二人の使用人は、着飾ったメルディアを見て息を呑んでいたが、余計な事を言うと、気の弱い主人は萎縮してしまうので黙って見とれていた。


 準備の終わったらメルディアを見て、ジルヴィオは綺麗だと絶賛をする。それから並んで出掛けようとしている時に、目の前に立ち憚る者が現れたのだ。


「――おい、二人揃ってどこに行くのか?」


 その人物は、メルディアとジルヴィオの父親である、ベルンハルト商会の会長・アルフォンソだった。


「お仕事ですよ、父上」

「どうしてメルディアを連れている?」

「アレクシスの輝石を確実に売る為です」

「なんだと!?」


 アルフォンソは鋭い視線を派手な装いをしている娘に向けた。メルディアは父親の咎め立てる様な目から逃れる為に、兄の背中に素早く隠れる。


「申し訳ありませんが父上、約束の時間に遅れてしまうので」

「はあ!?」

「説教は夜にでも聞かせて下さい」

「な!?」


 ジルヴィオは軽く父親をあしらって、廊下を早足で進む。メルディアも慌てて後を追った。


 そんな息子の後ろ姿を眺めるしかなかったアルフォンソは、昔は素直で可愛かったのにな、と悲しい気分になっていた。


 ◇◇◇


 ハインリード伯爵家。

 かの伯爵家のご当主は、結婚二十年目の妻への贈り物を探していた為、確かな品を扱っているベルンハルト商会を呼んだのだ。


 商人と取引をする為に伯爵は客間へと向かう。五年前から訪れている商人、ジルヴィオ・ベルンハルトは油断ならない男なので、下手な物を掴まされないように注意しなければ、と自らに言い聞かせていた。


 客間へ入ると思いがけない人物を目にして、息をするのも忘れてしまう。


 ジルヴィオ・ベルンハルトの隣に座っていたのは、見たことも無いような黒髪の美女だった。


 艶やかな黒檀の髪は頭の高い位置で結ばれ、その結び目には細かな宝石が散りばめられた銀の髪飾りが輝きを放っている。

 髪の掛かっていない耳には、雫型にカットされた耳飾りが女性の麗しい相貌を際立たせ、首もとから大きく開かれたドレスには、豊かな胸の谷間が存在感を主張している。その眩い程の双丘を飾るのは、大粒の輝石が嵌め込まれた首飾り。

 深い切り込みの入ったスカートからは、白く長い脚が覗いており、膝の上に揃えて置かれた手には、贅を尽くしたかのような指輪がある。


 女性は伯爵と目が合うと、まるで汚い物を見るかのような視線を返した。

 初対面である美しい女性からの不躾な目に、伯爵の被虐心が刺激される。背筋がゾクゾクしているのを悟られないように、伯爵は懸命に平静を装っていた。


 そんな、突如として現れた完璧な美女に、伯爵は一瞬で心を奪われてしまう。


「メルディア、いけない子ですね」

「!!」


 ジルヴィオ・ベルンハルトの声で伯爵は我に返った。メルディア、と呼ばれた女性も伯爵から目を反らす。


「お久しぶりですね、ハインリード伯爵」

「あ、ああ。そなたも息災のようだな」

「お陰様で」


 立ち上がって一切隙の無い笑顔を浮かべているジルヴィオの差し出された手を、伯爵は苦々しい表情で握り返した。


「――して、そのご婦人は?」


 伯爵とジルヴィオが挨拶をしている間も、座ったまま不機嫌顔で軽く俯いている、メルディアという女性について問い掛けた。


 もしや美貌の婚約者でも見せびらかしに来たのでは? と伯爵は舌打ちしそうになる。


 だが、その邪推も外れる事となった。


「妹です。メルディア・ベルンハルト、と」

「左様であったか!」


 妹だと紹介をされて、伯爵の萎んでいたものも復活を遂げていた。

 これは堪らないと、伯爵は興奮状態でメルディアを見るが、その深緑の双瞳は伏せられていて残念に感じる。


 この時になって伯爵は社交界にある噂を思い出した。


 ――ベルンハルト家の性悪女、メルディアの奔放な話を。


 しかしながら、これ程の美女。性悪でも構わないだろうに、と伯爵は考える。


「申し訳ありません、伯爵」

「な、何の事だ?」

「メルディアはこの様に人見知りでして」

「ひ、人見知り、だと!?」

「はい。外見はこのように派手なのですが、酷く口下手でして」


 伯爵は驚いた表情を隠さないまま、よく見れば兄の服の端を心細いかのように掴んでいるメルディアをまっすぐに見つめる。


「……では、社交界で流れる悪評は!?」

「全部嘘ですね。妹は虫の一匹ですら殺せませんよ」

「なんと!!」


 伯爵は更なる興奮状態にあった。性悪女のような外見をしているのに、中身は聖女だというメルディアを見ながら。


 ジルヴィオは我を失った状態にある伯爵を見ながら、満足気に笑みを深めていた。


「今回は特別にご紹介を。儚いモノですので、次の機会はいつになるやら」

「……」

「次はナシゥラント子爵家に訪問予定でしてね」

「……ま、待て!! 幾らだ?」


 ジルヴィオは悪い笑顔で金額の書かれた紙を指し示す。


「………」


 悪徳商人ジルヴィオから聞いた金額は出せないものでは無かったので、速攻商会券を取り出してペンを走らせる。


「ありがとうございます」

「あ、ああ」


 ジルヴィオの話を適当に流し、メルディアだけを眺めながら、伯爵はゴクリと生唾を呑み込む。商会券をジルヴィオの前に差し出しながら、逸る気持ちを抑え込んでいた。


「これで奥様も大喜びですね」

「――は?」

「このアレクシスの輝石はどれも一点物で、世界に二つとない稀少品となります」

「!?」


 ジルヴィオは丁寧な手つきでメルディアから宝飾品を外していく。そして、柔らかい布で宝石と金属部分を磨き、専用の入れ物に納めて、伯爵に手渡した。


「本来ならば、倍のお値段でのご紹介をしておりましたが、伯爵の素晴らしい記念日の為にお安くご提供をさせて頂きました」

「……そうで、あったか」

「はい!」

「……」


 喉から手が出る程に欲した美女が帰った後、伯爵はがっくりと肩を落とす。だが、買ってしまった宝石は一級品だ。妻は喜ぶだろうと考える。


 今まで幾度も浮気を繰り返し、愛人を屋敷に置いた事もあった。そんな中でも伯爵の妻は、責める事も無く、伯爵家の女主人としてあり続けたのだ。


 いい買い物をしたのかもしれないと考え直し、伯爵は絶世の美女の記憶を頭の中から追い出した。


 ◇◇◇


 颯爽と歩く兄の後ろをメルディアは早足で追っていた。


「兄上、兄上!!」


 追い付いて、兄の腕にメルディアはすがる。


「メルディア、どうかしましたか?」

「聞いておりませんでした。身に着けていた宝石が、売り物で、あのように、高価な品だと」

「言ったらソワソワするかなと思いまして」

「た、確かに」

「大丈夫ですよ、メルディア。観察料は頂きましたから」

「え?」

「まさかあんなに伯爵がメルディアに食い付くとは思いもしなかったので」


 ジルヴィオは宝飾品に、メルディアを眺めていた代金も加えて請求をしたと言っている。そんな悪どい事をしたのかと、非難の目を向けた。


「まあ、元々は伯爵に売った金額でも、本来ならば手に入らない程の品です」


 アレクシスの輝石は、価値の分からない持ち主からそれなりの金額で買い付けて来た品だった。価値の分かる者が値段を付ければ、屋敷が二軒も建ってしまうという。

 本来の価額で売り出せば、絶対に売れなかったので、半額での販売が決まっていた。


「意匠も古いものでしたし、売れないだろうって父上が言ってましてね」


 伯爵はまんまとジルヴィオの策略に嵌まり、高価な宝飾品を購入してしまう事となった。

 尚、伯爵夫人には了承を得ていたと話す。


「メルディアが宝石を身に着けていると、商品の価値が跳ね上がるみたいですね」

「それは、どうかしら?」


 ベルンハルト家の悪い噂は兄のせいでは? とメルディアは疑ってしまったが、指摘する事は出来なかった。


 ◇◇◇


 結局、メルディアは疲れただけで、兄から人心掌握術を学ぶ事は出来なかった。


 それと共に、ベルンハルト家の人間として生きるには、狡猾でないといけないのだと気が付いた。

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