五話 籌策
メルディアは次に孤児院に行く時の計画を考える。
机の上には数冊の本が置かれていた。
メルディアは、孤児の子供たちに本の読み聞かせをしようかと考えていたのだ。
かの人見知り令嬢は、本の読み聞かせには自信があった。子供の頃の人見知りだったユージィンの心を掴んだものだったし、本を声に出して読んでいる間は嫌な自分から魅力的な登場人物になれることで現実逃避が出来るからだ。
そして今回も使用人とお菓子作りを行う。
ベルンハルト家では使用人のする仕事を身につける教育を行うという変わったことをしていたが、メルディアは家事全般において気の毒な程に不器用なのだ。
料理をすれば焦がす、調味料を間違う、奇跡のような不味い品を完成させるという結構なお手前、掃除をすればうっかり家具類を破壊。
このように、絶望的に家事の才能がないために、孤児への差し入れは主に調理担当の使用人と共に作る。
今回作っているのは様々な動物の型にくり抜いたクッキーだ。
材料を用意したり、量ったりするのは使用人で、メルディアは材料を混ぜたりなどの力仕事を担当した。
生地が出来上がったら、型抜きをする。
何故かメルディアが抜いたものは歪んで仕上がるのだが、その謎は解明されていない。
翌朝、粗熱が取れたクッキーを小さな紙袋に詰める。それを籠に入れて、持ち出す準備をしていた。
最後に絵本を三冊鞄の中に入れて、肩から下げる。
鏡を覗き込んで、緊張で顔が強ばっていないか確認をしていた。
化粧をすると顔がきつく見えてしまうので、今日は素っぴんだ。
他にも装飾品を着けなかったり、髪型は優しさを引き立てるように、一つに纏めて三つ編みにして、左側の胸の前に垂らす。
服は淡い黄色のドレスで、孤児院で働いている女性がしているように、腰回りには白いエプロンを巻いて結んだ。
本日のハイデアデルンの天気は晴れ。
まるで、メルディアの一日を祝福している様だった。
移動中の馬車の中では、先日のリュファとの会話を思い出す。臆病なだけのメルディアを姫君のようだと言ってくれた事を、また、会いたいと言ってくれた事を。
そんな事をしていると、自然と頬が弛んだ状態になっていた。
それから間を置かずに孤児院へと行き着く。前回の訪問と同じように、塀の中からは楽しそうな子供たちの声が聞こえていた。
メルディアはゆっくりとした歩みで中へと入り、家の前で遊んでいる子供たちの出迎えを受ける。
いきなりの訪問客にきょとんとした表情を見せる子供たちに、メルディアはぎこちなく微笑んだ。それからその場に膝を付いて挨拶をする。
「初めまして、今日はあなた達に、会いに来たのよ」
前回同様、一斉に見つめられて心臓が緊張で跳ね上がったが、なんとか挨拶を言い切る事に成功した。
「お菓子を焼いて来たの。絵本を読みながら、一緒に食べましょう」
そんな風に言えば、お菓子につられた子供たちが集まって来る。
今日は空が晴れ渡っているので、外で本を読み聞かせる事にした。
「――そして、石の花は瞬く間に蘇り……」
子供たちは、手に持ったお菓子を食べるのも忘れた状態で物語に夢中になっている。
その真剣な眼差しを、メルディアは心地良く思っていた。
◇◇◇
同時刻。美しい花が咲き乱れる庭園には、三十代後半位の貴婦人と、十代半ば位の麗しい少女の二人がささやかなお茶会を開いていた。
「夜会は如何だったのかしら?」
「素晴らしい一夜でしたわ」
扇を手に悠然と微笑んでいるのは、マリア・ハルファスという、とある王族を夫に持つ女性だ。
夫の爵位は公爵で、マリア・ハルファス自身も社交界では多大な人脈を築いている。
その向かいに座る美少女は、ハルファス夫人の姪である侯爵家の娘、レイシェイラ・スノームだ。
二人の仲は特別で、週に一度はこうやってお茶会を開いているのだった。
「伯母様、お願いがありますの」
「なにかしら、私の可愛いレイシェイラ?」
「次のお茶会にお招きしたい方が居りまして」
ハルファス夫人は月に一度、ハイデアデルン内の貴婦人方を集めて茶会を開いている。
その会に招かれる事は、貴族の女性の間では名誉なのだ。
「どなたかしら?」
「メルディア・ベルンハルト様ですの」
「まあ! あまり社交界に顔を出さない御方とどこでお知り合いになったのかしら?」
「前の夜会で見掛けまして、会場の殿方の視線を独り占めする程の、大変お美しい御方でしたのよ。でもひっきりなしに人が集まるものだから、お近づきになれなくて」
「そうだったの」
愛しい姪子の話を聞きながら、ハルファス夫人は苦い表情を浮かべる。
ベルンハルト商会はハイデアデルンの為に様々な社会貢献を行っている商会だ。だか、その功績は世間には知られていないのだ。
その支援については知っていたが、何故か悪名が纏わり付くベルンハルト家の人間を自分のお茶会に呼びたいとは思わなかった。
「伯母様、お願い!!」
「……分かったわ」
「ありがとう、叔母様! 大好き!」
「……」
立ち上がってハルファス夫人の傍に寄り、レイシェイラは叔母の体を抱き締める。
そんな姪の抱擁を受けながら、ハルファス夫人はひっそりとため息を吐いた。
◇◇◇
叔母との茶会を終えたレイシェイラは早足で自室に向かう。部屋の鍵を掛け、寝室へ走り込むと、寝台の上に勢いよく転がった。
そして、枕に顔を埋めた状態で、高笑いをする。
(――ああ、上手くいってしまいましたわ)
あまり大きな声を出すと喉を痛めてしまうので、笑いを堪えつつ肩を震わせながら、満たされた気持ちに酔いしれる。
メルディア・ベルンハルトを茶会に呼んで恥をかかせる。そんな計画をレイシェイラは企んでいた。
次の夜会で復讐をするのが待てなかったので、叔母が主催をする集まりでの企みを決めたのだ。
叔母がベルンハルト家の人間ををよく思ってないのも顔を見て分かっていた。メルディアを追い詰める状況は出来上がっている。
(メルディア・ベルンハルト、あなたはどんな顔で悔しがるのでしょう!)
レイシェイラはドレスが皺になるのも気にしないで、寝台の上で勝利を確信しながら高笑いを噛み締めつつも、侯爵家の令嬢らしからぬ悪い表情を浮かべていた。
◇◇◇
翌日、ベルンハルト家にハルファス公爵家からのお茶会の招待状が届いた。
その手紙を前にして、メルディアは頭を抱えている。
(どうして、こういう事になったの!?)
公爵家からの招待なのでいつもの様に断る事は不可能だった。
この先何回か孤児院で子供たちと交流をして、それを問題なくこなせるようになれば、母親の知り合いのお茶会に参加をしようという計画を立てていたのだ。
なのに、いきなり難易度の高い、知り合いの居ないお茶会に招待されるなんてと、一人で恐慌状態になる。
念のために父親に相談をすれば、別に行かなくても良い、と軽く言っていたが、そういう訳にはいかない。
ハルファス夫人の影響力は社交界でも指折りなのだ。夫人のお茶会は選ばれた貴婦人しか招待されない。行かなかったら気分を害してしまうだろうとメルディアは考える。
そんな事情を知らない父親ではないのに、どうして? と問いかけても、返事はうやむやにされてしまった。
お茶会の日付けは一ヶ月後だ。参加するしか道は無いだろうとメルディアは決め込んでいる。
たくさんの貴族の娘や夫人などが招待をされると聞いたことがあるので、端の方で気配を消していれば大丈夫だと自分に言い聞かせた。
考え事をしながらフラフラと歩いていたら、角で誰かとぶつかってしまう。
「きゃあ!」
「!!」
倒れそうになったメルディアを、同時に曲がって来た使用人が抱き支える。
「申し訳ありません、お嬢様」
「い、いえ。私こそ、ごめんなさい、ユージィン」
メルディアは寄りかかっていたユージィンから離れ、俯きながら謝った。
「お嬢様、如何されましたか?」
「え?」
「何か、悩みがあるのでしょうか? ……憂い事があるような顔をなさっております」
心配そうにメルディアを見下ろすユージィンから慌てて距離を取る。
今回の件はユージィンを頼ってはいけない。自分の力だけでなんとかしなくては、と考えていたのだ。
「な、なんでもないのよ」
「お嬢様、嘘は……」
「嘘じゃないわ!!」
「お嬢様の事ならなんでも分かります。どうか、私に聞かせて頂けませんか?」
「!!」
一瞬、ユージィンにすがり付いて泣いてしまいたい、このままどこかに連れ出して欲しいという願望すら沸き上がって来る。
だが、このまま優しさに甘えて頼ってはいかないと、じりじりと詰め寄って来ていたユージィンの体を強く押し返した。
そして、力の限りの強がりをする。
「と、年下のあなたなんかに、相談出来て解決出来る事なんて一つもないわ!! 思い上がらないで!!」
心にも無い事を言い切ったメルディアは、そのままユージィンの顔を見ることなく、走り去って行く。
酷い言葉を吐いたメルディアが、深く傷付いたような表情をしているとは気付かずに。