四話 無垢
部屋に居たのは、見慣れた青年と初めましてな令嬢。
「ど、どういうことなの?」
状況が掴めずに、つい目の前に居た幼馴染へと問い掛ける。
「本日はお嬢様の為に、特別な話相手をご用意致しました」
「はい!?」
「さあ、お嬢様に挨拶をするのです」
ユージィンは振り返って、令嬢に命じた。
それまで長椅子に大人しく座っていた令嬢がすっと立ち上がる。その動きに合わせて、頭の高い位置で二つに結った波打つ黒い髪がぴょこんと跳ねた。
「はじめまして、リュファ・ザンです!!」
「……え、ええ。どうも」
メルディアを訊ねてきた令嬢は六歳から八歳位の小さな少女で、しかも黒髪碧眼という、正真正銘のユージィンの妹だったのだ。
「お嬢様、妹は大変お喋りなので、迷惑だったら呼び鈴で知らせて下さい」
「え、あ、あの」
「今日は両親、祖母共に外出しておりまして、寂しいと言っていたので連れて来てしまいました」
「は、はあ」
この時になったメルディアは気が付く。
ユージィンは昨日孤児院へ行って交流を失敗した自分の為に、歳の離れた妹を連れて来てくれた、と。
メルディアに視線を向けるユージィンの妹を見る。
目が合った途端、にこりと笑い掛けられ、メルディアはどういう表情で返したらいいのか分からなくなった。
とりあえず自己紹介をしようと、膝を軽く折って淑女の挨拶の格好を取る。
「メルディア・ベルンハルトです。どうか、メルディアとお呼び下さい」
「メルちゃん!」
「え?」
「よろしく、もが!!」
ユージィンはお嬢様を気安く呼ぶ妹の口を塞いだ。
「メルディアお嬢様、です」
「メ、メル、ニャン、メルニャア?」
「メ、ル、ディ、ア、お嬢様、です!」
「メ、メ、メル、メルちゃん?」
「……」
妹の発音の悪さにユージィンは眉間を指先で押さえて「どうしてそうなる!」と言うのを我慢する。ユージィンもその昔、「メルディア」と舌か回らずになかなか呼べなくて、「メル」と呼んでいた過去があるからだ。
「あ、あの、メルで構わないわ。ユージィン、怒らないであげて」
「……」
「メルちゃん! ありがとう!」
「……」
リュファは小さく飛び跳ねてからお辞儀をした。
(――ウサギさん、みたいだわ)
メルディアは、リュファの見た目が何かの小動物に似ていると思っていたが、それが何かが判明する。
十年前に父親の取引先の子供に譲ってしまった、黒くて青い瞳を持ったウサギに似ているのだと気が付いた。
「それでは、私はここで」
「へ!?」
二人きりなの!? という言葉を寸前で飲み込む。
これは訓練。
リュファと関わって子供との接し方を学び、孤児院での交流の成功へと繋げなければならぬのだと、メルディアは気合を入れ直す。
ぎこちない動きで長椅子まで移動し、立ったままとなっているリュファの隣に腰掛ける。
腰を下してから、向かいに座れば良かったと後悔をした。
他人がこのように近くにいるのは、久しぶりだったのだ。
緊張で胸がドクドクと音を立てていたが、リュファに座るように勧めなければと、からっからの口から掠れ気味の声を発する。
「……どうぞ、お掛けになって」
「ありがと!」
リュファはメルディアのすぐ近くに寄って腰掛けた。
「!!」
あまりにも近過ぎた為に、気が張っている状態だったので体がビクリと一瞬震えたが、幸いなことにリュファは気付いていないようだった。
「メルちゃん」
「!!」
「あのね、わたし、ずっと会いたかったの」
「え?」
「おにーちゃんからね、たまに聞いていたの。メルちゃんのお話を」
「一体、どんな話を……」
世にも酷い、泣いてばかりの幼稚な令嬢の話だろうかとメルディアは自分で想像をして、深く落ち込む。本当に被害妄想は得意だな、と自らを嘲り笑った。
「メルちゃんはね、おにーちゃんのお姫様なんだって」
「!!」
「わたし、ずっとお姫様に会いたくって、夢が叶っちゃった」
「そ、それは」
この家のどこにお姫様がいるのかと問い詰めたかった。
お姫様と言えば、輝く金色の髪に、ぱっちりとした瞳、愛らしい声に、たくさんの人に愛される慈愛に満ちた性格。
残念ながら、そのどれもがメルディアに当て嵌まらなかった。
「お姫様は、もっと可愛らしい存在だわ」
メルディアはつい卑屈になってリュファの言葉を否定してしまう。
だが、リュファもそれは違うよ、と言って譲らなかった。
「おにーちゃんが言っていたの。メルちゃんは、優しくて、ブキヨウな、自分だけのお姫様だって。ブキヨウって意味は分からないけれど、メイちゃんが優しいってのは、わたしにも分かるよ」
「優しくて、不器用?」
「そう!」
「……」
まさかユージィンがそのようにメルディアの事を話していたなんて、思ってもいなかったので、驚いてしまった。
「それからとても綺麗。わたしもメルちゃんみたいになりたい」
「そ、それはどうかしら?」
いつもはドレスなど着ていない。今日は偶然新しく仕立てた服が仕上がったからだと、使用人達が張り切った結果が現在の姿だったのだ。
普段は地味な色合いのワンピースに、執務の際は袖が汚れないように腕を覆う筒状の布を付けている。髪の毛も適当に一つに結び、化粧もしていないという堕落振りだ。
しかもその酷い格好をユージィンに見られても平気なのが問題だという。
純粋な少女の夢を壊してはいけないと、この話はここで止めることにした。
◇◇◇
リュファとの会話は不思議と盛り上がった。
自分の精神年齢は七歳の少女と同じなのかもしれないと、メルディアは考える。
ユージィンの妹、リュファは天真爛漫で、くるくると変わる表情が可愛らしい少女だった。
そんな風に穏やかな時間を過ごしていると、途中で使用人が来て、お茶とお菓子を並べていく。
紅茶にはたっぷりのミルクと砂糖を入れて混ぜる。リュファは小瓶に入った数種類ものジャムに興味を持ち、紅茶に入れるのだと教えれば、飲んでみたいと言って一匙自分のカップの中に垂らしていた。
そして、皿の上に積んであるお菓子を不思議そうな顔で眺めている。
「それはマコロン・ムーというお菓子よ」
「まころん・むー?」
「ええ、初めて?」
リュファはコクリと頷く。
マコロン・ムーとは硬く泡立てた卵白に砂糖と特別な木の実の粉、着色液を混ぜて、円状に絞って焼いたものにジャムやクリームを塗って、二枚に重ねたお菓子のことを言う。
食感はさっくりではなく、ねっとりだ。庶民の間にはあまり出回らないらしく、リュファはメルディアの説明を面白そうに聞いている。
「これは木苺味かしら?」
薄紅色のマコロン・ムーを手に取ってから、メルディアは甘いものが苦手だったことを思い出す。
そのまま皿に戻す訳にもいかないので、なんとなくリュファの口元へと持って行く。
すると、口をあーんと開けたので、そのまま唇の上に優しくマコロン・ムーを置いた。
「!!」
小さな焼き菓子をもぐもぐと食べ始めたリュファの目は、星が瞬いたような輝きを放ち出す。
「お、おいしー!!」
「あら、良かったわ」
紅潮している頬に手を当てて、リュファは初めて食べるお菓子の感想を述べる。
そして、メルディアは二個目のマコロン・ムーを手にした。
「……これは、蜂蜜味ね」
薄黄色のマコロン・ムーを見せてから、再びリュファの口へと持って行く。
(……か、可愛いわ)
もぐもぐと幸せそうにお菓子を食べるリュファを見て、メルディアは胸がきゅんとときめいていた。
いつの間にか外が暗くなっているのに気が付いて、そろそろ帰る時間ではないかと思って呼び鈴でユージィンを呼ぶ。
「今、お部屋に窺おうかと思っておりました」
「そうだったの」
壁に掛かっている時計を見れば、ユージィンの勤務時間はとっくに終わっていた。
もう帰るつもりなのか、私服の外套を纏っている。
「どうやら仲良くなれたようですね」
「ええ。素敵な時間だったわ」
そう言いながらリュファの頭を撫でる。
今日の出会いで、子供は怖がる存在ではない、という事が分かったのだ。
もしかしたら孤児院でも上手くやれるのではないか、という勇気さえ湧き上がって来た。
「リュファ、帰りますよ」
「……」
「リュファ」
「はあい」
俯きながら兄の言葉に返事をして、リュファは立ち上がる。
「メルちゃん、遊んでくれて、ありがとう」
「私も楽しかったわ。また遊びに来てね」
「本当!?」
暗かった表情が一気にパッと明るくなった。
そして、リュファはメルディアが最初にしたような、淑女の礼の真似事をしてから兄の手を取る。
玄関まで送ろうと三人で廊下を歩いていると、前方からメルディアの母親が私室から出て来た所だった。
「母上、今日はもう帰っていらしたのね」
「ええ、先ほど」
娘の問いかけに答えながら、メルディアの母親は初めて見る小さなお客様を一瞥した。
「ユージィンの妹よ」
「リュファ・ザンです!!」
「まあ、元気のいい子ですね」
小さなお客様を紹介すると、無表情だったベルンハルト夫人の顔が綻び、それからその場に膝をついて、リュファに挨拶を始める。
それを見ながら、小さな子供にはああやって視線を同じ高さにしてから話しかければいいのかと、メルディアは感心しつつ母親の行いを観察をしている。
「初めましてですね。私はメルセデス・ベルンハルトと申します」
「わあ~~!! メルちゃんのおかーさんも、メルちゃん~~!! ――もが」
「!?」
余計な事を言う妹の口をユージィンは慌てて塞いだが、遅かったようだ。
「メルちゃん」呼びにベルンハルト夫人、メルセデスはふっと笑みを深める。
「メル、で構いませんよ」
「……奥様、それは」
「ふふっ!」
平然とする母親と慌てるユージィン、きょとんとするリュファを見ていたら、メルディアはおかしくなって笑い声をあげてしまった。
笑いが止まらなくなって、皆の視線が集まってから、はしたないと我に返って口元を隠した。