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三話 自省

「ひっく、うっく、っく」


 びしょ濡れで帰ってきたメルディアは、使用人達に風呂場へ強制的に連行された後、綺麗になった状態で部屋に引き篭もった。


 そして、愚かな自らを繰り返しなじるという、仕様も無い時間の使い方をしていた。


 長年メルディアに仕えている使用人は、またいつもの病気だと判断し、そっとしておいてくれる。


 ところが、珍しく昼間に帰宅をした父親が、娘の籠城を聞きつけて空気を読まずに声を掛けに来たが、冷たい声で「放っておいて!」と言って遠ざけてしまった。普段から忙しく、あまり接する機会の無い父親の明らかに落胆をした声を聞いて、メルディア自身も落ち込んでしまう。


 最後の手段として投下されたのは、本日ベルンハルト家の仕事が休みの予定だったユージィンだ。

 メルディアの父が、学士院から出て来た最終兵器を外門から出て来た瞬間に捕獲をするようにと命じていたのだった。


 寝室の扉の外から声を掛けられて、居る筈もないユージィンの存在にメルディアは驚く。


 急いで起き上がって扉を開けば、学士院の制服姿のユージィンが無表情で立っていた。


 どうしてここに? と聞けば、ベルンハルト家の主人が緊急事態だから来て欲しいと言われたと淡々と話す。


「ま、まあ、なんてことなの!? 父上ったら!!」

「……」

「ご、ごっ、ごめんなさい」


 メルディアはユージィンに向かって頭を下げる。


 彼女は知っていた。ユージィンが城仕えの文官になる為に、毎日必死で勉強をしていることを。


 不貞腐れて部屋に引き篭もったメルディアを呼び出す為、ここに連れて来られたユージィンに心底申し訳ないと、重ねて謝罪をする。


「ごめんなさい、ごめんなさい、まさか父がユージィンを呼び出すなんて思いもしなくて!!」

「……」

「もう、人に迷惑になる時間帯に、引き篭もらないわ」

「いえ、私がここに居ることはお気になさらず。それよりも、ベルンハルト家のお嬢様ともあろう御方が、一介の使用人に頭を下げてはなりません」

「あ、あなたは、使用人なんかじゃないわ」

「使用人でなかったら、なんと言うのです?」

「……」


 責められているかのような問いかけの言葉に、メルディアは言葉を失う。


 使用人と主人の娘、幼馴染み、親友、家族のような近しい存在、どれもメルディアが望む関係性では無かった。


 短い時間であったが沈黙が気まずかったので、ふと頭に浮かんだ言葉で誤魔化す。


「……きょ、今日は、お仕着せを纏っていないから、ただのユージィン、よ」

「……」


 そう自分で言ってから、ユージィンの制服姿を見たのは初めてだったと思い至る。

 いつもメルディアの前に現れる時はきっちりと仕事用の制服を着ていたのだ。


 不謹慎だと思いながらも、その珍しい制服姿をメルディアは堪能する。

 紺色の詰襟の上着に、花模様の金ボタンが付いており、同じく紺のズボンの膝から下は黒いブーツというそれは、ハイデアデルン国内でも入学するのが難しい院のものだった。


「メル?」

「――!! あ、ああ! ごめんなさいね、引き止めて」

「いえ」

「あの、ありがとう、わざわざ来てくれて。……本当に反省をしているわ」

「……」


 気高く心美しい令嬢になって、好きな人の夢を応援すると決めた以上、自分には他にすべき事があるのではと気が付いて、名残惜しいと思いつつも、ユージィンを家に帰してあげようとする。


「メル」

「は、はい?」

「今日は何を落ち込んでいたのでしょうか?」

「え!? そ、それは、そう、ささいなことよ。もう大丈夫」

「言ってください、今すぐに」

「でも」

「いいから!」

「は、はい! ……その、孤児院に行ったら、子供とどう接して良いのか分からなくなって、泣かせてしまったの。そ、それだけ」

「そうでしたか」

「で、でも、もう大丈夫だから。ユージィンは早く家に帰って、勉強をしなきゃいけないでしょう?」

「今は、勉強よりも、メルの悩みを聞く事の方が大事です」

「!!」


 メルディアは一瞬のうちにカッと顔全体が熱くなるのを感じていた。

 けれど、その優しさに溺れる訳にはいかないと、冷たい手の平で頬を冷まし、ユージィンを見送る為に自ら率先して部屋を出て行った。


 ◇◇◇


 翌日、一日の仕事を終えたメルディアは、背伸びをしつつ、今後についてぼんやりと考えていた。


 完璧な貴婦人になれば、次に待っているのは結婚だ。


 結婚適齢期になった辺りからソワソワしている父親はともかくとして、母親は一度もメルディアに結婚を急かしたことはない。

 なぜかと言えば、彼女の母親は二十六歳の時に三十八歳の父親と結婚をしており、結婚は急がなくとも時機が来れば縁が向こうからやって来る、という考えを持っているからだった。


(私にも、母上にとっての父上のような存在が居るのかしら?)


 結婚。

 現実味の無い事だとメルディアは思う。


(――先の不安を考えるよりも、今はきちんとした貴婦人になることに集中しなきゃ)


 誰かに添い遂げる自分が想像出来なくて、知らない人間の庇護下になることに恐怖を覚えて、胸がぎゅっと苦しくなったが、そのことは一旦忘れようという努力をした。


 これから孤児院での交流の対策を考えなければ、と頭の中を整理していると、控えめに扉が叩かれた。

 返事をして入室の許可をすれば、白髪の執事が恭しく頭を垂れた後に部屋の中へと入って来る。


 執事の名はエドガル・ライエンバルドといい、メルディアが生まれた時からなので二十年とちょっとという長い月日をこの屋敷で過ごしている者だ。


 エドガルが働く事になったきっかけはメルディアとその母にある。


 出産が近くなったメルディアの母は、長男を連れて出掛けている途中で具合が悪くなってしまう。そんな場面に偶然通りかかって助けたのが、エドガルだった。


 それを縁として、ベルンハルト家の執事となったのだ。


 エドガルは既に七十を過ぎているが、背筋はピンと張っており、老いを感じさせない仕事振りを見せてくれる。


 更にエドガルはユージィンの祖父でもある。


 ユージィンとの出会いは、メルディアの父親がエドガルに孫を遊び相手に連れて来てくれと頼んだ事が始まりだった。


 そんな赤ん坊の時からの付き合いをしているエドガルは、不器用なメルディアを優しい眼差しで見守り続けていた。


 メルディアもエドガルを本当の祖父のように思っている。


 互いにその気持ちを確認し合うことはないが、二人の間にはいつでも穏やかな空気が流れていた。


「お仕事はもうお済に?」

「ええ。何か用事かしら?」

「ええ、それが」


 ……二人の間に穏やかな空気は流れてはいるものの、彼が持ってきた用件というのは、穏やかでも何でもなかった。


「――え? 私を訪ねて来ているご令嬢が!?」

「はい」


 メルディアには友達と呼べる存在は一人もいない。勿論、上辺だけ仲良くしている知り合いも居ないのだ。


 一体誰が乗り込んで来たのかと不安になる。


「ど、どちらのご令嬢、かしら?」

「それが会ってからのお楽しみだと」

「!?」


 名前を名乗らない令嬢が自分を訪ねて来ているという事に恐怖を覚える。


 謎の訪問者に会いに行くという以上に恐ろしいことなどが他にあるのかと、メルディアは戦慄した。


 訪問を知らせる手紙や面会の約束など無い訳で、一体全体どういう目的で来たのか検討も付かなかった。


 だが、逃げる訳にはいかない。


 社交性を高める機会にでも利用してやろうかと、珍しく強気になって立ち上がる。


「お客様はどちらに?」

「花の客間へ案内をいたしました」

「ありがとう」


 服装も化粧も髪型も、朝から使用人達が頑張って綺麗にしてくれた。この格好ならば、客に会っても失礼は無いだろうと判断して、そのまま客間へと向かう。


 花の客間。

 主に女性客を迎える時に使われる部屋で、中は壁紙から調度品に至るまで、花模様で統一をされているという、ベルンハルト家の屋敷の中で一番美しい一室だ。


 メルディアがここに入るのは初めてだ。

 女性のお客様など招いたことが無いからだ。


 扉の握りに手を伸ばした時、その指先が震えている事に気が付く。酷く緊張をしているのだ。


「お嬢様?」

「――ッ!! な、なにかしら?」

「顔が強張っているようにお見受けいたします」

「……」


 執事エドガルに指摘されて、顔全体に力が入っている事に気が付いた。

 両手で頬を包み、しっかりと揉んで顔の緊張を取り除く。眉間の皺を解す事も忘れない。


 本人はこれで大丈夫だと思い込んでいたが、その顔は戦場に赴く屈強な男の顔をしていた。


 執事も二度目の進言をする事が出来ずに、屈強な戦士顔のお嬢様を扉の向こうへ案内する事になってしまう。


「――お待たせいたしま、あら?」


 そして、部屋の中で待っていたのは、予想外の人物だったのだ。


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