二十七話 黒兎
「レイシェイラ様!!」
メルディアは久しぶりに会ったレイシェイラに飛びつくような勢いで駆け寄って、キラキラとした瞳を向ける。
レイシェイラも無邪気に寄って来たメルディアに、満面の笑みを向けていた。
「会いたかった」
「わたくしも」
レイシェイラは城で侍女を、メルディアは花嫁修業をする為の準備をしているので、以前のように頻繁に会う事も出来なくなっていたのだ。
今日は二人の休みが合ったので、こうしてベルンハルト邸での久方振りの再会となった訳である。
メルディアはまっすぐに私室へ案内をして、今回レイシェイラを家に呼んだ目的の一つとなっている、【ある物】を見て貰った。
「まあ!」
メルディアの部屋には大きな棚が新たに設置されており、その中には様々なドレスを纏ったうさぎのぬいぐるみが並べられていた。
表面は硝子張りとなっており、埃などが入らない仕様となっている。
「なんだか、こう並んでいると、迫力がありますわね」
「ここに置いていくから、せめて綺麗に保存をしようと思って」
メルディアが二十歳の誕生日までに父親から貰ったぬいぐるみは、嫁ぎ先には置く場所が無いので、こうして実家に保存をしておくことを決めていたのだ。
「あら、十九体しかありませんのね」
「ええ。一体はあげてしまったの」
「あなたが?」
「どうしても欲しいって泣かれてしまって」
「一体、どういう状況でしたの?」
父親から貰ったうさぎのぬいぐるみをこよなく愛するメルディアが、簡単に他人に譲るなんてありえないと思ったレイシェイラは当時の話を聞き出す事にした。
◇◇◇
――今から十一年前。
メルディアは十歳、ユージィンは七歳。
数ヶ月前からユージィンが学士院へ通うことになり、会える時間がめっきり減っている事にメルディアは寂しさを覚えていた。
父親からユージィンと同じ学士院へ入るかとも聞かれたが、学年も違えば性別も違うユージィンとは常に一緒に入られる訳では無かったので、首を縦に振ることは無かった。
学士院は同じ年齢でも男女別の学級を作っており、性別が違えば交流を持つことは滅多に無く、異性と会話をするだけで悪い噂の的となる、というのが現状であった。
そんな話を家庭教師から聞いていたので、父親の提案を受け入れなかったのだった。
ユージィンと会う時間が少なくなっていったメルディアは、日に日に元気が無くなっていった。
そんな娘に、父親であるアルフォンソはユージィンの代わりだと言って、誕生日の贈り物に黒の毛並みに青い目を持つうさぎのぬいぐるみを贈ってくれたのだ。
そのぬいぐるみは他の品と同じように、その年の流行のドレスを纏っていたが、ユージィンの代わりだと言われて受け取ったぬいぐるみをメルディアは、一目見て気に入ったのだ。
それからというもの、黒うさぎとメルディアはいつも一緒だった。
ユージィンが来ている時だけ放置され、それ以外の時間はほとんど共にあった。
常にうさぎを持ち歩くメルディアをアルフォンソは困った娘だと呆れていたが、以前より元気になったので別にいいかと、注意せずに放置をしていたのだ。
それが、悲しい出来事を生み出す切っ掛けとなる事も知らずに。
◇◇◇
ある日の午後。
アルフォンソやメルセデスが居ない時間に来客がやって来た。
その者達はベルンハルト商会の顧客を名乗り、宝石を買いに来たからと言って勝手に屋敷の中へと上がって来たのだ。
執事は約束を取り付けていない客への対応に困っていたが、以前屋敷に訪れたことを覚えていたので、渋々と客室へ案内をする。
不遜な客は家族連れで来ていた。
主人と奥方、七歳から九歳位の少女。
客人が来ていると知らなかったメルディアは、その客人らと鉢合わせをしてしまったのだ。
「まあ、ベルンハルトさんの所の本妻の娘さんね」
「お母様、本妻ってなあに?」
「おい、止めろ、ここには妾なんぞいない筈だぞ」
人見知りのメルディアは腕の中にあったぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら、一体何事かと老執事を見上げる。
執事は家族とメルディアの間に割って入って、案内を続けようとしていた。
ところが、予想外な提案が持ち上げられる。
「エリザベッサ、あの子と遊んで来なさいな」
「ええ~」
「今から大人の時間になるから、暇になるわよ?」
「お客様、お嬢様は今からお勉強の時間でして」
「いいじゃない、ちょっと位」
執事の制止を無視して、客人は自分の子供をメルディアに押し付けた。
そして、私室まで付いてきた少女を部屋に招きいれ、気まずい思いをする事となる。
客人の子供はメルディアの部屋にある、十体ものうさぎのぬいぐるみに興味を示していた。
ぬいぐるみは小さな椅子に座らせてあったり、本棚の一角を占領していたり、天井から吊るしている花籠の中に入っていたりと、メルディアは可愛く見えるように置いていたのだ。
そんなうさぎを少女は勝手に手に取って、一人遊びをしていた。
メルディアは部屋の隅で呆然とすることしか出来なかった。
そして、散々ぬいぐるみで遊んだ少女は、メルディアにとんでもない願いを言って来たのだ。
「ねえ、このうさぎ、一個貰ってもいい?」
「え!?」
「たくさんあるから一個位いいでしょ?」
「……」
嫌だと言いたかった。
部屋に乱雑に散らばったうさぎを今すぐにでも助けたいと考えていた。
しかしながら、口も体も、動揺で動かなくなっていたのだ。
硬直状態でいたら執事が部屋に来て、父親の帰宅を知らせてくれた。
昼食を客人と摂るかとどうするかと聞かれ、父親に聞きたいことがあったメルディアは同席することを希望する。
執事と手を繋ぎ、もう片方の手にはぬいぐるみ、という状態で食堂まで行く。
うさぎのぬいぐるみは執事に預け、父親の近くに寄る。
話があると言えば、客人の前ではあったが、アルフォンソはしゃがみ込んで耳を傾けてくれた。
「どうした?」
「あ、あの、うさぎを、欲しいって言われて、どうしたらいいか、って」
父親から誕生日に贈って貰った大切なぬいぐるみだ。
一つでもあげる事は出来ないが、断る理由も上手く言えないメルディアであった。
父親に相談をすれば、その場で断ってくれると、メルディアはそう思い込んでいたのだ。
ところが、アルフォンソは残酷な言葉を返す。
「もう十歳になるのだから、それ位自分で考えろ」
「!!」
それから、ほとんど食事も喉を通らずに、憂鬱な時間は過ぎていった。
そして、最終的にはうさぎが欲しいと泣かれてしまったので、去年貰った白いうさぎを、と思っていたのに、少女は黒のうさぎが欲しいと泣き叫んだのだ。
結局、メルディアは幼い少女に黒のうさぎを譲ってしまった。
◇◇◇
「旦那様、お嬢様が……」
「なんだ?」
その日の夜、執務室に篭っていたアルフォンソの夕食を持ってきた執事が、困った顔で報告をする。
一番のお気に入りのぬいぐるみを失ったメルディアは、寝室に篭って食事も拒む、という状態になっていたのだ。
話を聞いたアルフォンソも部屋に行くが、毛布に包まったメルディアが顔を出すことは無かった。
対処に困ったアルフォンソは、ユージィンを呼ぶように執事に命じる。
一時間後、ベルンハルト邸へとやって来たユージィンは、メルディアを元気付けてくれと祖父に頼まれ、一人で部屋を伺う事となった。
「メル、メル、大丈夫、ですか?」
「!!」
包まった白い毛布をポンポンと叩きながら、メルディアへ声を掛ける。
「ユ、ユージィン?」
「はい」
メルディアはそっと毛布から顔を出して、寝台の傍に居たユージィンの存在を確認する。
「メル、どうか、なさったのですか?」
角灯で照らされたメルディアの顔は酷いものだった。
顔は涙で濡れてぐしゃぐしゃになっており、目も真っ赤。
ユージィンにハンカチで顔を拭われながら、メルディアは今日あったことを少しずつ話していく。
「う、うさぎ、一番、大切な、子、だったのに、連れて行かれて、しまった、わ」
「そう、でしたか」
「黒い、毛並みで、青い目が、ユ、ユージィンに、似ている、から、お気に入り、だったの」
それからまた、メルディアはボロボロと涙を零す。
ユージィンは寝台の端に座り、メルディアが落ち着くまで背中を優しく撫でていた。
涙が止まらないメルディアに、ユージィンはある決意をする。
「メル」
「……ん?」
「これからは、私が黒のうさぎの代わりを、務めます」
「え?」
「メルが、寂しくないように、うさぎになるのです」
「ほ、本当!?」
メルディアの涙は一瞬で引っ込んでしまった。
「じ、じゃあ、今からユージィンは、私だけのユージィンになるのね?」
「? ええ」
ユージィンはよく意味も分からずに返事をしてしまう。
「嬉しい!!」
メルディアはそう言って、ユージィンの体をぎゅうっと抱きしめた。
「わ!!」
勢い良く抱きつかれたユージィンはメルディアを受け止めきれずに、寝台へ倒れ込んでしまう。
「メル」
「ふふ!」
メルディアはずっとユージィンを抱きしめたりしたかったのだが、母親から異性の友達との付き合い方を厳しく習っていたので、出来なかったのだ。
体を抱きしめる、というのは禁止事項にあり、他にも可愛いと言ってはいけない、体に触ってはいけないなどと細かい決まりがあった。
だが、ユージィンはメルディアのうさぎのぬいぐるみになってくれると言ったのだ。
これからは思う存分ユージィンを可愛がる事が出来ると、メルディアは嬉しくなった。
◇◇◇
「――という事があって」
「……」
予想よりもかなり長い話を聞かされたレイシェイラは、可哀想と思えばいいのか、結果的に得をした話なのか、よく分からない状態となっていた。
幼い日の記憶を語るメルディアに悲壮感は欠片も無かったので、得をした話だったかと思うようにしていた。
「そういえば、ユージィンはいつまでうさぎ代わりをされていましたの?」
「うちで働く前までだったかしら?」
「はあ!?」
ユージィンがベルンハルト邸で働くようになったのは三年前だと聞いていた。
「で、では、あなたが十八歳、ユージィンが十五歳の時までベタベタ一方的に触りまくっていた、という事ですの!?」
「ユージィンは嫌がらなかったもの」
「……」
レイシェイラ、本日二度目の絶句。
密室で二人きりという状況でよく間違いが起こらなかったものだと呆れてしまう。
「なんと言いますか、ユージィンの焼き切れる事の無い理性に感謝をしなくてはいけませんわね、あなたは」
「そうね。ユージィンがいくら可愛かったからって、柔らかほっぺをプニプニしたり、ふわふわ頭をナデナデしたりって、普通の男の人なら嫌がる筈だわ」
「メルディア様から触られるのを嫌がる男の人は居ないのでは……?」
「え?」
「いいえ、なんでもありませんわ」
十五歳までユージィンは可愛かったと主張するメルディアの話を聞きながら、レイシェイラは一度二人を引き離したのは正解だったな、と働く事を勧めたとされるザン家のランフォンに感謝をしたという。
番外編・黒兎 完。