二十六話 共鳴
「父上、そろそろ私も結婚をしようと思いまして」
「そうか」
「……」
「あの、話を聞いていますか?」
「なんだ?」
ジルヴィオは大切な話があると言って父親を呼び出した。が、アルフォンソは書類を居間に持ち込んで長椅子に座り、あろうことかジルヴィオの話を真面目に聞かないで、紙面に目を落としながら耳に入れていたのだ。
「だから、結婚をすると言っているのです」
「はあ!? 誰がだ!!」
「やっぱり聞いていませんでしたね」
「誰の話だと聞いている」
「私の結婚に決まっているでしょう」
「なんだって!?」
ジルヴィオは今まで父親を何度もからかって来たので本当に結婚をするのかと、疑念の視線が向けられていた。
「最近妙に真面目になったと思ったら、女が出来ていた、という訳か」
「ええ。彼女は私に人としての道理を説いてくれました」
「……」
再びアルフォンソは渋面を作り、ジルヴィオを見る。
「何か?」
「いや、非常に言い難いのだが、なんというか、変な、宗教に騙されているのではないのかと思って、な」
素行不良の息子が数ヶ月で驚きの改心。
アルフォンソはジルヴィオが怪しい宗教を信仰し始めたのでは!? と疑いの心を持ってしまう。
そんな父親の発言にジルヴィオは愉快だと笑い声をあげる。
「笑い事ではない!! お前、何か高い品物を買わされたりとかしていないだろうな!?」
「ああ、この前金貨五十枚の首飾りを買わされそうになりました」
「ほらみろ!! 絶対に騙されているぞ!!」
「まさか。私の女神がそのような悪事を働く訳ありませんから」
「騙されている奴は皆そう言うのだ!!」
父親が面白い方向へ勘違いをしてくれたので、ジルヴィオはその話に乗りつつも会話を進めた。
「彼女と会って頂きたいのですが」
「私は入信しないからな!!」
「ええ。別にそれは構わないのですが、結婚に反対はしませんよね?」
「……」
「父上?」
「ああ、好きな奴と結婚しろ。だが、本当に怪しい女だったら、即刻二人でこの家を出て行って貰う」
「相変わらず過激ですね」
「お前がそうさせているのだ!」
「……」
ジルヴィオはまだ完全に信用はされていないのだ。こればっかりは何年もかけて信用を取り戻すしかないと諦めている。
レイシェイラ・スノーム。
彼女と結婚する為にジルヴィオは忙しい中で多大な苦労をしてきた。
相手の家に認めてもらう為に、何度、様々な場所で頭を下げ続けたか分からない程に奔走もした。
だが、それ程に価値のある結婚だと、そう思っている。
「話はそれだけか?」
「はい」
結局、アルフォンソはジルヴィオの結婚相手の名前すら聞かなかった。
顔合わせの当日、驚くだろうなあと考えつつも、怒涛の数ヶ月を振り返っていた。
◇◇◇
数ヶ月前。
王宮で開催された夜会が行われた夜、それとなくレイシェイラに結婚の話を持ちかけてみれば、悪くない返事を貰った。
その反応を見た時点でレイシェイラとの結婚を決める。
先日父親からジルヴィオがベルンハルト商会を継ぐ可能性についての話も後押しとなった。
それからの行動は早かった。
即座にスノーム侯爵との面会を取り付け、結婚の話を持ちかける。
ジルヴィオの予想通り、侯爵には無理だと言われてしまった。
レイシェイラは侯爵家の正妻から生まれた娘で、大貴族の家に嫁がせる為に育ててきたので平民の家にやる事は出来ないと、素気無くお断りをされてしまったのだ。
だが、ここで引き下がるジルヴィオではない。
その場ではそうですか、と納得する振りをして、ついでとばかりに、なにか困っていることはないですか、と侯爵に相談事が無いかと話を持ちかけた。
別に困っている事はないと、自尊心の高い侯爵は平民であるジルヴィオに相談する事など無いと言っていた。が、時間が進む毎にお土産で持って来ていた酒が進み、最終的には酔っ払ってしまって、ポロリと悩み事を呟いた。
侯爵が苦労をして縁談を結んだ五番目の娘の離婚が決まったと。
実際に離婚が成立するのは国王の聖誕祭の後という話で纏まっており、出戻り娘をどうすればいいものかと頭を悩ませているという。
それでしたら、とジルヴィオはベルンハルト商会の顧客で長い付き合いのある貴族の男と会ってみないかと侯爵へ提案をした。
相手は騎士隊に所属する三十七歳の独身貴族だ。爵位は子爵。
騎士団では王族近衛部隊の総隊長を勤めている。
男ばかりの職場で出会いも無く、毎日の激務が結婚という文字から遠ざけていたのだという情報を侯爵へと伝えた。
出戻り(予定)の娘は今年で二十五になる。とても気が強い娘だが大丈夫か、と聞く。
その娘は夫と性格や価値観の不一致で仲違いをする事となったのだ。
相手方の子爵は、仕事中以外はとても穏やかで優しく、忍耐強い人なので、きっと上手く行くだろうと伝えた。
その後、ジルヴィオは侯爵と子爵を会わせたり、離婚と再婚する為の手続きを済ませたりと、様々な雑務をこなした。
そして無事に結婚の話は纏まる。
侯爵の五女の結婚の予定は一年半後。
離婚をしてすぐには結婚すれば悪評が回ってしまうので、世間体というのも考えて一年半空ける事にしたのだ。本人にも一応反省をして欲しいので、直前まで黙っている事を決めていると侯爵は言っていた。
娘の再婚話が纏まったので、侯爵は大いに喜んでいる。
更にジルヴィオは、他にお役に立てそうなお話は無いかと持ちかけた所、今度は十九歳となる八女に良い結婚相手は居ないかと神妙な顔付きで相談された。
その娘は妾の子供で結婚先に困らないようにと国内最高水準の学士院へ入れて教養も叩き込んだのに、返ってそれが仇となり、性格の悪く小賢しい娘に育ってしまったという。
何を言っても理屈を付けて言い返し、女性としての可愛げが全く無いのだと侯爵はうな垂れながら語った。
五女の離婚の前例もあったので、侯爵は結婚相手選びに慎重になっていた。
下手に大貴族へ嫁がせれば、不興を買って大変なことになる事を危惧しているのだ。
だからと言って下級貴族に頭を下げたくない。そんな悩みをジルヴィオへ吐露した。
そんな八女の縁談もジルヴィオは綺麗に纏めていく。勿論決まった後も本人には伝えていない。結婚が決まったと浮かれられては大変だからだ。まだ、結婚が決まらないと思い、落ち込んでいる方が大人しいのである。
こうして侯爵の弱みを二つも握ったジルヴィオであったが、事態は思わぬ方向へ進んでいく。
ベルンハルト家の若君が奇跡的な縁談の纏め方をするという噂がいつの間にか社交界へ広がり、侯爵を通じて「うちの息子・娘の結婚相手を探してくれ!!」という申し出が飛び込んでくるようになったのだ。
噂の出所は当然侯爵である。
娘の誰が、とは言わなかったが、結婚が難しいと言われていた子の嫁ぎ先が決まったのだと、つい知り合いに自慢をしてしまったのが始まりだった。
侯爵を通じて飛び込んでくる婚姻を希望する若者達の縁談を、ジルヴィオは仕事の合間を縫って真面目に取り決めていった。
本当に忙しい毎日だった。
そんな中で唯一の癒しといえば、レイシェイラと話をする時が至福の時間であったと言える。
今を乗り越えれば、彼女との幸せな結婚生活が待っている、そう考えて頑張っていたのだ。
なのに、侯爵はとんでもない願いをジルヴィオにして来たのだ。
レイシェイラの良い嫁ぎ先を探してくれ、と。
これにはジルヴィオも怒りを露わにしそうになった。
だが、すぐに感情を剥き出しにするような未熟な年齢はとうに過ぎていたので、数秒で冷静な自分を取り戻す。
その場は笑顔で畏まりました、と頷き、相談場所となっていた店を後にした。
その後、ジルヴィオはとある人物との面会を希望する。
相手方とお茶の席を設けて貰い、なんとか約束を取り付ける事に成功をした。
お茶会当日。
ジルヴィオは事情を全て話した母親と共に、目的の人物に会いに行く。
その人物とは――。
「まあ!!」
ジルヴィオとその母親を向かえたマリア・ハルファス公爵夫人は、思いがけない格好のメルセデスを見て目を丸くしていた。
「はじめまして、メルセデス・ベルンハルトと申します」
騎士服を着て来たメルセデスは、片膝を付いて公爵夫人の手を取って指先に口付けを落とす。
「え、ええ。はじめまして。マリア・ハルファスよ。メルセデスさんは騎士学校の講師なのよね?」
「はい。仕事先から帰ったばかりで、このような格好で失礼を」
「いいえ、いいえ、全然大丈夫!!」
公爵夫人は男装をした凛々しい女性に弱い、という情報は事前に入手していた。
男装しているのが中年の母親だが大丈夫だろうかという心配はあったが、案外簡単に陥落してくれたと、ジルヴィオは心の中でほくそ笑む。
ジルヴィオは公爵夫人にレイシェイラとの結婚の後押しをしてくれないかとお願いをした。メルセデスも一緒になって頭を下げる。
普段からレイシェイラにジルヴィオの話を聞いていた公爵夫人は、あっさりと協力してくれる事を約束してくれた。
こうして強大過ぎる後ろ盾を得たジルヴィオは、公爵夫人と共に彼女の義弟である侯爵を言い負かし、レイシェイラとの結婚を認めさせたのだ。
全てが決まった後にレイシェイラに結婚を申し込んで、先ほどの父親への報告へと繋がる。
◇◇◇
レイシェイラとの結婚が決まってからも縁談を希望する話はどんどんと舞い込んでいた。
これはもう自業自得かな、と半ばヤケクソになりながらも、丁寧な仕事を見せていた。
本日はジルヴィオの三十歳の誕生日で、ここ数ヶ月ですっかり痩せ細り、老け込んでしまったように見える顔を鏡に映しながら考える。
まさか自分がお見合いおじさんの二代目になるとは思ってもいなかったと、深く落ち込んでいた。
しかも忙しすぎてレイシェイラにも会っていない。
久々の休日にレイシェイラが朝からいきなり訪問をして来て、様々な意地悪の限りを尽くされ、最後には店に放置される、という心踊った日の記憶が随分昔のように思えてくる。
首を絞めているタイを緩め、手櫛で整えていた髪の毛を崩し、残っている仕事を片付けようと執務室兼私室の扉を開く。
「――!?」
「遅いですわ!! ここで一人何時間も待機をして……な!?」
扉の前で待ち構えていたのは今まで頭の中を占めていた女性だった。
これは夢でないかと思い、本物か調べる為にぎゅっと抱きしめる。
「なんですの、いきなり!!」
「夢ではないかと、思って」
「夢ではありません、現実ですわ!! な!? ちょっと、お放しになって!!」
「……」
抱きしめた体は緊張の為か強張っていた。
その柔らかな体と、耳に心地良いはきはきとした声、そして、馨しく甘い香り。
全てが本物で、これは現実だと伝えてくれる。
相手は箱入りのお嬢様。このような触れ合いにはきっと慣れていないのだろうなと考えて、名残惜しいと躊躇いつつも、体を解放する。
レイシェイラは今日がジルヴィオの誕生日だと聞いていたので、特別に外出を許して貰ったのだという。
このまま父親に紹介をしたかったが、あいにく不在だ。
母親は夜間授業の為学校に泊り込み、メルディアは花嫁修業に出ていて居ない。
屋敷の中は使用人を除いて二人きり、という訳だった。
「よく、許してくれましたね」
「ええ。伯母様が手配して下さったの」
「それはそれは」
公爵夫人には頭が上がらないなと思いながら、レイシェイラが注いでくれた果実汁を一気に飲み干す。
「なんだか、くたびれていますのね」
「そう見えますか?」
「ええ」
「それは困りましたねえ」
「なにが、ですの?」
「父は、その昔、働き過ぎて大切なものを失いました」
「一体、何を?」
「髪の毛、です」
「……」
沈黙が、部屋の中を支配する。
以前、父親と喧嘩をした時に、ジルヴィオは言われたのだ。
『――そのように格好を付けているがな、私の父も、祖父も、大祖父も、皆、仲良く揃って禿げていた!! お前ももうすぐ残酷な時を迎えるだろう。それまでせいぜい遊んでいるといい!! 確実にモテなくなるだろうからな!!』
一気に気分も暗くなる。
けれど、結婚前に言っておかなければならない事でもあった。
見てくれがいいのは今だけだ、と。
「――わたくしは」
「?」
「別にジルヴィオ様のお顔が好きな訳ではありません。社交界には、わたくし好みの見た目の方もいらっしゃいましたけれど、そのお方とは結婚したいとは思いませんでしたのよ」
初めて参加をした夜会の日。
レイシェイラは会場で惹きつけられるような男性を見かけたのだ。
麗しい容姿の中の精悍な眼差しとピンとした立ち姿、服装は騎士隊の物だったので、戦う人の体つきをしていると、うっとり眺めてしまった。
だが、そんな彼はレイシェイラの熱い視線には気付かずに、後から来たメルディアに心を奪われていたのだ。
そして、メルディアが居なくなると、レイシェイラの所へやって来て、熱心に口説き始めたのだ。
「もう、本当にがっかりで、わたくしの恋は一瞬で崩れ去りましたの」
「それは、なんと言っていいのか。……しかし、私もその点では、その男と変わらないと、思うのです、が?」
「いいえ。ジルヴィオ様は違いますわ」
「?」
レイシェイラは最低最悪の第一印象を受けた状態でジルヴィオと出会った。
初めこそ騙されていたが、長く付き合っていくうちに小さな違和感を覚える。
「あなたは、ご自分を偽っている時がありますわ。そういう時は、いつも目を細めてお辛そうにしております」
「!?」
「わたくしは、本当の優しいジルヴィオ様を存じておりますの。どうしてそのように振舞われるのか、何か切っ掛けがあったのか、まあ、特に知りたい訳でもないのですが。……けれど、もう、楽になさっては如何です?」
「……」
こんな所まで父親に似てしまったのか、とジルヴィオは初めて自覚をして、片手で両目を覆う。触れた瞼はとても熱くなっていた。
そんなジルヴィオの体を、レイシェイラは抱きしめる。
「わたくしは、心優しいあなたを愛しておりますの」
レイシェイラの言葉は、ジルヴィオの心の中の憂い事をすべて吹き飛ばし、無くしてしまうかのような、絶大な影響力があった。
「これからは、まっすぐに前を向いて、生きて下さいな」
「レイ、シェイラ」
「何か間違えましたら後ろから叩いて差し上げますから」
ジルヴィオは胸が一杯になって、言葉を失ってしまう。
回された小さな手に、背中をポンポンとされ、長い間荒れていた心も和らいでいくように感じていた。
◇◇◇
後日、ジルヴィオはレイシェイラを父親に紹介する事となった。
「わ、私を騙したな!!」
「父上が勝手に勘違いをしたのでしょう?」
「なんだと!!」
宗教団体の幹部が来ると想像していたアルフォンソは、念の為に武道の心得があるシンユー・ザン(※ユージィンの父親)を背後に立たせて待ち構えていた。
なのに、息子と共に現れたのは、スノーム侯爵家の妖精だったのだ。
「よくよく確認を取らなかった父上が悪いのです」
「こ、この~~!!」
今回もアルフォンソの負けかと、部屋に居る誰もが思っていた。
が。
レイシェイラは扇を畳むついでの動作で、ジルヴィオの手の甲を叩く。
パンという音が鳴り、ジルヴィオは驚きの表情をレイシェイラへと向けた。
「ジルヴィオ様、また、人を騙すような悪事をなさったのです!? それに、お父様になんて口を聞いているのですか!?」
「……はい」
「謝罪をするのです!!」
「……」
「今です。今すぐに!!」
「……ち、父上、生意気な口を聞いて、本当に、申し訳ありませんでした」
初めてのジルヴィオの謝罪に、アルフォンソは開いた口が塞がらない状態にあった。
一連のやり取りを見て、息子が真面目人間に生まれ変わった訳を理解する。
こうして、ベルンハルト家に念願の嫁がやって来た訳だが、その嫁による天下統一は一瞬のうちに終わったという。
ベルンハルト家の誰もが、レイシェイラに頭が上がらないのだ。
番外編・共鳴 完。