二十五話 悪徒
「レイ、そろそろ籍を入れたいのですが」
「!!」
人が込み合っている喫茶店での突然の求婚に、レイシェイラは瞠目していた。
王宮での騒ぎから数ヶ月。
ジルヴィオとレイシェイラは逢瀬を重ねていた。
レイシェイラは王宮へ出仕しており、ジルヴィオは以前よりも仕事量が増えたという事で、休みの日が全く合わなかった。
取引と取引の間の短時間、公園で話をするだけだったり、今のようにレイシェイラの仕事が終わった数時間を喫茶店で過ごしたりと、会える隙間は限られているのだ。
最近のスノーム家は、門限が厳しくなっていた。
姉妹の一人が夜遊びをして、悪い男に引っかかる、という事件が起きたからだ。
レイシェイラの父親は、日が暮れる前には帰って来いと言っている。
今日、ジルヴィオは休みで、レイシェイラは仕事終わりという状態ではあったが、時刻は夕暮れ時で、門限が迫っていた。
そんな中での求婚である。
勿論、レイシェイラは歓喜で震えんばかりの感動を覚えていた。
「ジルヴィオ様、と、突然、どうなさいましたの?」
「なんか、この数ヶ月ゆっくり出来なくて、バタバタと忙しくしているうちに、レイを誰かに盗られる気がしたので」
「まあ!」
ここ何ヶ月かでジルヴィオは見て分かる程に痩せ細っていた。本人曰く真面目に生きていたらこうなった、との事。
レイシェイラにはちょっと意味が分からなかったので詳しく話を聞けば、ここ半年間の働き振りを見たジルヴィオの父親が、ベルンハルト商会を任せようと思っている、という話をして来たのだという。
今まで本気を出したことの無かったジルヴィオが、父親の期待に応じ報いる為に頑張っているのだ。
それが原因で、痩せてしまっているのだと語る。
「レイ、君が家に居てくれたら、安心して仕事に打ち込める」
「……」
自分の気持ちだけで結婚を決めてもいいのならば、この場で了承をしていただろう。
だが、レイシェイラは侯爵家の令嬢で、結婚には親の許しが必要になる。
「返事は、今日は出来ませんわ」
「ええ。分かっています」
今まで、平民の家に嫁いで行ったスノーム家の人間は一人も居ない。
父親は結婚を許してくれるのだろうか。
そんな不安を覚えつつ、家路に着いた。
◇◇◇
家に帰宅をする頃にはすっかり日も沈みきっていた。
幸い父親はまだ帰宅をしていないようなので、ひっそりと胸を撫で下ろす。
使用人が風呂の用意が出来ているというので、そのまま向かおうと歩いていたら、正面に一つ年上の姉・ルイベールが居るのに気が付いて、顔を顰めてしまう。
「あら、遅いお帰りだこと~」
「道が混んでいましたのよ」
学士院を卒業したルイベールに一件も結婚の話が来ないので、この所荒れていた。
レイシェイラもなるべく関わらないようにしていたが、向こうからやって来たので避け様が無かったのだ。
「いいわねえ、特別待遇のお嬢様は。結婚を先延ばしにして貰って、王宮で男漁りが出来るから」
「なんですって!?」
「私、知っているのよお。あなた、最近平民の男と会っているって」
「!?」
「侍女のねえ、アリサがあなたを公園で見たって言っているのよ~」
「……」
公園で会う事は止めた方がいいと、ジルヴィオが何度か言っていたのを思い出す。
喫茶店ならば外から見えない位置に座れば知り合いに見つかる事は無かったが、公園だと他人の目から逃れられる事が出来ないから変な噂が立つ恐れがあると。
それでも、会う暇があるのなら会いたいと我儘を言ったのはレイシェイラだった。
ジルヴィオの忠告を聞かなかった罰が、今、訪れる。
「浮かれているのも今のうちだけよねえ? 百年の恋も一瞬のうちに冷めるっていうのかしら? 顔だけはお綺麗だったみたいだけれど、平民の男なんてお金もなければ品もないのよ? それが、分かっていて?」
「お黙りなさい!!」
「やだわ、怖い~。公園で会うなんて、なんて貧乏臭いのかしらあ。わたくしだったら、絶対嫌だわ。鳥肌が立っちゃう。もう、好きになったら外聞なんてどうでも良くなるのよねえ。けれど、ネージュお姉さまを見てご覧なさいな」
ネージュ・スノーム。
数年前に夜会で運命的な出逢いをした男爵家の三男と結婚。
しかしながら、性格や価値観の不一致によってつい数日前に離婚をして出戻ってきたのだ。
ちなみに出戻りの姉は一人目ではない。少し前に五女が離婚をして帰って来ているのだ。父親の頭を悩ます性悪姉妹である。
「わたくしは、違いますわ!!」
「み~んな、そう言うのよお」
ベルンハルト家の資産はスノーム侯爵家の資産を遥かに凌いでいる。
だが、それを言った所でベルンハルト家が平民である事に変わりはない。
それに、財産目当てだと思われるのも癪だったので、黙っていた。
沈黙の中で睨み合いが続く中、空気を読まない第三者が現れる。
「まあまあ、性悪で行き遅れのお姉さま方が揃ってお集まりで、負け犬の遠吠えでしょうか?」
扇を片手に現れたのは、レイシェイラの三つ年下の妹・アルカディだ。
彼女もスノーム家の血が濃いからか、気が強くて自尊心が無駄に高いという困った性格をしていた。
「アルカディ、なんて口の利き方をするのかしらあ!?」
「行き遅れとは聞き捨てならないですわ!!」
「十代も後半になって婚約者の一人も居ないお方は、十分行き遅れですことよ」
性悪と性悪と性悪。
三人の性格破綻者が集まれば、そこは地獄絵図と化す。
「あらあ、その首飾り、中年の幼女趣味の伯爵様から頂いたものかしらあ?」
「な!?」
アルカディの婚約者は三十五歳の初婚男性という曰く付き物件だ。
女嫌いで有名だった伯爵が、十四歳のアルカディに一目惚れをして、会った当日に結婚を申し込んだという話は、瞬く間に社交界で広まった。
その伯爵家は名家だった為に、結婚の話は綺麗に纏まっている。
「社交界に出たこともないお方に色々と言われたくありません!!」
「まあっ!?」
ルイベールとアルカディが本格的な喧嘩を始めた隙に、レイシェイラは風呂場に向かう。
姉や妹達の性格の悪さに疲弊してしまったが、自分自身もかなり性格が悪い事を思い出してしまった。
◇◇◇
(そうよ。わたくしってかなりの性悪でしたわね)
メルディアに出会う前、自分がどう美しく見えるかという事だけを毎日考え、美しい人が居ればそれを妬んだ。
(メルディア様にも意地悪をしたわ)
お茶会の時間をわざとずらして書いた招待状を送りつけ、遅刻をさせて恥をかかせた。
幸いメルディアがその意地悪に気付いておらず、嫌味も効かなかったので、レイシェイラは彼女と仲良くなる切っ掛けを得る事が出来たのだ。
――恋をして、幸せなのは熱に酔って浮かれている今だけ。
――性格や価値観の不一致であっさりと恋も冷めてしまう。
――離婚をすれば、待っているのは世間の冷たい眼差しと姉妹からの嘲笑。
ジルヴィオには本当の性格の悪いレイシェイラを見せていない。
激しい気性の娘だとは思われているかもしれないが、それも全部メルディアの為を思っての行動だったので、いい様に捉えられているのかもしれない。
(――捨てられるのは、嫌)
レイシェイラは勝負に出る事を決意した。
◇◇◇
ジルヴィオが休みだという日を把握していたので、約束も無しにベルンハルト家を訪れた。
「レイ、どうしたのですか? 仕事は?」
「今日はお休みしましたの。なんだか、お仕事をする気分ではなくて」
「そう、でしたか」
朝早くの訪問だったので、ジルヴィオは服装はきちんとしていたが、髪の毛は整えていない状態であった。
「わたくし、色々と行きたい所がありますの。お付き合い頂けるかしら?」
「ええ、それは構いません、が、支度をするので少しお時間を」
「いいえ。そのままで結構ですわ。誰もあなたなんて見ていませんから」
「レイが望むのなら、このままでも良いのですが」
「ええ、問題なくってよ。さあ、行きましょう!」
レイシェイラの作戦とは、我儘放題に振舞ってジルヴィオを困らせよう、というものだった。
これで、ジルヴィオがレイシェイラに対してどのように出るかを知りたかったのだ。
出だしは渋々、と言った所。
そして、意外にも試すような真似をしているのにもかかわらず、罪悪感が湧いていないことに気付く。
(わたくしってやっぱり性悪ですのね)
ため息をつきながら、レイシェイラはジルヴィオの後を歩く。
◇◇◇
最初に訪れたのは、高級品が並ぶ商店通りにある宝石屋だった。
店の展示用に飾られている大きな宝石の付いた首飾りを見て、ジルヴィオを振り返る。
「わたくし、この首飾りが欲しいですわ」
腕を取って、身を寄せ、甘い声でお願いと囁く。
ジルヴィオはなかなか店の前から動こうとしない。
(ジルヴィオ様、早くお決めになって!!)
レイシェイラにも限界が近付いていた。
このように自分から密着をするのは初めての事で、心臓がうるさいほどにドクドクと音を立てている。頬も真っ赤に染まっていたが、ジルヴィオを騙そうと一生懸命な本人は気付いていない。
それから店の従業員に中に入るように案内され、ジルヴィオと離れる事が出来た。
「すみません、そこに展示してある首飾りですが」
「ええ! オダリスクの輝石ですね!」
特別な客だと感じ取ったからか、店の奥から宝石商を名乗る男が現れた。
宝石商の男はレイシェイラに試着を勧めたが、素気無くお断りをする。
「――で、こちら、お値段の方は……」
値札に書かれた金額を見て、レイシェイラは仰天をする。
その額、金貨五十枚程。
ジルヴィオは懐から商会券を取り出して、金貨五十枚成、とサラサラと記入をする。
そして、宝石商の男に商会券を差し出したので、レイシェイラは慌ててジルヴィオの手の甲を扇で叩いた。
衝撃を受けてはらり、と手から落ちた商会券を拾い上げると、即座に破って取引を無いものとした。
呆然とする宝石商とジルヴィオの視線を感じ、レイシェイラは慌てて場を取り繕う。
「や、やっぱり、要りませんわ。ちょっと、時代遅れの意匠ですし!!」
「……」
「……」
それからすぐに回れ右をして、店から出て行く。
(ま、まさか、本当に買うとは)
レイシェイラの手先は震えていた。
成金を侮ること勿れ。その言葉をしっかりと胸に刻み込む。
次に行った喫茶店では、わざとカップを倒して、水で服を濡らしてしまおうと実行したが、上手く水が行き渡らなくて、ジルヴィオのズボンに数滴垂れただけで失敗に終わる。
既製品を取り扱う衣装屋では、服をジルヴィオに選んでと頼んで困らせようとしたのに、見事な全身の組み合わせを用意してくれた。とても気に入ったので、自分のお金で買おうとしたが、支払いはジルヴィオがいつの間にか済ませていたので悔しい気分になる。
その後も様々な我儘行動に出たが爪が甘い計画だったので、いまいち成功した気分に浸れないでいた。
最後に訪れたのはレイシェイラが予約をしていた料理屋だった。
店員に個室を案内され、一先ず落ち着く事となる。
(結構頑張りましたけれど、ジルヴィオ様は普段通りですわね)
意地悪を繰り返し行っていた相手は、いつものように笑みを絶やさないでいる。
もうなんだかヤケクソになって、手にしていた紅茶をかき混ぜる為の匙を投げ捨てるように地面に叩き付けた。
「――レイ?」
「匙を、落としてしまいましたわ。取って頂けます?」
こういう場合は店員に頼むのが普通だ。自分で拾いにいくのは勿論の事、相手に拾わせるということは礼儀に適わない行為となる。
「え?」
ところが、ジルヴィオは平然な顔をしつつ地面に膝を付き、匙を拾い上げると机の端に置いて、新しいものをレイシェイラへと差し出した。
震える手で匙を受け取ってカップの中身を混ぜると、砂糖の溶け切っていない紅茶を口に含む。
「ジルヴィオ様」
「はい?」
「今日のわたくし、何か可笑しいと、思わなかったのですか?」
席に着いて何事も無かったかのようにしているジルヴィオに、レイシェイラは問い質した。
「好きな人をついつい苛めたくなる、的な何かだと思って楽しんでいましたが?」
「は、はあ!?」
「この所ゆっくり接し合う暇もありませんでしたし、鬱憤が溜まっていたのかと」
「……」
ジルヴィオはレイシェイラの我儘行動を何一つ気にしていなかった。
「腹が立ったりとか、致しませんでしたの!?」
「いいえ。全てを受け入れるつもりでした」
「な!? で、では、わたくしが、金貨数百枚の宝石を強請れば、買っていたのですか!?」
「レイシェイラが望むのなら」
「……」
あまりの衝撃に、立ち上がって眉間を押さえる。
そして、最後の台詞に聞き覚えがあって首を捻る。
「――あっ!!」
「?」
『ユージィンが望むのなら』
レイシェイラは思い出す。それはメルディアの口癖だったと。
(兄妹揃って、忠犬属性でしたの!?)
聞けば、ジルヴィオに被虐系の趣味がある、という訳ではなく、今までお付き合いしていた女性も大人しくて従順な人ばかりだったという。
「――わたくし、性根が曲がっていて、意地悪だから、ジルヴィオ様に嫌われるのでは、と不安でしたの。被っている猫は、いずれ剥がれ落ちてしまいますから」
「そういう理由だったのですね」
「試すような事をして、ごめんなさい」
レイシェイラは素直に謝り、ジルヴィオは別に構わないと咎める事も無かった。
◇◇◇
「さて、これからどうしますか」
「わたくし、これから仕事に行きますわ」
「え? 別に行かなくてもいいのでは?」
「いいえ、行きます」
「もうちょっとだけ、ゆっくり話を……」
「それではごきげんよう、ジルヴィオ様」
「レイ……あ、本当に、帰っ」
性悪令嬢レイシェイラは、ジルヴィオを料理屋に一人で残して去って行った。
まさか、店に一人取り残されるとは思ってもいなかったジルヴィオは、予想の斜め上を行くレイシェイラの行動力に深く感嘆をしてしまった。
番外編・悪徒 終。