二十四話 僥倖
メルディアは、ジルヴィオが指示を出していたベルンハルト家の使用人に身柄を回収され家路へと着く。
馬車の中でも涙は止まることなく流れ続けていた。
そんな自分が嫌になって、このまま消える事が出来たらどんなに良い事かと、深く落ち込む。
時計を見れば、まだユージィンの就業時間は終わっていない。
しかしながら、会わせる顔がないので、今となってはどうでも良くなっていた。
程なくして、馬車は屋敷の外門で止まり、そこからは小型の一頭立ての馬車に乗り換えて玄関まで向かう。
馬車が止まってすぐに扉が開かれた。
今日はもう、すぐに寝てしまおう。
そんな風に考えながら階段に足を掛けようとすれば、誰かの手が差し出された。
その手を掴もうと手を伸ばしたが、ふと顔を上げれば手の主と目が合ってしまう。
「!!」
メルディアに手を差し出したのはユージィンだった。
咄嗟に伸ばしていた手を引っ込めると、一段目に片足を置いていたユージィンを避け、二段目の階段から飛び降りるようにして地面へと降り立つ。
運動神経が良かったのが幸いしたのか、踵の高い靴を履いていたにも関わらず、着地は綺麗に決まっていた。
それから後ろを振り向くことなく庭に向かって逃げるように駆けて行く。
(――ユージィンに、泣き顔を見られてしまったわ!!)
メルディアはドレス姿のまま、走る。
雪が薄らと積もっているので足場は悪かったが、趣味が乗馬ということで足腰はしっかりしている為、難なく走れた。
このまま使用人用の出入り口から家に入ろう。そう思っていたのに、メルディアの後ろから追走する者が居たのだ。
「――お嬢様!!」
ユージィンである。
(!? そんな、ユージィン、どうして!?)
メルディアは追いつかれないように、更に速度を上げた。
一方のユージィンといえば。
(――メル、どうして!?)
予想よりもかなり早い帰宅と、泣きながら帰って来て、更にはユージィンの顔を見て馬車の階段から華麗な跳躍と着地を決めて走り去って行った、謎の行動ばかり取るお嬢様を必死になって追い駆けていた。
ユージィンの全力疾走は、幼少期以来だった。
数年前、たまには外で遊べ、というメルディアの父親の言葉を受けて、二人で追いかけっこをしたことを思い出す。
『ユージィン、捕ま~えた! うふふ』
メルディアが追い駆ける側に回れば、ユージィンは即座に捕獲をされてしまった。
逆にユージィンが追い駆ける側に回れば、いつまでたってもメルディアを捕まえる事が出来なかった。
『ねえ、ユージィン、いつわたしを捕まえてくれるの?』
結局は息切れになって、蹲っている所にメルディアがやって来る、というのがお決まりの展開だったのだ。
何年経っても、その関係は変わらないようで、ユージィンが一生懸命追い駆けても、メルディアとの距離は詰まらなかった。
だが、ユージィンも昔のままではない。
メルディアが屋敷の角を曲がった所で、ユージィンは使用人用の出入り口へと入る。
そして、屋敷の廊下を走って、逆の位置へと出た。
その場所は、メルディアが曲がって走って来ていた場所だったのだ。
「メル!!」
「きゃあ!!」
突然前方から現れたユージィンにメルディアは驚き、どうしようかと迷っているうちに手首を取られてしまった。
「やっと、捕まえる事が出来ました」
「……ユージィン」
ベルンハルト邸の屋敷の周りには、外灯がいくつも並んでいるので夜でも明るい。
そんな中で、泣き顔のメルディアの表情は良く見えていた。
上着をメルディアの肩に掛け、もこもこの襟巻きも首に巻く。
通信局と買い物帰りのユージィンは、厚着だったのだ。
メルディアのお礼の声は小さすぎて、強く吹く風にかき消されてしまった。
そして、目を合わせようとしないメルディアの顔をユージィンが覗き込む。
「どうしましたか? そんなに泣き腫らして」
「……」
「メル!」
大きな声で名前を呼ばれて、メルディアの心と体は跳ね上がる。
「私が、何かしましたか?」
「ち、違う、わ。違う、の」
「……」
「私が、悪く、て……」
メルディアははらはらと涙を流し、噦り泣いていた状態だったので、上手く言葉に出来ていなかった。
ユージィンはそんなメルディアを見ながら、悪いのは自分だという事に気がつく。
「いいえ、諸悪の根源は、この私。……今まで、メルの性に合わない、辛い事を頑張るように強いていました」
ユージィンは頭を深く下げて謝罪をする。
社交界で上手く立ち回れるように言ったのはユージィンで、メルディアもその言葉に応えようと努力を行ってきた。
折角頑張っていたのに労いの言葉の一言も言えず、メルディアの前に現れた男性にも嫉妬心すら抱いてしまった。
行動や言動の何もかもが道理に合っておらず、滅茶苦茶であった。
その事をユージィンは謝った。
「謝らないで、ユージィン! 私、今回の事で、沢山勉強になったの!」
「しかし」
「それにレイシェイラ様とも仲良く……なれ、なれ、た、のに」
再び、メルディアの眦から涙が溢れ出す。
「スノーム嬢と、なにか、あったのですか?」
「わ、私、本当に、情け、なくって」
ユージィンは黙ったままのメルディアの両手を握って部屋の中へ入ろうかと提案をするが、首を振るばかりで動こうとしない。
「メル、風邪を引いてしまいます」
「……」
「メル」
頑として動こうとしないメルディアを、ユージィンは優しく抱き寄せた。
「!!」
抱きしめたメルディアの体はすっかり冷たくなっていた。
密着してすぐは体を硬くしていたが、ゆっくりと背中を撫でれば、次第にユージィンの方へ体重を預け、震えも治まってくる。
そして、しばらく時間が経つと、メルディアは先ほど起こった事を語り始めた。
「ユージィン、わ、私、一生誰とも、結婚、で、出来ないって、言われた、の」
「は?」
「何も、出来ない、お嬢様、だから、って」
喋り出せば、また涙が出て来た。ユージィンの胸に顔を埋めつつ、話を続ける。
「ユージィン、しか、見えていないから、外の、素敵な人に、気がつかない、って」
「……」
「私、いいの。結婚、出来、なくっても。それ、だけが、幸せ、では、ないから」
「メル」
ユージィンは抱きしめる腕に少しだけ力を加えてから、肩を押してメルディアから離れる。
いきなり離されたメルディアは、迷子になった子供のような顔をしていた。
「メル、あの星の名前を知っていますか?」
ユージィンが指差すのは、空の上で一番大きくて輝いている一番星だ。
「宵の明星、幸せの星?」
「ええ、そうです。昔、本で読みましたね」
この世界に伝わる星の伝承が集められた本を、メルディアとユージィンは二人で肩を寄せ合って読んだ事があった。
その幼い日の記憶を蘇らせて、メルディアは淡い微笑みを浮かべながら頷く。
「父や祖母の故郷では、星玉、導きの星と呼ばれているのです」
「まあ、二つの国の意味を合わせたら、【幸せに導くお星様】だわ」
「ええ」
それからユージィンは祖母がしてくれた話をメルディアに聞かせる。
両手の人差し指と親指で四角い枠を作り、その中に【幸せに導く星】を閉じ込める。そうすれば、その星は自分のものになる、と。
そして、その星はユージィンの祖父の手に握られたのが始まりで、その後様々な人たちを幸せにしていった。
「――自分には、地位も、財産も、男として頼りになる、何もかもがありません。ですが、メル、メルディアを、幸せにしたい、という気持ちは誰よりも勝っていると、そう、思っています」
「ユージィン」
本日何度目かも分からない涙を流しているメルディアの手を、星を手渡すかのようにしてしっかりと握る。
「あの星に誓って、必ず幸せにします。メルディア・ベルンハルトさん、私と、結婚をして下さい」
「!!」
返事をする前にメルディアは勢い良くユージィンに抱きついた。
ほぼ、全力でぶつかるような勢いだったので、ユージィンは受け止めきれずに後ろへ倒れこんでしまう。
冷たい雪の絨毯の上に重なる二人は、今までに無い程に幸せそうであった。
「ああ、ユージィン! これは夢かしら?」
「……こんな情けない姿、夢だったら良かったのに」
「情けなくないわ。ユージィンは世界で一番素敵、だもの」
こうしてユージィンは、祖父が行った無一文求婚を行い、見事に成功を収める。
しかしながら、ここから先が大変だったのだ。
◇◇◇
家に帰ったユージィンは、両親に今日のことを報告した。
当然、父親に手酷く怒られてしまう。
ベルンハルト家のアルフォンソは、ザン家にとって返せない程の大きな恩がある人物で、その娘に懸想していたなど、とんでもないことだと三時間にも渡って叱られた。
その間、母親は何度も止めに入っていたが、父親の怒りは治まらなかった。
祖母の帰宅により、状況は一変する。
ユージィンを唆したのは自分だと言って味方をしてくれたのだ。
それから一晩、家族会議となった。
ユージィンは文官の夢を諦めて、ベルンハルト商会へ勤める事を決心する。
数日後、両親と共にベルンハルト邸を訪れた。
メルディアとの結婚の許しを貰う為であった。
客間には、メルディアと父親のアルフォンソが待ち構えていた。
部屋の中へ入った途端に、ユージィンは床に両膝を付いて、額も同じように石の地面押し付ける。
「旦那様、申し訳ありませんでした!!」
「!?」
「!?」
「……」
「ユ、ユージィン!?」
突然の行為に、お茶を出していた祖父のエドガルが言葉を失い、メルディアとユージィンの母親が慌てて駆け寄る。
「ユージィン、止めて、お願い!!」
「ユーちゃ、ユージィン、ベルンハルトさん、困っているでしょう!?」
ユージィンの母親とメルディアが、そのトンデモ行動を止める様に嗜めるが、本人はその体勢を止めようとしない。
そして、騒ぎを聞きつけたジルヴィオが何事かと部屋を覗けば、踏ん反り返って長椅子に座るアルフォンソと、何故か額を地面に付けるユージィン、呆然とする老執事に慌てているメルディアとユージィンの母親、その父は呆れた表情で見下ろす、という訳の分からない状態となっていた。
ジルヴィオはとりあえず目が合った相手に話しかける。
「父上」
「なんだ」
「何だか悪の親玉みたいですね」
「だ、誰が悪の親玉だ!!」
茶番の後に、話し合いが始まる。
◇◇◇
「――元よりメルディアは、ユージィン、お前にやるつもりだったよ」
「そう、でしたか」
「こいつは昔からお前しか見えていなかった。それに性格もこの通りで、社交界では上手くやっていけないと分かっていた。だから平民の家に嫁がせる方が幸せになれると、そう考えていたのだ」
「……」
予定では家族揃って額を地面に付ける筈であったが、両親や祖父にそのような真似をさせたくないというユージィンの暴走によって先手を打たれ、様々な手順が崩れてしまっていた。
ところが、ザン家の人々にとっては意外な事に、アルフォンソはあっさりと結婚を許してくれた。
しかも、ベルンハルト家に婿に来なくてもいいとまで言ってくれたのだ。
「だが、この娘は家事が出来ない。このままでは役に立たないだろう。しばらくどこかへ花嫁修業に出さなければならない」
メルディアは酷く不器用で、家事の一切を苦手としている。
平民の家に嫁ぐというのなら、使用人など居る訳もないので自分で家事をしなければならないのだ。
「それでしたら家へどうぞ」
ユージィンの母親がメルディアの花嫁修業先にどうかと提案をする。
「ザン家で預かる、というのか?」
「はい。勿論、家事を教わっている間、ユージィンは父の家で暮らすようにします。二番目の息子は騎士舎に入れますし、夫は私以外の人にとって存在感があまり無いので平気だと思います」
メルディアの人見知り具合を知っているユージィンの母親は余所の家に送るよりは、うちで預かりたいと強く望んだ。
「それに、我が家にはとても怖ろしい家事の鬼がおりまして」
「ほう?」
「きっと甘やかしてはくれません。それでも良かったら」
家事の鬼とは、ユージィンの怖い祖母のことだ。
メルディアはその提案を受ける事にした。
王宮や貴族の家に行くよりは、平民の家でその暮らしを学ぶようが良いと思ったからだ。
◇◇◇
それから二年。
メルディアは辛く長い主婦への道を究めていた。
ユージィンの祖母は本当に厳しい人だった。
だが、根気強く、不器用なメルディアを見捨てる事なく、最後まで丁寧に付き合ってくれた。
ユージィンは二年前から文官として城仕えをしていた。
念願の夢が叶い、最近昇給もあったとメルディアに話をしていた。
兄・ジルヴィオと結婚をしたレイシェイラとの友情も続いている。
相変わらずすぐ泣くメルディアを、どちらが年上か分からないと呆れつつも励ましたり、元気付けたりと忙しい。
そして、レイシェイラが本物のユージィンを紹介された時は、どこか遠くを眺めて切なそうにしていた。
その真相を聞かされたメルディアは、珍しく大笑いをしていたという。
◇◇◇
――いつもの朝。
日の出前にメルディアは起床をする。
薄暗い中、ぐっすりと眠っている夫をうっとりと眺め、この時間が永遠に続けばいいのに、と思いながらも朝食の準備が間に合わないので断腸の思いをしながら寝台を下りた。
昨晩のうちに用意していた服に着替え、脱いだ寝間着は洗濯籠の中へ入れる。
前掛けの紐を腰でぎゅっと結びながら、台所へ行った。
鍋を火に掛け、スープ用の湯を沸かす。
沸騰したら野菜と薄く切った燻製肉、鳥の骨を粉末にしたものを入れて、しばらくグラグラとさせる。
その間に昨日の昼間に焼いた大きな丸いパンを五枚に切り分けて、籠の中へ入れる。
パンの入った籠とチーズの塊、ナイフを食卓に置いていると、エドガルが顔を出す。
「おはようございます」
「おはようございます」
ユージィンは祖父との同居を望んだ。
メルディアも、生まれた時からベルンハルト家で働くエドガルを、ひっそりと本当の祖父のように思っていたので、賛成をしたのだ。
丁寧に頭を下げて挨拶をする二人は、本当の祖父と孫のようであった。
それから最後に起きてきたユージィンと三人で朝食を摂る。
そして、まだまだ現役執事のエドガルを見送り、ユージィンも送り出す。
「気を付けて」
「ええ」
そう言って、無事に帰宅をする事を願うおまじないとして、メルディアはユージィンの頬に口付けをする。
これが、メルディアとその家族のいつもの朝の風景であった。
そんなささやかな日常を、彼女は愛おしく思っている。
成金令嬢物語 完。