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二十三話 剛柔

 本日は、一年に二度行われる王城で開催される夜会の日。

 街は地方から集まってきた貴族に買い物をさせようと、いつも以上に賑わっている。

 宝石の販売を生業とするベルンハルト商会も繁忙期を迎えていた。メルディアの父親は朝から晩まで忙しそうにしている。兄・ジルヴィオは外回りではなく、店舗の販売員に回っていた。

 騎士隊は王都の秩序を守る為に、騎士学校からも巡回員を借りて防衛に努める。その為講師をしている母親も生徒達の監督に気が抜けない状態にあった。


 そんな中で夜会へと行くのは、夜間に暇を持て余すメルディアの担当となっている。


 使用人の手によって美しく着飾ったメルディアは鏡を覗き込んで、今から行われる他人との触れ合いに不安が募ってため息を吐いていた。


「心配ありませんよ。きっと夜会にはお嬢様よりお綺麗なご婦人はおりませんので」

「あ、ありがとう」


 憂鬱な表情を浮かべるお嬢様を使用人は励ます。


「そういえば、ライエンバルドさんのお孫さん、今日で最後なんですって」

「え!? まご、って、ユージィン?」

「ええ」


 メルディアは詳しい情報を聞こうと、立ち上がって使用人を振り返った。


 話によれば、ユージィンは今日でベルンハルト家の小間使いを辞めるという。


 前回夜会に行って会話を交わしてから、ユージィンとは一言も喋っていない。家族や他の召使いからもそういった話題が無かったので、突然の辞職に言葉を失ってしまった。


「お嬢様、ご存知なかったのですか?」

「え、ええ」


 あと数ヶ月もすればユージィンは学士院を卒業となる。その前に城の文官の採用試験もある筈だ。本来ならばこの一年は、暢気に小間使いなどやっている場合では無かったのだ。

 しかし、ユージィン自身が勉強ばかりだと気が滅入ってしまうので、息抜きのつもりで働きたいと望んでいたから雇用は続いていた。


「あの、ユージィンを、ここに」

「こちらに、ですか」

「お願い」

「畏まりました」


 もう出発の時間も迫っていたので、居間などに呼び出してゆっくりと話をする暇などは無い。物で溢れ帰っている衣装部屋ではあったが、そこを別れの場に選んだ。


 数分後、頼みごとをした使用人とは別の使用人が、申し訳なさそうな顔で衣装部屋へと入って来る。

 その背後にユージィンの姿は無かった。


「お嬢様、ユージィンは先ほど頼まれていた旦那様のお手紙を出すと言って通信局へ出掛けていたようです」

「そ、そうなの? もうすぐ帰ってくるのかしら?」

「いえ、今さっき出掛けたようで、他にも買い物を頼まれているので帰りは遅くなると」

「……」


 さらに、雪が降ってきたので早めに出たいと御者が言っていると告げられた。


 メルディアは本日何度目かも分からないため息を吐きながら、ドレスの裾を掴んで衣装部屋を後にする。


 ◇◇◇


 夜会会場へは、人で混雑をしている時に行くに限る。それが、レイシェイラに教わった会場で目立たない方法だった。


 今までは受付時間締め切りのギリギリで会場入りをし、遅れて広間に入って注目を集める、という失敗を知らずに繰り返していたのだ。

 教本に載っていない常識をレイシェイラは色々と教えてくれた。彼女には頭が上がらないメルディアである。


 そんなレイシェイラとは、広間に入る前の待合室で待ち合わせをしていた。このように人で溢れていては見つけるのにも苦労をしそうだと考えていたが、侯爵家の付き添い人と共に佇んでいるその姿はすぐに見つかった。


「レイシェイラ様」

「まあ、お久しぶりですわね。メルディア様」


 久々の再会に二人は手と手を握り合って喜ぶ。

 この所レイシェイラは城仕えの為に、様々な事を学んだり準備をしたりしていたので、直接会って話をする時間が取れなかったのだ。


 双方、手紙での密なやり取りはしていたので、軽く近況を話すだけで済んだ。


 そんな中で、初めこそにこにことしていたレイシェイラであったが、時間を追うにつれて表情が暗くなる。


 いつもの元気が無いレイシェイラを、メルディアは心配していた。


「レイシェイラ様?」

「え?」

「あの、何か憂いごとでも?」

「え? い、いいえ。なにも」


 先ほどから、メルディアに何かを言おうとして、言葉は発せずに口を閉ざす、という行為を繰り返していた。

 何か伝えようとしている事は分かっていたが、何故かなかなかそれを言葉にしないのだ。


 そうこうしているうちに、音楽隊の演奏が始まって夜会の開始を告げる鐘が鳴らされた。


 国王夫妻が舞踏場で踊る様子を、二人は黙って眺めていた。


 ◇◇◇


 夜会が始まると、様々な人達がレイシェイラとメルディアに挨拶をする為に近寄ってきた。


 レイシェイラは慣れた様子で一人一人相手にしており、メルディアは言葉に詰まりながらも、なんとかベルンハルト家の代表として務め上げた。


 挨拶が終われば今度は舞踏に誘われるような時間帯がやって来る。

 メルディアは、堂々としているレイシェイラを視界の端に入れながら、自分も頑張らないと、と奮い立たせていた。


「――おお! ベルンハルト家のメルディア嬢ではありませんか!! なんという奇跡、なんという美しさ」

「は、はあ」


 挨拶を終えたメルディアの元に、大袈裟な振る舞いと言動をする男が近付いてくる。

 背後に影のように立っていた付添い人が「ミルセワ伯爵家のジオン様です」と耳元で囁いた。


 金の長い巻き毛を結びもしないで流している男、ジオン・ミルセワは、それはそれは美しい男であったが、手の甲に口付けをされたメルディアは全身鳥肌、という初めて体験をしていた。


「さあ、メルディア嬢! わたくしと舞踏を」


 勝手に手を握られ、接近されつつ耳元に熱い息を吹き掛けられる。

 メルディアの心の中は一瞬で満身創痍状態となっていた。


 そんなメルディアをレイシェイラは助けようと一歩踏み出していた。が、それよりも早く間に割って入って来る者が現れる。


「わあ、メルディアさんではありませんか! お久しぶりです」

「あ……!」

「なんだね、君は!!」


 金髪碧眼に、人の良さそうな笑顔を浮かべているのは、メルディアも知っている青年だった。


「アウグスト様」


 ミゲル・アウグスト。

 伯爵家の次男で、以前、夜会会場で酔っ払ったメルディアを家まで送ってくれた親切な男だ。


 今にもメルディアを連れ去りそうな迫力見せる美貌の男から守るように、ミゲルは背後で震えている姫君を後ろに下がるように手を振って指示する。


「すみませんミルセワ伯爵、彼女は私と約束をしていまして」

「は!? 関係ございません。メルディア嬢はわたくしと」

「あ、あそこに居るのはミリエン様では」

「なんですと!?」


 目敏くジオン・ミルセワの嫉妬深い事で有名な婚約者を見つけたミゲルは、親切にも分かりやすいように令嬢を指差しながら、情報に誤りは無いことを教える。


「ああ、用事を思い出しました、今。わ、わたくしは、これで」

「さようなら~」

「……」


 嵐が去って、メルディアは安堵の息を吐いた。その隣にレイシェイラが近付く。


「メルディア様、大丈夫ですの?」

「え、ええ。アウグスト様が、間に入ってくれて、なんとか」


 レイシェイラは、メルディアの隣に立つ男を眺める。


 メルディアからぎこちなく紹介された青年は、実に感じの良い男だった。


 ところが、メルディアは心在らず、という様子を見せている。

 余程、先ほどの接近が精神的に衝撃を受けていたのか、はたまた別の、ユージィンの事を考えているのかと、邪推をしていた。


 そんなメルディアをレイシェイラは揺さぶる。


「ねえ、メルディア様、ミゲル様と踊って来たら如何かしら?」

「え!?」


 突然の舞踏を勧める言葉に、メルディアは驚きと躊躇いの表情を見せている。


「なにか、気になる事でもあるのでしょうか? 心が、ここに無い様な、そんな顔をしておりますわ」

「それは……」

「ユージィン・ザンのことでも?」

「!!」


 メルディアは分かりやすいほどの動揺を見せる。


(ああ、こんなにも良い方が隣にいらっしゃるのに、頭の中ではあの男の事を!!)


 レイシェイラは、メルディアにユージィンとは兄妹であると伝えようかずっと悩んでいた。

 だが、そんな大切な事実を、部外者であるレイシェイラが伝えていいものかと、一人で葛藤していたのだ。

 もしかしたら、前回の酷い言葉を受けて、ユージィンとの恋は諦めているのかもしれない。そんな期待を抱いていたが、残念なことにメルディアの心の中を占めているのは、ユージィン唯一人であった。


「ごめんなさい」


 レイシェイラはミゲルに向かって頭を下げる。

 意図が読めないミゲルは何事かと不思議そうにしていた。


「メルディア様、少し具合が悪そうにしておりますので、わたくし達はこのまま帰る事に致します」

「へ?」


 ミゲルの返事を聞く前にレイシェイラはメルディアの手を取って、人込みを避けながら進んでいく。


「レ、レイシェイラ様!?」


 メルディアの戸惑いの言葉にも、返答をしない。


 ズンズンと進んだ先は、雪が綺麗に取り除かれた庭園だ。

 夜間ではあったが、葉の無くなった木にたくさんの小さな角灯が吊るされており、幻想的な雰囲気となっている。


 吐く息は白く、ドレス一枚では肌寒かった。が、その冷たさが、レイシェイラの心を激しく突き動かすような衝動を与えていた。


 誰も散策などしていないような、庭園の中枢まで歩いてくると、掴んでいたメルディアの手を乱暴に離す。


「レイシェイラ、様」

「わたくしが、何故、怒っているか分かります?」

「……」


 メルディアは唇を噛んで俯く。


 性格も、年齢も、家柄も、何もかもが違う二人を繋いでいたのは、【完璧なお嬢様になる】という目標が前提にあった。


 メルディアは不器用ながら夜会で溶け込めるような努力をして、レイシェイラもそんな彼女を支え続けた。


 なのに、今日のメルディアと言ったら、初めに夜会で見かけた時のような、何も出来ない・何もしないという駄目な令嬢の見本であるかのような振る舞いに戻っていたのだ。


 しかも、隣には暴漢から助けてくれた顔見知りが居たにも関わらず、頭の中では別の男の事を考えて上の空。


 レイシェイラが怒るのも無理はなかった。


「あなたには、どうしてユージィン・ザンしか見えていないのでしょう!! 世の中には、素敵な男性が沢山いらっしゃるのよ!! 先ほど助けてくれたミゲル様なんて、禄にお礼も言わないあなたにとても寛大な態度を見せていましたわ!! それなのに、あんな仕様もない男の事を考えていたなんて!!」

「そ、それ、は」


 メルディアは、辞職日当日となっているユージィンが気になって仕方が無かった。もしかしたら、会えるのは今日で最後なのではないかと考えたら、胸が張り裂けそうな程に辛い思いが押し寄せる。


 その想いは、ユージィンの勤務終了時間が近付けば近付くほどに強くなっていた。


 そんな事情など知らないレイシェイラは、メルディアを責め続ける。


「あなたがそのように幼稚なのは、きっと楽しかった幼少時代で時間が止まっているからですわ!! どうして、辛い現実から目を背けていらっしゃるの!? どうして、いつまでも外の世界に目を向けませんの!?」

「!!」


 心を抉られる一言に、メルディアの眦からは涙が溢れていたが、ここで泣いてはいけないと、必死に瞬きを我慢してレイシェイラの発言を受け止めた。


 ところが、その次に発せられた言葉が、メルディアの今にも折れそうになっていた心情に留めを刺す。


「メルディア・ベルンハルト、ユージィン・ザンの事しか見えていないあなたは、一生結婚なんて出来ないし、幸せにもなれませんわ!!」

「!?」

「――大嫌い。分からず屋なあなたなんか、大っ嫌い!!」


 ……ああ、これは、夢かもしれない。


 そう思って、メルディアは瞼を閉じたが、頬を伝う熱いものが、これは現実だと無残にも告げるだけであった。


 そんな様子を見たレイシェイラは、ハッとなって我に返る。


 何てことを言ってしまったのだという後悔と、今すぐにでも心にも無い事だと言って駆け寄りたい気持ちが押し寄せていた。


 けれど、何か切っ掛けがなければ人は変わらない。中には絶対に変わらない人も居るが、可能性があるのなら、変わって欲しいと、そう願っていた。


 レイシェイラは、そのままメルディアの前から去って行く。


 庭園に残されたメルディアは、力なくその場にしゃがみ込んで、嗚咽を噛み殺しながら、肩を震わせていた。


 ◇◇◇


 一人、庭園を歩いていたレイシェイラは、早足からどんどんと速度が上がり、ほぼ、全力疾走、という足取りで帰り道を横切っていた。


 踵の高い靴なので、足先は悲鳴を上げているが、心の痛みに比べたらなんてことも無かった。


 もう、メルディアとは会えないだろうと、そんな風に考えていた。


 レイシェイラの一言で変わったら、それは嬉しい事だ。

 だが、変わらなかったら、心の痛みは深い絶望に変わる。


 後日、それを確認する強さは、レイシェイラには無かった。


 だから、ここでお別れだと、そう思っていた。


 迷路のような植物の壁を避けながら駆け抜け、最後の角を曲がろうとした瞬間に、同時に曲がって来た人物と衝突をしてしまう。


 地面にその身を投げ出されそうになったが、ぶつかった人物が腰を支えて助けてくれた。


「――あ、ありがと、う」


 顔を上げてお礼の言葉を言い掛けて、その人物が見知った者であった為に、少しの間言葉を失ってしまった。


「――ああ、良かった、会えて」

「!?」


 レイシェイラを探していたと呟く青年は、二度と会わないと啖呵を切った相手であった。


「お、お放しになって!! わたくしは、あなたになんか会いたくありませんでしたわ!!」


 相手の胸板をどんどんと叩くが、がっしりと腰に回された腕からの解放は叶わない。


「少し、お話をしましょう」

「イヤ、嫌ッ!! ひ、人を、呼びます。ここには、たくさんの騎士がおりますのよ!! 叫び声をあげれば、すぐにやって、来ますわ!!」

「その時は騎士を買収します」

「最低!!」


 男は問答無用でレイシェイラを抱きかかえて歩き出す。


「きゃあ!! い、一体、なにを」


 突然の行動に驚いて、うまく騎士を呼ぶ声すら出てこない。


 そんな風にしていると、庭にあった温室へ連れ込まれてしまった。


 温室の中はじんわりと体に染み入るように温かい。

 季節外れの花が美しく咲き乱れ、鋏を持って作業をしていた庭師が入って二人を歓迎するかのように、帽子を取って会釈をしていた。

 温室にも各所に角灯が置かれ、中は明るい。火の光に照らされた植物は、昼間に見るものとは違う魅力があった。


 レイシェイラは温室の中心部にある木製の長椅子の上に下された。

 そして、ぎゅっと握り締めていた手を男は裏返し、指先を一本一本優しく解くと、手の平に銀紙で包まれた小さな四角いショコラを一粒置いた。


「……」

「甘い物を食べると、心が落ち着きます」


 レイシェイラは空腹を感じていたので、銀紙を開いてショコラを口にする。

 決して、ささくれ立った心を男に指摘されたからではない、と言い聞かせながら。


 ショコラを食べるのを確認すれば、男も机を挟んだ向こう側にある、一人掛けの椅子に座る。


 それから、ショコラを食べながら涙を流し始めたレイシェイラを見ない振りをしつつ、長い沈黙の時間を過ごした。


 ◇◇◇


「――わたくし、メルディア様に、酷い言葉を浴びせてしまいましたの」


 落ち着きを取り戻したレイシェイラは、懺悔をするかのように、ポツリ、ポツリと話を始める。

 目の前に座る男は、珍しく真面目な顔で、相槌を打つことなく、黙って話に耳を傾けていた。


「メルディア様は、あなたとは一生結ばれない。だから、新しい恋を知って欲しい、そう、思って」


 メルディアとユージィンは母親違いの兄妹で、恋は実らない。だから諦めろ、と言えたらどんなに良かったか、とレイシェイラは思う。

 その一方で、メルディアにはその事実を受け止める強さは無いだろうな、とも感じていた。

 それが原因で心身喪失状態にでもなれば、目も当てられない。


「メルディア様の心が幼いのは、子供の頃の楽しかった思い出の中で時間が止まっているからと、そんな心にもない事を」


 メルディアの見た目に反する無邪気さは、愛すべき点だとレイシェイラは思っていた。


「わたくしは、メルディア様のことが、大好き、ですのに、大嫌いって、一生結婚も出来なければ、幸せにもなれないって、酷い、こと、を」


 それから先は言葉にならない。


 顔を両手で覆い、止まらない涙を呪う。


 そこからまた、しばらくの沈黙。


 レイシェイラが落ち着いた頃、その沈黙を男の方が破る。


「私は、違うと思っています」

「?」

「メルディアの心の中の時計は、十五年前に動き出したのです」

「……ユージィン・ザンと出会った事によって?」

「ええ」


 メルディアが生まれた二年後に騎士学校の話が持ち上がっていた。その為両親は多忙を極め、兄であるジルヴィオも学士院に通っていた為に、使用人と過ごす時間が長くなる。


 父と母はメルディアとの時間をなるべく毎日作って過ごしたが、それは夜に限られていたので、寝顔を見るだけの日も多かったのだ。


 そんな風に育てられるうちに、メルディアは一人遊びが上手になっていた。

 他の家の子供には心を開かず、家族に甘える方法も知らずに七年間を過ごす。


 そして、ユージィンと出会った。


 ユージィンはメルディアの寂しい心を温かいもので満たし、誰かに甘えるという感情を教えてくれた。


「かの青年と妹が出会ってから十五年。精神的には十五歳のメルディアと、十八歳のユージィン、と思っていれば、二人の関係に何の不思議もありません」

「……」


 メルディアの悲しい幼少時代を聞き、ユージィンが居て良かったと、心からそう思った。

 それに、メルディアが少女のような言動や行動をする理由も分かり、すっきりとした気分になる。


 ただ、男の言動の中に、気になる点があって口にする。


「ねえ、あなた、十八歳とか嘘よね?」

「はい。私は二十九になります。もうすぐ三十の誕生日が」

「……? ユージィン・ザンは十八だと?」

「ええ。間違いありません」

「お、お待ちになって!! それでは、あ、あなたは誰、ですの!?」


 レイシェイラは立ち上がって、呆然と謎の男から後退って距離を取った。

 少しでも冷静になれば、相手が誰だというのも分かるが、今日一日の様々な出来事が思考回路を狂わせていたのだ。


 そんなレイシェイラを見つめながら、男はいつもの余裕たっぷりの笑顔を浮かべ、自己紹介をする。


「私は、ジルヴィオ・ベルンハルト、と申します」

「は!?」

「ですから、メルディアの兄である……」

「何を、仰って!?」


 信じようとしないレイシェイラに、ジルヴィオは懐から懐中時計を取り出して見せる。


 レイシェイラはズンズンと近付いて、確認をした。


 それは、表面にベルンハルト商会の商印が描かれた品で、裏面には持ち主の名前が彫られているというものだった。


 見せられた懐中時計には、【ジルヴィオ・ベルンハルト】という名前が刻まれている。


「これで、信じてくれます……おっと!!」


 言葉を言い終えないうちにレイシェイラは、肩肘をついて優雅に一人掛けの椅子に腰掛けるジルヴィオの左右の腿の間に膝を付き、胸倉を力いっぱい掴んで詰め寄る。


「あ、あなた、わたくしを騙しましたのね!!」

「おやおや。騙したなんて人聞きの悪い。先に勘違いをしたのはレイの方ですよ」

「お黙りなさい、この、極悪人!!」


 レイシェイラはギリギリとジルヴィオの礼服のタイを締めるが、少女の細腕では相手を苦しめることは難しかった。


「ユージィン・ザンは、他に居るってことですの!?」

「ええ。うちで働いていた、黒髪の大人しそうな青年です。見かけたことありませんでしたか?」

「!!」


 一度だけ、ベルンハルト家に来たレイシェイラを出迎えた異国風の使用人。あれが本物のユージィンだったのかと、レイシェイラは悔しさで奥歯を噛み締める。


 まさか、メルディアが依存しきっている男が年下の使用人だとは思いもしなかったのだ。


 自らの想像力の貧困さに、羞恥を覚える。


「どうして、人違いをした日に訂正をなさらなかったの?」

「それは、妹に近付く人間を見極めたかったからですよ。なんせ、初めてのお友達候補様でしたから、こちらも慎重になってしまいました。」

「……」

「騙していた事は、申し訳なく思っています」

「……」


 今回はどちらの行動も罪深いもので、レイシェイラが一方的に責めるのはお門違いだと考えていた。


 だが、ジルヴィオの嘘が切っ掛けでメルディアに暴言を吐いてしまった事は事実。

 再び怒りが込み上げて来た。


「わたくしは、あなたのせいでお友達を失いましたわ!!」

「メルディアのことは大丈夫ですよ。案外打たれ強い娘なので」

「そんなこと、ありませんわ!!」


 今になって、寒い中にメルディアを取り残して来たことを思い出す。


「メルディアなら、うちの使用人に回収するように頼んであります」

「そ、そうですの」

「それに」

「?」

「メルディアにも発破をかけようとしていた所でした。レイがまさかしてくれるなんて思ってもいませんでしたが」

「は!?」

「あの二人、見ていてじれったいと思っていたのです」


 この時になって、自分もユージィンも、メルディアでさえジルヴィオの手の平で踊らされていた事に気が付く。


「やっぱり、ゆ、許せません!!」

「どうすれば、ご慈悲を頂けるのでしょうか?」

「天罰ですわ!!」


 再びギリギリとタイを締め上げるが、ジルヴィオは平気な顔をしていた。


「ああ、そうそう、天罰と言えば、大変なことがありまして」

「?」


 先日、料亭に忘れて行ったレイシェイラの天罰こと乗馬鞭を拾ったジルヴィオは、次に会った時に返そうと、仕事用の鞄の中に入れていたのだ。


「それがまあ、運の悪い事に、鞄の中の書類を勝手に取り出そうとしていた父親に見つかってしまい」

「!?」


 勿論思いがけない品を発見したジルヴィオの父親・アルフォンソは大激怒。しかもその仕事用の鞄はアルフォンソが誕生日に贈った品だったので、怒りは倍増だったと語る。


「何の為に鞄に忍ばせていたのだと、鞭を持った父親に問い詰められていたのですが、レイの名前を出す訳にも行かなかったので、苦し紛れに【趣味の品】だと答えたら、余計に怒られてしまって」

「……」


 一体どういう場面で使うのだと怒りを爆発させたアルフォンソは、勢いで「最近真面目になったと思えば気にせいであったか!! お、お前なんぞ勘当にしてやる!!」と叫んだ。


 幸い騒ぎを聞きつけた母と妹に助けられ、事なきを得たと話す。


「お陰さまで、私は家族に鞭打ちが趣味の危ない男だと認識され、毎日冷たい視線を浴びています」

「それは、大変、でしたわね」


 まさか自分の持ち出した鞭が大変な事件を巻き起こしているとは思いもせずに、視線をジルヴィオから逸らして遠くを眺める。


「勿論、責任を取って頂けますよね?」

「え、ええ。今度、お宅に伺って、それはわたくしの、趣味の、品だと、言いますわ」

「……」


 家族から冷たくされているジルヴィオを不憫に思いながら、強く掴んでいたタイから手を放し、自身も離れようとしたが、今度は腰に腕を回されて、拘束されてしまった。


「な、何をなさいますの!? 離して……!! わたくしは、あなたのことが、きら」

「日々、あれだけ熱心に口説いてくれたのに、今更ながら私の事を嫌いだと言うのでしょうか?」

「!?」


 レイシェイラは、ユージィンだと思っている相手の模範的な紳士として、何度もジルヴィオの話をした。

 素敵な人だと、理想的な殿方だと、本人とは知らずに語っていたのだ。


「あ、あなたは、信用なり、ません。複数の女性と、関係を、持っていたり」

「それはレイに止めろと言われたので、関係はとっくの昔に切れています」

「わたくしを、ずっと、騙していましたし」

「嫌われたくなかったのです。ずっと、心が痛んでおりました」

「う、嘘ですわ!!」


 レイシェイラは密着しているのが恥かしくなって、体を両手で押すがビクともしない。


「もしも、私がレイの意向に沿わない行動をすれば、天罰でもなんでもすればいいのです。――勿論、裏切るような真似はしないと誓いますが」

「何を、仰っておりますの!? あなたと、いくつ年が離れていると!」

「この国では、女性は十五から二十まで、男は二十五から三十までが結婚適齢期です。私達程の歳の差夫婦など、珍しくもなんともない」

「!?」


 何を言っても正論で返される。

 もう勝てないと思ったレイシェイラは、ぐったりとその寄せられた相手の肩に顔を乗せて、諦めの体勢を取った。


 ◇◇◇


 それから一年後に、レイシェイラは結婚する事となる。


 貴族ではない家に嫁ぐ事に対して、反対されるかと思いきや、笑顔で両親から見送られてしまった。


 後から判明した事実であったが、侯爵家の娘だったレイシェイラと結婚をする為に、様々な方面で暗躍及び用意周到な仕事を、夫となる男はしていたのだ。


 その話を聞いたレイシェイラは、ただただ呆れるしかなかったという。


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