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二十一話 叩扉

 時刻は日も沈むような時間帯。

 出掛ける用意をしたレイシェイラは、急ぎ足で廊下を歩いていた。


 先ほどまで伯母とお茶を飲みながら世間話をしていたのだが、その途中で素晴らしい話を聞いたのだ。


 それは、人見知りで臆病、泣き虫なメルディアが夜会の主催者であるアウグスト伯爵夫人への挨拶をこなし、更にはその息子と踊っていたと。


 レイシェイラはその話を伯母から聞いた時、涙が出そうな位感動をしてしまった。夜会会場へ言っただけで涙目になっていた娘が、目を見張る程の成長振りだと心の中で賞賛を送る。


 だが、それだけでは物足りなかったレイシェイラは、メルディアの家に訪問して直接話をしたいと思い、このような夕暮れ時ではあったが、暗くならないうちに帰宅できるようにと考えながら急いで行動をしていた。


 しかしながら、こんな時に限って、常日頃から絡まれたくない相手に見つかってしまうのである。


「――あら、レイシェイラじゃな~い?」

「……ルイベール、お姉、様」


 廊下の曲がり角で鉢合わせてしまったのは、レイシェイラの一つ年上の姉だ。

 姉と言っても血の繋がりは半分という、妾の子だった。


 ルイベールは事あるごとに年の近い正妻の子の一人であるレイシェイラを妬み、嫌らしく絡んで来るのだ。


「まあまあ、こんな時間からお出かけなんて! やだわ、はしたない。お帰りは明日の朝ですの~?」

「違いますわ!」

「可笑しいわねえ。最近はいつも朝に出掛けるのにい」

「……」


 朝のお出かけとはユージィンの商売を手伝う為の外出であった。昼過ぎにはいつも帰って来ているし、今まで伯母の家にも頻繁に遊びに行っていたので不審に思われていないだろうと、すっかり安心をしていたのだ。


「私なんて学士院に行ってお勉強や礼儀作法で毎日忙しいのに、あなたは正妻の子だから毎日遊んでばかり。羨ましい限りだわ~」

「……生活が違うのは、わたくしとあなた、与えられた役目が違うからですわ」

「お見合いを何件も蹴って、暇があれば男遊びを? いいわねえ、何の苦労も無しにチヤホヤして貰えて。私はまだ社交界にも出ていないというのにい」

「……」


 スノーム侯爵家の妾腹として生まれた子供は全員社交界へ出られる訳ではない。幼い頃より学士院へ通わされ、優秀な者だけが当主である父親から許されるのだ。

 社交界へ出た妾子は、侯爵家の令嬢として結婚相手を選べる立場にあるが、そうでない者は強制的な結婚を言い渡されるのだ。


 気が強くて傲慢なルイベールは社交界へ出せない、という話を一年前に聞いて胸がスッとした気分になったのを、レイシェイラは思い出す。


 だが、今となってはその話も笑えないものだと、自覚している。以前とは違い、レイシェイラは根本的な考え方が様変わりしていたのだ。それはベルンハルト家で出会った人物達の影響であることも分かっていた。


「ねえ、どんな男なの? 背が高い? お金持ち?」

「お退きになって。急いでいますの」

「たくさん貢いで貰ったでしょう? 少しだけ見せて」

「……」


 謎の多い宝石商の男からは何も貰っていない。いつも商談が終わったら庶民が行くような安っぽい喫茶店に連れて行かれて、初めて見るお菓子を勝手に驕られるだけだ。


 冷たくて甘い氷菓に果物が載ったパルフェ。

 クラペットという、発酵させた甘い生地を薄く焼いたモチモチのケーキ。

 生クリームが山盛りになっているショコラ風の飲み物に、シュワシュワとした透明の甘い汁の中に数種類の果物や寒天固めなどが入ったコンポート。


 その全てが初めて食べる甘味で、見た目も酷い物が多かった。が、勇気を出して食べてみればどれも素晴らしく美味しいのだ。


 かの宝石商は平民で、お金持ちでもなんでもない。

 毎回格好はきちんとしているが、それにどれだけのお金が掛かっているのかは、男性物なので分からなかった。


「ねえ、レイシェイラったら!!」

「!!」


 乱暴に肩を揺さぶられて、レイシェイラは思考の奥底から帰って来る。


「お放しになって頂けます? 今からお友達の所に行きますので」


 手にしていた扇でルイベールの手の甲を強く叩き、相手が口を開く前に先を急ぐ。


 ◇◇◇


 メルディアとの約束は取り付けていなかったが、夕方ならいつ来ても大丈夫だと言っていたので、何の連絡も無しに訪問をする。


 途中で雑貨屋に寄り、うさぎの刺繍の入ったハンカチを購入した。昨日の夜会で頑張ったご褒美だった。


 喜んでくれるかなどと考えながらベルンハルト家の外門を抜けて玄関を通れば、無表情の使用人に出迎えられる。


 恭しく頭を下げて出迎えるのは、背の高い黒髪の青年。


(この御方、異国の方ですわ)


 メルディアの青味が掛かった黒髪とは違い、使用人の青年は完全な漆黒の髪をしている。


 年頃はメルディアと同じ位かとじっくり観察をしていたが、失礼に当たると気付き、異国風の使用人から目を離す。


 そんな視線など一切気にしない物静かな印象のある使用人は、メルディアを訪ねて来たレイシェイラに「本日、お嬢様は臥せっております」と感情の乗らない声で報告をする。


「でしたら、顔を少しだけ見て帰りますわ」

「畏まりました。お嬢様にもそのように」

「いえ、報告は結構。このまま向かいます」


 メルディアの部屋の場所を把握しているレイシェイラは、使用人の制止を聞かずにどんどんと勝手知ったるベルンハルト邸を進んで行く。そんなレイシェイラを止める使用人は一人も居なかった。


 メルディアの部屋の扉を勝手に開き、うさぎのぬいぐるみだらけの私室を通り抜け、壁一枚で隔たれた寝室へと入る。


 薄暗い寝室には、確実に人の気配がある。目を凝らしてみれば、寝台の上には毛布が膨らんで丸くなっている物体が乗っていた。


「メルディア様?」


 突然声を掛けられて、毛布の塊がビクリと大きな動きを見せる。


「ね、ねえ、何をなさっているの?」

「……」

「わたくし、昨日の夜会のお話を聞きに来ましたのよ?」

「!!」


 レイシェイラの言葉を聞いたメルディアは、ぶるぶると毛布ごと小刻みに揺れ動きながら、嗚咽を漏らし始めた。


「な!? どうか、なさいましたの? わたくし、何か酷い事を言ったのでしょうか?」


 毛布の丸い塊メルディアは、否定するかのように横に揺れていた。


 メルディアはグズグズと泣くばかりで、レイシェイラが何を聞いても「ううう」とくぐもった声を漏らすばかりだった。


 カーテンの隙間から差し込んでいた光は、いつの間にか無くなって闇となり、随分と長い時間泣き続けるメルディアを眺めていたのだと気付く。


 レイシェイラは、震える毛布に手を伸ばし、そっと背中であろう部位に触れる。


 柔らかな毛布に包まれた背中に接触した瞬間、驚いたからか大きく揺れ動いたが、それ以上拒否するかのような振動は伝わってこなかった。

 大人しくしているのが分かると、その背中を、何回も何回も優しく撫でる。


 そんなことを繰り返しているうちに、メルディアの嗚咽は次第に聞こえなくなっていた。


 それから数分後。

 やっとの事で落ち着きを取り戻したメルディアは、毛布から顔を出した。


 ずっと泣いていたからか、瞼が腫れて、誰だか分からない状態にあった。更に、目は半分も開ききっておらず、白目は真っ赤になっているという痛々しい姿を見せる。おまけに表情もすこぶる暗い。


「あ、あの、私」

「無理をなさらないで。今日じゃなくても、話せる時でよろしくってよ」

「……」


 口を開こうとしたら、うっかり涙ぐんでしまったメルディアをレイシェイラは制止する。


「め、め、迷惑、じゃ、なか、たら、聞いて、ほ、欲しい、わ」


 震える声で言いきったメルディアは、いつまで経っても枯れない涙を浮かばせる。


 そんな様子に気付いたレイシェイラは、買ってきたハンカチの封を開き、メルディアの眦に浮かんでいる涙を吸い取らせた。そして、それをメルディアの手の中に押し込む。


「こ、これ、は?」

「あなたへの贈り物でしたの。昨日、頑張った、ご褒美に、って」

「!!」


 何に対して悲しんでいるのかは分からなかったが、昨日メルディアがなけなしの勇気を振り絞って頑張っていたのは事実な筈だと思い、悩み抜いて選んだ品を渡した。


 そんなレイシェイラの言葉に感極まったメルディアは、再び大粒の涙を流す事となる。


「まあ、あなた」

「ありが、と、ありがと、う。レイシェ、ラさま」

「ちょっと、それは新品ですので、そんなに涙は吸い取りませんのよ!!」


 糊の効いたハンカチで涙を拭い続けるメルディアに、レイシェイラは慌てて注意をした。


 そして、メルディアからゆっくりと聞いた話は、とんでもないものだった。


「ありえませんわ!!」

「で、でも、私は、悪い、の」

「いいえ、そんな訳ありません」

「まだ、完璧では無かったの、に、褒めて、くれと、おねだりをした、私が、悪い、から」

「昨日の振る舞いは、とても立派で、褒めても問題のない結果でしたのに」


 メルディアへ課題を出した本人が努力を認めないなんて許せないと、レイシェイラは激しく憤る。


「でも、でも、大丈夫」

「え?」


 ふと、メルディアの顔を見てみれば、いつの間にか微かな笑みを浮かべていた。


「レイシェイラ様が、褒めて、くれたから。素敵な、ご褒美を、くれたから、もう、大丈夫」

「そんな、わたくしは、何も」

「いいえ。元気を、貰ったわ」


 メルディアは、レイシェイラの手をぎゅっと握ってお礼を言う。


 予想外の展開に、礼を言わるのに慣れていないレイシェイラの目は泳いでいる。なんだか落ち着かないような気分でもあったが、悪い感情ではないと、そう思っていた。


 ◇◇◇


 それから少しだけ会話をして、お暇する事となる。


 夕食に誘われたが、早く帰らなければまた変な言いがかりを吹っかけられると思い、今日の所はお断りをさせて貰った。


 そして、メルディアと別れて一人になれば、ふつふつと怒りが込み上げてくる。


(自分から完璧な令嬢になれって言ったのに、それを認めないなんて、なんて酷い男!!)


 ユージィンは、想像していた人物像とはかけ離れていた。会う回数が増える度に、その違和感はだんだんと強くなっていたが、そんな疑問も吹っ飛ぶような話を聞いて、今回の件は一言物申さねば気がすまないと荒い意気込みを決め込む。


 ユージィン・ザンは正直に言えば、メルディアが好きになるのも納得出来る程の紳士的な男性であった。


 眉を顰めるような商売もしていたが、レイシェイラが注意をすれば止めてくれたのだ。

 数日前にあった夜会でも、ユージィンと付き合いのあったご婦人は、謎の愛人と別れたようだと囁かれていたのを、偶然耳にしていた。


 このまま真面目人間になって、メルディアと結婚してくれたら、と望んでいたのに、そう考えると胸が痛み出すようになる事に気が付く。

 それは、今回の件が原因だと、そう思い込んでいた。


(――今まで、紳士の振りをしていましたのね!! 絶対に、許せません!!)


 こうして、レイシェイラの全てのモヤモヤと怒りの矛先は、ユージィン(※偽物)へと向けられた。


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