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二話 恭順

(……そろそろ起きて部屋から出なきゃ、みんなに心配かけちゃう)


 いつまでも寝室でめそめそしていても仕方が無いと分かってはいるが、枕に顔を埋めたまま、体が動く事を拒否していた。


 起きなければならないが、起きたくは無い、そんな風に葛藤しつつ、寝台の上でゴロゴロしていると、寝室の扉の外から声が掛かる。


「お嬢様、お嬢様、少し宜しいでしょうか?」

「!!」


 心臓がドクリと跳ね上がる。

 扉の外からの声は、メルディアが一番逢いたい人物のものだった。


「鍵を開けて頂けますか?」


 メルディアは言われた通り鍵を開けようと、すっと起き上がる。そして、ご主人様に会いに行く忠犬のように扉の前まで走っていく。が、今の自分の状態を思い出して、その場で踏み止まった。


 ドレスは皺だらけ、顔は浮腫んでいて悲惨、化粧は剥がれている、髪の毛はボサボサ。このような状態で合えば、また呆れられてしまうと、またしても泣きたくなった。


「お嬢様、お嬢様!」

「……」

「メルディアお嬢様、ここを開けて下さい」

「!!」


 名前を呼ばれて再び胸が高鳴る。


(ユージィン!)


 扉の向こうに居るのは、ユージィン・ザンという、メルディアの父親の小間使いだ。

 この家に勤める執事の孫で、幼い頃から一緒に遊ぶ事も多かった。


 初めて会ったのはメルディアが七歳、ユージィンが四歳の時だった。

 人見知りが激しく、友達が居なかった娘を心配した父親が、話し相手をして欲しいと執事に頼んで連れていたのがユージィンだったのだ。


 互いに人見知りではあったものの、本が好きという共通の趣味から、二人の距離はすぐに縮まっていった。


 出会った当初のユージィンは文字が読めなかったので、メルディアが何度も読み聞かせをしたという記憶は今でも鮮明に覚えている。


 これまでの人生の中で、本当のメルディアを曝け出せるのは、ユージィンの前だけだった。

 優しい家族も、気の利く使用人達も、心から愛していたが、どこか遠慮をしている所があるのだ。


 三歳年下の友達への親愛が、いつ異性への愛情へとなっていたのかは、メルディアにも分からない。


 その愛は行き場のない物だという事も理解している。


 自分はベルンハルト商会の娘で、ユージィンは普通の家の生まれだ。


 それにユージィンは、城で文官をすることを夢見ていた。

 その話を聞きながら、メルディアは酷く落胆する事となる。


 メルディアと結婚をする者は、ベルンハルト商会の核となる人物でなければならないからだ。


 いつまでも一緒に居たいという自分の夢よりも、ユージィンの夢が叶うことをメルディアは願った。


 初めての恋は、決して実らないと本に書いてあったことを思い出す。


 きっとこの恋も、泡沫のように儚く消えてなくなるのだろうと思っていた。


「メル!! 早く開けて下さい!!」

「は、はい!!」


 ユージィンの怒号のような叫びで、物思いに耽っている状態から我に返る。そして、命じられた通りに寝室の鍵を捻って回し、扉を開いた。


「……」

「……」


 いかにも泣いていました、というメルディアを見て、ユージィンは呆れた顔を見せている。


「何があったかは、聞くまでもありませんね」

「……」


 背が、いつの間にか抜かれてしまい、目線が見下ろされる形になっていたことに気が付く。


 そう言えばこうやって向かい合って話すことは久しぶりだと、メルディアは思った。


 ユージィン・ザンは異国人の父親を持つという、混血の青年だ。

 先月で十八歳になったユージィンは、学士院に通っている学生で、授業が終わった後、週に三日ほどベルンハルト家で働いている。


 漆黒の髪はメルディアのそれよりも黒い。

 幼い頃、その髪色のお陰で親近感が湧き、仲良くなれる事が出来たのだ。


 ユージィンは、ぱっと見た感じはハイデアデルン人と変わらないが、よく見れば異国の血が混じっている事が分かる、不思議な雰囲気があった。


「お嬢様?」

「!!」

「どこか具合でも悪いのですか?」

「い、いいえ、大丈夫」


 考え事をしている内に意識が離れていたが、名前を呼ばれてハッとする。


 メル、と幼い頃のように呼ばれたのは、何年ぶりだろうと考える。

 ここで働くようになってからはずっと「お嬢様」だったのだ。

 けれど、呼んだのは一度きりで、またいつものお嬢様に戻ってしまった。


「また誰かに悪口を言われたのでしょうか?」

「……」


 ユージィンに事実を指摘されたメルディアは、胸をぎゅっと掴まれたような苦しさを思い出してしまった。


 夜会の会場に入った途端に囁かれたのは「成金商会の娘だ!」という心無いものだった。


 ベルンハルト商会の評判は以前よりも良くなったが、順調な経営を妬む者や、悪い噂を信じてしまう何も知らない者はどこにでも居た。


 働き者の父親を誇りに思っているし、ベルンハルト商会は正しい経営体制を執っていることも知っている。

 何も気に病むことは無いのに、浴びせられた言葉を跳ね返す強さは彼女には無かったのだ。


「ベルンハルト商会の悪評を噂する者は無視しても構いません。少しでも世間を知ろうとすれば、あなたのお父様がなさっている事は見えてくる筈です」


 ベルンハルト商会は様々な事業での援助を行っているが、渦中の人物であるメルディアの父親が進んで公表しようとしていないのだ。


 最近は騎士学校の運営にも関わっている。

 騎士学校とは幼年期の少年少女を集め、武術などの指導を行い、将来は国を守る騎士に、という事を目的とした学校だ。

 メルディアの母親は元騎士で、現在はこの学校で講師を務めている。


 校舎の建設はほとんどがベルンハルト商会の援助で造られており、中庭には学校長が礼を認めた石碑が建てられているが、それの存在を知る者は少ない。


 現在ベルンハルト商会を悪く言う者達は、自分が知的怠慢をしているのだと言いふらしているようなものだとユージィンは言う。


「胸を張るのです」

「!!」

「今のように、何かを言われて俯くようでは、相手が調子に乗ってしまう。更には付け入る隙にもなります」

「……」


 メルディアは、特別甘やかされて育った訳ではない。

 彼女の臆病さや、弱い心は、育った環境と関係無く、持って生まれたものだった。


 ユージィンも、普段からこのような態度を取ることはない。

 人目の無い、気心の知れた二人きりの空間だからこそ、厳しい言葉でメルディアを奮い立たせようとしているのだった。


「あなたには、美しく、気高いお嬢様で居て頂きたい」

「……ユ、ユージィンが、そう、望むのなら」

「……」


 メルディアにとって、ユージィンの言葉は絶対で、彼女の中の法律と言っても過言では無い。


 世間知らずな娘の、まっすぐに年下の男へと向けられたものは、確かな信頼か、過剰な妄信か。


 すぐ手の届く位置に居るメルディアの、熱い視線からユージィンは目を逸らす。


「……」


 その信仰とも呼べる盲目的な愛を、ユージィンは見て見ぬ振りをしていた。


 それが自分達の為だと、自らに言い聞かせながら。


 ◇◇◇


 先日のユージィンとの会話の中で、メルディアは希望を見出だしていた。


 美しく、気高い精神を持つ人になれば、ユージィンが認めてくれると、更には喜んでくれるのではないかと。


 だが、そのような人物になれたからと言って、二人の距離が縮まる訳ではないが、自分の行いを見て、ユージィンが安心してくれたら嬉しいと、ただ、そう思っていた。


 そうなる為には何をすべきかと、父親の執務室で頭を悩ませる。


 メルディアは十五の時からベルンハルト商会の経理職の一部を担っていた。


 勿論、引き篭り気味のメルディアが商会舎へ行ってせっせと仕事をする訳ではない。兄が持ってきた書類を父親が居ない執務室へと持ち込み、地味に捌いているというのが現状だ。


 その仕事も一息ついたので、昨日ユージィンに言われた、きちんとしたお嬢様になる為の計画を実行に移すための手順を考えていた。


(まずは、知らない人との交流に慣れないと)


 完璧な貴婦人の一例として、社交性に富む、というものがある。その築き上げた人脈は、時として家族を助ける場合もあるという。


(……でも、いきなり茶会や夜会は無理だわ)


 ベルンハルト家には毎日のように茶会や夜会への招待状が届く。その中には結婚適齢期を少し過ぎたメルディア宛の物も多い。


(でも、母上と一緒なら)


 そんな風に考えて、すぐにかぶりを振る。


(だ、駄目、自分で何とかしなきゃいけないわ。家族を頼ってはいつまでも成長出来ないもの)


 上流階級の娘の二十歳と言えば、既に結婚をしていて、子供が何人か居ても可笑しくない年齢だ。


 家族離れすら出来ていない自らを、メルディアは心の中で罵る。


 こうして頭の中が沸騰する程考えた結果、メルディアはベルンハルト家が支援をする孤児院へ行く事に決めた。


 ◇◇◇


 現在孤児院への訪問を担当しているのはメルディアの母親だ。

 騎士学校の講師をしているベルンハルト夫人は、生徒の地域貢献の実習として、孤児院への訪問を未来の騎士候補と共に行っている。


 丁度今週は別の実習があって行けないと言っていたので、都合がいいと思い、孤児院への訪問をすると名乗り出たのだった。


 母親は本当に大丈夫かと心配をしていたが、ついつい強がってしまい、問題は無いと答えてしまった。


 前の日に使用人と作った焼き菓子を籠の中に入れ、出かける準備をする。


 今日は地味な黄なり色のドレスを纏い、髪の毛は後頭部で纏めて、紺色のリボンの付いた髪飾りで留めた。


 メルディアは朝から落ち着かず、頭の中は不安でいっぱいだった。


 正直に言えば子供が苦手だった。


 大人になってからは接する機会も無く、八歳年下の従兄弟が居るが滅多に会わないのだ。

 ユージィンにも七歳の妹が居て、何度か屋敷に遊びに来ていたようだが、いずれもメルディアが忙しい時間帯に来ていたようで、会う機会も無かった。


(大丈夫、きっと、大丈夫よ)


 自分で自分を励ましながら、孤児院へと向かう。


「――いってらっしゃいませ、お嬢様」

「ええ、家のことはお願いね」

「畏まりました」


 強張った表情のメルディアを送り出していた、今回の事情を知らない使用人は、一体何の戦いに挑むのだと、一同揃って頭を捻っていた。


 ガタゴトと順調に馬車が進む中、メルディアの指先は焼き菓子の入った籠を握り締め過ぎて真っ赤になっている。

 心臓も先ほどからドクドクとうるさく鼓動を鳴らしていた。


(今日は、子供達にお菓子を配って、お話を)


 母親いわく、子供達は夜会に参加をしているお姫様や騎士の話を聞くのが好きだと言っていた。


(お姫様、前の夜会で目立っていた、金髪で薄紅のドレスを着ていた子、堂々としていて、綺麗だったわ。騎士……は、会場に居たかしら?)


 このようにして、話すことを頭の中で必死に整理しながら過ごす。


 馬車が孤児院へ到着をすると、塀の中から子供達が楽しそうに遊ぶ声が聞こえた。

 それを聞いて、メルディアの緊張感も高まる。


 馬車から降りると、馬の嘶きを聞いて出て来た院長が挨拶をする為に近づいてくる。


「ああ、初めましてですね。ようこそお出で頂きました。わたくしはここの院長を務めております、オルガ・イートンといいます」

「……メルディア・ベルンハルトと申します」


 互いに名前を名乗り合い、孤児院の中へと案内をされる。


「みなさん、ベルンハルト家のメルディア様がいらっしゃいましたよ」


 院長の紹介を聞いて、外で遊んでいた子供達の視線がメルディアにと集中する。


 子供達の数は十五名程で、五歳~七歳位の小さな者ばかりだった。

 メルディアは何と発言していいのか分からずに、言葉を詰まらせてしまう。


 長い沈黙の中で、時間が過ぎるごとに強張っていく顔。

 極度の緊張で口の端が震え出した頃になれば、その表情は恐ろしい凶相へと変わっていた。


「ふ、ふえええええん!!」

「!?」


 近くに居た子供が泣き出すのと同時に、大粒の強い雨が全身を叩くように降り出す。


 子供達は走って中へと入り、メルディアも室内へ入るように勧められたが、日を改めますと言い捨てて、焼き菓子の籠を院長へ押し付けると、馬車の中へと逃げるように走って行った。


 ◇◇◇


(――私、私、本当に、何も出来ないの!?)


 メルディアは馬車の中で、涙を流しながら自らの社交性の無さを嘆いた。


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