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十九話 悋気

「――い、嫌!」

「え?」


 歩き出したら突然肩を引き寄せられので、メルディアは近くにあった男の胸を押し返す。


 距離を取って見つめあう男女の間には、気まずい沈黙が流れていた。


(――また、間違ってしまったわ) 


 酔いでふわふわとした頭の中が一気に冷静さを取り戻し、ミゲル・アウグストは足取りの怪しいメルディアを支えてくれたのだと気付く。


 いつもだったらここで謝罪の言葉を早口で言って相手の返事を聞かないうちに走り去って逃げるという行動に出ていたが、メルディアの脳裏にはレイシェイラのとある発言が浮かんでいた。


『――謝ればなんでも許して貰えるという甘い考えは捨てるべきですわ!!』


 レイシェイラの力強い言葉が、その場に踏み止まらせる気力を与える。


 勿論、謝罪は大事だ。

 だが、その前にどうしてこのような行動に出たか説明も必要な場合もある。


 理由も無い状態で闇雲に謝っても、相手は釈然としないだろう。何か問題が起きた時は、自分に原因があった場合誠意を持って接しなければ不興を買い、印象の悪化にも繋がる。


 今までの悪い噂の原因は、今のような誤解が重なっているのでは、とメルディアは気付く。


 いきなり体を押し返されて呆然としているミゲルに、メルディアは勇気を出して話し掛けた。


「あ、あの、ごめんなさい」

「いえ……」

「私、は、その、こういうのに、慣れていなくて」

「え? それは、どういうことで?」

「恥かしいお話なのですが、今までの人生の中で家族やユー……、じゃなくて、使用人以外と密接な関係になった事が、なくて、びっくりして」

「ああ、そうでしたか」


 そういえば踊っている時も体が向こうから離れていくような、どこか妙な動きをする時があったな、とミゲルは思い出す。


 もしかして下心がバレたのでは!? と一人で内心怯えていたのでひっそりと安堵していた。


「昔から、人見知りというか、人間不信というか、なんと言っていいのか、分かりませんが、他人が怖いという情けない性分が、ありまして……先ほどの行為の他にも、し、失礼をしたのではと」

「いえいえ、そんな事はありません。とても楽しい時間を過ごしました」

「……良かった」


 メルディアはホッとしたからか強張っていた顔は解れ、変な方向に力の入っていた頬も緩む。


「本日は、ありがとうございました。後は一人で帰れま」

「お嬢様――!!」


 締めの挨拶をしている所に、付き添いの使用人が割って入って来た。

 壁に両手を付いて具合が悪そうにするメルディアを確認し、ジロリとミゲルを睨みつける。


「あら、お嬢様、お酒を沢山飲まれたのですね」

「ご、ごめんなさい。色々と、緊張をしていて」

「まあ、それで!」


 ほのかに酒の匂いがするメルディアの体を支えながら、使用人は呆れた声を上げている。

 ゆっくり歩き出そうと足先を踏み出したが、メルディアは突然苦しげかつ悩ましい声を発した。


「お嬢様!?」

「む、胸が、苦しくって」

「体がむくんで圧迫されているのでしょうね」

「ああ、それ、で」

「……お嬢様、危なかったです。色々な意味で」

「?」


 目を伏せながら恥かしそうにしているメルディアを、周囲から見えないように使用人の肩掛けを体に巻きつけ、顔は大きめのハンカチを被せて隠した。


 酒に酔ったお嬢様は目に毒だ。早く連れて帰らなければ、と使用人は考える。


「あ、あの」

「なにか!」


 去り行く使用人とメルディアを呼び止めるミゲルに、本日二回目の睨みを利かせていた。

 酒の力でいつも以上に蠱惑的な色香を漂わせるお嬢様に誰一人近付かせまいと、警戒心を全開にしながら返事をした。


「外は先ほどから初雪が降って、薄らと積もっています。よろしかったら家まで同行をいたしましょうか? 万が一の際に助ける事も出来るかと」

「ああ、それもそうですね」


 付き添い人兼使用人は、メルディアの頭二つ分身長が低かった。なので、雪の積もった地面を歩くのは困難を極める可能性があると思い、窓の外の景色を確認した後にミゲルの申し出をありがたく受け入れた。


 ◇◇◇


「まだ、お嬢様は帰って来ていないのですね」

「……はい」


 ユージィンは屋敷の外門を一望出来る窓の前で、メルディアの帰りを待っていた。


 ユージィンは使用人の待機部屋に入って来た、ベルンハルト家の執事であり祖父であるエドガルを振り返らずに生返事をしつつ、食い入るように外灯に照らされた門を眺めている。


 普段の夜会ならば既に帰宅を済ませていてもおかしくない時間帯だ。何か事件にでも巻き込まれたのではと、気が気では無かったのだ。


「もしかしたら、お嬢様は頑張られているのかもしれないですね」

「!!」


 メルディアが会場で上手く立ち回っている可能性は考えもしなかったと、ユージィンは頭にガツンと強い衝撃を受けたような感覚に陥る。


 普通の貴婦人のように主催者に挨拶を済ませ、誘われたら舞踏も優雅にこなす。見知らぬ相手とも当たり障りの無い話で盛り上がり、最後は家まで送って貰う。


「……ありえない」

「え?」

「――!! いえ、何でも」


 いつものメルディアだったら、会場に着いた途端に何をしていいのか分からずに涙目になり、見知らぬ紳士から踊りに誘われても雑に断ってしまう。そして、最後には状況に耐え切れなくなって泣きながら帰宅をする、というのがお決まりになっていた。


 それを改善しろと言ったのはユージィンだ。

 自分の手が掛からなくても大丈夫だという完璧なお嬢様になれば、心の中のグラグラと沸き立つような熱く暗い感情とも別れる事が出来るのだと、そう思っていたのだ。


 最近のメルディアは貴族の友達が出来た。以前よりも茶会などに積極的に参加をして、友達の影響なのか、少しだけ明るくもなった。


 もう、一ヶ月近くユージィンはメルディアと直接的に接していない。

 だが、お嬢様と使用人ではそれが普通なのだと無理に言い聞かせる。


 メルディアとの決別は三年前に自分自身で決めた事であったが、距離が離れる度に心が悲鳴を上げているようであった。


 どこかで、メルディアが貴婦人になる事など無理な話で、最終的には泣きついてくるのでは、と考えている所もあった。


 立派な貴婦人になって幸せな結婚をして欲しいと思うユージィンと、いつまでも子供のままで自分にだけ甘えて来て欲しいと思うユージィン。


 どちらが本当の自分なのか、本人にも分からない。


 相矛盾する二律背反を抱えた心は、混乱と共に思想が混ざり合って大きな陰を作り出す。


「どうかしましたか?」

「いいえ、何でも、ないのです」


 祖父に心配を掛けないと、平気な振りをして、メルディアの帰りを待った。


 ◇◇◇


 それから数分後にメルディアは帰宅をする。


 玄関で待ち構えていたユージィンは、扉が叩かれたので取っ手をゆっくりと引いて外の者を招き入れた。


「あ、どうも」

「……?」


 外から入ってきたのは見知らぬ二十代半ば程の青年で、何故かメルディアを横抱きにしていた。

 門の警備を通ってきている筈なので、不審な人物で無い事は確かだが、どうしてメルディアの意識が無いのかとユージィンは訝しげに青年を睨みつける。


「ああ、ベルンハルトさん、こちらの方はアウグスト伯爵家のミゲル様です。地面が凍っていたので、運んでもらいました。怪しい人じゃあないですよ。お嬢様はお酒を飲みすぎて眠っているだけです」

「そう、でしたか」


 後から入ってきた使用人に事情を聞いて、別におかしな事態ではないと納得をした。


 更に、よくよく見れば、メルディアの寝顔は穏やかではなく、ミゲル・アウグストの胸を手で押している体勢で居たので、何故か安心をしてしまう。


 そんな事に気が付いて、自らのイライラの原因を悟ったのだ。ユージィンは、わざわざ家まで送りに来ていた伯爵家の人間に嫉妬をしていたのだと。


「……お嬢様をこちらに」


 返事を聞く前にメルディアの体をミゲルの腕の中から引き寄せた。


「アウグスト様、ありがとうございました」

「いえ。無事に送り届ける事が出来て良かったです」

「……外は寒かったでしょう。お茶でも飲んで」

「まだ、夜会は続いておりますので、今日の所はおいとまをさせて頂きます」

「左様でしたか。引き止めてしまって、失礼を」

「とんでもない。お心遣いに感謝します」

「……」


 少し話しただけで、ミゲルが好青年である事が判明してしまった。その事実が、ユージィンのイライラを増長させていく。


「また後日、機会があれば」

「そのようにお伝えしておきます」

「はい。よろし、く……」


 メルディアに視線を移せば、先ほどのミゲルが抱き上げていた時と違い、安らかな表情で眠り、ぴったりとユージィンに密着をして安心しきったような姿を見せていた。


 先ほど自分が抱き上げていた時とは随分と違う姿に、ミゲルは苦笑するしかない。


「帰ります」


 ユージィンはしずしずと帰って行く伯爵家の若君を、メルディアを抱えている為軽い会釈だけで送り出した。


 扉が閉まれば、すぐに背後に佇んでいた使用人からの指示が飛んでくる。


「ベルンハルトさん、お嬢様をそのまま寝台に連れて行って貰えますか? 私は化粧落としとか寝間着を用意しますので」

「分かりました」


 眠っているメルディアを起こさない様にゆっくりと運び、小さな角灯が寝台の隣にある机の上で点っているだけの薄暗い寝室に連れて行く。


 丁寧に下したつもりであったが、結局メルディアは目を覚ましてしまった。


「ユージィン、なの?」

「はい。……すぐに、使用人が寝間着などを持ってきますので」

「ん」


 寝台の上に横になったメルディアを直接見ないようにしながら、ユージィンは話す。

 用件は伝えたので部屋を後にしようとしたのに、メルディアにシャツの袖を掴まれてしまった。


「ユージィン、待って」

「もう、勤務終了の時間です」

「少し、だけ」


 ユージィンはメルディアに背を向けた状態で、影を床に縫いつけられたかのように動けなくなっていた。


「ユージィン、私ね、今日、とっても頑張ったのよ」

「……」

「きちんと伯爵夫人に挨拶出来たし、知らない人とも喋れたわ。それに、舞踏に誘われたけれど、逃げずに踊る事が出来たの」

「……」


 反応が無かったので掴んだ袖を引っ張るが、ユージィンは振り返る行為すらしない。


「ねえ、ユージィン、まだ、私は完璧じゃないの?」

「……」

「もっと、頑張らなきゃ駄目?」

「……」

「でも、今日の事は、褒めて欲しいわ」

「……」

「昔みたいに、頭を撫でてくれた後に、額に口付けを」

「なりません」

「どうして!?」

「出来ません」

「そんな、酷い」

「……」

「ユージ」


 ユージィンの名前を言い終える前に、掴まれていた手を振り払って寝室を後にした。


 残されたメルディアは、まさかのユージィンの行動に大粒の涙を零していた。


(どうして、どうしてなの、ユージィン。完璧な令嬢に近づいても、褒める事すらしてくれないの!?)


 酔いのせいで、メルディアの理性はあっさりと崩壊する。


(好きに、なって貰えるかもって、思ったから頑張った、のに)


 剥き出しとなった感情は、ひたすらに愛されたいと願う。


 彼女もまた、心の中に二律背反を抱え込んでいた。


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