十七話 商売
城館にある喫茶店での話し合いから数日。
レイシェイラはユージィン(※ジルヴィオ)から指定されていた店の前で待機していた。
ここまでは馬車で来たが、街中に供を付けずに一人で来るのは初めてだった。念の為知り合いに見かけられてもバレないように、つばの広い帽子を被って顔を極力隠す。
ここは貴族の奥方が買い物に来る商店が並ぶ場所だ。もしも一人で男を待っている所などを目撃されたら変な噂が広まるかもしれないと不安になる。
それから程なくして待ち人は現れた。
本日もさわやかな微笑を浮かべ、約束の時間よりも早い到着だったが遅れて来た事を詫び、さりげなくレイシェイラの服装や髪型などを褒める。
メルディアの話によればユージィンは平民だと言っていたが、女性に対する気遣いや佇まい、雰囲気などからは、育ちの良い上品な子息のように見える。だが、前に舞踏も知らないと話していたので、気のせいだろうと頭の中で処理をした。
「そう言えば、レイシェイラはどちらのお嬢様なのでしょうか?」
「……」
レイシェイラはいまだに家名を名乗っていない。この件は自分の力だけで解決をしたかったという意地があるからだ。
「レイシェイラ?」
「わたくしはわたくしです! それ以上でも以下でもありませんわ」
「左様でしたか。それでは仕方がありませんね。中へ入って下さい」
「はあ!?」
レイシェイラが待っていたのは、貸し衣装屋の前だった。
店に入るように言われたが、その意図が分からずに首を傾げる。
「今から行くのはアウグスト伯爵家、ビスマルク子爵家、ヘルトリング子爵家の三軒です」
「!!」
三軒共レイシェイラの知り合いの居る家だった。
「……変装をしますのね」
「その通り」
使用人達が時間を掛けて選んでくれた服や化粧、髪型は一瞬で無駄となってしまった。
そもそも、今日レイシェイラが呼び出された理由は、ユージィンの商売の手伝いをする、という目的があった。
宝飾類の着用モデルをお願いされ、訪問先で隣に座っているだけという、未経験者でも出来る簡単なお仕事だと説明されたので、わざわざやって来たのだ。
一応公爵夫人である伯母にはこの件については相談してある。
仕事内容を話しても特に反対はされなかったので、こうやって実行に移す事が出来たのだ。
もしも訪問先でレイシェイラの正体がバレてしまえば、侯爵家はお金に困っているとか、未婚なのに男と一緒に行動をしているふしだらな娘などと、家名を傷つけるような邪推をされてしまうかもしれない。なので、言う通りに従って変装をして行く方がいいとレイシェイラは思った。
店の中に入れば、大量の衣装が所狭しと並べられていた。そのほとんどがドレスで、夜会に参加する貴族の娘達が毎日のように借りにやってくるという。
「この辺は夜会用のドレスですね~。普段着用のドレスはあちらになります」
「え? ドレスを借りて参加なさいますの?」
「ええ。夜会の多い季節なんかは店のドレスがほとんど無くなる位ですよ~」
「まあ! なんてこと」
レイシェイラは店員の話を信じられない、という顔で聞く。
「夜会の度に新しいドレスを作るのは、ごく一部の大貴族か大金持ちのお姫様だけです」
「……」
レイシェイラの家では、特別な日に着る服は下し立てである事が多い。ふと、今日のワンピースも新品だなとスカートの裾を軽く摘みながら考える。
自分の中の常識が外では非常識だったことに衝撃を受けていたが、そんなレイシェイラを気にする事なくユージィンは店員に指示を出す。
「ドレスはそこにある白と青のものを。宝飾類はこれを。あと茶色の鬘を付けて結ってください」
「承知いたしました、旦那様。それでは奥様を少しの間お預かり致します」
上の空のレイシェイラは店員から夫婦扱いされている事に気が付かない。ユージィンに扮するジルヴィオも面倒だったので訂正しなかった。
それから一時間後、レイシェイラの変装は完成する。
首周りから胸元まで大きく開いたドレスは、十六歳のレイシェイラには早いと言って母親が許してくれなかった意匠のものだった。そこに美しい金細工の首飾りが巻かれ、中心には青い宝石が輝いている。露出の高いドレスは、首に掛けられた宝石を際立たせるようなものを選んだのだと納得出来た。
化粧もいつもより濃い。鏡を覗き込めば、実年齢よりも上に見える。けばけばとした感じではあるが、変装という面で見れば成功とも言える。今の姿を見て、レイシェイラ・スノームだと分かる人は居ないだろうなと、鏡に映る自分を見て失笑していた。
今回販売見本用にと身に着けているのは、髪飾りに耳飾り、首飾りに指輪の四点。いずれも高価な品で、一点ものだ。これが売れたら違う品を着けて貰うという説明を聞きながら、値段を聞いて本当に売れるのかとレイシェイラは突っ込む。
「必ず売れるでしょうね」
「物凄い自信ですわね」
「今日は特別ですから」
「?」
高価な品だと客は商品を試着するのですら躊躇うので、着用モデルが居るのと居ないのでは全然違うと宝石商の男は笑顔で語る。
「ああ、そうそう。名前はどうしますか? レイシェイラと呼んでも?」
「だ、駄目!!」
ハイデアデルンでは「レイ」の付く名前はありふれているが、「シェイラ」という響きのものは珍しい。なので、呼ばないでくれと願った。
「では短くして【レイ】と呼びましょう」
「は!?」
「何かご不満でも?」
「……」
【レイ】というのは幼い頃の愛称だった。現在はその名で呼ぶ者は居ない。
レイと呼ばれていた頃は両親も仲が良かった。
久しぶりに愛称で呼ばれ、幼き日の思い出が蘇ってくるが、不思議そうな顔で覗き込むユージィンと目が合えば、いきなり現実に引き戻されてしまう。
「他の名にしましょうか?」
「い、いいえ。全く、全然、本当に、問題の一つもありませんわ! 【レイ】で構いませんことよ」
「左様でしたか」
「ええ!」
こうして準備が整った二人は一軒目の伯爵家へ移動をする事となった。
◇◇◇
結果をだけを言えば、持って来ていた宝飾品は完売した。
勿論、それはレイシェイラの力では無い事は本人にもよく分かっている。
現在、時刻はお昼前。
昼食の誘いを断ったのに、何故か街中にある喫茶店に無理矢理連れ込まれ、お礼をしたいからと言って勝手に何かを注文されてしまったという状況にあった。
(今すぐ帰ってこの濃い化粧を落としたいのに)
貸し衣装屋で塗りたくられた化粧は肌に合わないのか、すこしだけ痒みを感じていた。そんな繊細な自分にため息を吐く。
(それにしても、こんな人の多い喫茶店に入るなんて、一体どういうつもりですの!?)
ジロリ、と目の前に座る男を恨みがましく睨みつけるが、見惚れる程の柔らかな微笑みを返されるだけだった。
(この男、鬼畜で変態の上に、大変な誑しですわ!!)
レイシェイラの中にある自意識過剰気味の警鐘がカンカンと騒がしくしている。
(――早く、家に帰って、落ち着かなければ、いけませんわ)
訪問先での事が頭の中に浮かび、ブンブンと首を振って忘れようという努力をする。
個人的に胡散臭いと思っていたユージィンは、見事な商売の手腕を見せてくれた。
豊富な商品知識と客に気持ちよく買い物をさせる販売口上。そして、絶やす事のない笑顔は貴族のご婦人方を魅了していたのだ。
(何故、あのように普通に商売出来るのに、あんな事をしていたのでしょうか。いいえ、それよりも……)
商品を説明する際にレイシェイラの付けている宝飾品を指先で示したり、金の細工を掴んだりしていたのだが、絶対に肌には触れないようにしていた。
(あれは、わたくしに対する配慮?)
散々心の中で変態・鬼畜だと罵っていたが、半日一緒に行動をした感想は、一挙一動が洗練されている素晴らしい紳士、というものだったが、レイシェイラは頭を振って気のせいだと否定し続ける。
「お待たせいたしました」
「!!」
店員が机の上に皿を置く音で、レイシェイラは思考の奥底から帰還する。
「……?」
「早く食べないと溶けてしまいますよ」
「これ、は?」
「パルフェです。ご存知ありませんでしたか?」
「え、ええ」
レイシェイラの目の前に置かれているのは、パルフェという食べ物だと説明される。冷やした深型の透明グラスに二色の層になった氷菓が入っており、その上に果物などが載ったものだった。古くから庶民に愛される食べ物で、お嬢様育ちのレイシェイラは初めて見た。
これは子供が食べるものでは? と疑問に思ったが、周囲の若い女性達も同じものを頼んで食べていたので、勇気を出してレイシェイラも口にする。
(お、美味しい!)
初めてのパルフェは、甘いものが大好物のレイシェイラにとって夢のような食べ物だった。
◇◇◇
同時刻。
ベルンハルト邸では、久々に母と子が揃ってお茶をしていた。
「それでレイシェイラ様が」
メルディアは一ヶ月分の報告を母・メルセデスに話していた。そんな娘の話を母は穏やかな表情で聞いている。
「母上は相変わらず忙しそうね」
「ええ。明後日の夜会の行けなくなってしまいました」
「アウグスト伯爵家の?」
「ええ。顧客である奥方の誕生日なので、挨拶でも、と思っていたのですが」
「……」
メルセデスは騎士学校の仕事を優先するようにしており、ベルンハルト家の付き合いはいつも後回しとなっていた。
メルディアはその事が気になっていたが、だからと言って自分には何も出来ない。今まではそう思っていた。
「は、母上」
「何ですか?」
「そ、その、明後日の夜会、に」
「?」
両手に拳を作り、メルディアは己を奮い立たせる。
「メルディア、夜会がどうかしましたか?」
「私が、代わりに、参加を」
「!!」
娘のらしくない決意に、メルセデスはどういう返事をしたらいいか、驚きが大きくて分からなくなっていた。
とりあえず当主であるアルフォンソに相談をしてから、と返事を後回しにしたが、相談した夫は本人にその気があるのならば行かせろと言って、メルセデスが期待していた答えはくれなかったのである。