十五話 男装・弐
人脈を広げる目的もある夜会において最も重要な事と言えば、いかに美しく舞い踊るかということだとレイシェイラは言う。
「夜会での舞踏は若い男女のお見合いも兼ねておりますの。それに踊っている間も周囲の目が光っていて、皆、器量のいい結婚相手を探すのに必死になっていますわ」
しかしながら、今回の公爵家の夜会は若い男女はあまり招待をしていないので、伴侶探しのギラギラとした視線を受ける心配は無いとメルディアを安心させる。
そして、なんとか男性的な振る舞いを覚えたメルディアは、今度は男性用の舞踏の振りや足の運びを学ぶ事となった。
密かに運動神経には自信のあったメルディアだったが、ある事実が発覚してしまう。
「――あなた、絶望的なまでに音感がありませんのね」
「……」
一通り動きを覚えたメルディアは、レイシェイラの手を取って練習を始めたが、ことあるごとに歩調を間違えて相手の足を踏みつけたり、回転が音楽に合っていなかったり、力んでしまって強引な導きをしてしまって相手を疲れさせたりと散々な結果を残した。
「い、今まで兄としか踊った事がなくて」
「きっと、ジルヴィオ様が上手く導いてくれていたのでしょうね」
「……へこみます」
それからメルディアは自宅で個人練習を行う事を決めた。
ところが、一人での練習は驚く程に上達の兆しが見えない。屋敷で働いている使用人達はほとんど平民なので、踊れる者も居なかった。
そんな密かなメルディアの修行話を使用人から聞きつけた兄・ジルヴィオは、仕事から帰ると練習相手に名乗り出た。
だが、練習相手と言っても踊ってもらうのは女性側なので、申し訳が無いと一度はお断りをしたが、ジルヴィオも面白そうだからと言って引かなかった。
その日から毎晩、兄との特訓は続いた。出張買い付けなどでジルヴィオが居ない日は母親が練習に付き合ってくれたり、父親が兄妹の練習を胡乱な眼差しで見守っている日もあった。
そんなこんなで、なんとか踊りは相手に迷惑を掛けない水準の域にまで達する。
「メルディア様、こんなに短期間でここまで踊れるようになるなんて、素晴らしいですわ」
「ええ、ほとんどは兄のお陰で」
「ジルヴィオ様が?」
「はい。毎晩、仕事から帰って来てから練習に付き合ってくれたの」
「まあ!」
最近のレイシェイラはジルヴィオの事が気になって仕方が無いという病気を患っていた。会った事も無い人物にこういった気持ちを抱くのは可笑しいことだと自覚をしつつも、育ち始めてしまった淡い感情は、止まる所を知らない。
以前言っていた、レイシェイラに会いたいという話は、仕事の繁忙期が終わってから、という事になっていた。丁度その頃は王宮での夜会の後で、更には侍女になる前の時機なので、思い出作りに良いと考えていた。
ハイデアデルン国でのレイシェイラの年頃は既に結婚適齢期だ。侍女として王宮で働くのも一年未満の予定で、それから先は結婚生活が待っている。
次の夜会で誰かに見初められる可能性もあった。
今までに何回か夜会に出席したが、何件か結婚の申し出もあったと父親から聞いていた。が、家柄が釣り合わなかったから断ったと言っていたのだ。
ふと、レイシェイラはメルディアを見る。
二十一歳、独身。結婚適齢期からは大きく外れ、嫁ぎ遅れと言っていい年頃だ。なのに、夜会に出るのは嫌だ、知らない人が苦手だと暢気な態度を見せている彼女は、結婚を焦っている様子は一度も見せない。
家族仲も良い様で、周囲も結婚を急かしていないのかと不思議に思った。
「……メルディア様は、結婚とかは考えていますの?」
「え!?」
「だって、あなたもジルヴィオ様も結婚をなさっていないでしょう?」
「それは、両親が結婚は焦らなくてもいいと言っていて、出来れば好きな人と結婚をして欲しいと」
「そうですの」
メルディアの父親は四回結婚をしている。うちの三回はベルンハルト商会を大きくする目的で行われたもので、いずれも離婚という不幸な結果で終わっている。
「父が四度目の結婚をしたのが三十八歳、母が二十六歳の時で、はじめての幸せとも言える結婚だったって言っていたの」
「……」
「そんな両親の経験もあって、私や兄に結婚を急かさないのだと思うわ」
「そう。愛の無い結婚は、不幸になりますの、ね」
しゅんとした様子をしているレイシェイラを見て、メルディアは失敗したと頭を抱える。
レイシェイラは侯爵令嬢で、体面を気にしないただの金持ち令嬢の自分とは事情が違うのだと。彼女にはこの先愛の無い結婚が待っている。先ほどの話はその不安を増長させるものだったのだ。
「レイシェイラ様、その」
「いいえ、大丈夫。わたくし、覚悟は出来ておりますのよ」
「……」
籠の中で大切に育てられた恋も知らない少女が、見識を広めるような知識を与えず、ただ、美しくある事だけを望まれて、家の繁栄の為に見知らぬ男の元へ嫁ぎ、世継ぎとなる子供を産む。貴族令嬢の多くはそういう事を疑問に思わないように教育をされているのだ。
けれど、レイシェイラは違う環境で育ったメルディアと出会ってしまった。
好ましいと思う男性の存在も知ってしまった。
今までのように、自分が一番綺麗だと競い合う事を下らないとさえ考えるようにもなっていたのだ。
だが、彼女は親に示された運命をまっすぐに辿るしか許されていない。
それが、レイシェイラ・スノームという大貴族の娘の、たった一つと決められた人生だった。
◇◇◇
季節は移ろい、あっという間に公爵家での夜会の晩となる。
メルディアは打ち合わせ通りに男装をし、金色の鬘を一つに結んで物語の登場人物になりきっていた。
特別な化粧を施して、背を高くする為の靴を履いた状態の、堂々とした佇まいを見せるメルディアは麗しい白皙の美少年に見える。会場に辿り着くまでに何度も周囲からの熱い視線を集めていた。
そんな男装姿を見た公爵夫人は、興奮しながらその姿を堪能し、よほど気に入ったからか、本日の相手役をして欲しいとお願いをしてきた。勿論夫である公爵が居るので無理な話ではあったが。
レイシェイラを伴って会場に出ると、見慣れない服を着たメルディアに注目が集まった。あっという間に囲まれてしまったが、レイシェイラが異国の者でこちらの言葉は分からないと説明をすれば、その言葉の砲火は一気に収まる。
背後に居る通訳の役をしている女性はベルンハルト家から連れて来た使用人だ。耳打ちをするかのように通訳をする振りをして、「すごい人ですね」とか「周囲の香水の匂いが混ざって酔いそうです」とかなんてことの無い世間話を喋っているのだ。その行為がメルディアの緊張を解くことに役立っていた。
そうこう過ごしているうちに、楽団の演奏が始まる。
最初に踊るのは、主催者である公爵夫妻だ。それが終わると参加者たちが自由に踊る場になる。
音楽に合わせてくるくると踊っておる参加者達に目を奪われていると、服の裾をちょいちょいとレイシェイラに引かれる。
本日も美しく着飾ったレイシェイラを見下せば、視線で早く踊りの中に入れ、という脅しのような睨みが効いていた。
観念をしたメルディアは、膝を折って踊りの申し込みをする。
差し出した手に、そっと指先を添えるレイシェイラの手を優しく掴んで引くと、踊りの輪の中へと入っていった。
緩やかな曲が流れる中で、メルディアの頭の中では周囲の人とぶつからないようにとか、レイシェイラの足を踏まないようにとか、心配事でいっぱいいっぱいになっている。
そんなメルディアを見て、レイシェイラは呆れてしまった。
「ねえ、顔が怖いですわ」
「!?」
「誰も、私達の事は気にしていませんわ。だから、楽しみましょう」
本日は結婚相手を探す目的の夜会では無い。参加者達の年齢層も高めだ。なので、踊っている異国人風貴族の少年を気にする者は居なかった。
不思議な事に、その言葉ですっと気持ちが軽くなり、メルディアは早くなった曲に合わせてレイシェイラの体をくるりと回す。
その突然の思いっきりの良さに、レイシェイラは愉快だと言わんばかりの笑い声を上げてしまう。
それから三曲続けて踊った。周囲を避けながらの踊りは緊張感もあるが、そのはらはらな気持ちが楽しく思えるようになっていた。
息を整える為に踊りの輪の中から外れ、給仕から果実汁を受け取って一気に飲み干した。
興奮が冷めやらぬ二人は、何回かグラスを空にしながら他の参加者達の踊りを眺める。
途中、飲食机の上に、マコロン・ムーが山のように詰まれた皿が運ばれてくる。そのお菓子に目がなかったレイシェイラは、メルディアの手を引いてその場まで歩いて行った。
近付いてみれば、見事なまでに塔のように積み上がったマコロン・ムーがあった。レイシェイラは一つ手に取ると、メルディアの口の中へと押し込む。
「どう?」
「……」
メルディアが甘いお菓子が苦手なのを知っていて意地悪をしてしまった。少しだけ目を潤ませたメルディアは、周囲にばれない様にレイシェイラの耳元で「甘い、わ」と口の中の状態に反しているかのような苦々しい感想を呟く。
それからレイシェイラは、上目遣いでメルディアを見上げつつ、まるで恋人に言うような甘い言葉を囁いた。
「わたくし、薄紅色のマコロンが食べたいですわ」
そんなレイシェイラの要求に答える形でメルディアは薄紅色のお菓子を手に取り、少女のふっくらとした唇へ持って行く。
薄紅のマコロン・ムーを口にしたレイシェイラは、ふふっと口許を両手で隠しながら自然な笑みを溢す。
この日、初めてレイシェイラは夜会が楽しいという感情を抱いた。
◇◇◇
その後、メルディアは公爵夫人と踊り、その様子をレイシェイラは静かに眺めていた。
彼女の伯母は夢が叶ったのが相当に嬉しかったようで、今も恋を初めて知ったかのような乙女の顔で踊っている。隣に居る公爵はそんな妻の姿を呆れたように見つめていた。
「ねえ、見て! ノーヴル夫人よ」
「まあ、なんて派手な」
背後に居たご婦人方の会話がレイシェイラの耳に入ってくる。
夜会とはつまらない噂話の温床なのだと諦めていた。確証の無い話など聞きたくなかったのだが、声が大きいので内容が耳に飛び込んでしまう。
「やっぱり、あの噂は本当なのね!!」
「噂?」
「ええ。若い愛人が居て、お金遣いが荒くなったって話よ」
「まあ! だからあのように若作りをしているのね」
「けれど、浮気相手は慎重なのか、尻尾が掴めないのですって。夫人の旦那様が職場でブツブツ言っていたって夫から聞いたの」
「そうなの、酷い話ね。……けれど、あの首飾りは素敵ね、どこで買ったのかしら?」
「ええ、確かに綺麗だわ。浮気相手に貰ったのかしら、それとも自分でご購入なさったのか。でも、ふしだらな女に話しかけるのは嫌だわ」
「そうよねえ」
渦中の人物であるノーヴル夫人は噂をする女性達のすぐ近くに居たようで、話の途中で会場から去って行ったようだった。
貴族が愛人を持つ、というのは珍しい話ではない。が、公然と認められている訳でもなく、あくまで愛人を囲うというのは秘密裏に行わなければいけないのだ。
それが知られたら、先ほどのノーヴル夫人のように下賎な噂の種となってしまう。
レイシェイラは、これが愛の無い結婚の行く末か、ともやもやとした気持ちを持て余しながら、踊りの輪の中に居るメルディアの帰りを待っていた。