十四話 男装・壱
男装をして公爵家主催の夜会に出る、という事が決まったメルディアは、まず元の話となった本を読むように命じられた。
【男装騎士の国盗り物語】とは、とある伯爵家の令嬢が、中性的な顔立ちと高い身長を生かして男の姿で騎士隊に潜り込み、様々な権力者を男女問わず骨抜きにしていく、という単純な内容だ。ルティーナでは人気のある作品で、現在も出版されているという説明を受けていた。確かに読んでみれば、男装騎士の性格は小ざっぱりとしていて気持ちが良いし、本命の王族王子との付かず離れずの恋愛も気になってしまう。貸して貰った十二冊を読み終えた後は、面白かった・続きが気になる、という感想をメルディアも抱いていた。
本の中に描かれている挿絵の騎士は、女性ながら凛々しく精悍な騎士姿で、これに扮するのかとメルディアは不安になる。表紙には色つきの主人公が描かれており、金の長い髪を一つに括った髪型で、華美な騎士服を身に纏っていた。
メルディアには似ても似つかぬ姿である。
後日、侯爵邸を訪れると、既に衣装が完成していた。
レイシェイラ曰く、元々衣装は公爵夫人の趣味で作成されており、目の前にある物はメルディアの体型に合うように手直しされただけの品だという。
「着る予定の無い服にここまで力を入れられる情熱が素晴らしいですわね。……勿論、悪い意味で。制作費にいくらつぎ込んだのか、怖くて聞けませんわ」
「……金糸の刺繍が、眩しい」
衣装を飾る為の胴体彫像に着せられているのは騎士服ではなく、大礼装と呼ばれるルティーナ大国の最上級の儀礼服だった。
詰襟の上着には、胸元から袖口まで金糸で縫われた繍花模様があしらわれており、両肩にある肩章と飾緒はハイデアデルンの礼装では使われていない華美な意匠である。
そんな煌びやかな衣装を、メルディアは不思議そうに眺めていた。
「さて、始めますか」
「?」
「サクサクと仕上げて伯母様にお見せしないと」
「!!」
レイシェイラの伯母様という言葉に、メルディアの肩がビクリと震える。
「やはり、伯母様には今回の会合参加をご遠慮して頂いて正解でしたわね」
「こ、公爵夫人もいらっしゃる予定だったの?」
「ええ。念願の男装をしてくれる人材の確保ですもの」
「……そ、そう」
「けれど、あなたが人見知りをして、居心地悪く思うんじゃないかしら、って思ったからお断りをしましたわ」
「ご、ごめんなさい」
「よろしくってよ」
何度か会ううちにメルディアの人となりを把握したレイシェイラは、ベルンハルト家の家人も驚く程の心配りをしてくれていた。
現在も使用人は極力近付かないように言いつけ、紅茶も茶器を食堂に取りに行って手ずから淹たりと徹底している。
そんなレイシェイラにメルディアは頭が上がらない様子でいた。
「お喋りはここまでにして、まずは服を着こなす事からですわね」
「ええ、そうね」
レイシェイラは半年後、婚約者が決まっていなければ王宮に花嫁修業を兼ねて侍女として出仕する予定だと言い、仕える方の為に着付けなどの方法を勉強していると語った。そういった事情もあって、一通り服などを着る手伝いが完璧ではないが出来るのだ。
「シャツを着込む前に、これを胸周りに巻きますの」
目の前に示されたのは白く細長い布。
衣装の下で胸が目立たないようにする物だ。
「服を全部脱いでいただけます?」
「え!?」
「下着も全て」
「下着まで!?」
「ええ。下着の上から布を巻いたら圧迫されて苦しいですわよ」
「……」
説明を聞くメルディアの表情が一気に曇る。
使用人などに裸を見られるのは今でも慣れないのが現状で、更に相手がレイシェイラとなると羞恥は何倍にも膨れ上がっていた。
「もだもだしていないで、サクサク行きますわよ!!」
「きゃあ!!」
レイシェイラは躊躇う姿を見せて恥らっているメルディアを無視してブラウスのリボンを解き、ボタンを手早く外していく。
そして、下着の金具も手早く解除して取り去り、なるべく体を見ないようにしながら白い布を巻きつけていった。
「あっ、あ、苦し、い」
「変な声、出さないで頂けます?」
「ご、ごめんな、さ、はあ」
「……」
自分よりも遥かに豊かな胸を潰していたら、ついつい締め上げる力が余計に入ってしまう。これは妬みではない、と、そう言い聞かせながら白い布を左右に引っ張る。
胸を平らにしたら、今度は腰周りに布を巻く作業に移った。
「こ、腰にも、巻くの、ね」
「ええ。このままでは細すぎる、から」
先ほどから奥歯を噛み締める力が強くなっているのに気が付いて、落ち着かなければとレイシェイラは考える。
(一体、どういう事なのでしょう!! わたくしよりも胸が大きくって、なのに腰もきゅっと括れているなんて……。許せないわ!!)
レイシェイラの美への追求は毎日行われる。だが、メルディアは特別な手入れなどはしていないと以前言っていた事を思い出して、悔しい気分で満ち溢れていた。
「レイシェイラ様?」
「な、なんでも、ありませんわ」
嫉妬心でどうにかなりそうになっている時、不安そうな顔をするメルディアが視界に入る。
気落ちしていたレイシェイラを心配そうに覗き込む絶世の美女には、残念ながら対人能力と自分への自信は与えられなかった。それを思い出して、この人は自分が守らなければならないのだ、と決心を再び固めて準備を進める事となる。
◇◇◇
なんとかシャツにタイを巻いて、ズボンを穿かせてベルトで締めた後、底上げした長靴を着用させると、体だけ見ればそれなりに男のように見えなくもないか、と自画自賛が出来るような状態となっていた。
だが、気になる点も何箇所かある。
「もっと背筋をシャンとして下さらない?」
「は、はい」
「あと、手は軽く拳を作って置いて、膝は離してから座る」
「は、はい」
姿形は男性の様なのに、膝を揃えて、羞恥心からか背中を丸くしながら座る格好は男らしくない。なので、きちんと背筋を伸ばすようにと注意を促す。
そんな熱烈指導にメルディアは従順に従った。
「ああ、手袋をしなければいけなせんわね。手を見れば、女性か男性か分かってしまいますから」
「……本当に、服装だけで性別を誤魔化せるものなのかしら?」
「男装だけでは無理でしょうね。歩き方や振る舞いに気をつけて、男性に見える特別な化粧をして、異国の少年だと付け加えればきっと大丈夫ですわ」
「そ、そうよね」
相変わらず自分に自信の無いメルディアに呆れつつも、白い手袋を用意して、嵌める前に右手にあった指輪を引き抜く。
「あら、素敵ですわ、これ!」
レイシェイラはメルディアが嵌めていた指輪を見て、感嘆の声を上げる。
ハイデアデルンでは珍しい、白銀で出来た指輪だった。その指輪には細かな模様が彫られていて、パッと見ただけで分かる程の一級品だ。
「それは兄がくれた物なの」
「お兄様が?」
「お誕生日の贈り物に」
「まあ!!」
姉妹で贈り物を用意するという習慣の無いレイシェイラは、メルディアの話を聞いて、仲の良い家族関係を羨ましく思ってしまった。
「思ってみれば、家族の誕生日なんて今まで祝った事もありませんでしたわね。伯母様が誕生日を祝ってくれるから、そのお礼をする位で」
レイシェイラの伯母は公爵夫人なので、贈り物にも気を使う。メルディアも同じような悩みを抱えていたので、思わぬ共感を呼んでしまった。
「私も、毎回家族へ何を贈ればいいか悩んでしまって」
「本当。贈り物って本当に難しいですわ」
「……けれど、この前兄に教えて貰ったの。相手が喜ぶものを贈るものいいけれど、一番大切なのは相手に喜んで貰いたいという気持ちだから、って」
「言われてみれば。確かに、何も難しく考える必要はありませんのね。相手に喜んで貰いたいという気持ちは単純明快そのもの」
「ええ。だから、私はぬいぐるみを」
背後に置いてあるうさぎのぬいぐるみを見て、「でも、やっぱり子供っぽかったかしら?」と呟いていたが、レイシェイラはそんなことはないと首を振る。
「あなたのお兄様にお礼を言わなければいけませんわ。悩みが一つ無くなりました、と」
「本当!? 兄もレイシェイラ様に会いたいってこの前言っていたの」
「へ?」
社交辞令のつもりで言った言葉に、「兄がレイシェイラに会いたい」という、想像もしていなかった言葉が返ってくる。
「ああ、ごめんなさい。私、兄にレイシェイラ様のお話をしていたの」
「そ、そう、ですの?」
「ええ。それで、一度会ってみたいって。今思い出したわ」
「……」
今までメルディアのお喋りの話題の中心はユージィンか兄、時々父親と母親の話だった。だんだんと回数を重ねるうちに、ユージィンの話をすればレイシェイラの顔が不機嫌になっていくのに気が付いたメルディアは極力話さないようにしていた。
そして、その代わりに嫌な顔を見せない兄の話が多くなり、レイシェイラはメルディアの兄についても詳しくなってしまった。
レイシェイラの中でのメルディアの兄と言えば、妹思いで優しく、至極真面目、仕事に熱心で、記念日などもマメに覚えているという、紳士の見本のような男だという認識だ。
ちょっと、とは言えない。素直になって本心を語ればかなり気になっている相手でもあった。
その相手が会いたいと言っているので、自然と頬も熱くなる。
「あ、えっと、はい。問題は、ありませんわ」
「ありがとう! 今度兄に伝えておくわ」
「……」
鈍感なメルディアはレイシェイラの変化に気付くことは無い。
寧ろ、知らない人に会えるなんて凄いなあ、と尊敬の眼差しを向けている所だった。
「そ、そういえば、お兄様のお名前は何と言いますの?」
「ごめんなさい、今まで散々話していたのに言ってなかったのね。ジルヴィオ、です。ジルヴィオ・ベルンハルト」
「ジルヴィオ様……」
この時のレイシェイラは、メルディアの純情を踏み躙る憎むべき変態鬼畜野郎(※冤罪)と、メルディアの優しく紳士的なお兄様が同一人物とは思ってもいなかったのである。