十二話 兄妹
本日はレイシェイラとの『メルディア・ベルンハルトの完璧ご令嬢計画』を話し合う一回目の会合の日だ。
開催場所はスノーム侯爵邸で、客間だと使用人が世話を焼くので私室へと案内をした。それは人見知りをするメルディアへの配慮でもあり、かの成金令嬢の幼い性格を外へ漏らさない様にする為の対策でもあった。
レイシェイラの私室に案内をされたメルディアは、部屋の目立つ位置に飾られたうさぎのぬいぐるみに気が付くと満面の笑みで部屋の主を振り返った。
「ぬいぐるみ、飾ってくれてありがとう」
「べ、別に、あそこしか置く場所が無かっただけですのよ!」
メルディアが贈ったぬいぐるみは普段なら花瓶を置くような、背の高い花台の上に座らせるという待遇の良さだ。レイシェイラの中でどうでも良い品ではないことが窺える。
「頑張って選んだから嬉しい」
「……あなたが、選びましたの?」
「ええ。兄と一緒に」
「まあ! お兄様がいらしたのね」
メルディアに兄が居る事を知らなかったレイシェイラは意外だと驚く。なんとなく一人っ子みたいな印象があったし、今まで兄の噂話を耳に入れた事が無かったからだ。
「兄は、あまり夜会などには行かないみたいなの」
「そうですの?」
「夜はお客さんとの付き合いを優先しているようで。まあ、たまに参加する時もあるけれど」
メルディアの兄・ジルヴィオは貴族の家を回って宝石の訪問販売をしている。その売り上げは王都にあるベルンハルト商会の店舗を遥かに上回るという手腕を見せているが、客との付き合いに問題があると父・アルフォンソから何度か注意を受けていた。
それらはメルディアの知らない事実である。
「お兄様はとても忙しくされていますのね」
「ええ、そんな中で、兄は一時間以上も悩んでいる私に付き合ってくれて」
「それは、気の長いお方ですこと!」
このような性格になったのも、甘やかす兄が居るからだろうかとも考える。
(それにしても、お兄様とお買い物、ねえ)
普通の兄は二十歳を超えた妹の買い物に付き合うものなのかと疑問に思うが、男兄弟の居ないレイシェイラには分からなかった。
「レイシェイラ様のご兄弟は?」
「ええ、姉が八人、妹が五人」
「……大家族ね」
「妾の子も居ますけれど」
「……」
貴族が妾や愛人を持つことは珍しい事でも何でもないが、母親一筋の父を見て育ったメルディアには信じがたい話だった。
「やっぱり、一緒にお買い物とか行ったり、お茶を飲んでお喋りをしたりするのかしら?」
「いいえ、残念ながらあなた方兄妹のように仲良くありませんのよ」
スノーム侯爵家の毎日は戦争だ。
誰が一番美しいか競い、どのようにして父親に宝石やドレスを強請ろうかという策略を考える事に明け暮れ、姉妹の中で優劣を決め付けて勝ち誇った気分になる時が一番楽しい、という泥沼関係だった。
レイシェイラの性根が捻くれてしまったのも、この互いを思い量ることの無い、自己主張の激しい女だらけの環境で育った事が原因である。
「わたくしにも、気の合う兄が居たら、お買い物に付き合って貰えたか、とか考えると不思議な気分になりますわね」
ふと、そんな事を呟いてから、厳しいだけの父親や叔父などを思い出して、自分の家の血統の男性は女性に優しく出来ない人種だから居たとしても無理だな、と考える。
少しだけ悲しげな表情を浮かべたレイシェイラを心配して覗き込み、メルディアは声を掛けた。
「レ、レイシェイラ様、うちの兄で良かったらお貸しするので」
「まあ、お忙しいお方なのに?」
「こちらがお願いをしたら、きっと時間を作ってくれるわ」
「ふふ、お優しい方ですのね」
一時間以上もぬいぐるみ選びに悩んでいた優柔不断なメルディアの買い物に根気強く付き合っていた男だ。恐ろしく気が長く、自分に余裕のある優しい紳士なのだろうな、とレイシェイラは印象付けていた。
そして、そんな心の許せる兄が居るメルディアの事を羨ましくも思ってしまった。
◇◇◇
話は逸れまくっていたが、やっと本題に移る。
「二ヵ月後に伯母様のお屋敷で夜会がありますの。それに参加をして頂きますわ」
「!!」
夜会に参加、という言葉を聞いて、瞬時にメルディアの表情は強張っていく。
「ですが、普通の参加ではございませんのよ」
「そ、それは、どういう、こと、なのかしら?」
恐怖が蘇ってきているのか、震える声で問い質すメルディアに、レイシェイラはハキハキとした返答をする。
「あなたには男装で参加をして頂きますわ」
「え!?」
レイシェイラの作戦はこうだ。
メルディアの高身長と端整な顔立ちを利用して男装し、異国から来た言葉が喋れない貴族の青年として参加をする。それならばベルンハルト家の者だと思ってわざと近くで悪口を言う者も居なくなるし、異国人という設定ならば知らない人と喋らなくても不思議ではない。
「ルティーナ大国に嫁いだ姉が居ますので、その姉の夫の親戚、という身分での参加になりますわ」
「……バレないかしら?」
「その目立つ髪の毛は鬘を被って頂いて、振る舞いなども今から特訓を」
「……」
その時になって、最近作ったドレスの採寸情報を持って来いと言われていた意味を理解する。
それは男性用の衣装を作る目的で使用し、針子を呼ばなかったのはメルディアが知らない人の前で不安にならない為の心配りだったのだ。
レイシェイラは体の採寸情報が書かれた紙を受け取ると、張り切った様子でルティーナ風の衣装を作って貰うから楽しみにしておくようにと言っていた。
だが、ルティーナ風の礼装と言えば贅を尽くしたかのような華美な意匠で有名だ。メルディアは自分の貯蓄で賄えるものなのかと心配になってしまった。
そんな言動をするメルディアに、レイシェイラは呆れ返る。
「あなた、本当にあの成金商会の娘ですの?」
「え、ええ、足りなかったら兄に、借りる、ので」
「……」
父親に迷惑は掛けられないと、メルディアは言う。
「でしたらユージィンとやらに全額出させればよろしいのに!!」
「いいえ!! とんでもない!!」
メルディアは今まで聞いたことも無いような大きな声で否定する。そんな様子に驚きつつも、衣装の事は心配するなとレイシェイラは説明した。
「実は、今回の件は全て伯母様の着想ですの」
「レイシェイラ様の……もしかして、ハルファス公爵夫人?」
「ええ。それで面白そうだから、この企みに関するお金は伯母様が援助をして頂けると」
公爵夫人の援助の話を聞いていくうちに、メルディアの顔はどんどん青ざめていく。知らないうちに大変な人物を巻き込み、更にはお金の工面までして貰う事を考えると、申し訳がなくて泣き出したくなるような精神状態なっていた。
「メルディア様、これは伯母様の夢でもありますの」
「え?」
この事実については黙っておこうとしたが、あまりにもメルディアが気に病んでいたので告白する事にした。
「――実は、伯母様は、その、女性に男装して頂く事を望んでおりましたのよ」
「……?」
マリア・ハルファス夫人はルティーナ大国で刊行された、【男装騎士の国盗り物語】という本を愛読していた。そして、その本の中に出てくる騎士のように、凛々しい衣装を着てくれる女性を探していたのだという。
ところが、この国の女性は背が低く顔が丸い者が多い。夫人の理想となる背丈や男装をしても違和感の無いすっきりとした顔の形を持つ者はなかなか現れなかったのだ。
「と、まあ、そんな訳ですので、伯母様の夢を叶えてあげる、という上から目線で請け負って頂けると嬉しいですわ」
「そう、なの」
「あなたは、何も憂いを感じる事はありませんのよ。安心なさって。わたくしが、夜会の楽しみ方を伝授いたしますから」
「はい、ありがとう、ございます」
メルディアが渋々納得してくれたことに安堵をしていたが、レイシェイラは自分の言葉に引っかかりを覚えていた。
夜会の楽しみ方。
社交界へ初めて上ってから何度か貴族の主催する夜会に参加をしたが、楽しかったと思った事は一度も無かったのでは、と振り返ってしまう。
綺麗な格好をして、扇の下に本音を隠し、相手に良い様に見られるような振る舞いを心がける。
そう、簡単に言ってしまえば、夜会とはつまらない見栄の張り合い。
一瞬たりとも気が抜けず、粗相をすれば家名を傷つける事になるのだ。
着ているドレスや家の名前で相手を見下して、自尊心を保ち続ける。
そんな事ばかりで、楽しむという感情を抱く余裕など一度も無かったのだ。
「レイシェイラ様?」
「!!」
心配そうな顔で覗き込むメルディアの言葉でハッとする。
「いいえ、何でもありませんわ」
いつもの余裕たっぷりの笑顔を浮かべ、相手を安心させる。
そして、わざとらしく話題を変えた。
「それにしても、あなたはお金の事でユージィンに甘えませんのね」
「あ、あたりまえです!!」
ユージィンの事になると普段の弱気をどこかへ吹き飛ばして、必死な形相になるメルディアがおかしくってレイシェイラは思わず笑ってしまう。
「はあ、可笑しいったら。あなたも、ユージィンも、変わっていますわ」
「……私は変わっているけれど、ユージィンはそんなことないわ」
「そうかしら?」
「こ、今度良かったら、ユージィンの紹介をした」
「結構ですわ!!」
レイシェイラが突然見せた、目を思いっきり開いた恐ろしい形相に、メルディアはビクッと肩を震わせる。
そんな様子になど気付いていないレイシェイラは、先日のユージィンとの邂逅を思い出して顔を歪め、あれは完全に負け戦だったと悔しい気分になっていた。
記憶の奥底へと封じていた、秀麗眉目な金髪の男の姿を蘇らせる。
(――あれはただの鬼畜かつ変態!! 恐れるに足らず!!)
年上だからと言って怖がってはいけない。女性が好むような容姿を利用して、相手をいいなりにさせる駄目人間だと強く言い聞かせ、次に会う事があれば徹底的に叩きのめしてやる、と意気込んでいた。
だが、その為には攻撃材料が少ない。それに一度ベルンハルト家の屋敷の中で喧嘩を売っているので、メルディアを通して会えばレイシェイラ側が不利になるとも考えていたのだ。
(やっぱり男の人って最低)
最初に参加をした夜会で、メルディアに心を奪われていた矢先に、その本人が居なくなればレイシェイラに尻尾を振って来た軽薄な男達を思い出しながら心の中で侮蔑をする。
幼い頃から心待ちにしていた社交界だったので、そんな男性の不誠実な様子に夢を壊されてしまったのだ。
(けれど、メルディアのお兄様みたいな人も居る)
一方で、心優しい男も居るのだと、全ての男性を憎んではいけないと、そう、自分に言い聞かせていた。