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十話 昵懇・弐

(――ああ、良かったわ、喜んで頂けて)


 うさぎのぬいぐるみを抱き締めた状態の、半笑いレイシェイラを眺めながらメルディアは安堵する。


(やっぱり兄上に相談をして正解だったわ)


 メルディアは礼の品は何を贈ったら良いかを兄・ジルヴィオに相談していたのだ。


 ◇◇◇


 数日前、レイシェイラへの贈り物に悩んでいたメルディアは、仕事中以外はぼんやりと気の抜けたようになっていた。


 若い令嬢が何を贈ったら喜ぶのか全く分からなかったからだ。


 一週間振りに買い付けから帰って来たジルヴィオを迎える時も上の空で、貰ったお土産も適当な作り笑顔を浮かべつつ受け取った位だ。


 そんなメルディアの様子を見て、ジルヴィオは笑い出してしまう。


「兄上、如何されたのですか?」

「いえ、その土産は年頃の娘なら飛び上がって喜ぶような品なのに、メルディアは興味ないみたいで、面白いなって」

「ご、ごめんなさい」


 ジルヴィオが買ってきてくれたのは、美しい細工が成された卵形の容器に入った頬紅だった。

 アガイルという街でのみ販売されている品で、現在入手困難となっている商品だ。

 そう言えば、先日の茶会でも話題に上がっていたな、とメルディアは記憶の底から掘り起こす。


「何を悩んでいるのですか?」

「!! どうして、私が悩んでいると?」

「普段はもう少し上手く喜んだ振りをするので」

「……」

「まあ、顔を見ただけで分かる話でもありますが」

「ご、ごめんなさい。折角贈ってくれたのに、価値を分かって無くて……。これからは、買って来なくても」

「いえいえ。メルディアの微妙な反応を見るのが目的であり、楽しみでもありますから」

「……そ、そう?」


 何もかも見破られてしまう兄には頭が上がらない。

 ジルヴィオの贈り物は、使用人曰く毎回趣味のいい品ばかりで、自分には勿体無いと卑屈になってしまうのだ。


「それで、悩みとは?」

「あ!!」

「?」


 この時になって気が付く。

 若い令嬢が喜びそうな贈り物を兄に見繕って貰えばいいのだと。


「あ、兄上、若いご令嬢が喜ぶ品をご存じでしょうか?」

「もしや、悩みはそれですか?」

「え、ええ、まあ」


 メルディアはこれまでの経緯を説明する。


「……という訳です」

「なるほど。相手は侯爵令嬢ですか」

「ええ」

「なかなか難しい相手ですね」

「……」


 裕福な家の娘が喜ぶ品というのはあまり多くはない。彼女らは、望めば何もかも手に入るような環境で育って来たからだ。


「そうですね。時間を掛ければ調べる事も可能ですが」

「本当!?」

「それでは意味が無いでしょうね」

「?」


 兄の言葉が理解出来ずに、メルディアは首を傾げる。そんな妹を諭すかのようにジルヴィオは話し掛けた。


「自分で相手が何を喜ぶか考えて、分からない場合はそれでいいのです。大切なのは相手を思い遣る心であり、形ある物に気持ちを込めて贈る、という行動に意味があります」

「そう、かしら?」

「ええ。だから、分からない場合は、自分が貰って嬉しい品で良いのでは? それでメルディアの趣味を知って貰い、親睦が深まる場合もあるでしょう」

「貰って、嬉しい、品」


 メルディアの頭の中に浮かぶのは毎年父親から誕生日に貰う、とある品だった。


「何か思いつきましたか?」

「え、ええ。うさぎの、ぬいぐるみを」


 予想通りの品物に、ジルヴィオは口許を押さえて笑うのを堪える。


「子供っぽいかしら?」

「いいえ、全然」

「まだ十五とか十六歳位だから、大丈夫よね」

「何も問題ではありませんよ。大切なのは気持ちですから」


 ジルヴィオは父親から余計な事はするなと言われていたので、メルディアの行動に余計な手出しはしないように努めていた。


 それに、その贈り物は良い篩い落としになるだろうとも考える。

 メルディアの友達になってくれるのならば、その品物は喜んで受け取ってくれるだろうし、そうでない場合は相手方から【この場限りの付き合い】という判断を下すだろうと予想していた。


「メルディア、良かったらその贈り物を一緒に買いに行きませんか?」

「本当!? あ、でも次の兄上の休みだと、レイシェイラ様が来る前日になってしまうわ」

「大丈夫ですよ。あのお店にはきっと気に入る物がありますから」


 数日後に馴染みの店へ買いに行く約束をして、無事にうさぎのぬいぐるみを手に入れる事に成功をした。


 ◇◇◇


 うさぎが大好きという虚言を吐いてしまったレイシェイラは、無邪気な笑顔を見せるメルディアを目の当たりにして、今度こそ実感をする。


(このお方は、間違いなく、悪い人ではありませんわ)


 メルディアの行動は、レイシェイラの五歳になる姪にそっくりだった。


(そういえばあの子も知らない人の前では別人のように大人しくなって、しまいには泣き出していましたわ)


 メルディアの夜会での行動の数々は、人見知りが故のものだと確信する。


(きっと緊張し過ぎて怖い顔になっていたのね)


 念の為に人込みや知らない人に話しかけられるのが得意かと聞けば、メルディアは恥かしそうな表情でどれも苦手だと素直に告白をした。


「本当に、二十歳にもなって、情けない話で……。そ、それと、夜会では、陰口を耳に入れてしまう事もあって、余計に他人が苦手になってしまって」

「では、何故わたくしは平気ですの?」

「レイシェイラ様は」


 メルディアは伏せていた顔を上げて話し始めるが、途中で言葉を飲み込んでしまう。


「わたくしが、何?」

「……」

「言いかけて止めるのは気分が悪いですわ」

「ご、ごめんなさい」

「で?」

「は、はい。……レ、レイシェイラ様は、その、ユージィンに似ているの」

「――は?」


 突然出て来た第三者の名に、レイシェイラは訝しげな視線をメルディアに向ける。


「あ、あの、ユージィンみたいに、私の悪い所を指摘してくれるので、親近感が沸いたというか」

「いえ、話の詳細ではなく」

「?」

「ユージィンってどこのどなたですの? あなたの恋人?」

「こっ!?」


「恋人」という言葉を聞いた途端に、メルディアの頬は紅く染まっていく。それを両手で押さえ、突然の羞恥心に耐えていた。


「……分かりましたわ。あなたは、その、恋人、ユージィンとやらにわたくしが似ているから、普通に話せるという事ですのね!?」

「ユ、ユージィンは恋人じゃないわ!」

「恋人じゃなかったら何ですの? 婚約者?」

「いいえ、婚約者でもないの。……私が、片思いをしているだけで」

「は?」

「え?」

「どういう事、ですの?」

「?」


 レイシェイラはメルディアの言葉を、身を乗り出しながら信じがたいものとして受け取る。


(片思い? 天下のメルディア・ベルンハルトが? 気のせいよ、そんなもの)


 恵まれた容姿に、誰もが羨む財産、貴族や王族が一目置いている家に生まれ、更には男性の好みそうな凹凸のある体つきを持つメルディアが片思いなどありえない事だとレイシェイラは思う。


「ちょっと微笑みかけただけで、殿方はあなたのことを一瞬で好きになる筈なのに、片思いですって!? 嘘ですわ!! あなた、ユージィンとやらの前ではいつも無愛想な顔をしていますの!?」

「いいえ、私が本当に自然な姿を見せられるのは、ユージィンの前でだけ」

「それでも、ユージィンって人の心は射止められないと!?」

「え、ええ」

「……」


 そのユージィンとやらは何者だと呆れ果てる。


「それで、レイシェイラ様にお願いがあって」

「お願い?」

「ええ。……私、完璧な貴婦人になりたくて、それで、レイシェイラ様に振る舞いや礼儀などをご教授頂きたいと」

「……」


 また、このお嬢様は突拍子も無い事を言ってくるものだと、眉間に皺を寄せて意味も無く睨み付けた。その鋭い視線にメルディアはビクリと肩を震わせるが、目を逸らしたら願いを聞いてもらえないと思い、まっすぐにレイシェイラの双眸を見つめ返す。


「それは難しい話ですわ」

「そ、そんな!」

「だって、令嬢としての振る舞いなどは、特別に教わったものではなく、自然と身に付いていたものばかりですもの。育ってきた環境が今のわたくしを作った、と言えばいいのかしら?」

「……」

「あなたは、どうしてそれが備わっていないのかを疑問に思うべきですわ」

「!!」


 止めだとばかりに発せられた一言が心に深く刺さったのか、気丈な振りをしていた表情は一気に曇り、視線も地面に向いてしまう。


「そもそも、何故今になって完璧な貴婦人になりたいと思いましたの?」

「……か、ら」

「ぼそぼそとお喋りにならないで下さるかしら?」

「ごめんな、さい」

「もう、あなたの謝罪は聞き厭きましたの。謝れば何でも許して貰えるという甘えは捨てるべきですわ」

「……は、はい」

「それで?」

「……完璧になりたいと思ったのは、ユージィンが、そう、望んだから」

「……」


 また出たユージィン、一体何者!? とレイシェイラは心の中で独りつ。


「ユージィンとやらの言いつけを守って、立派な貴婦人になろうと思いましたのね」

「え、ええ」


 会って数回、まともに話したのは今回が初めてのメルディアだったが、完璧な貴婦人になるのは絶対に無理だとレイシェイラは判断をする。


 ユージィンの言葉に疑問を持たないで素直に従うメルディアに腹が立ったし、無理だと分かっているのにそれを強要する男の方も許せないという感情がふつふつと湧き上がって来ていた。


「あなたは、そのユージィンとやらが言えば、何でも従いますの?」

「ユージィンが、そう、望むのなら」

「人としての道理を外れた事でも?」

「ユージィンは、間違った事は、願わないわ」

「その、正しいか、正しくないか、の判断は誰がいたしますの?」

「ユージィンが」

「……」


 レイシェイラは言葉を失い、天井を仰ぐ。


(――完璧に洗脳されていますわ!!)


 恋人ではない、ましては将来を誓った仲でも無い相手をここまで信用させ、従わせるという謎の男・ユージィン。恐ろしく腹黒い男だと、考えただけで身震いをしてしまう。


 一体何年掛けて信仰心を作り上げて来たのか気になったので質問をしてみる。


「ユージィン、さん、とは、何年位のお付き合いですの?」

「七歳の時からだから、十四年、かしら?」

「そ、そんなに幼い頃から!?」


 レイシェイラは信じられないとばかりに瞠目する。


(――これは洗脳ではなく、完全たる教育、いいえ、強引な調教ですわ!!)


 レイシェイラは勝手にユージィン像を作り上げる。


(多分、メルディア・ベルンハルトの十歳位年上で、一見人の良さそうな、顔だけ男に決まっていますわ!! ……彼女の言動や行動が幼いのも、きっとそういう風に育てられたからですのね。なんて、恐ろしい話……)


 ユージィン・ザン。

 推定三十歳。

 昔からベルンハルト家に自由に出入りしていたというので、親しい顧客か取引相手だと予想。

 大人しい少女だったメルディアを一目で気に入り、長い年月をかけて自分好みに教育及び調教。

 十数年の執着が見事に実を結び、自分の言う事を盲目的に信用する女性へと成長。

 しかしながら餌は与えず、更には社交界で役立つ振る舞いを身に付けろと強要。(←今ココ)


「――なんという鬼畜!!」

「え?」

「い、いいえ、何でもありませんわ」


 レイシェイラの頭の中には確固たるユージィン像が完成していた。

 そして、その危ない人物から距離を置かなければ大変な事になると危惧する。


(きっと、鬼畜男以外に男性を知らないから、こんな酷いことに)


 メルディアを不憫に思ったレイシェイラは、決心を固める。


「分かりましたわ。わたくしの知りうる限りのものを、あなたに伝授いたします」

「!!」


 夜会やお茶会に参加をして、外の世界を知って貰い、他に素敵な人を見つければ、ユージィンの呪縛からも解放されるのでは、とレイシェイラは考え付いたのだ。


「ですが、約束がありますの。教育期間中は、ユージィンよりも、わたくしの事を信用して頂けるかしら?」

「それは……はい」

「本当に?」

「ええ、完璧な貴婦人になるまで、レイシェイラ様に従います」

「……」


 こんなに安易に他人を信じて大丈夫かと、レイシェイラはメルディアの事が本気で心配になってしまった。


 それからしばらく話をして、日も暮れてきたのでお暇する事となる。


 メルディアの玄関までの見送りを丁重に断り、貰ったぬいぐるみを小脇に抱えながら、ズンズンと一歩一歩に怒りの篭った足取りで廊下を進んで行く。


(それにしても、ユージィンの家名のザンは珍しい名前ですのね。はじめて聞く名前ですわ。……もしかして、偽名では)


 考え事をしつつ、使用人の先導で歩いていたが、角を曲がった所で見知らぬ人物と鉢合わせとなってしまう。


「――おや?」


 先に反応を示したのは相手方だった。


 レイシェイラはその人物を見て、本日一番の驚愕をする事となる。


「――ユ、ユージィン・ザン!?」

「え?」


 歳は三十前後、人の良さそうな柔らかな雰囲気に、女性の好みそうな整った顔立ち。背はすらりと高く、一切隙の無い立ち姿。


 目の前に居る男は、レイシェイラの頭の中にあったユージィン・ザン像と一致していたのだ。


 まるで自分の家に居るかのように佇んでいる男をきっと睨みつけた。


 向こうが近寄って来ようとしたので、小脇に挟んでいたうさぎを楯代わりにしつつ、二・三歩と後退する。


 初対面のレイシェイラが明らかに不審な動きをしているのにも関わらず、相手は動揺の欠片も見せない。


(流石は幼女を調教する変態。ちょっとやそっとじゃ動転しませんのね)


 しかしながら、ここで睨み合いを続ける訳にもいかないので、レイシェイラは先制攻撃を仕掛ける。


 指で人を指してはいけないと習ったが、レイシェイラはそれを今日破る事となる。


 ところが、指した相手はそんな行動など気にも留めていないようで、面白そうに目を細めるばかりだった。


 そんな表情の一つが、レイシェイラの怒りに火を付ける。


「わたくしの名はレイシェイラ!!」


 一応、個人的な戦いなので家名は名乗らないでおいた。


「あなたに、宣戦布告いたしますわ!!」


 堂々と言い放ち、相手が返事をする前に脇をすり抜けて走って逃げた。


 実を言えば、レイシェイラは変態ユージィンとの対峙が恐ろしくて堪らなかったのだ。


 廊下に取り残された男は、走り去っていく少女を眺めながら、笑いを堪えていた。


 共に置いていかれた使用人は、このまま去り行く訳にもいかなかったので、ご主人様のご機嫌を伺う。


「あ、あの、ジルヴィオ様?」

「いやあ、見事な人違い」

「……ですね」


 何故かユージィンと勘違いされたジルヴィオは、然程さほど気にするような素振りを見せる事もなく、自室への道を進んで行く。


 ◇◇◇ 


 嵐が去った後のベルンハルト家は、実に平和だった。


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