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一話 夜会

 ハイデアデルン国では年に二度、大規模な夜会が開催される。


 国内の貴族は当たり前だが、各地域の富裕層や様々な功績を残した者も招待されるこの集まりには、様々な人脈を築く為の野心家が暗躍をする場ともなっていた。


 夜会で野心を抱くのは商人や官僚だけではない。


 若い男女も将来の伴侶を求める為に、あれやこれやと策略を張り巡らせるのだ。


 各家々は見栄の張り合いのような衣装を纏い、地位と名声を併せ持つ異性を引き寄せる為の手段とした。


 戦場とも言える会場で、軽やかな音楽に合わせて決められた足取りを踏み締め、その場の雰囲気に酔い痴れた相手の心をいとも容易く陥落させる。


 それが、夜会という魔窟だった。


 ◇◇◇


 夜会会場で、ひと際目立つ少女が居た。


 レイシェイラ・スノーム。


 若く美しい侯爵家の令嬢だ。


 毎日の手入れを怠らない、輝くような金髪は、左右の耳の後ろから三つ編みをして、全体を後ろで纏め、くるくると捻って毛先を内側に髪飾りで留めるという、流行の最先端の髪形をしている。

 少し垂れ気味の、金の睫毛に縁取られた青い瞳は宝石のような煌きを放ち、すっとした鼻筋とふっくらとした唇は、なんとも言えない甘い魅力を漂わせていた。


 薄紅色のドレスは今日の夜会の為に仕上げた品だ。

 そのドレスは、首回りから指先まで露出しており、首に巻いた一点物の金の飾りが引き立つ形となっていた。更に細い腰周りを強調するかのような、上半身にぴったりと沿うような意匠のドレスは、彼女に合わせて作られたもので、その存在を目立たせる事に一役を買っている。腰から下のスカートはパニエでふんわりとしたふくらみを作っており、裾の花模様はまるで花畑に佇む妖精のように見せていた。


 それから職人の手によって丁寧に編まれたレースをふんだんに使用し、花の刺繍も着た者を美しく見せるような、慎ましさのあるものが選ばれていた。


 髪型、ドレス、化粧、身に着けた飾りの数々、どれを取っても今日のレイシェイラ嬢は完璧だった。


 そんな彼女の周囲には男女問わず、沢山の人が集まっている。

 侯爵家の娘と結婚をすれば、自分の未来は明るい、侯爵家の娘と仲良くなれば、地位や財産のある男の目に留まりやすくなる。誰もがレイシェイラ嬢とお近づきになりたい、という下心があるのだ。


 そんな取り巻きの気持ちを汲み取るように、レイシェイラは女王が采配を揮うような態度を見せる。


 レイシェイラ・スノームは夜会に君臨する、絶対的な支配者だった。


 ――彼女・・が現れるまでは。


 突如として、会場の出入り口でざわめきが起こる。

 その騒ぎを聞きつけたレイシェイラの周囲にいた人間達の視線がそちらへ向いてしまう。


「――あら!」

「あ、あのご令嬢は?」


 レイシェイラは唇を噛み締める。まさか、彼女がこの夜会に来るとは、と。


「メルディア・ベルンハルト!!」


 気が付けば、吐き捨てるかのようにその名を口にしていた。


「え?」

「!!」


 取り巻きの少女の声でレイシェイラは我に返る。

 思わず出てしまった低い声を誤魔化すかのように、扇を広げて自らの口元を隠す。


 一部の者達が口々にあの御方は誰だと騒ぐので、舌打ちを我慢しつつもレイシェイラは説明する事となった。


「ああ、あの御方はメルディア・ベルンハルト嬢ですわ」

「ベルンハルトって、あの?」

「ええ、ただの成金! ……いえ、ベルンハルト商会のご令嬢ですのよ」

「まあ!」


 ベルンハルト商会と聞いて、周囲の男達は落胆の色を見せる。

 その様子にレイシェイラは、高笑いをしたい気分を抑えて扇の後ろで口角を上げるだけに留めた。


 ベルンハルト商会。

 ハイデアデルンの中でも屈指の宝石商で、詐欺まがいの悪徳商売を行う商会として名を馳せている。

 莫大な資産は現在商会長を務めるアルフォンソ・ベルンハルトが一代で築き上げたもので、その悪辣な商売方法からハイデアデルン国内での評判は芳しくない。


 その娘であるメルディア・ベルンハルトは、あまりこのような場に出てこない事で有名だった。


 レイシェイラは一度だけメルディアと茶会の席で一緒になった事がある。

 その美しさに息を呑み、深い嫉妬さえも覚えてしまう程だったと記憶を掘り返す。


「まあ、なんて綺麗な黒い髪なのでしょう!! 羨ましいわ」

「……」


 ハイデアデルン人の殆んどが金髪で、かのご令嬢のような黒髪は珍しい。

 いくら誰よりも綺麗に髪の毛を手入れしたり結ったりしようが、美しく稀少な髪色には勝てないのだ。


 そんな周囲の反応の影で、レイシェイラは奥歯を噛み締める。


 メルディア・ベルンハルト。

 青みがかった黒髪は、天井から吊り下がった硝子で出来た照明の光を受けて、艶やかな眩耀げんようを放ち、長い睫毛に囲まれた深い緑の瞳は、涼しげな切れ長となっている。

 ところが、その視線は周囲を睨みつけるかのような、攻撃的なものであり、誰も近づくことを許さないと言わんばかりの迫力となっていた。


 身に纏ったドレスの色は鮮やかな青。

 腰部分から直線的に広がる意匠は流行ではないものの、背の高いメルディアに似合う形となっている。

 ドレスの飾りはほとんど無く、反ってそれが美しさを最大限まで引き立てるものとなっていた。


 会場の注目は麗しき令嬢、メルディアに集中していた。

 視線を送る若い男の誰もが生唾を呑み込んで、メルディアに熱い眼差しを向けている。


 勇気がある、と言うべきか、遠くから眺めるだけだった若者の一人が、無謀にもメルディアに近づいて話しかけ、会場で流れる曲が変わったことを良いことに、ダンスの申し込みをした。


 ところが、メルディアはその男性の居る方向を一瞥にもせずに、その場を去ってしまったのだ。


「まあ、何てこと!!」


 レイシェイラの取り巻きの少女が驚きの声を上げる。


「やはり、あの噂は本当だったのね!!」


 別の少女が叫んだ。


「う、噂って、何かしら?」


 レイシェイラはその場で高笑いをしたい気持ちをぐっと抑えて、怯える振りをしながら近くに居る令嬢に訊ねた。


「成金令嬢メルディア・ベルンハルトはとんでもない性悪女、というものですわ。有名なお話ですが、ご存知ありませんの?」

「え、ええ。初めて聞きましたわ。――ああ、怖い」

「レイシェイラ様、大丈夫ですわ。あの御方はあまり夜会に出てきませんから」

「そうですの?」

「ええ!」


 かの、成金令嬢の姿は、いつの間にか会場から消えてしまった。


 そして、周囲の状態はメルディアが来る前に戻る。


「この会場の中で、あなたが一番耀いている」

「ああ、私の瞳には、あなたしか映らない」

「あなたと出会えた今日と言う日に感謝を」


 レイシェイラがダンスを誘った男達は口々に甘い言葉を吐いていく。


 だが、レイシェイラは知っていた。


 彼らが先ほどまでメルディア・ベルンハルトに心を奪われていたことを。


(――何てことなの!! あの魔性の女が来るなんて!! 一度しかない、わたくしの夜会での初舞台という日に!!)


 十六歳のレイシェイラは、花が綻びかけるという、未熟な時期だ。

 そして、メルディアは二十という、女性として最も美しく咲き誇る時期。


 勝てる筈も無かった。


(次の夜会は半年後、メルディア・ベルンハルト、見てなさい!!)


 グラグラと真っ黒な感情を沸騰させながら、レイシェイラはかの成金令嬢に復讐を誓った。


 ◇◇◇


「――っく、っく」


 寝台の上で枕に嗚咽をしながら顔を埋める女性が居る。


 彼女の名前はメルディア・ベルンハルト。二十歳。


 何故涙を流しているかと言えば、自己嫌悪によるものだった。


(――ま、また、また、やってしまったわ)


 先ほどまで居た夜会会場での失敗。


 ダンスを誘ってくれた男性を無視するという、絶対にやってはならぬ事をしてしまったのだ。


(あんなに勢いよく知らない人が話しかけてくるなんて……。それが普通だというけれど、怖い所だわ)


 いつも、夜会に出る時は父親か兄と一緒だった。

 だが、今晩に限ってどちら共買い付けに出掛けていて不在で、付き添いをしていた母親の知り合いの令嬢は、大勢の人の中を歩くうちに逸れてしまったのだ。


 父や兄の代わりに夜会へ参加するという抱えきれない大義が、彼女のちっぽけな勇気を押しつぶしていたのだった。


(ユージィン、私はどうすればいいの?)


 メルディアは心を許している、三つ年下の幼馴染へと心の中で問い掛ける。


 彼が夜会に現れて、颯爽と助けてくれる姿を夢見るが、その幼馴染は執事の孫で、夜会に出られるような身分ではない。


 そんな事を考えていたら、再び眦に涙が浮かんでくる。


 メルディア・ベルンハルト。

 美しく、気高いような外見をし、相手を威圧するかのような高慢な態度を感じさせる女性であったが、それは全て見せかけだけの事で、実際の彼女は泣き虫で臆病、人見知りが激しいという、残念な人物だった。


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