二話
さほど広いわけではない厨房を、親父は背筋 を伸ばし颯爽と大股に歩き回る。高い位置に並 んだ戸棚を機械仕掛けのようにストンストンと リズムよく次々に開けていくと、そこに秘密基 地が本性を現した。 鈍い銀色をした金属製の戸棚の中には真っ白 な丼が積み上げられ、神殿のように輝いて並ぶ 。隣の戸棚には調味料や調理道具、包丁やおた まもぶら下がっている。戸棚の中の半透明なケ ースには、緑、赤、黄色の具や薬味が封されて いるのも見える。モノクロームだった目の前が 、カラフルに彩られていく。親父は寸胴鍋のフ タを開けた。ぐらぐらと湯が煮え立っている。 ほぼ中央の戸棚から、丁寧に小分けにして並べ られている麺の塊をひとつ取り、笊に入れて寸 胴鍋の端に引っ掛けた。 すごい。なんだろう、この気持ちは、とガネ ーシャは思う。カウンターひとつはさんだ向こ う側に厨房があり、調理の一部始終を目撃でき る、その新鮮さと裏表のなさに思わず心を動か された。それに、あちこちの一流料理店を食べ 歩いて研ぎすまされたガネーシャの勘が、これ はひょっとすると混じりっけなしの本当の天然 素材なのではないかと、心のどこかでささやい ているのだ。マニュアル通りに処置すれば、自 動機械にでも作れる合成食材の調理をするのな らば、これだけの道具も装備も必要ない。非合 理。しかしガネーシャの生まれついての優れた 味覚は、天然食の深い味わいを知ってしまい、 合成食はよほどでなければ口にしなくなってい た。たとえば、すごくお腹がすいている、とか 。 親父は白い奇麗な丼をひとつ用意し、それに お湯を入れてから、そのまま放置して、次は大 きな冷蔵庫からいくつかの食材を取り出す。驚 いた。葱だ。まるのままの長葱が、冷蔵庫から 出て来たのだ。それがまな板に乗ると、包丁が トトトトンと軽やかな音をたてた。それから大 きな肉の塊を取り出し、また別の形の包丁を使 って、スッ、スッ、と丁寧な手つきで斜めに数 枚ほど削いでいった。 目を丸くしてじっとその手元を見つめている ガネーシャのほうを、親父が無愛想にギッと睨 んだ。ガネーシャはわたわたと慌てて、とっさ に目をそらせる。さも、そんなものこれっぽっ ちも興味なさそうな顔を作って。 そういえば、寸胴鍋にはすでに火が入ってい た。丼の数も、多すぎる気がする。そうか、と ガネーシャは思い当たった。ギャップがあるの だ。この、どう考えても客が入りそうにないボ ロい店で、この準備の良さ。ありえない。この 親父はきっと商売が下手なのだ。だからどんど ん船がボロくなっていき、修繕もできないまま 今に至る。本当に高価な天然食材を使っている のだとしたら、じきにつぶれるんじゃないか、 とか思う。 合成食材は合理的だ。生産に必要なエネルギ ーや時間も、天然食材とは比較にならない。ユ ミノミオ移民船団は、どこかに定住するべき惑 星を求めて旅しているわけではない。他の移民 船団や、定住した惑星と交易を行いながら、宇 宙を漂う船団の中だけで運営維持をして生きて 行くことに決めた放浪の民たちだ。食料のほと んどは自前でまかなっていて、ユミノミオ船団 の輸出産業としても食料の占める割合は多い。 合成食材の生産技術は、周辺の惑星や船団と比 較してユミノミオの水準は高かった。 そんなユミノミオの技術をもってしても、天 然食材の複雑に変化する深みのある味わいは、 なかなか再現できずにいた。味覚にも個人差が あり、天然も合成も同じに感じる者も多い。だ が、わかる者にはわかってしまう。たとえば、 ガネーシャがそうであるように。 だばっ、と音をたてて親父は丼の湯をシンク に捨てた。なんで?とガネーシャがぱちくりす る間もなく、手際よく濃い色のタレを二種類ほ ど丼の底に注ぎ、他に何かの調味料をひとつま みふたつまみ振り掛ける。それから、白濁した 豚骨スープを注ぎ込んだ。大きめのおたまから 豪快に注がれる豚骨スープは、見てわかるほど のとろみがある。続けてすぐさま親父は寸胴鍋 のほうへ急ぎ、笊を取り上げてザッザッと湯切 りをした。太い腕の筋肉に血管が浮いて見える 。麺を丁寧に折り畳むように丼に寝かせ、そこ に葱、チャーシュー、メンマ、紅ショウガをトッ ピング。炒りゴマをひとさじ振って、レンゲを 丼の端にそっと添え。仏頂面のまま、熱い丼を 片手で持って差し出し。 「……おまち」 特性豚骨ラーメンはカウンター席で待つガネ ーシャの鼻の前で、ふわっと湿っぽい湯気を立 ち上らせた。