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第一章 (2)



 昨日とは一転し、今日は雨が静かに窓を濡らす。グレディは社の敷地内にある社宅の自室にいた。座り心地の悪い椅子に腰掛け、窓の外の景色を眺めていたが、彼は見てはいるが外の景色など目に入ってはなかった。

 準社員になり二年が経つが、結局自分は何一つわかっていないのだ。昨日のアイリの言葉に改めて考えさせられた。会社の目的も、どんな事をしているのかも。

 いや、とグレディは思う。自分は知ろうとしなかっただけだと。興味なんて何もなかったのだ。長くいるつもりは最初からなかったのだから。

 レイニング社は創立三百年の歴史ある会社である。もともとは子どもむけの人形を製造する会社だった、ということを知っている者はそう多くはない。しかし、その当時の人形レインドールは、コレクターの間で今も高額で取引されるほど人気がある。現在は玩具分野からは手を引いているため、よりいっそうレインドールの希少性が高くなっているのだろう。

 現在は主に警備保障、軍需産業、医薬品、機械製造などを主として経営を進めている。この国で一番力をもった会社であることは周知の事実であった。グレディがいるのはレイニング社の本部だった。都市にはほかに四つの支部がある。

 椅子から立ちあがり、窓のブラインドを下ろすとベッドの上で横になった。静かに目を閉じると暗闇の中に昨日のアイリの曖昧な微笑みが浮かんだ。

(おまえはいつも悲しい目をしているな)

 二年前、初めてアイリと出会った時のことを思い出していた。

 出会った場所はある幹部の男の部屋だった。部屋に入るとソファーに一人の女性が座っているのが目に入った。女性はグレディに気がつくと立ち上がり、口元だけで小さく微笑んだ。毅然とした態度にダークブルーの髪と漆黒の瞳がとても印象的だった。  

 何を話したのかはよく覚えてはいなかったが、印象だけは今でも覚えていた。初めて会ったときからアイリの瞳はどこか悲しそうに見えた。その瞳にグレディは惹かれた。ひと目で放っておくことができない存在になっていた。それが恋愛感情によるものとは考えてはいなかったが。

 渇いた音が部屋に響く。ドアをノックする音でグレディは現実に引き戻された。身体を起こしドアを見つめた。

「どうぞ」

 昨日のこともあってアイリが来たのかと期待した。しかし、部屋に入ってきたのは四十代前半の背の高い男だった。秀でた額の下にある琥珀色の目が聡明さを感じさせる男だった。

「なんだか期待外れといった感じだな。誰かを待っていたのか?」

「別に。まさか一介の医者の部屋に会社の幹部の人間が尋ねてくるなんて思いもしなかっただけですよ」

 男はレイニング社の中でも中心に位置するほどの立場にあった。そしてグレディを準社員に引き抜き、アイリを紹介した男でもある。

「自分で訪ねておいて、私も驚いたよ。まさか部屋にいるとは思わなかったな」

 本当ならグレディは今、本館一階にある彼の仕事場にいるべきだった。

「ローズが嘆いていたよ。先生はじっとしていることがない、探すのがたいへんだってね」

 進められた椅子に座り男は苦笑した。それはごく親しげに感じられた。

 グレディは正社員との関わりがないに等しい。そのため、面識がある正社員は数人だった。社の人間に恐れられる幹部の人間でさえ、彼は一人を除いて名前すら覚えていなかった。

「四階の医局と違ってこっちはヒマなんですよ。向こうは毎日野戦病院なみの忙しさだそうですね」

 グレディに覚えられている唯一の幹部――ウォルター・ブレイナードはそんな彼の言葉に苦笑した。

「ディアラムだからね、街に出ればいつでも銃撃戦さ。怪我人が多いのは仕方ない」

 ブレイナードの言っている事は明らかに大げさだったが、そのことについてグレディは何も言わなかった。

「それで何の用ですか? 幹部のあなたがわざわざ来るなんて」

 慣れた手つきでコーヒーを淹れ、ブレイナ―ドに渡した。

「ありがとう。そうだなとても忙しいみたいだから用件を伝える事にしようか。――グレディ、正社員にならないか?」

「正社員に?」

「ああそうだ。はっきりいって私は君のことをかっている」

 グレディの様子を伺い続ける。

「ここにきてもう二年だ。社にもだいぶなれただろう。そろそろ正社員にあげてもいいと思っている。いろいろな面で会社の力になってほしい」

 グレディはカップの中の黒い液体を見つめたまま話を聞いていた。

「正社員にね……。せっかくのお誘いですが、俺がいなくなると医務室はパニックになるんですよ」

 顔をあげてグレディは言った。

「まったく矛盾しているな。そう思うなら、せめて勤務時間内は仕事場にいてほしいものだ」

 ブレイナ―ドはグレディの言葉に珍しく声を出して笑った。

「とにかく、俺には毎日怪我人を相手に仕事をするのが向いているんですよ」

 再びカップの中へと視線を落とすグレディにブレイナ―ドは静かに告げる。

「すでに新たな医者の採用を決めている。来週には仕事に入るだろう」

 グレディは視線をブレイナードへ向けた。

「聞いてないな」

「ああ、言ってないからな」

 しれっとブレイナードは答えた。

「君はこの話を受けると思っているからな」

 自身たっぷりな様子にグレディは苦笑した。

「どうして俺を正社員に? そもそも準社員に誘ってくれたのもあなただった。準とはいえ新米医師の俺が大企業で働けるだけで恵まれていると思っていたんですよ。それが今度は正社員ときた。何か裏があると考えてしまうね」

「ひねくれているな。言っただろ? 私は君をかっていると」

「随分な過大評価をどうも。もしかしたら会社をのっとろうと企んでいるかもしれませんよ」

「決して過大評価ではないと思っているよ。何度か話をすればわかることだ。君が会社をのっとろうと、もしくは潰そうと考えていてもかまわない。野心がない人間なんて面白くもなんともないからな。まぁ、私以外の人間がどう思うかは別だが」

 つかみどころがない笑みを向けて呟く。

「もっとも、過ぎた野心は身を滅ぼすことのほうがおおいがね」

 ブレイナ―ドは笑っていたが、グレディは一緒に笑うことはできなかった。

「もともと君のことは正社員として雇うつもりだった。学校に知り合いがいてね、優秀な学生がいると教えてもらったんだ。ただあの時はちょうど準社員の医者がやめてしまっていなくてね。会社のことをよく知ってもらうためにもまずは準社員から働いてもらうことにしたんだよ」

「幹部がわざわざ来るなんて人手不足の会社なんだなと思いましたよ」

 初めて会ったとき、グレディはまだ医学生だった。卒業してもディアラムの現状では医者として働くことは難しかったから、グレディにとって願ってもない話だった。医術の腕を磨くことはできない職場だったが、それを除けば現状に不満はなかった。

「正社員になったら俺は四階の医局に勤務ですか」

 そうなのだろうと思っていたが、案に反してブレイナードは否定した。

「いや、君には別の仕事をやってもらいたい」

「俺は医者ですよ。医療以外にできることなんてありませんが。医薬品の開発も専門外のようなものですから」

「社の窓口になってほしい」

「窓口ですか」

 そんな人と関わりあうような仕事は自分には向いていない、とグレディは思う。そういうのはもっと人当たりのよいにこやかな人間がやるべきだ。

「社と国、あるいは市民との。とはいっても難しく折衝役だと考えることでもない。グレディは市政に興味はないか? 都市の現状を知っているだろう。わが社には都市のために行動を起こすことのできる力がある」

「そうでしょうね。財力からいっても国を左右できるでしょうから」

「行政だけでは限界がある。それで近頃は軍部の力にも頼っているわけだが、それでも細かい部分は行き届いていない。犯罪者の検挙や失業者対策、福祉についても国がどれだけの成果をあげたと思う? 何も結果は出ていないさ。反政府軍もそのままだ」

 富裕層と下級層の差ははげしく深い。下級層では、まだ言葉もろくに話せない子供が街で働かないと生きていけないほどなのだ。何の結果も出さない国の仕事をよく思わない人間が反政府軍を作り、その中の過激な連中が武力行使にでることもあった。ディアラムの治安は一向によくならない。

「わが社では五年ほど前から市政にも力を入れ始めた。国ではできないことを行うために。グレディにはそこで力を発揮してほしいと思っている」

 グレディは小さく息を吐いた。

「ご高説は承りましたが、俺には向いていないと思いますよ」

「すぐに返事をくれとはいわないさ。ゆっくり考えて結論をだしてくれればいい」

 興味のないそぶりでグレディはブラインドの下りた窓に目をむけた。もともとひとつのことに縛られることが嫌いな彼は、組織に属することももちろん好きではなかった。

「君次第では今より給料もあがり、こんな質素な部屋とも別れることができる。待遇は格別によくなる。ディアラムに暮らす人々の力に自分がなることができるんだ。けっして悪い話ではないと思うんだが」

 一旦言葉をきって、それに、とブレイナ―ドは静かに言った。

「アイリ・カーシュナーも喜ぶんじゃないかな」

 窓に目を向けたままグレディは小さく笑った。

「何を勘繰っているのか知りませんけど。彼女はそんなことで喜ぶような女なんですか」

「なんだか含みのある言い方に感じられるな」

 ブレイナードは僅かに片眉を上げた。

「俺よりあなたの方がよく知っている、と言いたいだけです」

「妬いているのか?」 

 グレディの言葉に面白そうにブレイナ―ドは笑った。

「まさか」

 グレディは気にする様子もなかった。

「まぁいい。時間はある、ゆっくり考えてくれ」

 笑いの残る顔でブレイナ―ドは椅子から立ちあがった。

「コーヒー御馳走様。それでは、いい返事を待っているよ」

 ドアが閉まるとやけに静けさを感じた。雨音も聞こえないほどに。


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