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虞犯本

作者: 滝治ほの
掲載日:2026/03/31


『こんな本を読むよりも、もっと評価されている小説なり、古典なんかを読んだ方が君のためになるだろう。』


そんな書き出しで始まる本を図書館の奥の棚で見つけた。その一文だけが手書き風のフォントになっており、やけに目立って見えた。




おもしろい本が読みたいヤツは、入口付近の新刊や司書の推薦本を手に取る。目的の本がある人は、関係のないジャンルの棚には見向きもせず真っ直ぐに進んでいく。

当の僕はおもしろい本を読みたいと思ってはいるが、話題になっている作品だとか、国語の教科書なんかに載っている作品なんてものを読む気分ではなかった。それは今日だけではなく常からで、つまるところ自分は逆張り人間なのだ。


薄暗く天井の低い、たまに1人か2人別の区画に行くために通るような、風通しの悪い場所をゆっくり歩き回っていた時分。分厚い背表紙たちに挟まれた、30ページあればいい方の薄い本を見いだした。

細すぎる背表紙にタイトルは無く、真っ白な表紙にも文字は書かれていない。



やる気のない本のページをめくって、最初に目に入った文言が僕を刺す。



作者にあんな風に言われたら、ひねくれた僕は逆に読みたくてしかたなくなった。誰かに見咎められた時、言い訳できるように、両足が地面から離れることのないよう素早く歩く。さながら競歩だ。だが、はやる気持ちを抑えきれず、階段は一段飛ばしで下りてしまう。


興奮から乱れる呼吸を整えることもせず、貸出カウンターに学生証と共に本をそっと置いた。



僕を一瞥した司書は本の裏のバーコードを読み取り、手続きを進めようとした。が、なんどかリーダーに通そうとした後、訝しげな表情でパソコンを操作し、ため息をついた。

彼女は表情とは裏腹に、丁寧な手つきで本をひっくり返すと裏表紙から1枚、もう1枚とページをめくる。整えられた爪に蛍光灯の光が反射し、キラッと光った。



待っている間、手持ち無沙汰な僕は自分の爪を眺めてみる。小さく左右に動かしてみても、彼女の爪のような輝きはない。


「この本は貸出できません」


告げられた言葉が頭蓋の中で反響する。

例の本を持って、サッと立ち上がると司書はどこかへ行ってしまう。僕の返事も待たずに。


誰もいないカウンターの前。僕は餌を奪われたモルモットのようにしばらく動けなかった。






「珍しくお疲れみたいだね」


講義室のテーブルに顔を伏せている僕に、頭上から声がかかる。

前期の共通講義で知り合った医学部の男。岸元一輝(きしもとかずき)は僕のアルバイト仲間でもある。


「岸元……」

「何かあったのかい」

「読みたい本が見つかったんだ」


姿勢を正してそう言うと、彼は軽く微笑んだ。


「それこそ珍しいね。……それでどうしてへこんでいるんだい。読めばいいじゃあないか。読みたいんだろう」

「それができないからこうなっているんだ」


僕の隣に座り、岸元は首をかしげる。


「先に誰かに取られてしまったとか?」

「……そんな感じだ」


白い本を持ち去った司書に思いをはせる。

赤色の服を着たロングヘアの女。


こんなことなら、見つけた段階で読んでしまえばよかったと後悔の念が押し寄せる。たかだか数十ページ。律儀に借りずとも立ち読みで事足りたものを。


「そんなに読みたかったなら本屋で探すのはどうだい」

「タイトルが分からん」

「うーん。……なら言ってしまえば良かったんだ――」


岸元は明るい金髪を手で整えながら事もなげに言う。


「『――僕の方が先に読みたいから、この新屋(あらや)に譲ってくれ』とね」

「あぁ」


なるほど道理だ。

貸し出せないと言われた時、僕は立ち尽くすのではなく、言葉を尽くすべきだった。


「時間が巻き戻ったらなあ」

「今の技術じゃ時間は戻せないさ」

「何ならできるんだ」

「例えば――記憶消去とか?」


一瞬の沈黙の後、僕らは顔を見合わせて笑った。


「岸元。頼みがある」

「うん?」

「今日、シフト変わってくれ」


僕の懇願に彼は無反応だった。黙って鞄から携帯電話を取り出して操作している。

パチンとわざらしく音を立てて、両手を合わせて媚びてみても目もくれない。

そうこうしているうちに、講義室にはぞろぞろと他の生徒、そして教授が入って来てしまった。仕方なく僕はホワイトボードの方に顔を向ける。出席するだけで単位がもらえると噂の講義でも、話は聞いておきたい。



90分――。映画なら短いと思う時間も、講義となると長すぎる。高校の授業のほとんど倍。入学当初は馬鹿かと思ったが、人間慣れるもので今日に限って言えば短すぎた。


教授の言葉の大半は鼓膜を震わせはしたが、僕の脳にまでは到達できなかった。頭の中は例の本に支配され、バイトを休めないのならば、この後の講義を休むしかないと一先ず結論が出た。司書に突撃し、本を手に入れる。それが出来れば講義を一度休むなんてのは問題じゃない。




誠人(まこと)。いいよ」


チャイムと同時に隣の男に肩を叩かれ、我に返る。


「何が?」

「シフトだよ。貸し一つ。忘れてくれるなよ」


自然と口角が上がる。そんな僕を見て、岸元も微笑む。

なるほど、この男のことだ。無視したのではなく、スケジュール調整のために携帯を触っていたのだ。


「恩に着る! なんでも奢るし、なんでも手伝う!」

「言うね。期待してるよ」


それじゃあ。と手を上げ颯爽と立ち去る彼の背を見送る。

持つべきものは友とはこの事か。




ベンチ代わりに花壇のレンガに腰かけ、図書館の閉館時間を待つ。クリーム色の壁を眺めながら、そういえば司書の顔を覚えていないと思った。

彼女の爪と服しかろくに見ていない。上着を羽織られたら――お終いかもしれない。

出入り口を見つめたまま小さくうなる。

黒か茶のロングヘア、原色の服、下は多分スカートだった気がする。司書が立ち上がった時、そんなところ見る余裕はなかったので確証は無い。


閉館からどの程度時間が経ったのか、ようやくそれらしい女性が出てくる。暗くて細部ははっきりしないが、赤い服に間違いない。

立ち上がった瞬間、腰の骨がぽきりと鳴った。


彼女の進行方向のせいで、僕はストーカーのように後ろをついていく形になる。


ぬるい風が僕らの髪を撫ぜていく。


――爪さえ見れれば。



「あの! すみません」


なるべく電灯の近くで、女性を呼び止めた。振り返ったその目は、僕が誰なのか問うていた。顔を見ても、ピンとこないのはお互いさまだ。


「えーっと、自分は新谷と言います。新谷誠人。今日、本を借り損ねた男です」

「はあ……」


反応は芳しくない。

覚えていない、か。それとも人違いか?


「……何の用ですか」


警戒心がにじんだ声だった。


すぐに返事をしない僕に、彼女は一歩後ずさる。肩にかけたトートバッグの持ち手を両手で握りこむ姿は、防御態勢にも見えた。


「タイトルの無い、白い本。……覚えていませんか?」


彼女の手は見えているが、爪は角度のせいで見えない。回り込みたいところだが、少しでも動けば悪い方に転がりそうで、呼吸が浅くなる。野生動物と対峙しているような感覚。


逡巡の後、ハッと息をのんだ彼女は手を自分の口元にあてがう。


五本の爪が眼前にさらされ、僕も釣られて小さく息をのんだ。同じ輝き。彼女に相違ないと。


「覚えてる。あの本がどうしたの?」


先ほどまでと違って、少女めいた声色だった。人のことは覚えていないが、本となると別のようだ。


「それが――」

「ねぇ、お腹空かない?」


言葉を遮られ少しムッとしたが、確かに空腹ではある。


僕たちは連れ立って近場のファミリーレストランに向かった。





「それで?」


(みね)なつ()と名乗った彼女は、サラダをつつきながら再度僕に問うた。


「あの本が読みたくて」

「わざわざ出待ちしてまで? すごいね」


何がすごいのか。


「でも、無理なの」

「どうしてですか?」


沈黙。というより、彼女の口内はクリームパスタが占領していた。僕もハンバーグステーキを大きめに頬張る。それでも口が空っぽになるのは僕の方が先だった。


「禁貸本ってやつなんですか?」

「違う違う。それなら館内で読めるもん。新谷君さ、ちゃんとあの本見た?」

「見、はしました」


ちゃんとと言われると自信が無い。

歯切れの悪い僕に、峯は頷くと白ワインで唇を湿らせてから話し始めた。


「図書館の本って背表紙にラベルが貼ってあるの。数字とカタカナが書いてあるやつ。分かる?」


よく著者名とか出版社の上から貼られているシールか。

当然すぎて意識はしてなかったと気づく。


「あの本にはそれがなかったの」

「貼り忘れとか?」


僕はそんな訳がないと思いながらも、聞かずにいられなかった。

案の定、彼女は首は横に振る。


「人間が管理するからミスはあるかもしれないけど、一人じゃないからね。図書館のデータベースにもあの本は登録されてなかった。それに……」


そこで言葉を切ると、峯は数本のパスタを口に含む。

僕は何も食べたくない気分になった。ただ、彼女の食事の様子を眺めるだけで、胃の中に何かが詰まっている不快な感覚が増していく。


「ま、早い話が図書館の本じゃないから貸せない。それだけなの」

「じゃあ、それじゃあ。どう……」


どうすればいいのか。

あの本はどうなってしまったのか。

僕はどうしても読みたいというのに。


「……あの本は処分されちゃったの」


僕の感情が伝わったのか、目を伏せて峯はこぼす。



どうしようもないのか。

「時間は戻せないさ」という岸元の言葉を思い出した。






自分の分を食べ終わっても、まったく減っていない僕のプレートを見て、彼女はデザートを追加注文した。


先に帰ってくれて構わないのに。

食べ終わるまで待つつもりだと分かって、無理やり肉を口にねじ込む。


「ねぇ。明日早いの?」

「講義は午後からです……」

「ふーん」


何杯目かの白ワインをあおると、峯はカツンと勢い良くテーブルにグラスを置いた。その目はアルコールのせいでとろけていたが、目つきは鋭かった。





赤い服を脱いでも赤い。



「お酒すきなんだけど、弱いの」


皮膚の薄い部分を自分で撫でて、峯はふふっと笑う。

顔は赤くなってないのに、彼女の肉体は朱に染まっていた。


触れると肋骨の形が分かるほど、肉のない身体だった。見る人によっては貧相と称されそうな。


経験がないと告げると峯は声を上げて笑った。どこか嬉しそうに。彼女は僕に背を向けて四つん這いになると、こっちの方が楽だと言う。



誰を抱いているのか分からないと思った。

服は無く、顔も見えない。

名前を呼んでも返事はなく。丸められた背の浮き出た骨が主張してくるだけ。


「手を」


峯の頭の横、シーツにのまれている彼女の両手を乞う。


「ん……」


熱い手だった。指を絡ませてようやく僕は安心する。






「どうして断らなかったの?」


隣に横たわった峯に聞かれて、僕は不思議に思った。彼女の目をじっと見つめて素直な気持ちを伝える。


「どうして僕を誘ったのか知りたかったから」

「なんだ、一緒じゃない」


笑顔になった峯に横腹をつつかれ、反射で体が跳ねた。


「私も知りたかった。あなたのこと」

「何か分かりましたか?僕のこと」

「誠実な人ね。名前通り」


ドキリとした。彼女は真剣な顔で、からかいの色は少しも感じられない。


「結局のところコミュニケーションの延長だから、相手をどう扱うかで分かるものよ。根っこの部分が出やすいって私は思うの。……誠人。聞きたいことがあるでしょ?」


これが経験値の差か。

見透かされた気分になって体ごと峯の方を向く。


「ファミレスで言わなかったことがあったでしょう。あの言葉の続きが聞きたいんです。僕は」

「言わない方がいいと思ったのに……」

「今もですか?」

「そうね。あの本のことは忘れた方が……。あなたが興味ありそうなのをいくつか推薦してあげるわ。別の本を」


少しの間、峯は僕の両手をもてあそんだ。

表情を見たくないのだと分かってはいた。それでも僕は両手に力を込めて彼女の動きを止めた。


「……いいわ。なら言うけど、あの本には何も書いてなかった」

「――馬鹿な」


峯は何を言っているのだろう。頭にこびりついている一文は、確かに書いてあった。


「裏しか見てないじゃないですか」

「奥付を確認したかったから。でも、あの後全体をパラパラと見たら全部白紙だったわ」

「一番最初のページは見ましたか……?」


彼女は小さく首を横に振る。


あの文章の続きが存在しない? そんなことがあるだろうか。そんな本が存在するだろうか。1ページだけ文章があって後は全部白紙なんて、そんな構成の本が。


僕は大きく息を吐き、シーツに体を預けた。このまま沈んで、沈み切ってしまいたい。そんな気持ちだった。


「あのね、これは私の予想なんだけど。あの本って同人誌だと思うの」

「……同人誌?」

「印刷会社とかは覚えてないけど、ISBNは記載されてなかったし。個人で作った物かなって」

「個人で……それって誰でも出来るんですか?」

「うん。やろうと思えばね」


関心があると思ったのか峯は体を起こし、携帯電話を持ってきた。

画面を僕に見せ、あれこれ説明してくれる。気になる点を尋ねればスムーズに答えが返ってくる。彼女も作ったことがあるのだろうか。自分の本を。






「お疲れ様」

「ああ、お疲れ様」


アルバイト先のバックヤードで岸元と鉢合わせる。

帰り支度をしている僕の隣で、制服に着替え始めた彼は元気がないように見えた。そんな時に悪いとは思う。でも早く伝えておきたい事柄だ。


「バイトを辞めようと思う」

「……何か不満でも?」


いつも通りの口調ではあったが、その目は信じられないと僕に訴えていた。


僕自身この仕事は向いていると思っていた。飲食店のホール担当は忙しいし、疲れるけれど。それを楽しんでいる自分もいた。お客さんが何を求めているか、次にどうするのか読めた時なんかは特に。


「不満は大してないんだ。ただ、やりたいことができた」

「大学を辞めないだけましか」


彼は冗談めかして笑った。

空いている時間にゆっくりやればいいじゃあないか、などとは決して言わなかった。



「その様子だと、店長にはもう言ったようだね」

「ああ。悪い」

「謝る必要は無いさ。バイトを辞めてまでやりたいことってのはなんだい?」

「本を作ろうと思って」


さすがの岸元も着替えの手を止めた。


「本」

「そう。それで、もう一度図書館に置くんだ」

「例の白い本を自作するのかい」

「そうだ」

「勝手に図書館に本を増やすのは褒められた行為じゃない」

「分かってる!」


自分でも予想だにしない大声が飛び出て、思わず口元を手でおおった。

岸元が言っていることは正しい。僕のやろうとしていることは迷惑行為に他ならない。


「いいさ、分かっているならね。……その後はどうする」

「後?」

「まさかそれで終わりかい? 誠人が作った本なら、君の頭の中に内容がある。そんな本を読んでも新鮮味の欠片もない。それで満足するのかい? 君は」

「いや……忘れた頃に――」

「忘れた頃に? 自然に忘れるのを待って、偶然本を見つけるのを待つ? 無理だね」


両腕を組んで、岸元はロッカーに勢い良くもたれた。衝撃で彼の前髪がはらりとくずれ、目にかかる。


「どうして、無理だなんて」

「司書が見つけて処分するからさ」


なんて単純な話。

僕はやっと岸元が怒っていると分かった。ずさんな計画に腹を立てている。


「それなら、岸元が預かっててくれ。僕が忘れたなと思ったら図書館に――」

「もっと早く、確実な方法があると言ったら?」


今や岸元の顔は活力に満ちている。ギラついた瞳に僕は気圧され気味だった。


「……なんだよ」

「記憶消去。さ」







僕は固い診察台の上で光を浴びていた。

隣には岸元が立っていたが、照明の光量のせいで顔は濃い影に覆われている。

白衣姿の彼を見るのは初めてだと思った。


「本当にいいのかい」

「ここまで来て聞くなよ。サインもした。僕が決めたことだ」

「そうかい……。僕のことも忘れるかもしれないんだぞ」

「それは――仕方がない」


自分で言ってから、本当にそうなのか心配になった。

僕はここまでしなくてはいけないのか?と。


「薄情な男だ」


僕もそう思う。一冊の本と友情を天秤にかけて、その重さを計り違えている。


「借りを返せなくて悪いと思っている」


シフトを代わってもらったことを思い出して謝罪する。


「いいさ。もう充分返してもらっているからね」


言葉の意味が理解できないのは、意識が朦朧としているからなのか。


「き、岸元」

「うん?」

「頼んだぞ」


ゆらりと岸元の陰がゆれる。

彼は頷いた。そう思う。





静まり返っている講義室にこっそり入るのは、本当に嫌な瞬間だと私は思う。音をたてないよう静かにドアをスライドさせ、できる限り姿勢を低くして歩く。周囲から見たら無様だろうけど、教授に目をつけられるよりまし。

空いている席に体を滑り込ませ、息を整える。ルーズリーフとペンを机に並べ、最初からここにいましたと澄ました顔をする。


隣に座っている人に目をやると、堂々と関係の無い本を読んでいた。しかも微笑んで。


「資料余ってませんか?」


その男性の前に広げられているプリントを指差して、私はヒソヒソ声で尋ねた。

一番前のテーブルに置いてあったら最悪だ。もし取りに行けば、後から来たと教授に申告するようなものだもの。


「……ああ、ありますよ。友達の分なんですけど」


自分に向けられた言葉だと認識するのに時間がかかったようで、彼は数テンポ遅れて返事をした。

少し困った顔で渡されたプリントを家宝みたいに扱う。


「すみません。ありがとうございます。助かります」


男性ははにかむとすぐ、意識を本へと戻した。


中身のなさそうな本だと私は思った。

真っ白でペラペラの本。

笑いながら読むような、講義よりも面白いものなのかしらと。


そんな思考を振り切って、私は教授の声に集中する。なんのために大学に来ているのか。本を読むためではない。






チャイムの音と周囲のざわめきで、私は目を覚ます。いつの間にか眠ってしまっていた。

隣の男性は丁度席を立つところだった。彼は手に本を持ったまま一人。友達とやらは講義を受けにすら来なかったみたい。


「あれ?」


男性が去った後のテーブルには本が残されていた。白い本。

同じ本を二冊持っているのかと疑問に思いながら、手に取ってみる。

サラッとした手触りのそれは、二本指でつまんで持てそうなほど軽い。手のひらで撫でて、やっと分かるほどの凹凸が表紙にはあった。マット紙だから気づけなかった、エンボス加工で掘られた文字に目を凝らす。


虞犯本(ぐはんぼん)


知らない言葉だった。ただ、字面から良くない印象を受けた。

私は内容が気になって表紙をめくってみた。普通の本なら扉にあたるページの中央に手書き文字が踊っていた。


『こんな本を読むよりも、もっと評価されている小説なり、古典なんかを読んだ方が君のためになるだろう。』


それ以降は何も書かれていない。無地のページが続く。

誰もいなくなった講義室で、私が紙をめくる音だけが響いている。


そうして、たどり着いた最後のページには、しっかりと奥付の表記があった。こんな意味の無い本を一体誰が作ったのか、それが知れるならここまでの時間にも意味はある。私はそう思いたかった。

発行日は数ヶ月前、そして連絡先には大学から配布されるメールアドレスが記載されていた。著者は見覚えのない名前ではあったが、私の中には先ほどの彼に違いないという確信が芽生えていた。



私は金髪の彼を追いかけるため、講義室を後にした。


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『こんな本を読むよりも、もっと評価されている小説なり、古典なんかを読んだ方が君のためになるだろう。』という奇妙な書き出しから始まる、なんとも素敵な純文学ですね。 物語の空気感は、不思議な体験や色描写、…
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