第2章 第8話:モノクロの反逆者
リプレに流れ込んだ記憶から
出来損ないの管理者の中になくなっていた感情があふれ出す。
「……動かないぞ。俺は、ここから一歩も動かない」
極彩色の荒野の真ん中。俺は硬い地面に座り込み、膝を抱えた。 第7話でリプレを救った代償として、俺には「誰かを助けようとするたびに家族の記憶が自動で燃える」という呪いがかかった。
「佐藤さん、何を……。ここに留まれば、環境維持コストだけであなたの記憶は削り取られていきます。次の街へ急がないと」
リプレが困惑したように俺を見下ろす。彼女の瞳には、俺から譲渡された「五歳の泥遊び」の記憶が、熱を帯びた色彩として宿っていた。
「動けば腹が減る。腹が減れば食物が必要になる。それを買うには、また記憶を売らなきゃならない。……それに、歩いている途中で誰かが困っていたら? あんたがまた消えそうになったら? 俺が助けようとした瞬間、あいつらとの朝食の匂いが消えるんだろ。……そんなの、真っ平だ」
俺は目を閉じた。 視界を遮れば、この世界の毒々しい色彩も、リプレの悲しげな顔も見なくて済む。 俺の判断で俺とともに「反逆者」になった。そんな彼女の悲しげな顔はなんだか居心地が悪くなる。
俺は消えて構わない。俺がいなくなればリプレはどうにか生き残るかもしれない。
この事務員は腐っても管理者側だったのだから大丈夫だろう。
俺は…この世界のシステムが、俺の感情や行動を燃料として欲しがるなら、俺は一切の感情を殺し、石像のように固まることで、あいつらの記憶を守り抜く。
「……このままでは、あなたはただ飢えて、渇いて、何も成さずに消えるだけです」
「それでいい。……あいつらを忘れて生き残るくらいなら、あいつらを覚えたまま、ここで干からびてやる」
一時間、二時間……。時間が過ぎるたびに、喉の渇きが喉の奥を焼く。 モノクロの俺の体からは、環境維持のための「微細な記憶(昨日歩いた歩数や、風の音など)」が煤のように剥がれ落ちていく。だが、核にある『家族との朝食』だけは、動かないことで死守できていた。
もしかしたら、欠落しているその自然な風景は家族と過ごしているときのものなのかもしれない
そんな不安がよぎるが、いとおしい家族の姿を覚えているだけましだ。
だが、この世界のシステムは、そんな静かな抵抗を許さない。
「――助けて……っ!」
砂丘の向こうから、悲鳴が聞こえた。 見れば、幼い子供の姿をした「ロスト(記憶の成れの果て)」が、巨大な砂の蛇に追われ、こちらへ逃げてくる。
(……見るな。助けるな。あれはただのデータの残骸だ。俺には関係ない)
俺は自分に言い聞かせ、爪が食い込むほど拳を握りしめた。
その子は、ちょうど俺の子供と同じくらいの背丈だ。体が勝手に助けに行こうとする。
俺が一歩踏み出し、あの子を助けようとした瞬間、システムは俺の『善意』を検知し、燃料として一二〇万エモーションの『朝食の記憶』を強引に引き抜くだろう。
「佐藤さん……」 リプレが俺を見る。彼女は何も言わない。止めることも、促すこともできない。彼女もまた、俺の記憶を分かち合った共犯者だからだ。
「……っ、うあああああッ!」
俺は耳を塞ぎ、叫んだ。 助けたい。でも、助けたらあいつらが消える。 この世界は、俺の中にある「人間としての良心」と「家族への愛」を天秤にかけ、互いに食い合わせようとしている。
その時、リプレが静かに俺の前に立った。 彼女は俺の錆びた短剣を手に取り、砂の蛇の方へと歩き出す。
「……何をしてる、リプレ! あんたは管理官だろ! 介入は禁じられてるはずだ!」
「ええ。規約違反、二回目ですね。……でも、私の半分は、もうあなたの『泥遊びの記憶』でできているんです」
彼女は振り返らず、銀髪をなびかせて言った。
「あなたの家族を守るために、私があなたの代わりに『記憶』を消費します。……佐藤さん、あなたはそのまま、何も見ず、何もせず、ただご家族を抱きしめていてください」
リプレの体が、再び透け始める。俺からもらった記憶という「部品」を燃やして、彼女は俺の代わりに戦おうとしていた。




