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第1章 第4話:幸福な廃人たちの街「レム」

門をくぐった先に待っていたのは、悲鳴ではなく、脳を溶かすような笑い声だった。


辿り着いた最初の街『レム』。そこは、過去を捨て、今日という刹那を謳歌する「忘却中毒者」たちの楽園。 昨日失った家族を嘆く者はいない。明日の死を恐れる者もいない。 なぜなら、彼らはその「痛み」すらも、今夜の安酒と刺激的な娯楽に変えて売り払ってしまったから。


「思い出なんて、持っているだけで重いだけだろ?」


無邪気に笑う住人たちの言葉が、記憶を守るために足掻く佐藤の胸に突き刺さる。 さらに、リプレから提示される「街での滞在費」という名の新たな査定。 佐藤は、奪われる痛みよりも恐ろしい、「忘れることの誘惑」に直面する。

「……これが、街か」


門をくぐった瞬間、視覚が悲鳴を上げた。 建物の壁面はネオン管を叩き割ったような原色で塗り潰され、空には絶えず、誰かの「楽しかった記憶」が燃えたカスである七色の火花が舞っている。 耳を打つのは、心臓を揺らすようなアップテンポな音楽と、それにかき消されるほど大きな住人たちの笑い声だ。


「さあ、佐藤さん。ボーッとしてないでください。人混みで立ち止まるのは、記憶をスリに差し出しているようなものですよ」


リプレが俺の袖を強く引く。 見れば、街の至るところで、奇妙な商売が行われていた。 屋台の主人が、客から「子供の頃の誕生日の記憶」を買い取り、代わりに鮮やかな紫色をした綿菓子を渡している。客はそれを一口食べると、数秒前まで浮かべていた懐かしそうな表情を完全に消し、虚ろな、それでいて満たされた笑顔で街へと消えていった。


「あいつ、今何を……」 「五分間の『幸福感』と引き換えに、二度と戻らない『過去』を売ったんです。効率的だと思いませんか? 役に立たない思い出を抱えて苦しむより、今この瞬間を最高な気分で過ごす。この街の合理主義です」


俺たちは街の中心にある広場を通り過ぎ、一軒の酒場へと入った。 中では、ボロ布を纏った老人が、テーブルに突っ伏してゲラゲラと笑っていた。


「おい、あんた……大丈夫か?」 思わず声をかけた俺に、老人は濁った、しかし幸福そうな目を向けた。 「ああ? 大丈夫も何も、最高さ! ちょうど今、俺の『死んだ女房の顔』が、この最高に美味いエールに変わったところなんだ。あんな辛気臭い顔、さっさと忘れちまった方が人生楽しいぜ!」


老人の手元には、不自然なほど輝く金色のジョッキが握られていた。 俺は背筋が凍るのを感じた。 あいつは……観覧車で笑っていたあいつの笑顔も、この世界の住人から見れば、ただの「酒代」程度の価値しかないというのか。


「……リプレ。俺も、あいつみたいになるのか」


ふと隣を見ると、リプレが老人の持っていたジョッキを、冷めた、しかしどこか深い暗闇を湛えた瞳で見つめていた。


「……本来、この仕事ガイドは、あなたがそうなるのを手助けするのが正解なんです」 「え?」 「早く記憶を投げ出して、この世界のシステムに同化してくれた方が、私の『査定』も早く終わる。……なのに」


リプレは不意に視線を逸らし、手元のウィンドウを乱暴に閉じた。


「……あなたは、馬鹿みたいに抱え込もうとする。モノクロのまま、この街の色彩を拒絶して。そんなことをしても、ただ摩耗の痛みが長引くだけなのに」


彼女の声はいつも通り事務的だったが、袖を引く手の力が、わずかに強くなったように感じた。 それは、溺れそうな者を引き止めるような、切実な強さだった。


「佐藤さん、見てください。これが現実です」


彼女が再び表示したのは、無慈悲な数字の羅列。


【宿泊・滞在コスト】 24時間滞在:10,000エモーション (現在の佐藤アラタの残高:3,200エモーション)


「今のままだと、明日の朝にはあなたは街の外に放り出され、野垂れ死ぬか、あそこの老人みたいに『大切な何か』を切り売りして宿代を作るしかありません。……さあ、どうしますか?」


リプレの問いかけに、俺は答えられなかった。 リストには『中学の修学旅行』という項目が並んでいる。 正直、それがどんな内容だったか、もう断片的にしか思い出せない。 だが、それを売ることは、俺という人間の歴史の一部を「なかったこと」にする行為だ。


「……売るよ。売ればいいんだろ」


俺の声は、震えていた。 リプレの指が、迷いなく「承諾」のボタンを叩く。


パリン。


頭の中で、また一つガラスが割れた。 代わりに手に入ったのは、安宿の汚れた鍵。


「……宿泊の手続き、完了しました。おやすみなさい、佐藤さん」


リプレはそう告げると、背を向けて歩き出した。 だが、その背中が少しだけ震えていたように見えたのは、俺がまた一つ、大切な「何か」を失ったせいで見せた幻覚だったのだろうか

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