第1章 第3話:極彩色の焼却炉
「生きることは、忘れることだ。」
第2話で、最愛の記憶を「破壊の力」へと変えた佐藤。 だが、それはこの極彩色の地獄における、残酷な日常の始まりに過ぎなかった。
第3話では、この世界の美しくも忌々しい「理」が明かされる。 吸う空気さえもが有料であり、支払うべき通貨は、自分の魂そのものである過去の記憶。
「思い出を燃やす焼却炉」の中で、佐藤は自分の輪郭が少しずつ削り取られていく恐怖に直面する。 そんな彼を導く事務的な案内人・リプレ。 冷徹な社畜として振る舞う彼女が、なぜこの「魂の集金人」という不毛な職に就いているのか。 その片鱗が、彼女の漏らした一言から零れ落ちる。
極彩色の霧の向こうに、忘却に酔いしれる街『レム』が姿を現す。
「……味が、しない」
リプレから放り投げられたオレンジ。その皮を剥き、一房口に含んだ俺は、その異様な食感に眉をひそめた。見た目は瑞々しいオレンジ色をしている。だが、舌に乗せた瞬間に感じたのは、果汁の甘みではなく、濡れたスポンジを噛んでいるような無機質な拒絶感だった。
「当たり前ですよ。それは一個50円の『ビタミンという記号』を固めた代用食に過ぎません」
リプレは前を歩いたまま、振り返りもせずに言った。 「本来、食べ物の『味』とは、それを食べた時の記憶や感情とセットで脳に刻まれるものです。ですが今のあなたは、さっきのスキル解放で『幸福の基準点』の一つ……つまり観覧車の記憶を切り離した。脳が味の参照先を見失っているんです」
俺は、飲み込めないままのオレンジの塊を、無理やり胃に流し込んだ。腹は満たされるが、心は飢えたままだ。 「……リプレ。この世界は、一体どうなってるんだ。この色も、さっきの狼も」
「それを説明するのは私の仕事の一部ですね。残業代は出ませんが、歩きながら聴いてください」
リプレは空中のウィンドウを無造作にスワイプし、歩道脇に転がっている「歪な形の岩」を指差した。その岩は、この世界の毒々しい色彩を反射して、まるで内側から発光しているように見える。
「この世界の空気は、高密度の『感情エネルギー(エモーション)』で満たされています。極彩色の景色、空の輝き、そのすべてが、誰かが放出した記憶の燃えカスです。ここは、思い出を燃料にして動く、巨大な焼却炉のような場所なんですよ」
俺は息を呑み、自分の手を見た。モノクロの俺の体からは、絶えず微かな煤のような粒子が剥がれ落ち、周囲の極彩色の霧に溶け込んでいる。
「俺が……消えていってるのか?」 「ええ。何もしなくても、呼吸するだけであなたの『どうでもいい登校路の風景』や『昨日の夕飯の献立』が、生存コストとして消費されています。ここは、立っているだけで自分が摩耗していく場所なんです。あそこに転がっている石も、元は人間ですよ。記憶を売り尽くして、売るものが『自分という輪郭』しかなくなった成れの果て(ロスト)です」
「……ひどすぎる。そんなの、ただの地獄じゃないか」 「ひどい? むしろ合理的ですよ。ここは、自分が何者であるかを証明し続けなければ、一瞬で色彩の渦に飲み込まれる世界なんですから」
目の前に、巨大な光の壁が見えてきた。最初の街、『忘却の集積地・レム』の検問所だ。門の横には、巨大な天秤の形をした装置が、飢えた獣のように口を開けて待っている。
「さて、佐藤さん。街に入るには『入域料』が必要です。今度は何を売りますか?」
リプレが事務的に、俺の脳内在庫をリストアップする。ウィンドウに並ぶのは、俺の人生の断片たち。 『小学校の運動会の徒競走』 『初めての給料で買った缶コーヒーの味』 『父に一度だけ褒められたテストの点数』
俺は震える指で、一番古くて「安そうな」記憶を選び、確定のボタンを押した。 パリン、と頭の中で何かが割れる。同時に、俺の足元からモノクロの影が吸い出され、天秤へと流れ込んだ。
「……リプレ。あんたは、嫌じゃないのか」 失った記憶の喪失感に耐えながら、俺は前を行く背中に問いかけた。 「他人の人生を切り売りさせて、それを燃料に変える。こんな仕事、まともな神経じゃ続けられないだろ」
リプレの足が、一瞬だけ止まった。 彼女は振り返らず、空中に浮かぶ自分の業務端末を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「……まともな神経なんて、とっくに『ノルマ』で提出済みですよ」 「え?」 「言ったでしょう。この世界にタダはないんです。この仕事の適性……つまり『罪悪感を感じない心』。それを手に入れるために、私が何を売ったか。佐藤さん、あなたに査定できますか?」
その声は、いつもの事務的なトーンよりも、わずかに低く、空虚だった。 彼女が端末をスワイプした瞬間、銀髪に隠れた首筋に、一瞬だけ**『欠番:000』**という不気味な刻印が青白く浮かび、すぐに霧の中に消えた。
「……さあ、開門です。ようこそ、忘却の街へ」
重々しい音を立てて、光の門が開く。 そこには、自分が何を忘れたのかさえ忘れて笑い合う、色彩に溺れた住人たちの姿があった。




