第2章 第9話:記憶の代筆者(ゴーストライター)
私は
この女神と言われる事務作業をどのように考えていたのでしょう。
今は、もらった記憶を
その持ち主を守りたいという「感情」が生まれている。
それは確かです。
「やめろ……リプレ、やめろ!」
俺の叫びは、砂の蛇が巻き上げる轟音にかき消された。 リプレは、俺の錆びた短剣を握りしめ、透けゆく体で巨大な化け物に立ち向かっていた。彼女が剣を振るうたび、俺が譲渡した『五歳の泥遊び』の記憶が、火花となって彼女の輪郭から剥がれ落ちていく。
それは俺の記憶なのに、今の俺にはそれを止める権利がない。 俺が助けに入れば、システムは俺の『家族との朝食』を燃料として引き抜く。 リプレが戦えば、彼女の中にある『俺のルーツ』が燃え尽きる。
どちらを選んでも、俺という人間が削り取られていくことに変わりはなかった。
「……あ、が……ッ!」
砂の蛇の一撃がリプレを吹き飛ばす。 彼女が砂漠に叩きつけられた瞬間、俺の頭の中に走ったのは、鋭利なノイズだった。
(……泥の、冷たさが……消える……?)
彼女がダメージを負うたびに、リプレの中に移したはずの『泥遊びの感触』が、俺の意識の底からも完全に消失していく。譲渡した記憶は、彼女と俺を繋ぐ細い糸だった。それが今、燃え尽きようとしている。
「佐藤、さん…………」
リプレが膝をつきながら、無理やり口角を上げた。
「あなたが……『助けたい』なんて思わなければ……家族は、守れるんです。これは、私が勝手に……業務外で、捨てているだけですから……」
この事務員は俺という人間をよほどなめているらしい。
「ふざけるな! そんなのが守るって言えるかよ!」
俺は…そこまで非情になれる人間ではないんだよ!
俺は立ち上がろうとして、激しい眩暈に襲われた。 この世界のシステムは、俺の葛藤さえもエネルギーとして吸い上げている。 俺がリプレを想えば想うほど、俺の目の前には【警告:高純度エモーションの流出を開始します】という無慈悲な文字が浮かぶ。
その時だった。
「――代筆を、開始します」
リプレの声が、機械的な響きに変わった。 彼女の首筋の刻印『欠番:000』が、真っ白な光を放つ。
「佐藤アラタ。あなたの『家族への愛』を燃やさせないために、私の中に残っている、あなたの全記録を『代筆』して、この場を切り抜けます」
「代筆……? 何を言ってるんだ」
「あなたの代わりに、私が『あなた』として戦うということです。ただし、これを行えば……私の中に残ったあなたの記憶は、もう二度と、あなたには戻りません」
リプレの体が、俺のモノクロの質感に似た光に包まれる。 彼女は、俺から譲渡された断片的な記憶を種にして、自分の中に「偽物の佐藤アラタ」を再構築し始めた。
リプレが地を蹴った。 その動きは、先ほどまでの彼女のものではない。 もっと荒っぽく、がむしゃらで、泥にまみれた五歳の俺が、そのまま大人になって暴れているような、不器用な「生」の躍動。
彼女は、俺の代わりに俺の人生を消費して、砂の蛇を切り裂いていく。 俺は、目の前で自分の「自分らしさ」が、見知らぬ銀髪の女神によって美しく、残酷に代筆されていく光景を、ただ呆然と見ているしかなかった。
蛇が霧散し、静寂が戻る。 助けられた子供のロストは、リプレに頭を下げると、色彩の彼方へと消えていった。
「……終わりましたよ、佐藤さん」
リプレが歩み寄ってくる。 その足取りは危うく、彼女の瞳からは、先ほどまで宿っていた「泥遊びの懐かしさ」が完全に消えていた。 彼女は俺を救うために、俺から貰った唯一のプレゼントを、完全に燃やしきったのだ。
「……忘れたのか。泥の、冷たさ」
俺が問いかけると、リプレは悲しげに微笑んで、首を振った。
「いいえ。記録としては残っています。……でも、もう、あんなに胸が締め付けられるような『寂しさ』は、感じられなくなりました」
彼女は再び、冷徹な管理官の顔に戻ろうとしていた。 だが、その手だけは、微かに震えたまま俺の裾を掴んでいる。
「……さあ、行きましょう。私はあなたの代筆者。あなたが家族を忘れないために、私が代わりに『あなた自身』を削り続けてあげますから」
管理者側の女神が聞いてあきれる。
俺たちは、二人で一人の「不完全な人間」になった。 俺が家族を覚えているために、リプレが俺の人間性を肩代わりして燃やし続ける。 この極彩色の地獄で、俺たちの逃避行は、よりいっそう歪で、切り離せないものへと加速していく。




