『忘却のステータス ―思い出を売らなければ生きられない俺と、残業中の女神―』
―――大震災から3年たちましたが、いまだに行方不明者がいらっしゃいます。マグニチュード9は記録的な地震でして、その地域のみ起こったというのが非常に珍しいところですね。
とはいえ、亡くなられたご家族の方々にはご冥福をお祈りして―――
そのテンプレを見るたびに思う。
「祈ったって…神様なんていねーよ」
そんなこと考えていたからか、
このあと、どんな罰だよという人生を歩むことになる。
プロローグ:モノクロの残響と、極彩色の絶望
テレビの中のキャスターは、記号のような笑顔を浮かべて、記号のような言葉を紡いでいる。
『―――大震災から3年たちましたが、いまだに行方不明者がいらっしゃいます。マグニチュード9は記録的な地震でして、その地域のみ起こったというのが非常に珍しいところですね。とはいえ、亡くなられたご家族の方々にはご冥福をお祈りして―――』
居酒屋の隅、端が欠けたカウンターで、俺はその「テンプレ」を飲み下した。 祈ったって、神様なんていねーよ。 もしいるとしたら、それはきっと、とてつもなく性格の悪い事務屋に違いない。
あの日以来、俺の視界からはすべての色彩が失われた。 復興の兆しを見せる街の灯りも、賑やかな笑い声も、俺にとっては古い白黒映画のノイズでしかない。ビールの味は砂のようで、夏のはずなのに指先はいつも死人のように冷え切っている。
「……もう、いいだろ」
深夜。二日酔いの鈍い痛みを抱えながら、外へ出る。 家路に戻るはずだった。だが、ふらつく足取りは、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、いつの間にか見慣れた「がれきの山」へと向かっていた。
かつて、そこには俺の人生のすべてがあった。 「ただいま」と言えば「おかえり」が返ってくる、退屈なほど幸せな日常。それが、たった一瞬の震えと奔流によって、モノクロの泥に沈んだ。
時間は「魔法」だ。そう嘯く連中がいる。だが時間は魔法なんかじゃない。ただの「風化」だ。大切な記憶の輪郭をぼやけさせ、俺という人間を空っぽにしていく、緩やかな死だ。 最近はここを避けていた。がれきの山が、単なる「汚いゴミの集積所」に見え始めてしまった自分に耐えられなかったからだ。
だが、今夜は違った。
暗闇の中、崩れた玄関先のコンクリートの隙間から、見たこともない「光」が漏れていた。光というよりは、空間そのものがそこだけ煮え立っているような、不気味な陽炎。
「……なんだ、あれ」
立ち入り禁止のテープを跨ぎ、不安定ながれきを一段ずつ踏み越えていく。 かつての我が家の「中心」。家族が食卓を囲んでいた、その真下の地面。そこに、それはあった。
「……水晶」
建設の際、永劫の安全を願って父が埋めた鎮物。 街を、家を、家族を粉々に粉砕したあの絶望の震源にあって、それは一点の曇りもなく鎮座していた。 近づくにつれて、耳鳴りが激しくなる。脳の奥を突き刺す高音。 水晶は透明なはずなのに、中心にどろりとした「闇」を抱えていた。その闇が、俺の中の虚無と共鳴し、俺を呼んでいた。
逃げ出す選択肢なんて、最初からなかった。 俺は吸い寄せられるように右手を伸ばし、その冷徹な輝きに触れた。
指先が触れた瞬間、パキリ、と世界のどこかが割れるような音がした。 夏の虫の声が完全に消失し、重力が反転する。 視覚が上下に引き裂かれ、俺の意識は、底の見えない紺色の淵へと真っ逆さまに堕ちていった。
「――あー、もう! 納期ギリギリだって言ったでしょ! なんでこんなフォーマットが古いところでエラー吐いてるのよ!」
事務的で、苛立ちに満ちた、ひどく世俗的な女の声。 目を開けると、俺は「境界」にいた。モノクロの風景がセピア色に濁り、空間そのものが砂のように崩れ落ちている。その中心で、パイプ椅子に踏んぞり返って、空中に浮かぶ大量の青白いウィンドウを叩いている女がいた。
銀髪の美貌、豪奢なドレス。だが、その目の下には深いクマがあり、手元には飲みかけの栄養ドリンクが転がっている。
「……お前、誰だ」
「女神のリプレです。佐藤アラタさんね。えーと……あ、これ、バグですね。あなたがその水晶に触れたせいで、システムの整合性が取れなくなってます。最悪。私のボーナス、これだけで飛ぶわ」
リプレは面倒そうに俺を見下ろすと、手元の端末を乱暴に操作した。
「いいですか。あなたの『家族の思い出』、これ全部、異世界のエネルギー源として買い取らせてもらいます。じゃないと、あなたの存在データ、今ここで完全消去になっちゃうので」
「ふざけるな……。俺から、これ以上奪うっていうのか……っ!」
「奪うんじゃなくて、有効活用。あ、同意書の確認とか省きますね。定時、過ぎてるんで」
彼女がパチンと指を鳴らす。 瞬間、セピア色の世界が崩壊し、見たこともない「極彩色」が奔流となって俺を飲み込んだ。 色彩の暴力。 俺の心の中で、父の笑い声が、母のぬくもりが、音を立てて欠落していく。
【固有スキル:未完の残像(父の背中)を獲得】 【レベルが5に上昇しました】
「よし、インポート完了! 異世界、入りますよ! ほら、背中丸めない! 見栄えが悪いと私の査定に響くんだから!」
家族を失った悲しみも、三年の空白も、すべては彼女の「業務」という名の歯車に噛み砕かれ、俺の二度目の人生は、最悪の温度差とともに幕を開けた




