99話:褒美と罰
「——以上が、今わかっていることです」
シェイラは、女王グシェアネスの横に{浮遊}させた羊皮紙の内容を粛々と報告した。終えると、くるりとまるまった羊皮紙は、隣に控えた補佐官の手に収まる。
グシェアネスは、足を組んで前のめりになると、にやりと笑った。
「すべて理解した」
「これよりは、殿下ともご相談しながら、手立てを講じていきます」
「よくやった、シェイラータ」
女王は、魅惑の笑みを浮かべる。
「期待以上だ」
シェイラは目礼して受ける。
「恐れながら、わたしだけの成果ではなく、殿下が協力的であったこと、もとから担当の魔導師であったラムル師のお力添えがあってこそです」
事実を言えば、グシェアネスは豪快に笑った。それでいて美しいのだから、女であるシェイラもどきどきとしてしまう。
「まあたしかにな」
ひとしきり笑い終えると、グシェアネスは肯定する。
「ひょっとしたら、イディオン自身や、ラムルが率先して動いていれば、ふたりだけで解決できていたということだな?」
「そういうことになりますね」
なにせ、イディオンは博識で勉強熱心であるし、ラムルもまた修辞の魔導師と自称するほどその分野に長けている。
はじめから、ふたりだけでよかったという問題だ。
「だが、シェイラータ。余がよくやったと言っているのは、魔法が使えない原因を突き止めたことのみを言っているわけではない」
「はい」
「はじめに顔を合わせた時に言ったように、イディオン自身を導いてくれた、ラムルを動かした、そういうそなたの導師としての力を褒めている」
「……ラムル師を動かしたのは、殿下の言葉です。わたしではありません」
「間接的に、だよ。そう自分を卑下するもんじゃない」
「…………」
「礼も必要だな、シェイラータ。ありがとう」
女王から二度に渡って礼を言われて、シェイラは長外套のなかで体がもぞもぞとした。
ぺこり、と頭だけ下げる。
「ここまでの成果だ。褒美を取らそう。なにがよい?」
グシェアネスの言葉に、即座に断ろうとしたシェイラだったが、ぐっと呑み込んだ。昔聞いた台詞が思い出されたからだ。
「——王が褒美を取らせる場合は、臣下に対する寛容さや、手本への称賛……つまり、他に対する示しであることが多い。もし、シェイラータも、褒美をもらうようなことがあれば、受けるのが身のためだ」
ヴィクトルは、そう教えてくれた。
まだ、シェイラがロゼイユ家に引き取られたばかりで、婚約もしたばかりの子どもの頃だった。互いによそよそしかった。
そんな話題になったのは、聖王からの褒美を辞退したものがいて、辞退した人間が左遷されたという噂話が耳に入ってきたからだった。
婚約者との定期的な会談で話すこともなく、シェイラはそんなつまらない話題を口にしたのだ。
「……褒美の意図はわかりましたが、辞退して左遷……という名の罰を受ける意味がわかりません」
「そうだね。シェイラータはなぜだと思う?」
「考えてもわからないから聞いているのです、ヴィクトル殿下」
今思えば、つっけんどんでかわいくもない言い方をしていた気がする。
けれど、そんなシェイラに対して、ヴィクトルはいつでも寛容だった。ごめんね、と言って柔和に笑う。
その笑みが、あまりにも作られていて、シェイラは好きではなかった。
演技ではない。そうするのが当然と思っているものの笑み。生まれた時からそうしてきたから、気づいていないのだろう。
不快感が募る。
「王に恥を欠かせたから、と人は思うだろうね」
「はい」
「君も、そう思った?」
「そうだと思いましたが、それでは短慮だと思ったので、聞いてみました」
シェイラは平坦と答える。
ヴィクトルはほがらかに笑ったままだった。
「それもまた、示しであるということだ」
「……褒美を授けることも示しであり、褒美を辞退した場合の罰も、示しであるということですか?」
「そうだ」
ヴィクトルの肯定に、シェイラは自分の表情が歪むのがわかった。
「……つまらないですね」
「ん?」
「つまらないです。……学園の授業みたいです」
読み上げられ、決められたことを教えられる魔法学園の授業。シェイラの望んでいたものとは異なる光景。
魔法とは、きれいで、美しくて、それでやさしいものだと死んだ母は言っていた。けれど、学園で教わる内容はどこまでも決まりきった枠のなかで、楽しさがない。枠からはみ出る考えは受け入れられない。
(自分で学んだほうがよっぽど楽しいです)
そういう選択が、この目の前の王子はないだろう。すべて敷かれてしまっていて、他の可能性があると知らないから。生まれからそうであれば、自分の当然を疑いはしないのだ。
「つまらないってどういうことだい?」
「そのあり方がです」
「あり方?」
「……王とは常に演技をしなければいけないのですね。つまらないです」
シェイラが断じると、ヴィクトルの顔は厳しくなった。
「シェイラータ、言葉を選べ。そのように言うものではない」
「なぜですか? あなたが王子だから?」
「ちがう。王は……父は偉大だ。私たちは聖王家として特権を得ている。その特権に対して、責務を果たしている。父は聖王としての責務を立派に果たされている。軽んじられる所以はない」
「……そうですか」
ヴィクトルの顔は、まだ幼いながらも王家の人間の顔だった。
寛大な心がありながらも、厳しさを持つ。
帝王学で、学び育てられた人間のなんと立派なことか。
この時のシェイラは、ヴィクトル少年を嘲笑いたくて仕方がなかった。シェイラもまた幼く、人の心を知らず、母を失った人生を憂えて捻くれているだけの、ただの少女だった。
「あなたのお父君を悪く申し上げてすみません」
「…………」
「ですが、あなたも一緒ですね。あなたも、つまらない人です」
「そうか」
ヴィクトルは表情を崩さない。
「かわいそうな人です」
——敷かれてしまった人生で。
ヴィクトルの表情は変わらなかった。シェイラもまた言葉を重ねなかった。
気詰まりな空気は、その日はそのままだったけれど、次に会った時は払拭されて見る影もなかった。
いつもの柔和なヴィクトルで、シェイラはそれもまた薄気味悪かった覚えがある。
——そんな感じの自分たちだったはずなのに。
いつから、どうして、惹かれ合ったのだろう。
婚約者として、そのまま上辺だけの冷え切った関係がつづいていてもおかしくなかったのに、いつからか、お互いの心にお互いがいるのだと確信していた。
だからこそ、別れの時は、互いにずたずたに傷つけ合ってしまった。今もまだ、その傷は完治していない。きっと完治は、しないのだろう。ふいに浮かんできた思い出に、いつも支配されてしまう。
(こうやって、また息を吐き出さなければ……)
現実に戻ってこれない。
それでもずっと、楽になった。息ができるようになった。
それは、メイベ・ガザン師の教えのおかげだった。過去の憂えを忘れさせるでもなく、痛みとの共存を教わった。
「痛みを、忘れなくてもいいのよ。追いやらなくてもいいのよ。そう思って、感じている自分をやさしく受け止めるの。痛くていやだって思っている自分と、一緒に息をするのよ。来ないで来ないでって言うとね、追いかけてくるの。だから、苦しくなる。お隣にどうぞ、と言ってあげるの。そのための呼吸。そのための、瞑想。
もしそれでも、こわくなったら、息を吐く。数を数える。自分の感情を言葉にする。わたしは今、こわさを感じていると言葉に思うだけで、人は少し楽になれるのよ」
魔導呪法の制御からはじまったガザンの教えは、シェイラの心も支えてくれている。
「——どんな褒美がよい?」
すうっと意識が、現実に戻ってきた。
女王グシェアネスの迫力のある美顔が、楽しそうに待ち望んでいる。
「では……」
シェイラは考える。
なにがいいだろう。自分のやったことに対するちょうどよい褒美とはなんだろうか。
ふと、イディオンの顔が浮かんだ。
ずっといてほしい、と言っていた子の顔が。
(そうです)
シェイラが、解決しなければならないことはまだある。
絡まった糸は、そのままにしておくと絡まりつづけてどうにもならなくなってしまう。
「では、陛下。お人払いを」
ちらっと補佐官や、扉を守る近衛を確認する。
「人払い?」
「わたしはそれを望みます。ひとつ、お聞きしたいことがございます」
シェイラは、青空の双眸を見据えると、そう褒美を口にした。




