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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子─前編─

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98話:荻の誓い

 塔を出ると、(おぎ)の声が聞こえた。

 涼しさが、室内であたたまった淡紫(うすむらさき)の髪をそっとひやしていく。


 シェイラはイディオンの結われた髪が、風になびくのを見ながら喜色を浮かべる。


「突破口が見えましたね」

「ああ」


 返すイディオンの表情もよかった。生き生きとした目をしている。


「まさか、呪文や魔法陣が合わないと思わなかった」

「はい、そんなこともあるんですね」

「道理で身につかないわけだ」


 無駄なことをしてきたな、とイディオンは過去の自分を笑うように言う。

 シェイラはすぐさま否定した。


「無駄なんてことありませんよ」

「やっても意味がなかっただろう? 時間を無駄にしてしまった。成果を得られないことをしてしまった」


「ちがいますよ」


 シェイラは思いっきり首を振る。



「やっても効果がないことがわかった。努力をしてもどうにもならないものがあるとわかった。やり尽くしてもそうだった。

 ——これが成果です。それはイディさんがそれだけ努力を重ねたからこそわかったことです。効果がないとわかることもまた、成果なんです」



 研究の基本ですよ、とシェイラはやわらかく笑む。


 イディオンは足を止めた。秋風に揺れてた銀の髪が、顔を覆う。

 そのまま、言葉がつづけられた。



「あなたは……」



 シェイラも足を止めてイディオンを待つ。

 間があった。待っていると、水をたたえた柳弦(リュート)の音が響いた。



「……いつも、ぼくを甘やかす」


「そうですか?」



 シェイラは気づかないようにして、とぼける。

 のほほんと聞こえるように、小首もかしげる。


「……そうだよ」

「わたしは当たり前のことを言ってるだけですけどねえ」

「当たり前じゃないよ」

「人によって、当たり前はちがいますからね。もしかしたら、そうかもしれません」


 見ていると、隙間から落っこちるものを見てしまうかもしれなくて、シェイラはあえて前を向いた。踵だけでゆっくりと歩く。


 イディオンも付いてきた。

 また、無言の時間があった。



「——シェイラ」



 呼び止める声に、少しだけ振り向くと、縹色とかち合った。


 目に、なにかが浮かんだあとがあった。

 シェイラはそれもまた気づかないようにする。


「なんですか、イディさん」


 笑うと、イディオンはぎゅっと唇を結んで、それから中低音を鳴らす。



「ぼくのそばにいて」

「はい、いますよ」



 シェイラは安心させるようにいらえる。



「一緒にいて」

「もちろんですよ」


「……ずっといてほしい」



 その要望には、シェイラは曖昧に肯くしかなかった。けれどすぐに、誤魔化すのはよくないと言葉を重ねる。



「はい。……ノザリアンナの月(さんがつ)までは」



 イディオンからは、なにも返ってこなかった。


 残酷な返し方をしてしまっただろうか、と少し悔やむ。

 だが、さきほどのラムルとのやり取りを思えば、これがちょうどよい距離感だ。

 イディオンは王子で、魔法が使えるようになれば、きっと立派に名を馳せる。


(わたしのような異端の魔導師とはちがうのです)


 一抹の寂しさを感じながら、シェイラは前を向いて歩みを進める。



「シェイラ」



 また名が呼ばれる。

 イディオンは、前を進むシェイラを呼び止める。


「ぼくの勘ちがいだったら申しわけないのだけど……」

「はい、なんでしょう?」


「ぼくのあり方は、ぼくのあり方だ。それは、ぼくがこの立場だからこそできるあり方とも言える」


 なんの話だろうか。

 シェイラは疑問を浮かべる。


「……ひとつ言いたいのは、ぼくはあなたが……あなたであるから、ぼくを王子じゃなくて、ひとりの人間として向き合ってくれるあなたがいたから——」


 一呼吸、置かれる。



「今ここに立つ、ぼくがいる。あなたが、ありのままのぼくを認めてくれたからだ」



 シェイラは、瑠璃の双眸を見開く。


「だから、シェイラ。どこかに行こうとしないで」

「…………」

「ぼくはひとりの人間として、ありのままの、あなたに一緒にいてほしい」


 やさしい縹色は、そう、締めくくる。



(どうしましょう……)



 シェイラは込み上げてくるものをたえるために、ぱっと前を向いた。


 木漏れ陽にふと射し込むような、あたたかくやわらかい錦秋の色のようだった。ほがらかに、落ちてしまった葉を照らす。

 シェイラは、紅葉色の葉を長靴で踏む。さくっ、という音がする。



「……ノザリアンナの月までですよ」



 自分に言い聞かせるように、シェイラはもう一度期日を言う。


 約束は一年。今は、モルベンドの月(じゅうがつ)。……あと、五ヶ月。まもなく秋霞。年を超えれば、寒靄(かんあい)もやってくる。



「それまで一緒にいますね」

「……うん」

「ご一緒します」

「うん……」

「約束です」

「うん」

「……わたしのお話もそれまでにしますね」



 魔導呪法の秘密。シェイラが払った代償。



 忘れていたわけではない。言おうと、逃げていたわけでもない。

 時宜(じぎ)を逸してしまったのが一番だった。


「うん。……待っている」


 柳弦の音は、ものやわらかに響く。


(言わなければ……)


 このやさしくて、誠実な子に。

 きちんと約束を守ってやらねばならない。


 それが期日までにシェイラにできる精いっぱいのことで、これ以上イディオンとわかり合ってしまわないようにするための、誓いだった。



(第5章:できそこないの王子——前編・了——)


【5章登場人物】

ヴィクトル・オルリア ※再掲

 オルリア聖王国の王太子にして聖剣使い。金髪真紅の眼。思慮深く、国内での人気が高い。シェイラの元婚約者。


ヒバリ

 聖女。オルリア聖王国に異界から召喚された娘。ヴィクトルの現婚約者。


グシェアネス

 ガルバディアの絶対女王。イディオンの母。


エヴェリヤン

 ガルバディア女王の王配。イディオンの父。

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