97話:〈限局症〉
「では、殿下のことでもございますし、この修辞の魔導師ラムルが意見を述べさせていただきましょう」
ラムルは不遜な様子で言う。
「——殿下の状態は、〈限局症〉と呼ばれるものです」
「〈限局症〉」
言い切ったラムルに、イディオンが繰り返す。
「シェイラータ導師であれば、聞いたことがあるのでは?」
「……はい」
シェイラは気持ちが移ろうのを眺めるようにしながら離れる。
〈限局症〉という言葉を、口のなかで転がす。
六歳以降の、文字を読む、書く、数を扱う——そうした特定の学習領域だけに、極端な困難を示す。
シェイラが知っているのはそれだった。
「殿下は、魔法における〈限局症〉だと……?」
シェイラが問えば、ラムルは首肯した。
「そうだ」
「どういう状態にあるのです?」
「殿下は、呪文や魔法陣が習得できませんな」
「ああ」
ラムルが淡々と問えば、イディオンも淡然と肯定する。
「ですが、文字の読み書きはできる」
「そうだ」
「読み書きの困難さと原理は同じですな。文字という〝媒介〟を経由するから難しい。ですが、媒介を経ない会話であれば、問題なくできる」
シェイラは肯く。
思い当たる子どもだちの顔が、いくつも思い浮かんだ。
「それと同じで、殿下は、呪文や陣という媒介を経由するから難しいのです。
体系化された魔法では、必ず、呪文や魔法陣が介在しますな。それは効力を最大化し、制御するための仕組みでもあります。だが本来、文字も、呪文も、人があとから作り上げた〝道具〟にすぎない。闇魔術の研究などが好例ですな」
ラムルは足を組み替える。
「古い時代の魔法には、行為そのものが〝媒介〟となって魔法が発動するものがあります。今でも残っているものであれば、聖堂教会の修道師たちが身につける祈祷術ですな。祈りを介せば、弱いながらも癒しの魔法が発動する」
シェイラとイディオンは相槌を打つ。
ようは、とラムルは言う。
「殿下には、呪文と陣が合わんのですな。〝介在物〟が合わんのです」
「祈ればいいのか?」
イディオンが問えば、
「祈祷術は試す価値はありますが、あれは身につけるのに時間がかかる。あまりおすすめはしませんな」
ラムルは、さらっと否定した。
シェイラも同意だ。祈祷術の習得は、修道師としての修行の意味合いが強い。
「そうか……」
イディオンが思い悩むように秀眉をよせる。
一方のシェイラは、〈限局症〉という仮説に強い得心を覚えていた。
「……ラムル師は、なぜ〈限局症〉に思い至ったのですか?」
シェイラは、読み書きや算術の難しさしか知らなかった。単純に疑問だった。
「私は、修辞の魔導師だからな。師もまた文学の研究者。呪文などを研究する魔導師はそれしか学ばないでしょうが、呪文につながる可能性のある文法や修辞技法、古い物語などを紐解いているのが私だ。調べたり、現象を追っているうちに、辿り着いたにすぎん。事象としては稀だが、殿下のような状態にあるものは、九十年のうち何人か見てきた。それだけにすぎん」
ラムルの回答に、シェイラは唸ってしまった。
「……そうなのですか」
「ふんっ。年の功というやつだ」
「いえ、ありがとうございます。わたしの経験では気づかないことでした」
ラムルの尊大な様子に対して、シェイラはぺこっと頭を下げた。
敬意を表する。
人への態度に横柄なところがあっても、この人もまた立派な人であった。頭が上がらない。
「ラムル師が教えてくださらなければ、わたしは延々と殿下に呪文や魔法陣をどう習得していただくのがよいか考えるところでした。ありがとうございます」
「……ふんっ」
礼を重ねれば、ラムルは鼻息荒くよそを向いた。
礼を言われるのもいやそうなラムルに、シェイラは苦笑しつつ、話をまとめあげるように尋ねた。
「では、殿下は、呪文や魔法陣を介さない形であれば、魔法を使える可能性が高いということですね?」
「そういうことだっ」
「その〝介在物〟が見つかれば、〈導脈〉の制御も可能になるということですね?」
「そうであろうなっ」
「介在するものの当ては……?」
「知らんっ。私の専門外だ」
けんもほろろに言うラムルであった。
シェイラは、もう一度ラムルに頭を下げる。
「わかりました。ラムル師からお話を聞けてよかったです。お時間を頂戴しまして、ありがとうございました」
「ラムル、感謝する」
つづけてイディオンが謝辞をあらわにしても、ラムルの態度はそのままだった。
「用がすんだのなら、とっとと行きたまえっ。私は忙しいのだっ!」
ふんっ、とまた鼻を鳴らすと、腕も足も組んでしまった。
シェイラは立ち上がってラムルの前を通り過ぎる際に会釈をする。
ラムルは、怒りをあらわにすることはなかった。




