96話:王子の軸
「——して、なにようかねっ」
フェノアの姿が見えなくなると、ラムルの変わり身ははやかった。
途端に、唾でも吐き捨てそうな勢いで言う。
さっきのは見なかったことにしよう。
シェイラとイディオンは、どちらともなくそう思う。
「……すみません、ラムル師、お聞きしたいことがございまして」
「前口上はいらんっ。用件をとっとと話したまえっ」
ラムルは、せっかちさを隠しもせず、足を小刻みに揺らす。
「その態度はやめてくれ」
「……はい?」
イディオンがたしなめるように口を開いた。
ラムルが驚いて、イディオンを見る。
「シェイラは、そなたの補佐として、ぼくのためによくやってくれている」
「補佐なのですから当然です」
「だとしても、その態度はシェイラの懸命さに失礼だ。主はそなたのはず。きちんと相談に乗ってくれ」
イディオンの言葉に、ラムルは足を刻むのをやめた。片眼鏡をくいっと上げる。
シェイラも目をぱちぱちとさせてイディオンを見る。
「……ほんとうに殿下ですか?」
「もちろん、ぼくだ」
ふむ、とラムルは、片眼鏡越しに目をすがめてイディオンを覗く。
イディオンは一瞬たりともびくともしなかった。
「態度をあらためてくれ。——でないと、フェノア師に言う」
むしろ、この言葉のほうが効果てきめんだった。
ラムルはきりっと痩せ細った長方形の体を伸ばすと、返事をして談話室の椅子にシェイラとイディオンを促した。対面するようにして座る。
シェイラは、隣に当たり前に座ったイディオンに、囁くように礼を告げる。
「ありがとうございます、イディさん」
「王子とは、いい身分だな」
イディオンは屈託なく笑う。
「権力に溺れそうだ」
「イディさんなら、絶対にそんなことありませんよ」
「過信しすぎだ」
「事実ですよ」
シェイラはラムルに向き直る前に一言付け加える。
「イディさんは痛みを知る方ですから。権力に溺れるなんて、人の痛みを無視することできません」
言ってシェイラは、ラムルのほうに視線を移したので、イディオンが目を見開いたのには気づかなかった。本題を告げる。
「お聞きしたいのは、呪文と魔法制御の根幹についてです」
シェイラは、簡潔に聞きたいことをまとめた。
話しはじめに、目的や全体像を短く伝えられると、人というのは見通しがつく。聞き耳を立てやすくなるのだ。特にセレリウスのような人間はそうだ。
このラムルという人間も、その種であると推察していた。
「ふむ」
ラムルは用件がわかると、いらだつ様子はなかった。
つづきを話したまえ、と言わんばかりに片眼鏡を持ち上げる。
「ここ最近でわかったのは、殿下の……魔法が使えない理由は、〈導脈〉の魔力がご自身の心象風景に食い潰されている、ということです」
「ほう」
「これはあまりないことですが、調べてみるとわかりました。〈導脈〉が育ちきっていない子どもには、たまにあることだそうです」
「なるほど。私はそのあたりは詳しくはないがな」
「はい。ですが、ラムル師にお聞きしたいのはそうではありません」
シェイラは、イディオンを一度見てからつづける。
「通常、そのような子どもたちであっても、学園で魔法を学んでいくうちに〈導脈〉の魔力制御を覚えていきます。そして問題なく魔法が使えるようになっていく」
「……ふむ」
「殿下の場合は……それができないのです。呪文を覚えられないからです。読むことも書くことも難しいと。そして、魔法陣はわかっても、書くことができない。
ですから、わたしは魔力制御が難しいと考えています。通常であれば、呪文などを通して〈導脈〉を制御していくのです。ですが、殿下はそれができず、制御が難しいまま心象風景に膨大な魔力を食い潰されていると仮説立てています」
シェイラは滔々と語った。少しだけ弁が熱くなった気がする。
一方のラムルは、
「なんだそのようなことか」
やれやれ、と聞いて損をしたと言わんばかりの顔をした。
「そうに決まっているであろう」
断言をする。
「……ご存知だったのですか?」
シェイラが驚いて問うと、ラムルは大袈裟な溜息をついて大きく足を組んだ。
「知るもなにも自明であろう。そんなことで私を訪ねに来たのか」
「ではなぜ……」
それをだれにも伝えていないのであろうか。
これまでの医術師や、医療魔導師、他にもイディオンのもとには魔導師たちが来たはずだ。
原因がわかっているのであれば、手立てを講じられるではないか。
シェイラは気色ばむ。〈導脈欠損症〉の誤診について聞いた時と同じように、腹の奥でいらだつものを感じた。
ラムルは冷淡であった。目の前にいるシェイラを傲然と見下すように言う。
「——言ったところで、だれも信じまい?」
瞠目した。朽葉色の双眼を覗き見る。
これまでに出会った、教師や教導師、育司士たちの目のなかに映っていたものと同じものを、ラムルのなかにも見た。
葛藤、あるいは揺れや諦め。そういうものを。
ラムルのそれは、すでに諦念を通りすぎて、塵が積もり風化し、堆積岩のように固まってしまっているような気がした。魔導師の寿命が、通常の人より長いゆえの堆積のようであった。
継ぐ言葉を思いつかず、シェイラは唇を開いたり閉じたりした。
(この方に……)
どのように伝えるのがよいだろう。
シェイラの十八年のなかに、自分よりずっと歳上の魔導師に対する言葉は見つからない。気持ちを想像し、それっぽい言葉をかけようと思っても、嘘くさく聞こえてしまう。
なによりラムルは、シェイラが心からラムルに共感していたとしても、そういう言葉を喜ばない気がした。
なんと言えばいいのかわからない。
選ぶ言葉を、見つけられなかった。
「——ラムル」
切り開いたのは、イディオンの声変わり前の高い声だった。
だれもいない談話室に、詠嘆とした響きが残る。
「信じる信じないは一端置いておいてくれ」
「ほう?」
「これは、ぼくのことだ。ラムルが導き出したことがあるのであれば、ぼくには聞く権利があるはずだ」
「……ふむ」
「聞いて、実際に試す。その結果をもってして、そなたの言ったことが真であるとわかろう。結果を見ればわかることだ。それは得体の知れない信じる信じないというものよりも、道義であろう?」
「ふむ……」
イディオンの言を聞いて、ラムルは髪の色と同じ鉄釜色の片眉をくいっとあげた。腕を組んで、イディオンを見定めるようにする。
シェイラは、隣のイディオンを見た。
少年に流れる、第一王子として張った根や軸をふいに感じる。
おそらく、ラムルも同じだった。また片眼鏡を直しながら述べる。
「たしかにそうですな。私も表面的に信じると言われるよりはよほど耳当たりがよい」
「そうであろうな」
イディオンが自信をもって首肯する。
その自信は、どう言葉を選び取り、どう発言し、どういう見せ方をすれば、人が付いてくるのかわかっているような、堂々としたものがあった。
シェイラほど思い悩むことなく、人を寄せつける強い力。輝き。
(この子は……いえ、この方は……)
誠に為政者なのであろう。
そういう自分を持て余すことなく、甘えさせることもなく、自分を磨いてきた。原石ではなく、すでに研磨された貴石。石座から外れて転がってしまい、忘れられているだけで、その座に戻れば輝きを放つ人なのであろう。
魔法が使えないということから、シェイラはイディオンに対して、同情や、仲間意識、そういったものを感じていた。親しみとも言える感情は、時に踏み込みすぎて近づきすぎたゆえに怪我をし、だからこそ互いの傷をわかり合ってしまったような、そんなつながりがイディオンとのあいだにはあった。
だが、イディオンはガルバディアの第一王子だ。たとえ、王太子でなくても、その身には濃く王族の血が流れている。
(火傷は……もう十分です)
ヴィクトルとのあいだに横たわっていたものとは異なる。
けれど、つきっと痛むものがシェイラをさいなんだ。すうっと足を引きたくなる。
(イディさん、なんて気軽に読んじゃだめですね)
きちんと期間限定の導師として、立場をわきまえなければいけない。
そう思うと、少しだけ、ほんのわずかに、霧砂が残留するようであった。




