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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子─前編─

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95話:歌劇の題材

「——フェノア」


 シェイラが、イディオンを伴って、フェノアの研究室に顔を出すと、フェノアはなにかの楽譜を見ながら、音律を取っている最中だった。

 汚部屋と言われていた研究室は、シェイラの自動化魔術によって、現在はなんとかまともな体裁を保っている。使いっぱなしの茶器なども今のところ放置されていない。


 内心でほっとする。

 フェノアは、すぐにぱっと顔をあげた。シェイラを認めて、それから後ろに見えたイディオンの影を捉えると、椅子が倒れる勢いで立ち上がった。



「殿下じゃございませんか!」



 倍音の乗った声が研究室に反響する。


 少しだけ、耳が痛くなった。

 イディオンは、慌ててシェイラの長外套(ローブ)に少し隠れ、肯くようにする。



「ほんとうに、殿下ですのね! すごいわあ、シェイラ。やっぱりあなたってすごいのね。殿下がこんなぼろぼろの大学塔に顔を出されるなんて、はじめてじゃないですか」



 フェノアは立ち上がると、研究室から出るようにして、シェイラとイディオンを共同空間の談話室に追い返すようにした。後ろ手に閉めると、イディオンをまじまじと見ながら言う。


「はじめまして、殿下。フェノア・マリアと申します。と、言いつつも、わたくしは宮殿で歌を披露しておりますので、お見知りではあるかもしれませんが」

「イディオンだ。いつも宮中を盛り上げてもらって感謝する」


「まあ!」


 フェノアはうっとりと頬に両手をやった。


「とてもいい声をされておりますのね! フィシェーユの去勢歌手(カストラート)も顔負けのお声ですわ! どうです? うちの国に遊学されませんか? 三王の一人が手ほどきいたしますわよ?」

「フェノア、イディさんに野蛮な誘いはやめてください」


 シェイラは白い目で言う。


「あら、野蛮な誘いって失礼ね」

去勢歌手(カストラート)は、野蛮であると一部から非難されています」

「それは決めつけね。ちゃあんと、本人たちが望んでやっているんだから。

 ——どうです、殿下? あとは殿下のご意志のみですわよ?」

「……丁重に断る」


 イディオンがいささか引いた様子で言えば、フェノアはつまらなそうに肩をすくめて両手をあげるようにした。

 フェノアのことだから、これからもイディオンに何度も誘いをかけるような気がする。

 シェイラは危ない魔導師と引き合わせてしまったと、げんなりした気分になった。



「——それで、わたしになにか用?」



 フェノアは、うふふ、と朱唇を妖艶に描きながら、シェイラに本題を尋ねる。


「ラムル師の研究室はどこか知ってますか? この階の談話室を共用していないので、わからず」


「げっ」


 シェイラが答えると、フェノアは美しいかんばせを不愉快そうに歪めた。

 そんな顔をするフェノアをはじめて見たので、シェイラは目をぱちぱちとさせる。


「仲悪いんですか?」

「……ちがうわよ。ラムル師は、わたしに気色悪い恋文を送りつけてくるから、あまり関わり合いたくないのよ」

「え」

「あの魔導師、言葉の選択が絶望的に古いのよね。今時、歌劇でもあんな言葉使ったりしないわ」

「……そ、そうなんですか」


 長葱の新しい一面を知ってしまって、シェイラは一瞬だけ引いてしまった。


(いけないですいけないです、シェイラータ)


 そうやって人に対して偏見を持ってはいけない、と自分をたしなめる。


「……まあ、仕方ないから教えてあげる。あんまり関わりたくないのに教えてあげるんだから、なにかと引き換えじゃないと、割に合わないわ」


 フェノアは言うと、性の悪い笑みを浮かべた。傾国の笑みだ。

 シェイラはいやな予感を覚える。


「ねえ、教えてよ」

「なにがですか」

「決まってるじゃない!」


 フェノアは、両手を合わせてうっとりと言った。


「あなたの恋の話! 両想いだったんでしょう?」


「……覚えてたんですか」


 シェイラは食い気味のフェノアに後退る。

 後ろに隠れていたイディオンが、ちらっとシェイラを見上げた。


「覚えてるに決まってるじゃない! そんなおいしい話題!」

「いやですよ。引き換えにしません。身売りじゃないですか」

「ええー。だって、絶対に面白いじゃない!」

「……面白くありませんよ、なにも」


 シェイラは、ぽつりと言う。



「もう……、どうにもならないんですから」



 シェイラが、言い聞かせるように噛み締めるのを見て、フェノアは、数秒その様子を見てから、にやっと笑う。

 ラムルの研究室に足を向けながら、楽しそうにつぶやく。


「そう。悲恋なのね?」

「…………」

「悲恋はいいわねえ。歌劇でも、舞踊劇でも、いい題材」

「……わたしのは、題材になりませんよ」

「どうかしらねえ。だってあなた、オルリアの貴族だったのでしょう? だけど、貴族の位を剥奪されている。それと関係あるのじゃなくって?」

「…………」

「もうっ、だんまりなんだから。でもまあ、今日のところはこれくらいにしておいてあげる」


 フェノアは、見上げるイディオンを瞥見(べっけん)する。


「こわい御方が睨みを利かせているもの」


 フェノアは、ころころと美しい声を転がす。

 言われてシェイラは、はじめて気がついたように、イディオンを見た。苦笑する。


「つまらないお話を聞かせましたね」

「いや。だが、フェノア師、」


 イディオンはシェイラの言葉を短く否定してから、柳弦(リュート)の音を低くした。


「シェイラをいじめないでやってくれ」

「あら」

「シェイラが困っている」


 聞こえてきた声に、シェイラは感動してめまいがした。歩む足元がふらつきそうになる。



(なんていい子なんでしょう……!)



 歌劇を見なくても涙が込み上げてきそうだった。


「あらあらあらまあまあまあ」


 フェノアも感激したように両手を頬にやった。


「わかりましたわ。いじめるのはやめておきます。殿下に免じて、お代はこれでということで」

「助かる」


 イディオンの返事に、フェノアは、ふふんと鼻歌を歌いはじめる。足で音律でも刻みはじめそうだった。そのままの機嫌で、階段を下りて辿り着いたラムル師の研究室の戸を叩く。



「なにかねっ」



 不機嫌さ丸出しの返答に対して、フェノアは機嫌よく戸を開けて、鈴鉢の音を奏でた。



「ちょっといいかしら。シェイラがあなたに用があるみたい」



 扉を開いた先のラムルは、卒倒しそうになった。

 そのまま後ろに倒れて頭をぶつけて失神しそうな勢いだったが、ぐらりと細長い体をなんとか維持する。



「我が女神っ!」



 ええー。


 おそらく、シェイラとイディオンの内心だった。


「よもや私めのところにご降臨されるなど……!」

「まあまあ、崇拝するのはよくってよ。わたし、今とっても気分がいいのよ?」

「女神がご機嫌でいらっしゃる! ああ、なんたる僥倖! なんたる命運!」

「そのままに、わたしの言葉を聞きなさいな? シェイラと殿下の話をきちんと聞くこと。これは命令よ?」

「御名のままに!」

「そう。ではよろしくね」


 フェノアは優雅に手をひらりとさせ、黄金のゆるやかな髪からふわりと芳香を残していくと、去っていった。


 シェイラとイディオン、ラムルだけが残される。


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