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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子─前編─

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94話:うだつの上がらない男


 ラムル・クナトスは、魔導師歴九十年、うだつの上がらない男、と称される。


(勝手に言いたまえよ)


 ラムルより後輩に入って、ラムルより出世していった魔導師は何人かいる。そいつらは、ラムルに嫌味をさんざん言ってきたが、ラムルとて、好きで出世してこなかったわけではない。

 ラムルが専門としている事柄が、出世に寄与しないたぐいのものであったからだ。



「——文学を極める、言葉ひとつを調べる、というのは、つまらないように見えて、とても重要なことなのだよ、ラムルや」



 そう言ったのは、ラムルの師に当たる人物であった。もう五十年前に死している。

 ヴェッセンダリアの十二老師のうちひとり、詩人の魔導師と呼ばれる老師——ではなく、老師に師事したことのある、偉大な師であった。



「私はつまらないとは思いませぬ」



 むっとしながら、ラムルが言うと、ほっほっと師はたくわえた白い髭を愉快そうになでた。



「それは、おまえのよきところよのう」

「くだらないことは、言わせておけばよいでしょう」

「そうだがのう」

「師は、私より長く生きているのに、そのような戯言に心を乱されるのですかっ」



 ラムルは、若い頃は血気盛んだった。


 今も、いらだてば、感情が言葉に乗ってしまうが、もっと行動に出やすかった。文学を嘲弄するものを殴ったことは幾度と知れない。そのたびに、おだやかな師が仲裁に入り、腫れ上がった顔のまま謝罪したことはいちいち記憶していない。


 行動を抑えるためにラムルが辿り着いた戦法が、


「くだらない」

「戯言だ」

「勝手に言え」


 など悪態をつくことや、内心で古今東西の罵詈雑言を浴びせることであった。


 おかげで行動には出なくなったが、ラムルは常にいらいらし、眉間にしわを寄せ、文学を下に見る愚者めが、と煮立った鍋のような感情を持て余すようになった。

 ラムルが常にいらいらしていると言われるようになった経緯であった。

 そんなラムルに対して、師はのんびりと、「まあ殴るよりはよかろうなあ」とたしなめることもせず、構えていた。



「——戯言なのはそうなのだがな。人とは地道なものよりもすぐに結果の出るもの、地味なものよりも派手なものというのを好むものよ」


「くだらないですなっ。基礎を愚かにして、すぐに結果は出ますまい。地味な言葉が、数多の男女の心を揺らし、果ては国をも傾けることになった。見かけ倒しの派手さなど、魔導具だけで腹いっぱいです」


「お前は、その地味な言葉で、初恋の君から絶縁されたよのう。言葉とは使い方によってかくも鋭利な刃となる」



 若い頃の失敗を掘り起こすのはやめていただきたい。

 師は耄碌しているので、折にふれて何度もこの話を繰り返す。



「——ラムルは、言葉や文学が好きかねえ?」



「なにを当たり前のことをっ。出なければ、大学府に残って、こうして先生に師事をしたりしないでしょう。後ろ指さされようが、日がな文献をめくっているのは、好ましいからに決まっていましょうっ」


「そうかそうかあ」


 師は、目元に三日月を描いて髭をゆっくりと何度もなでる。


「お前は、基礎研究というものがなにか、文学というものがどのように人生を豊かにするか、考えたことはあるかい?」


「……さあ、どうでしょうね。好ましいものなので考えるというよりも、自然とやっていることのほうが多いですが」


「よいことだのう」


 師は眩しそうに目を細める。


「わしはな、ラムル」


 一拍置かれる。


「文学とは、あらゆる学問の基礎であり、土台であるように思っている」

「……なにを当たり前のことを」


 ラムルは言う。


「言葉がなければ、あらゆるものは紡がれますまい」


 魔法なんかまさにそうだ。言葉がなければ、闇の魔術なんかは危なっかしくてしようがない。


「それを当たり前と思える者と、そうでない者がいる。そうでない者は、学園や学院の教育課程から、意味がなく、将来役にも立たない文学などという学問は除いてしまえ、と言うのだよ」


「そんな短気なものがいるんですかっ。あれは、将来の呪文詠唱や魔導書作成、果ては人生の恋路を豊かにするものでございましょう! 大魔導師サージェストもそれをわかっていて、教導目録の原典に文学を必修とすることを明記したのですよっ」


「……短気はラムルにだけは言われたくないだろうねえ」


 師は、茶を啜るように言う。


「だがしかし、」


 茶菓子もたしなむように、師はつづける。


「それを当たり前と思っているお前が、わしの教え子でよかった」

「……先生は偉大な方です。でなければ、師事しませんでした」

「ありがたいねえ。もう百年ほど生きられそうだ」


 そういえば、師はいくつなのだろうか。


 詩人の魔導師と呼ばれる老師が齢六百は越えるというのだから、それより年輪は重ねていないと思われるが。


「わしも、ラムルを見習って、メイベ・ガザン老師に恋文でもしたためるかのう」

「私が助力いたしましょう」

「お前に助けられたら、うまくいかないのは確実だ」



 柄杓の酒を口にしながら、ラムルは、師とのそんなやり取りを思い出す。



(さて)


 ラムルは、己に充てがわれた研究室で、古びた叙事詩を手に取る。


 シェイラータという導師が来てからというもの、福音ノ日はラムルの貴重な研究の日だ。

 先日、陶工に作ってもらった飲んでも飲んでもなくならない壺はとても有用で、このなかに入れた愛すべき白い葡萄酒を呷りながら、好きな文学をたしなむのがここ最近の楽しみであった。


 酒と文学と恋は、いつだって人生を彩り豊かにするのだ。

 ラムルは思いながら、叙事詩の一端をめくる。

 黒檀に願われて、第一王子の魔法が使えない原因究明をするようになってからこの方、ラムルは悪態をつきながらまずい酒を啜ってばかりだった。



(あんなもの、原因ははっきりしておろう)



 ラムルからすれば、単純明快。


 医術師や、医療魔導師というのは基礎を疎かにしているから、理由がわからないのだ。


 うだつの上がらないラムルの言うことなど、案の定、まともに取り合われなかったので、匙を投げている。

 どうせ、ろくすっぽ聞いてもいないにちがいない。


 あのシェイラータという若い女もどうせラムルのことを下に見ているに過ぎないのだ。メイベ・ガザン老師の直弟子だからと黒檀から持て囃されて、これまでの魔導師どもと同じで、ラムルのことをばかにしているのである。


(酒がまずくなる)


 柄杓でひと掬いののち、ラムルはいらいらとした気持ちを持て余す。


 こういう時は、フェノア・マリア導師への恋文でもしたためておくとよいのだ。そうすると、酒は自然とうまいものになり、どのような言葉を用いようかと研究もはかどる。


 ラムルは、叙事詩をめくる。貴重な書物に酒をこぼさないようにだけ気をつけながら、叙事詩を参考に、恋文を綴っていく。

 そんな時、こんこん、という軽快な扉を叩く音があった。


 ラムルは集中を妨害されたいらだちで、


「なにかねっ」


 と適当な返事をする。



「——ちょっといいかしら。シェイラがあなたに用があるみたい」



 扉から、フェノアが顔を覗かせれば、黄金の秋色のような美しさにめまいがして、ラムルは顎を落としそうになった。


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