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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子─前編─

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92話:心象風景と〈導脈〉(1)

 福音ノ日の朝は、久しぶりにあまいにおいがたち込めた。明け方かすかなうちに、〈蟲〉の襲来を告げる、鐘の音が聞こえた気がする。


 シェイラは仮住まいの寝台から起き上がると、日課の瞑想を終えてから、急いで身支度をして、部屋を出た。共用空間の石煉瓦は少しだけ寒さを溜め込んでいた。扉から出ると、新涼の空気に、薄紅葉のにおいが香った。


 そわそわとした気持ちで、朝の開門を待って、シェイラはぐんぐんと王城のなかの小路をのぼっていく。

 調べたこと、行きついたことを、イディオンに話したくてたまらなかった。



「——おはようございます!」



 王子宮に辿り着くと、宿直(とのい)の近衛があくびをしていた。赤髪のゼイドは昼に勤めていることが多いから、あまり見たことのない近衛であった。


 近衛のほうも、一瞬だれだったかと目をこすっていたけれど、シェイラの肩留め徽章を確認した途端、思い出したように眠そうな目をぱっと開いて挨拶を返した。


「朝はやくごめんなさいです。——殿下はもう起きていらっしゃいますか?」

「はい。今朝はいつもよりはやくお目覚めで」

「お邪魔しても大丈夫ですか?」

「もちろんでございます」


 どうぞ、と促されるより先に、内側から扉がぱっと開いた。

 すっかり王子の身支度をし終えたイディオンが目に入る。



「イディさん!」

「シェイラ!」



 互いに興奮したように名を呼んだ。

 イディオンもまた、シェイラと同じようになにかを話したかったのだろうと察して、ずかずかとシェイラは宮に入る。


「おはようございます!」

「うん、おはよう」


 片づけられた魔法の研究室に招き入れられると、シェイラは思い出したように挨拶をした。イディオンからもおだやかに返される。


 なにから話そう。

 シェイラがもぞもぞとしていると、イディオンのほうが先んじて話をはじめた。


「シェイラ、ぼく、調べてわかったことがある」

「はい」

「先週の、シェイラがぼくの〈導脈〉を通して入った世界のこと」


 イディオンは、早口だった。名を呼んだ興奮のまま話す。



「——心象風景」



 シェイラとイディオンの声が重なった。

 辿り着いたのは、同じ結論らしかった。ふたりではっとして、笑い合う。

 シェイラは言葉を継いだ。


「あるいは、内的世界と呼ばれるものです」

「無意識の領域でもある」


 イディオンもまた付け足す。

 こくんと、肯き合った。


 イディオンが腰を下ろした肘かけの長椅子に、シェイラも座る。そのまま、喋り出した。


「イディさんの魔力は、この内的世界に食い潰されている可能性が高いです」

「うん」

「滝壺に落ちるようだったと申し上げましたよね?」

「うん」

「魔力がすべてこの世界の構築に呑まれているのだと思います」


 イディオンはしっかりと首を縦に振った。

 シェイラは尋ねる。


「イディさんは、なぜそう思ったのですか?」

「昔から夢見る世界だったから、というのが大きい」

「昔から、ですか?」

「そうだね。そこを歩き回る夢で、特になにかが起きるわけでもない不思議な夢だ。あなたが感じたのと同様に、雪の冷たさや感触などの感覚もしっかりとあって、ずっと不思議で……居心地のよい場所だと思っていた」


 イディオンの声音はおだやかだった。


「実際に、雪原に足を運んだことはないんだ。けれど、すべての音を受け止める広大な雪原というのは、とても興味があって、いずれ見てみたいと幼心より思っていた」


「イディさんの心、そのものって感じがしますよね」


「ぼくの?」


「広くて、どんなものも受け止めてしまう、やさしい心です。音さえ受け止めてしまうのなんて、素敵です」


 シェイラが言えば、イディオンは目を見開いてから苦く笑う。


「そんなに心が広かったら、魔法から逃げたりしないよ」


「それはそれ、これはこれ、ですよ。ふつう、逃げますもん。十分戦ったあとですし——」


 シェイラは、ほほ笑む。


「もう十分傷ついたのですから、いいのです。それでも、広大さを失わず、白銀の美しさをたたえているなんて、とても立派です。尊敬します」


 目を見て伝えると、イディオンは数秒固まって、それから俯いた。色白の首筋から耳元までが、蘇芳(すおう)色になっている。足をぶらぶらとさせて、なんとか恥ずかしさのようなものにたえているようだった。

 一瞬シェイラを一瞥すると、イディオンは小さく言う。


「シェイラは、いつもぼくを褒める」

「そうですね。わたし、褒め上手ですよね?」

「自分で言うのか?」

「自分で自分を褒めることも大事ですので」


 あきれたようにイディオンは、シェイラを見た。

 にっこり笑えば、イディオンは恥ずかしさなんてどこかに吹き飛んでしまったように、ふっと息をもらして笑った。


「不思議な人だ」


 シェイラは、それには笑みで応じ、話を戻した。


「まあですが……、内的世界に魔力が食い潰されているというのはあまりよろしくありません」

「……うん」

「おそらくイディさんも行き着いたと思いますが、このまま放っておくと、いずれ——」


「暴発する」


 イディオンの言葉に、シェイラはしっかりと肯いた。


「はい。このままでは魔力を吸い込みすぎた世界が、イディさんのなかで抱えきれずに暴発をする可能性があります」

「さすがに自分で作り上げた雪に埋もれたくはない」


 イディオンはいやそうな顔をする。


「そうですね。そもそも、心象風景というのはだれにでもあるものです。ですが、他者が少し干渉するだけで、入り込めてしまう世界……それもたしかな感覚を得られる世界を構築できるとなりますと、維持も含めて、かなりの魔力を使っているはずです。それが可能なほど、イディさんのなかで作られている魔力は強いものだと思います」


「なぜ、そう思う?」


「一部ですが、視ましたから。わたしはこれまでさまざまな方の〈導脈〉を視認してきましたが、あれほどの強さの光を視たことがありません」


「…………」


「まちがいなく、女王陛下よりも強いものでした」


 シェイラが断言すると、イディオンは口角を片方あげて暗く笑った。


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