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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子─前編─

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89話:雪原



「ここは……」



 長靴が、ざくっ、と踏む感覚を得た。


 シェイラの声が出る。けれど、その声は今踏みしめたものに吸い取られてしまったように、反響しなかった。


 ざくっ、ともう一歩足を踏み出す。



「——ここは、なに」



 雪原。針葉樹の森。冷たく、強烈な寒気が、シェイラの頬を撫でた。

 空には、極光(オーロラ)の窓布がゆれ、逆さになった岩の渓谷が浮かんでいた。谷間を流れる河もまた逆さに重力が働いているように流れている。


 異様なのは、空だけではなかった。

 気配を感じて振り向く。


 顔のない、人形模型(マネキン)。外套を羽織り、冠をかぶっている。顔がないままに、針葉樹の先にある、砂岩の城を目指していた。


 宙をいくつも飛ぶのは、白い翼。折り重なり、風車のようになった翼が回りながら、宙を飛ぶ。


 極めつけは、目だった。


 黒い瞳の、人間の顔もあるほどの目が浮かんで、シェイラを凝視していた。まばたきもせず、じいっと。じっと、シェイラの姿を監視している。

 シェイラは、かたまる。


 見られている。そして、見ている。


 睨み合いと言ってもいい時間が経過した。

 シェイラもまた、またたきせずに見返していると、ふっと目のほうが興味をなくしたように視線をそらした。

 そうして、目は目のまま、人形模型のあとを追っていく。

 城を目指すようにして。


 シェイラは、ふっと息を吐くと、急速に体が脱力していった。



《……ラ》



 とても消耗を覚える。

 ここはどこなのだっけ。わたしは、なにをしていたのだっけ。

 次は、なにをしなければいけないのか。



《——シェイラ!》



 耳元で、大きな声が聞こえて、シェイラは、はっと目が覚めた。

 秋の空気が戻ってくる。窓から入り込んできた風が、頬をなでた。



「シェイラ……!」



 焦ったイディオンの顔が目に入った。


 シェイラは、息を吐き出す、それから吸い込んだ。息が止まっていた。そして、イディオンの腕を取ったまま、もたれていたようだった。

 汗が、噴き出す。心臓の鼓動が早鐘を打っていた。


(今のは……)


 シェイラは顔をあげて、イディオンを見つめた。そこに消失する魔力を見つける。



 イディオンが、シェイラの頭に抱きつく。ふわっとさきほど立っていた雪原の香りがするようだった。



「シェイラ、びっくりした。急に意識を……」

「わたしは……」



 今、いったい、なにが起きたのだ。


 ぎゅっと、イディオンが母に泣きつくようにシェイラの頭を抱き寄せる。そのまま、声をあげて泣き出してしまうのではないかと思った。

 シェイラは脱力を感じながらも、イディオンの頭を抱き返す。よしよし、と髪をなでてやる。


「ごめんなさい、イディさん。……ちょっと不測のことがありました」

「…………」

「すみません。うっかり」

「……やめてくれ」


 目の前で心配になるようなことはしないでほしい。


 イディオンはそう言っている。

 やっと、頼ってみたいと思った人物に出会えたのに、そのよすがを奪わないでくれ。

 そう言っているようだった。

 しばらくして顔が上がる。


「なにがあった」


 イディオンが問う。


「わかりません……」


 シェイラは正直にこたえた。


「わからない?」

「イディさんの〈導脈〉の魔力をさぐっていたら、いつの間にか知らないところに……」

「知らないところ?」


 なんだそれは、とイディオンは首をかしげる。

 かしげてから、聞き逃してはならない単語があったことに気がついて、シェイラを見る。


「〈導脈〉? ぼくに?」

「そうです。きちんと魔力もありました。青くて銀色のきれいな色でした」

「ばかな」


 自分のことなのに、イディオンは否定する。


「いえいえ、ありましたよ。ちゃんと{解析}しましたから、まちがいないです」

「ありえない。ぼくは、〈導脈欠損症〉だと言われた」

「そんなばかな」


 シェイラが今度は否定した。

 否定とともに、怒りが沸いてくる。


「だれがそんなことを言ったんです?」

「医術師と医療魔導師たちだ。ぼくは、数年前にそう診断されている」


 イディオンの言葉に、シェイラは額にぴきっと青筋が浮かぶようだった。久しぶりに、怒りを覚える。


「ありえません! 医術師でないわたしでもわかることです!」

「シェイラ……」

「許せません。なぜ、そんな診断を。そいつら、だれですか。わたしがぶん殴ってきて差し上げます」

「……暴力はよくない」


 少しだけ後ろ暗そうに、イディオンがシェイラをたしなめる。

 それでも、シェイラは怒りが沸いてきた。腹が立つ。そう診断した魔導師や医術師たちに。


「シェイラ、落ち着いて」

「ですが……っ」

「落ち着いて、大丈夫。ぼくは気にしていない。あなたから今聞いて驚いたが、大丈夫だ。それよりも、知らないところって? どういうこと? そっちを教えて」


 なだめられて、シェイラは怒りを息を吐き出すとともに、どうにかおさめる。呼吸を思い出す。一、二、三……数えているうちに、怒りが凪いでいく。


(あとで調べてやるんですから)


 そんな適当な診断をしてきたやつらを。

 最後にそう思って、気持ちを切り替える。

 イディオンの問いに、答える。


「……雪原がありました。気づけば、そこに。たしかな感覚があって……もしかしたら意識だけ飛んでしまったのかもしれません」

「雪原?」


 どんな? と訊かれて、シェイラは見たものを語った。風景からものまで、広大に見えた世界について話す。


 そうすると、イディオンは黙り込んでしまった。

 しばらく考えてから思い出したように立ち上がると、棚からひとつ、なにかを取り出した。

 大きめの写生帳、だった。


「それって、もしかして……」


 言いながら、空き瓶に適当に入れられていた角墨(コンテ)を取り出す。

 それからシェイラが驚く速度で、ざっざっ、と風景を描きはじめた。まるで、シェイラと一緒に見てきたような鮮明な絵を、白黒で描き出す。奇妙なものたちもまた写実的で、色がないだけで、目の前にいるかのような立体感のある絵だった。


(イディさんは絵の才能もあるんですね)


 それは神童などと褒めそやされるわけだ。

 シェイラには、こんな絵を描くことはできない。



「——こんな感じだった?」



 あっという間に書き終えたイディオンに、シェイラはしっかりと肯いた。


「すごいです。わたしの言葉だけで、よくこんなに正確に再現されましたね。まさに、そんな世界でした」


 シェイラが答えると、イディオンはまたもや黙り込んでしまった。

 角墨で汚れるのも気にせずに顎に手をやって考える。

 シェイラもまた、一緒に考えはじめた。

 驚いてはいたが、ひとつだけ、思い当たることがある。調べなければわからない。今考えても、明快なものは得られない気がした。


「——イディさん、すみません、ちょっと今日はもう帰りたいと思います」


 シェイラが言えば、イディオンは顔をあげて肯いた。


「わかった」

「いろいろ調べて、また来週の福音ノ日にやって来ます」

「うん、ありがとう。……ぼくも調べてみる」


 イディオンの言葉に、シェイラも肯くと、その日は散会となった。


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