86話:イディオン(2)
「……それから、いや、前から囁かれてはいたのだろうね。できそこない、と。絶対女王のできそこない、と」
シェイラは驚いて話を聞いていた。
王の器ではない、とあの女王が言ったのだろうか。さきほど会った、あの女王が。
(魔法なんか使えなくてもよいと言っていた陛下が……)
そんなこと、言うだろうか。
なにか行きちがいのようなものが起きてしまっているようで、シェイラは心に留める。イディオンの話に耳を傾けねば、と気持ちを切り替える。
シェイラは、イディオンを見つめる。
「ムディアンのほうが、絶対女王の継承者。ぼくは、できそこない、失敗作、見た目だけの張りぼて……まあ、いろいろなことが言われていた。ぼくを天才、神童と褒めそやしていた同じやつらが。……笑ってしまうよ」
イディオンは、鼻で笑う。
口さがないものを嘲笑っているのか、自嘲しているのかわからない、笑い方だった。
「そんな言われようだから、仲のよかった弟とも気まずくなった。ぼくを慕ってくれていた妹ともね。だから、ここに……この城には居場所がないと思っていた。できそこないのぼくに、王祖ガルバーンの築いた居城は似つかわしくないと思った」
「……だから、夜の街を歩かれていたのですか」
「そう……かもしれない。そんなところだ。〈導脈〉の輝きもない空っぽな自分を持て余して、亡霊のようにさまよっていたんだよ」
シェイラは、虚ろさをたたえるイディオンの縹色を見つづける。
「スヴェリとはそんな時に出会った」
「スヴェリ?」
「ああ。スヴェリヤス。このあいだ、会っただろう? 真緑の髪の男だ」
シェイラは思い出す。海藻のような髪色をした男だった。
「あの方、スヴェリヤスさんとおっしゃるのですね」
掴みどころのない男だった。悪い男ではないと思ったが、シェイラが気配を探知できなかった。ただの街なかに暮らす男ではないと思う。
「スヴェリは、ぼくのことを穿鑿してくることがなかった。だから、付き合いやすかった。都の歩き方もあいつから教わった」
「ご友人、ということですね」
「悪友かな。……それまで付き合いのあった貴族の同年代は、もう付き合いづらかったから」
「……そうですね」
「スヴェリも多くを語らないが、家に居場所がないと思っているのは一緒のようだった。根をともにしている、という付き合いやすさもあったのだろう」
「たしかに、共通するものがあると、お話しやすいですからね」
シェイラが言えば、イディオンはこくりと肯く。
そこから、言葉はつづかなかった。空間が時を止めてずっと黙り込んでしまったようだった。シェイラとイディオンのあいだには沈黙が落ちる。
宵燈の明かりだけが揺らめく。
「——ぼくは……」
シェイラが沈黙をともにしていると、イディオンのなかで言の葉が水面に浮かんできたようだった。
床に落としていた視線を、ゆっくりとシェイラに戻す。
「もう、王子ではないと思っていた」
「…………」
「魔法が使えないのだから、ガルバディア王族の王子でありつづけてはいけないと、ずっと思っていた」
「それは……」
シェイラはなんと言っていいのかわからず、言葉に詰まる。
けれど、イディオンのほうは口元に笑みを浮かべていた。
「資格がないと思っていた。魔法が使えない王族には、資格がないと」
「……イディさん」
「——でも、あなたが言ってくれた」
イディオンは、シェイラを見ていた。
「いつも見ている、と。都を見ているだろう、王子だからだろう、と」
「……言いましたね」
シェイラは、イディオンと工房街で話したことを思い出す。
「無意識だったと言ったが、ほんとうに無意識だった。全然気づかず、ずっと過ごしていた」
「そうでしょうねえ」
あの時と同じように、シェイラは返す。
「衝撃……だったんだ。もう折れて粉々になっていた柱が残っていたのかと」
「…………」
「ぼくにもまだ、王子としての、王族としての矜持が残っていたのだと、気づかされた」
(そうですよ)
シェイラは思う。
あなたが努力して研鑽してきたものは、決してすべて粉々になったりなどしないのだ、と。
「そしたら、少し楽になった」
「……楽に?」
「ああ。〈導脈〉を持たない空っぽなぼくにも残っているものがあったのかと思うと、楽になった。たとえ、魔法が使えなくても、ぼくは王子なのだと。できることはあるかもしれないと思えるようになった」
イディオンの語りに、シェイラは肯く。
肯いて、一言だけ言う。
「はい。イディさんは、そのままでいいのですよ」
「そのまま……?」
「あなたのままでいいのです。イディさんは、イディさんのままで、十分なんです」
シェイラがほほ笑むと、イディオンは目を見開いた。
それから、ゆっくりと、くしゃっと顔を歪めて、一度俯いた。
待っていると、しばらくして顔が上がってくる。強張りのようなものが抜けた笑みで。
「……ありがとう」
「はい」
シェイラは、満面の笑みを返す。あえて満面の笑みを。
そうすると、イディオンの表情にも力が入った。強張りではなく、意志のような力が。
「……そう言ってくれるあなただからこそ——」
はい、とシェイラは相槌を打つ。
「——頼りたい」
「はい」
「魔法は使えなくても、正直、もういい」
「はい」
「けれど、よく見ているあなたに、賭けてみたい」
「はい」
「もう一度、魔法を使うという夢を見させてほしい」
シェイラは、イディオンの言葉に肯く。言葉を紡ぐ。
「承知つかまつりました、イディオン・ガルバディア第一王子」
近くにある書き殴られた魔法紙を手に取って、宣言する。
「わたくし、導師シェイラータが、殿下に夢を見させて差し上げます」
シェイラがそう言えば、イディオンからは為政者然とした強い肯きが返ってきた。
シェイラは笑みを返す。
(勘ちがいの糸もほどかねばなりませんね)
女王と、イディオンとのあいだの。
それもきっと、自分の役割であろう。




