85話:イディオン(1)
——王族という魔術機構に敷かれた{導線}。
それが、イディオンのすべてだった。
魔導師ガルバーン。大魔導師サージェストの六番目の弟子であり、六大元素魔術の祖。ガルバディア魔法王国の礎を作り上げた魔導師の血が、イディオンの血には流れていた。
イディオンは、そんな血筋に生まれた己を厭うたことがなかった。むしろ、誇らしく、偉大なる魔導師の血を引くものとして、今の世で自分ができることはなんだろうか、ということを幼い折より考えていた。
そして、イディオンは努力を惜しまない人間だった。
惜しんだところで、生まれた宿命からは逃れられない。ならば甘受するのではなく、今できることをする。王族として責務を全うできる歳になるまで、ひたすら己を研鑽しよう。
そうして、イディオンは寝る間を惜しまず、努力を積んだ。
たゆまぬ努力と才で、さすが絶対女王の長子。神童。天才。果ては、大陸の覇者となりうる逸材。そう、言われてきた。
そうやって得た称賛を、イディオンは矜恃として誇り高く持っていた。
——絶対女王と称されし母をも超える魔導師になること。
それが、イディオンの生きがいで、願いであった。
——八歳を迎えるまでは。
王族は学園や学院には通わない。これは、王を戴く各国で通例であった。学園や学院というのは、どうしても多くの人間が行き来するため、暗殺を防ぎきれないことがあった。三百五十年前に、学園や学院の門戸が身分を問わず開かれるようになったのとは逆に、王族は二百年ほど前から学校には通わず、大学府の導師たちから個別に指導を受ける。
イディオンもまた、この通例に漏れなかった。
王族は、もうひとつ異なることがある。学園の子どもたちが六歳になって魔法を教わるのに対し、八になる歳より魔法を教わりはじめる。王族に連なる強大な〈導脈〉が、八を迎えなければ制御しきれないゆえだった。
はじめての魔法の授業。どんな魔法が使えるようになるのだろう。
イディオンは、先んじて、さまざまに理論を学んでいた。
六大元素魔術。それは蟲への最強の対抗魔術。母のように先頭に立ち、国を守る力。
期待し、期待されていた。
この非凡な才は、どのような力を開花させるのか。
——なのに、イディオンの{導線}は、断線していた。
魔法がまったく使えなかったのだ。
「これはいったいどういうことか」
「もしかしたら、殿下はまだ体が成熟しきっていらっしゃらないのかもしれません」
「〈導脈〉に関連する病かもしれません」
魔導師たちはさまざまなことを言った。
けれど、イディオンの主訴はちがった。
呪文が、覚えられないのだ。
覚えられないだけではない。読めない。書けない。唱えられない。
魔法陣も似たようなものだ。書けない。無理に書くと、吐き気がする。頭痛がする。目が眩む。霞む。
王子が魔法を使えないのは病にちがいないと、あらゆる医術師や医療魔術師たちをマイスリー医術国から呼んだ。
だが、原因はわからなかった。
もしかしたら、時を経れば治るものかもしれない。
そう、匙を投げられた。
イディオンは、時間にすがるしかなかった。
——だめだ。ぼくは、人よりも努力を積まねば。
目が眩もうとも、指がふるえようとも、体中に疲労を感じようとも、呪文を綴り、覚えようとした。そうやって苦労すれば、一時的には覚えられた。
でも、長くは保たなかった。
砂の城のように、風化すれば崩れ落ちていく。
たったひとつの呪文さえ、イディオンは身につけられなかった。
魔法が使えないことを取り返すようにさまざまな学も身につけた。
知識教養だけであれば、大学府の学位をもらえる。
それをイディオンは、十一までに身につけたのだ。
だが、三つ下の弟——ムディアンが魔法を当たり前に使えるようになり、絶対女王たる母と同じ魔力を持つと言われた時、足元が瓦解しはじめた。
すでに、柱は折れ、ただ浮いているだけの足元だった。
極めつけは、本来であれば十二で立太子されるはずだったイディオンの立太子式が流れた時、母の居館で、盗み聞いたあの言葉だった。
「イディオンは、立太子せぬ。三年後、ムディアンを立太子する」
「それではあの子がかわいそうではないかい?」
王配たる父が問う。
「致し方あるまい。あの子は、魔法が使えない。ならば、王の器ではない」
——王の器ではない。
母の声に、目を見開く。
絶対女王と称されし母をも超える魔導師になること。
それが、イディオンの生きがいであり、願いであった。けれど、自分は……
(王の器ではないのだ)
母を越えるどころか、母と並ぶこともできない器なのだ。
イディオンの{導線}は断線する。
足元が崩れ落ちる。
——できそこない、と陰口が耳に入ってくるようになったのは、それからだった。




