82話:絶対女王
「——すまないね、突然喚び出して」
気安い声音に、シェイラは内心で小さな驚きを感じながら、魔導師としての最高礼を行って仰ぎ見る。
——ガルバディア魔法王国、今上の女王グシェアネス。
まさにその人が、シェイラから数段先の玉座で、優雅に足を組んでいた。
陶然とするような、美しい人だった。
銀の長い巻き毛と、過ぎ去った夏空を思わせるような蒼い瞳。堂々とした笑みを浮かべた紅唇に、少し青が乗せられた柳眉。
シェイラの会ったことがあるなかで、一番の美人だった。フェノアもそれはそれは美人で舞台女優に他ならない美人であったけれど、このグシェアネスは、王者としての風格も合わさった美貌だった。
魔導師であるからに見た目は二十半ばの妙齢の女にしか見えなかったが、齢は、七十七と聞く。
魔導の力だけでなく、この美貌も合わさって、〝絶対女王〟と呼ばしめられるのだろう。
(イディさんが、どおりで絵になるはずです)
この母から生まれたのであれば、納得である。
イディオンも、もう少し体が育てば、さぞや美男子になるにちがいない。
「こちらこそ、長らくご挨拶がかなわず申しわけございませんでした」
「かなわないもなにも、余が留守であったからな。社交季と重なったのもあるが、悪いのはこちらだ。まあ、そもそも余は、ほとんど城にいないことが多いがな」
美人が豪快に笑っても、美人であることには変わりない。
シェイラが呑気に思っていると、たしなめる声があった。
「——陛下、本題を話しませんと。導師も暇ではないのですよ」
「そうであったそうであった。いかんね。しっかりした夫がおらねば、余が国を統べることはかなわない。いつもありがとう、愛しい夫よ」
グシェアネスの礼に、目礼で応じたのは王配だった。使い込んだ柳弦の低音。
王配は、つまるところ、イディオンの父だった。
ガルバディアの貴族階級における序列第二位の家門出身。齢は六十四。妻である女王とは一回りちがうが、この王配も貴族の〈導脈〉を継承する男で、見た目はグシェアネスと変わらなく見える。実年齢の差など、魔法や魔術の血統を大事とする貴族においては、なんの問題ではなかった。
王配エヴェリヤンは、金の真っ直ぐな髪をゆるく結って前に垂らしている。理知的な瞳は縹色で、イディオンとそっくりな目元をしていた。
「本題だ、シェイラータ」
「はい」
足を組み替えた女王が、前のめりにシェイラに言う。
美人は眩しい。まもなく初秋を香らせる窓に、女王の銀は輝いている。
「まずは、ありがとう」
「はい?」
なぜか、偉い人に礼を言われている。
シェイラはきょとんとした。
「余の命を受けてくれて」
「あ、いえ、えーっと、ですが、イディさん……イディオン殿下からのご依頼なのではないですか?」
シェイラが訝しんで問えば、女王と王配は目を合わせた。
そうして、すぐに否定される。
「いや、ちがう。今回の命は、まずまちがいなく余からの命だ」
「そうなのですか?」
「そうだ。……種明かしになるのだが、余はそなたの師であるメイベ・ガザン老師と知己でね」
「そうなんですか?!」
シェイラは驚いて、頓狂な声を出す。
師の緋色の楽しげな目が浮かぶ。
「まさか……」
「そのまさかだよ。昨年の冬頃に、余がイディオンのことを相談したら、メイベから、『あら、だったらうちのシェイラがぴったりだわ』とそなたの話を聞いてね。派遣してくれたのだよ。他の学園に行ってもらったのは様子見期間というやつだが、評判もいいと黒檀から聞いて、正式にイディオンに就いてもらおうというのが、先日の命だ」
(図られました……)
メイベ・ガザンに。
師の、おほほほほ、と優雅な笑みが耳の奥から聞こえる気がする。
シェイラに王族の話を出せばまずまちがいなく断られると思って、魔法学校の相談役というあながちまちがっていない話から入ったのだ。
完全に図られている。
「……なるほどです」
シェイラは苦い顔で理解を示す。
当初、王城でイディオンと顔を合わせた時に言われたことを思い出した。
『……なんでここに』
シェイラが喚んでもらった礼を告げれば、イディオンは怪訝に眉をひそめていた。
呼んでいない、という訝しみだったのだろう。あの場面を理解する。
(……ということは、イディさんは女王陛下の命であるとわかっていなかったんですね)
もしかして、シェイラが押しかけたと思われているのか。
(それは、なんというか、めちゃくちゃ変なやつと思われているのでは……)
なのに、受け入れてしまうのだから、やはりイディオンはやさしい人間なのだろう。変な人間に騙されないか心配になってくる。
「なんだ、さっきから百面相になっているぞ、シェイラータ」
「あ、すみません……」
(いけないですいけないです)
思考にふけって、女王の御前であることを忘れていた。
「まあよい。そんなわけで命を受けてくれた礼だ。メイベにも礼を伝えねばな」
シェイラは、師に文句を言ってやろうと思う。
ヴェッセンダリアに戻ったら、餅をいっぱい買い付けてもらおうと企むことにする。
「——もうひとつ」
女王の声が、幾分か低くなる。
「シェイラータ、これは余の……いや、私の母としての礼だ。イディオンと仲を深めてくれたことを感謝したい」
「感謝したい、ですか……?」
「あの子はね……ずっと心を閉ざしていた。この四年、いや六年……もしかしたらもっと前……魔法が使えないとわかってから、ずっとだ」
女王は、寂しそうに笑う。
「イディオンは、とても努力家でひたむきで真面目な子でね。すごく優秀だったんだ。けど、魔法が使えないとわかった八歳に、すべてひっくり返った。私は、そんなこともあるかと思っていたんだけど、八歳のあの子には酷すぎた。
四年前からは完全に内にこもってしまった。教師だろうが導師だろうが、来ようものなら、逃亡していたよ。当初は蹴ったり物も投げていたりしてね……最近はもう諦めたようになにもしなくなったけど、どうしたものかと頭を悩ませていた。……魔法なんか、使えなくてもいいのにな」
そうだったのか。
シェイラは聞くとともに、女王の「魔法が使えなくてもいい」という言葉には首を振りたかった。
(それでも、イディさんは、魔法が使えるようになりたかったんですよ)
シェイラがそうであったように。
魔法が使えるようになりたかったのだ。
だから、お守りをさがしたあの夜、シェイラの言葉に反応していたのだ。
すがりつく先を見るように。
「なのにな、シェイラータ。そんなイディオンが、そなたが来るようになったら追い払わないし、逃げないんだよ。これには驚いた」
「わたしが、あまりにもしつこかったからかもしれません……」
もとよりイディオンは人がよい。しつこいシェイラを追い払いつづけるのは心が保たなかったにちがいない。延々と喋られつづけられるのも、意外と人間はたえられなくなるものだ。いい意味でも、悪い意味でも。吉と出るか凶と出るかはやってみなければわからなかったけれど、粘り勝ちというものである。
(礼儀にうるさい方だったら、切り捨てられていたかもしれません)
イディオンがそういう人間でなくてよかった、とほっとする。
「なるほどな。あいつは押しに弱いのか」
「そうかもしれないですね」
「ふむ」
にやり、グシェアネスは笑う。
「イディオンは、そなたに懐いているようだな」
「一国の王子さまに懐いていただけるなんて、身に余る光栄です、と申し上げたほうがよろしいのでしょうか?」
「まちがいない」
グシェアネスは、組んでいる足の膝を打つ。
そんな動作でも、グシェアネスは美しい。
「先日の、イディオンの生誕記念日もな、そなたが来れないと聞いた時のあやつの顔は相当なものだったよ」
先週のことだ。セレリウスのところでシェイラが倒れ、回復が間に合わなかった時のことだ。
約束をしていたのに、申しわけなかったと思う。
このあと、あらためて謝罪する予定だ。
「そもそもこの数年、生誕記念日の宴に顔も出さなかった子が、出席していたのも珍しくてね。私たちとしてはうれしかったんだが、そなたが来れないと伝達を受けた時の青ざめようは見ものだった。陽が沈んで、宴が一段落つくと、抜け出るように出ていったよ。心配だったのだろう」
「恐縮でございます」
謝罪に加えて、なにか差し入れでも持ってくればよかったかもしれない。
「そのような様子でな。あの子に心境の変化をもたらしてくれたそなたには感謝している。ありがとう、シェイラータ」
「恐れ多いことでございます」
「大きな期待をしているわけではないが、イディオンの魔法が使えないという問題も、そなたであればどうにかしてくれるのではないか、と我々夫婦は考えている」
ちらっとグシェアネスは王配を見やる。
瞑目して静かに聞いていた王配エヴェリヤンは、ゆったりと肯く。
「なぜ、そんなことが起きているのかも含めて、メイベの唯一弟子であるそなたの成果を望んでいる」
「はい」
「——期待している」
女王の美しく大いなる眼差しを受けて、シェイラは静々と最高礼で応じた。




