81話:敷かれた{導線}
「——トールは、これみたいです。いつも、当たり前に、そのうえを走っている。選ぶことができず、敷かれた線を、走っているんです」
ヴィクトルは、シェイラが指し示す板を見る。なにかの魔導具の基板のようだった。
{始点}と{終点}が定められ、{導線}が敷かれている。ほかに{分岐点}が三つだけ定められているだけの、ごく簡単な自動化魔術の基板だった。説明用の模型として使われているだけなのかもしれない。
王宮内の一室で、ヴィクトルたち王族が魔導師らから授業を受けるための部屋だ。教材のようなものは、そこら中の棚にある。
「私が、{導線}?」
「正確には、{導線}のうえを走る魔法の力、そのものです。
ほんとうは……べつの道だってあるのに。もう敷かれてしまっているから……選べないんです」
シェイラの言いようは淡然としているのに、どこか悲しげだった。嘆いているようにも聞こえる。
ヴィクトルは言われてはじめて気づいたことだった。
そんなふうに、自分の道を考えたことなどなかった。
うえから見る。俯瞰する。敷かれた道。{導線}上を自分は走っている。
たしかに、と思った。
たしかに、そうだ。聖王家に生まれた時から、ずっと。
指摘されるまで、敷かれていているままを走っていることに、気づいていなかった。言われなければ、もしかしたらずっと気づかないままだったかもしれない。
気づき、見て、同時に悟る。
だが、それは今後も変わらない。
——聖王家に生まれた以上、ヴィクトルがこの線を脱線するということは、ありえないのだ。
それは、己の生まれてからの責務で担わなければいけないものだからだ。
なら、せめて——……
「……じゃあ、ラータは?」
「わたし?」
ヴィクトルに尋ねられて、シェイラは驚いたようにする。
自分の路なんてまったく考えていなかった。そんな顔だった。
「君は、どこを走っている?」
「わたしは……」
——隣を。
敷かれているなら。もう選ぶことができないのなら。ならば。
(隣に。ずっと)
ヴィクトルが思ったのは、それだけだった。
シェイラがなにを考えているのかは、俯いていてよくわからなかった。
わかったのは、それから少し経ってからのことだった。
「……これ、あの」
おずおずと、差し出されたものを、ヴィクトルは受け取った。
腕環だった。よく、できていた。
金の腕環。中央に、紅いファル石。ヴィクトルの色を気にとめて用意してくれたのだとわかった。
「ありがとう。くれるの? 私に?」
こくりと、肯かれる。急な贈り物だったけど、うれしかった。
「きれいだね。どこの工房? いい職人だ」
「……わたしが」
「ん?」
「……それ、わたしが作りました」
びっくりした。もう一度渡されたものを見る。ほんとうによくできていた。
いつ作ったのだろう。飛び級して大学府に通いはじめて忙しいはずだ。
それなのに、シェイラは、細工物を作る才能もあるらしい。
「君が……」
「……はい」
「そうか」
自分のために作ってくれたと思えば、さきほどよりも強く込み上げてくるものがあった。早速、左腕に通す。
ずっと昔から付けていたように、肌によく馴染んだ。
「どうやって作ったの?」
なんとなく聞いてみる。
「川でさらって」
「え?」
「エシアの砂金です。川でさらって、取り出して、それで取り出したものを熱すると、不純物が落ちるので、きれいになるんです。それで型を取って……このあたりは、ひとりで全部は難しかったので、彫金工房にお邪魔して——」
「待って待って待って」
なに言っているんだ。
忙しい合間を縫って、エシアまで行ったのか。
「砂金から作ったの?」
「はい」
「型入れして、石探して、石留めて?」
「はい」
驚きすぎた。
同時に心配にもなる。
「火傷、しなかった?」
「…………少しだけ」
「……なんでそんな危ないことを」
だめだよ、とは言いたくなかった。言いたいけれど、言わなかった。
両手のおそらく火傷の痕を隠すようにしているのは、あとで暴いてやろうと思う。
「魔法は、」
シェイラが小さく言う。
「……魔法は、手間にこもるんです。手間が大事なんです」
「手間?」
「時間をかけて、手をこめて、そういったものに真の魔法は……宿るんです」
わたしは魔法が使えないから、とシェイラは視線を下げてつぶやく。
「……だから、いにしえのユベーヌのまじないを込めました。〈導脈〉がなくても、ユベーヌのまじないは手間をかけるから、効くんです。母さんが、そう言ってました。教えてくれました」
「まじない……」
どんな、まじないをかけてくれたのだろう。
「——守りを」
「守り?」
「トールを守ってくれますように。これから……蟲と戦うようになるあなたを、守ってくれますように。傷つきませんように」
そんな願いを込めたという。
「……わたしは……、あなたの隣にいることしかできないから。隣で、あなたの{導線}と一緒に走ることしかできないから。だから……そう、祈りをこめました」
いつかの問いかけの、応えだった。
俯いて、顔を赤くした彼女の、明確な応えだった。
「……ありがとう」
(ああ……)
自分の敷かれた{導線}を、伴に歩んでくれるのは。歩んでほしいのは——……
「——ヴィック?」
名を呼ばれて、ヴィクトルは我に返る。
聖女が——ヒバリが、不審そうに自分を見ていた。
無意識に剥がれ落ちていた無私の仮面を付け直す。どうしようもない苦汁が口のなかに流れ込んでいて、うまく付け直すことができなかった。
そんな様子にヒバリのほうが驚いたようで、だがなにも言わずに、ヴィクトルの空いている肘に、腕をすべり込ませてきた。
「……あたしたちは、どちらも同じ」
「…………」
「聖女として、聖剣使いとして、レールのうえを走らされている。どうしようもなく。抜け出すこともできず。走らされているとわかってるのに、逃げることはできない」
「……そうだな」
「もう決まってる同士、あたしたちは運命共同体だよ、ヴィック」
ヒバリの声は、諦めろ、と言っている。
諦めろ、もう戻れない。もう終わっている。
「……ああ」
(そうだ)
もう、あの頃には、決して戻れないのだ。無私の、仮面が戻ってくる。
「だから、せめて楽しく過ごそう?」
「……そうだね」
「楽しく、他愛もなく、過ごそう?」
「……ああ」
「あたしもね……やっと、この数ヶ月で諦めがついてきた。時間かかりすぎて、ごめん」
ヴィクトルは右腕にいるヒバリを覗いた。
そこには、さっきも見た、もの哀しい娘がいた。聖剣の力——ヴィクトルの詠唱によって、故郷から突然離され、召喚された憐れな娘を。
「あたし、聖女ちゃんとやるよ」
「……助かる」
「だから、ヴィックもちゃんと聖剣使いと王子さまやって」
「ああ……わかっている」
「王子さまとして、婚約者のあたしを、大事にして」
「……もちろんだ」
そうだ。ヴィクトルが今大事にしなければいけないのは、この憐れな娘なのだ。
責務としての罪悪感を誘う娘を大事にすることしか、今のヴィクトルにできることはなかった。
左手首が、肌なじみのよい金環の心地を、持て余していた。




