80話:聖剣使いと聖女(2)
「……どういたしまして」
ロゼイユ公にたしなめられたからだ、というのは、もちろんヴィクトルは言わない。
そして、驚くほど罪悪感もなかった。
聖王家に連なる王太子として、当たり前の責務を全うしているにすぎない。妙な間が空いてしまったのは、そんな自分にぞっとしたからに他ならなかった。
——この異界より招いた少女に、自分は罪悪感さえも抱けないのだ、と。
「あたし、知ってるし、わかってるよ」
ヒバリの声はつづけられる。
「ヴィックが、まだ、シェイラさんのこと忘れられてないってこと」
出てきた名に、ヴィクトルは足を止める。
視線を真横にすべらせて、ヴィクトルはヒバリの背を見た。
振り向かれた聖女の顔には、さきほどの紅潮した色はもうなく、かと言って寂寥なども浮かんで見えなかった。少女のつたない嫉妬心などもなく、ただ小さく悪戯げな笑みが浮かんでいた。
親しい友人に笑みを向けるような、そんな笑みだった。
「なぜ、そう思うんだい?」
ヴィクトルは、おだやかに尋ねる。
「そうだねー、女の勘……というのは冗談ね。勘っていうのは、結局のところ、いろんな情報を仕入れて総合的に判断できるものだから。まあ、いろいろ聞いて、そうなんだろうなあって」
「いろいろ」
「口さがない王城で働いている人とか、あとは侍女とかからの噂話。それに一応ほら、あたしとシェイラさんって、一年くらい一緒にお城にいたことがあったじゃない? シェイラさんがいる時のヴィックの様子と、この三年半の様子のちがいとか、そういうので総合的に判断したって感じ」
「なるほど」
「肯定も、否定も、しないんだ?」
「…………」
「そういうのが、一番肯定してるっぽいんだよ?」
「……気をつけよう」
ヴィクトルが言うと、ヒバリは笑い出した。
「徹底してるねー。だれが聞いてるか、わからないから?」
「そうではないよ」
「じゃあ、当ててあげる。肯定することで、今の自分の仮面が崩れちゃうのがこわいんでしょ?」
言われてヴィクトルは、ヒバリを見た。
なおも、悪戯げな笑みを浮かべていて、そこには悪意もなかった。ただ純真な無邪気さだけがあって、なんだかヴィクトルは毒気を抜かれてしまった。
「……君は鋭いんだな」
正直にヴィクトルは言う。
小さく、息を吐いた。無意識に肩や腕に込もっていた力がゆるむ。
「さすが聖女さまだ」
「えー、今の全然聖女関係ないでしょ。これ、あたしの立場だったら女の子は絶対にみんなわかると思うよ」
「そうなのか」
「そうそう。女ってこわいの。いろんな情報をいっぱい蓄えて、勘ってやつを働かせるの。ヴィック、気をつけてね。そのうち、王さまになるんだから、覚えておいて」
「覚えておく。でも、王妃になるのは君なんだから、君が気をつけてくれていれば問題ない」
「うわあ……」
またもや、ヒバリは顔を赤くする。今度は片手で口元を覆う。
「なんだい?」
「ほんとうに破壊力すごい。ヴィックって女ったらし。絶対にあたし、そのうち刺される気がする。今のうちに聖魔法極めて{治癒}の力上げておかないと」
「それは残念。聖女は自分に{治癒}をかけられない」
「ええー、そうなの? 使えないじゃない!」
「似たようなので{修復}っていう、医療魔術はあるよ」
「それって聖魔法?」
「ちがうね」
「じゃあ、あたし使えないじゃん」
はあ、とヒバリは大きく溜息をつく。
それから腹を抱えて、楽しそうに笑いはじめる。
「はあ〜、最高」
「え、なにが?」
ヴィクトルは、なぜヒバリがそんなに笑い出したのかわからなかった。
意味がわからなくて眉をひそめると、ヒバリはなおも笑いつづけながら、うれしそうに言う。
「こういうやり取り、最高」
「そうなのか」
「こういうやり取り、好きなの。覚えておいて」
「なるほど?」
「わかってないでしょ」
「わかっていない」
「こういうやり取りも好き」
ふふ、とほんとうに楽しそうにヒバリは笑う。
「こういうね、他愛もないのが好きなの」
「他愛もない……?」
「そう。他愛もない」
ヒバリは笑いながら、中庭から見える突き抜けるような青空を見上げる。
「あたし、こういう他愛もない日常が好きだったの。他愛もないやり取りを、友だちとか、お父さんとお母さんと、お姉ちゃんとするのが好きだったの」
「……そうか」
「いいこともないけど、悪いこともなくて、くじ付きアイスを買ったら当たるくらいの、ちょっとついてる人生で、今日あたしアイス当たったんだ、いいでしょ、って他愛のない話をするのが好きだった」
「……すまない」
その謝罪は、《《王太子としての》》心からのものだった。
彼女を招いてしまったこと、こちらの世界の都合に巻き込んでしまったこと、それに対しては、ヴィクトルは《《王太子として》》大きな罪悪感を覚えていた。
ロゼイユ公に言われて、素直に従ったのも、その罪悪感の影響が大きかった。
「ヴィックが謝ることじゃないよ」
ヒバリは薄く笑いながらも、今度はその笑みに哀しみが差していた。もとの世界を恋しく感じている、そういう笑みだった。
「あなたが謝ることじゃない。あなたも巻き込まれた側の人間だって、あたし、それも知ってるよ。ちゃんとわかってる」
「私は……」
「でも、それも肯定できないんでしょ? ヴィックは、王族だから。王族としての責務があるから肯定できない。あたしを召喚して悪く思っている気持ちごと全部、自分の責務として受け止めている。そうでしょ?」
「…………」
「ヴィックは、どうしようもなく雁字搦めにされたレールの敷かれた人生を送ってるんだよ」
「レール?」
聞き慣れない言葉に首をかしげると、ヒバリは言葉を補足する。
「線路のこと。こことはちがって、あたしの世界では電車っていう乗り物があって、電車はレールの上を走って動くの。レールのうえでしか走れない。ヴィックは、レールのうえを走らされているの」
ヒバリの説明に、ヴィクトルは、はっとした。
かつて似たような言葉を言われたことを思い出す。




