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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子─前編─

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78話:無私の笑み



 ——オルリア聖王国北西部、太古の森シャドゥーラ近くの国境。



 大山脈から隣国までつづく長大な城壁では、望楼の隙間から、男が{強化}した目をすがめる。凍える密林と称されし、シャドゥーラの巨木の下には多くの魔獣たちが潜む。壁を乗り越えてくる獣がいないか、深夜番は代わる代わる壁外を覗く。責任は重い。


「おい、飯だぞ」


 男が覗いていると、声がかかった。

 望楼の外、夜空の下では、通廊で夜食を煮炊きする、細長い煙がのぼっていた。

 男はべつの男に交代を頼み、夜食にありつく。麦と香草に塩を入れただけのうまくもない夜食だ。肉を入れると獣たちが敏感になるから、入れたくても入れられなかった。



「——私も、混ざっていいか」



 そんなありがたくもない食事場に、ひょっこりと現れた姿があった。男をはじめ深夜番の者たちは喜色を浮かべる。


「殿下!」


 ヴィクトル・オルリア。

 聖王国の王太子にして、現世の聖剣使い。


 王太子ヴィクトルは、いつも唐突に現れて、仲間のように食を囲ったり談話に混じったり、時には戦闘にも参加する。

 王太子の出現には皆慣れていて、驚くものはおらず、活気に沸いた。


 どうぞどうぞ、と皆が場を空けて、王太子は遠慮なく、と胡座をかく。

 高貴な人間なのに、異様な親しみやすさが、下っ端から高官まで王太子を慕う理由だった。{転移}を使った神出鬼没で、平気で前線にも参加する。そして、強い。慕わないわけがない。


 男もそのひとりだった。

 恐れ多くありつつも、自分より年下であるはずのヴィクトルを、男は心から慕っていた。


「また、まずい汁だな」


 ヴィクトルは、香草粥を啜ってから屈託なく言う。


「ですあ! これを食いたくなくて、皆深夜番を嫌がるんですげえ」

「食うついでに魔獣のきらう香を出すからって、おれたちの飯をまずいもんにして英気が養えるもんですかい」

「ちがいない」


 言いながらも、ヴィクトルは黙々と粥を啜っている。決して残したりしないのだ、この方は。


「殿下から直訴してくださいや」

「国境防衛隊に、うまい飯を!」


 益荒男(ますらお)どもが言い募ると、ヴィクトルはにやっと笑った。


「私からも陛下に言っておこう。だが、それでは今のそなたたちは満足するまい?」

「まさか?」

「よっ! 待ってました!」


 王太子が懐から乾燥肉を出せば、益荒男どもは、うっほうっほ猿のようにうるさかった。

 男もそのひとりで、ヴィクトルが持ってきたちょっといい乾燥肉をありがたく受け取る。


「やっぱ王城の肉はちがう!」

「塩加減がさいこー!」

麦酒(エール)をよこせ!」

「肉質が、そこらのものとはちがう!」

「このまずい汁に合うんだよな、この肉!」


 殿下に感謝、と益荒男どもは酒宴のごとく騒ぎまくった。

 男は騒ぎに同調する人間ではないので、苦笑しながら肉と一緒に汁粥を啜る。凝縮された塩と肉の味が、口のなかで混ざってうまかった。


「この肉、どうやって手に入れてきたんですか?」


 男が無礼に尋ねても、横のヴィクトルは気にせず答える。


「宮殿に気のいい女房頭がいてね。もらってきたんだ」

「てっきり王族圧かと」


 男が言えば、ヴィクトルは啜っていた汁をむせた。


 いかん。王族を窒息死させてしまう。

 男は慌てて持っていた水筒を差し出すと、ヴィクトルから遠慮された。ご自身で落ち着いて、懐から筒を出して水を呑む。


「すまない」

「いえ」

「王族圧という言葉を久しぶりに聞いた」

「へえ。だれかに言われたことがあるんですか?」

「昔ね。私にそういうことを平気で言う女の子だった」

「ははあ。無礼ですね」

「自分も入っているの、わかっているかい?」

「殿下は距離感を感じさせませんからね」

「褒められていると思っておこう」

「褒めてますよ。——で、その娘は、初恋ですか?」


 問うと、王太子は汁を啜る手を止めた。

 紅の双眼は、鋸壁の外、密林のさらに遠く、その先を見ている。


 ああ、と男は年上の功で悟る。


 これ、聞いちゃいけなかったやつだ。


 空気が重たくなりそうだったので、男は今更ながら、ばか騒ぎに混ざっておけばよかったと後悔する。


 だが、王太子は王太子だった。空気をよくわかっている。

 距離感を感じさせないはずなのに、それがむしろ、距離であったのだとわかるような笑みを引いた。

 その笑みが、本来の王太子その人だとわかるような笑みだった。


 返されたものに、男はそれ以上を重ねなかった。曖昧に肯いておく。

 その時宜に重なって、男と番を代わっていた男が鋭い声をあげた。


「殿下」


 呼ばれるよりも、王太子ヴィクトルの行動は、はやかった。

 立ち上がると、ばっと紅の外套を翻倒する。深夜番よりも先になんの躊躇もなく、城壁のうえから飛び降りた。


 男は、あとをつづく。

 男とて素人ではない。魔術学院を卒業してから二十年、この砦を守ってきたという自負がある。

 まだ年若の王太子の背に守られるわけにはいかなかった。

 ヴィクトルの外套を追う。{強化}し{移動}を施した足を動かしながら、迅速に太い幹のあいだを縫う。


(なんて方だ)


 はやい。歴戦と言っても差し支えがない。そういう足さばきと動体視力をしている。

 男は見失わないので精いっぱいだ。他の者たちは遅れているだろう。


 どごんっ、どごんっ、という地鳴りのするほうに向かう。仔細は聞いていないが、おそらくバッショーと呼ばれる魔獣だ。大猪で鋭い牙を持つ。怒るとまさに、猪突猛進。太い幹だろうが城壁だろうが、凄まじい力で猛突する。

 {防護}結界の施された城壁は、並の攻撃で破壊されないが、このバッショーの猛突は結界を傷つけるほどの魔力を帯びる。

 魔獣が魔獣と称されるのは、他の獣と異なって〈導脈〉を持ち、魔力を帯びた力を持つゆえだ。

 城壁のそばでバッショーが確認された際には、先んじて駆逐するのが国境防衛に必要な手筈だった。



(〈魔導霧〉が出ている……)



 アベルの月であっても、ここ国境では薄く〈霧〉が出る。森であれば、なおさら。



(〈蟲〉も出るか)



 いやなあまいにおいに、男は背負ってた大剣を抜く。


 いつ攻撃を受けてもいい。

 そういう態勢を取った。

 走り進むなかで、翡翠スギの大樹が陰を作る空間に躍り出た。

 ヴィクトルの背中に追いつく。


「殿下……」


 ヴィクトルが睥睨する先には、〈猿猴〉と〈這虫(ほうちゅう)〉の群れがあった。

 〈猿猴〉の不快さは言わずもがな。男は、〈這虫〉も好きではない。

 ヤモリのような胴体と尾を持つのに、頭部はカマキリ。うじゃうじゃと子を生むカマキリが、男はもとから好きではなかった。

 背後では、バッショーの地鳴り。近い。


「どうされますか?」


 男が確認すれば、ヴィクトルからは短い返答があった。



「私がやる」



 言って、王太子は両手を交叉するように構えた。



「——{聖剣}」



 短い呼び名。だが、十分。

 見えない鞘から引き抜かれたように、間もなくして王太子ヴィクトルの手には、まばゆい輝きを放つ聖剣が握られていた。

 金の柄、白銀の剣身、鍔の中央に嵌まった紅玉から血溝に伸びる赤い輝きは、黄金をたたえる。


 まさに、聖剣。

 ヴィクトルが握り込めば、威風が起きる。



 ぶわっ、という音。



 一振りとともに〈這虫〉が薙がれ、二振り目には、〈猿猴〉の頭がいくつも落ちた。わずかのうちに、霧に帰っていく。


(切ったのか?)


 男には、聖剣の剣身が蟲を切ったようには見えなかった。


(まるで……)


 風刃だ。生じた風で切り裂いたようだった。

 伝説の聖剣とは、そういうこともなし得るのか。

 男が分析を進めているうちに、ヴィクトルは踏み込んで、逆方向に地面を蹴っていた。気配の近づいたバッショーへと、真っ直ぐに飛び込んでいく。

 助太刀する寸暇はなかった。



 一度、だ。



 王太子は、猛進してくるバッショーを一閃する。

 そうすると、三馬身近くある大型の獣は、その体格にふさわしい音を立てて倒れた。

 暴れたあともなく、きれいな亡骸は、角や毛皮が喜ばれる。


(また、腕を上げられた)


 恐ろしい才覚だ。


 〈雲虹(うんこう)〉や〈蒼鷹(あおたか)〉などの空の敵、あるいはアバンダスと呼ばれる銀狼など魔獣のなかの最強種でも現れなければ、敵なしなのではないか。

 聖剣に選ばれるというのはそういう才覚なのだ。


「さすが、現世の聖剣使いです、殿下」


 男が声をかけると、ちらっとヴィクトルがこちらを見る。


 眼の下には、バッショーの返り血が飛んでいた。見たことのない冷え冷えとした目が紅く光っていて、血の色とともに、ぞわっと粟立つものを覚える。



「……こんなもの、ただの触媒でしかない」



 露払いの動作をしたヴィクトルの手から、聖剣が転移をしたように光の粉となって消え失せる。


 まるで一刻もはやく手放したいとでも言いたげな仕草だった。男の目には、持て余した右手を、左手首の腕環(バングル)にふれる王太子の姿が印象的に映った。


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