75話:〈魔女の騎士〉
(厄介な人たちが来られましたね……)
シェイラは、ターニャが壁を塞ぐのを認め終えると、{防護}の術式を解除した。同時に落下してきた大岩を大地の力を以って粉砕し、離散させる。砂塵が宙を舞う。
三人、気配があった。
砂埃の先に、揺らめく。
シェイラは、粉塵が落ち着くのを見守りながら、その先を睥睨する。
——臙脂色、と内部では言うらしい。
気高き臙脂色。魔女の色だ、と。
(思想に染まった人たちは憐れですね)
ただの赤褐色だろう、とシェイラは思う。
呪殺されたものたちの血に染まり、固まった色だ。
彼らがまとう長外套の色は。
視界に舞う粉はやがて地に降り落ちていく。そうすれば、帆布頭巾を口元までかぶった人間の姿が三人、現れた。
赤褐色の、頭巾の付いた長外套。背にはおそらく荊棘の剣。
——〈気高き魔女の騎士団〉。
魔女ノザリアンナの王国を復興させようとしている、愚か者たちの集団。
シェイラが目にしているのは、その結社の呪了師たちに他ならないだろう。
(さっきの糸……)
シェイラが錬成した針で断った糸は、〈細蟹〉と呼ばれる蟲の糸だ。カニの頭部を持ち、胴体はクモの形をして、泡の糸を吐き出す。
その糸を使った、呪術。
あんな呪術を使うものは、まずもってまともな人間ではない。呪殺のためのものだ。
(狙われていましたか)
ヴァックス家が、だろう。国境の要衝の家門ゆえか。息女が狙われたのだ。天井の崩落を装った事故。万が一、生き残ってしまった時の用心が糸による術か。
用心深く、一方で詰めが甘い。
シェイラは、薄ら笑う。
(まだ呪術を修めて時を経てないのでしょう)
鉱山の天井崩落なんていう、ふつうの事故に装おうとしているところが詰めの甘い証拠だ。
熟練の呪了師であれば、もっとたやすく確実に、一瞬で命を手折る。もしくは、絶命するまでの苦しみをいたずらに引き伸ばす。
シェイラは、煽るように一歩長靴を踏みしめた。
「——こんにちは、魔女の騎士ともあろう方々が、なかなか小賢しいことをなさるのですね? 驚きました。どういう命令で動かれているのです?」
ずりっ、と視界に入る三名の足が砂利の音を鳴らす。
答えはない。
「騎士の方、でしょうか? 階級があると聞いています。……あ、それとも、従士の方ですか? この仕事を成功させると騎士に昇格できるとか、そういう階級の方ですか?」
シェイラの問いに、反応を示したのは左横の人間だった。怒ったように走り出して来て、腰から粉のようなものをシェイラの目を狙うように撒く。
(目潰しの塩)
反射でシェイラは風を起こして、弾いた。長靴を蹴って宙に跳ぶ。
すぐに、右横の人間の動きを捉えた。大地の魔法。隆起し槍先のようになった地面が、シェイラの跳んだ先を狙う。
{防護}で受ける。辿り着いた天井を蹴った瞬間、{強化}した目で、残りひとりの手元を捉えた。
——人形。それも、藁人形だ。
かろうじて見える口元で呪文をつぶやく。小瓶を取り出し水をかける。そこに、乾燥花と思しきものを押し付け、麻紐で巻き付ける。最後に魔獣バッショーの牙で、人形を突き立てた。
平和ぼけして、護符を持ち歩いていなかったのが仇になった。
がんっ、とその衝撃が、直接シェイラに届いたようだった。
腹部に杭を打たれたような痛み。
同時に、ごぶっ、と口のなかに溢れたものを、右手で押さえる。
天井を蹴った勢いが失われ失速するそばで、再度の大地の魔法。波のように押し寄せてきた地面を、シェイラは左手で凍らせる。
着地したところから、叩き付けられるようにして粘土板。割れたそばから触手のように生えてきた赤子の手がシェイラに巻きつく。それを指の一振りで元の粘土に返したそばで、シェイラの目は藁人形に突き立てられようとする二撃目を視認する。
咄嗟に、シェイラは骨身に沁みた呪文を唱えた。{呪い返し}の呪い。三回高速で唱える。そして、呪いのもととなった呪文を逆唱して、その藁人形を上目に睨みつけた。
二撃目が振り下ろされた直後に絶叫したのは、シェイラではなく、呪った側だった。心ノ臓を押さえるともんどり打って、おそらく落命した。
シェイラはそれを認める。皮膚の下がちりちりと焼け爛れたように痛かった。負担がかかることをしてしまった。
口元を拭いながら、後退った残り二名を見る。
「どうします? おそらく今の方が指揮者ですね。あなた方は従士のようです。おとなしくつかまっていただけますと——」
ありがたいです、という言葉は掻き消された。大地の魔法を扱っていたものが懐から壺を出す。蛇が投げ出される。ただの蛇ではない。壺のなかで呪いを溜め込んだ毒蛇。
古典的な呪殺の方法。
シェイラは、瞬間に認めると腰袋から手鏡を出す。その鏡面を盾のようにして、蛇を受けた。ぶつかった蛇は落下しない。まるで、水に落ちたように鏡面に飲み込まれた蛇は、反射したかのごとく、大地の魔法使いのほうに返っていった。
蛇に噛まれたかと思うと、悲惨な声をあげて倒れた。ぴくりともしていなかった。
「……あなたは、どうしますか?」
残った一名は腰が抜けたように地面に尻を着いて、後退した。
シェイラは冷たい目で見下ろす。
「わ、私は……」
声音から男か、と判断する。まだ若い。歳がいっていても壮年か。
〈魔女の騎士〉を目指すほどのことが、いや、ならざるをえないと追い詰めるほどのことが、この男にはあったのだろうか。それほどの理不尽。それほど、苦しみ、喘ぎ、絶望することが。
(でも、呪いとは……)
呪術とは、代償を払うものだ。
人を呪わば、穴ふたつ、というのは斎王国の言葉だ。
呪いは、闇の魔術で拘束しない闇を扱う。言霊で縛りきれない闇を扱うのが、呪いであり、呪術だ。
このような腑抜けた精神では務まらないだろう。
(まだ間に合う……)
シェイラはつぶやく。
「まだ、あなたは人を殺してませんね……今日がその日の予定でしたか?」
「私は……私は……」
「縛っているものを解いて差し上げます。ですから、魔女の騎士になど成り下がらず、もう一度やり直してください。このような世界に生半可な気持ちで足を突っ込むものではありません」
言ってシェイラは、男に付されている誓いを解いてやろうと思った。魔女への忠誠を捧げる誓い。〈気高き魔女の騎士〉の団員を示す誓い。
——だが。
ごとり、と音がした。
一瞬だった。
一瞬で、男はなにもわからない顔のまま、首が落ちていた。ころころと、そこらにある落石のように転がる。あとには{灯火}に光る糸だけが揺らめいていた。
(消しにかかりましたか)
間もなくして、三名の団員たちは赤褐色の長外套から着火した炎に包まれた。猛炎が死体を焼く。消し炭へと成り代わっていく。
〈気高き魔女の騎士団〉は足跡を残さない。指揮命令系統が統率され、網の目をくぐり抜けてる。〈蚯蚓〉のようにどこまでもどこまでも、深く深く。
シェイラは供養の祈りを手向けると、踵を返す。
「セレリウスさんとターニャ師のほうに向かいませんと」
身体感覚を拡張させる。セレリウスとターニャたちの気配をたどると、どうやらうまく廃坑から抜け出したらしい。迷宮のように入り組んでいたが、入口を見つけられたのだろうか。
「では、わたしも——」
シェイラのつぶやきは、つづく地震で掻き消えた。




